ヲノサトル責任編集・渋東ジャーナル 改

音楽家 ヲノサトル のブログ

ピナ・バウシュ 踊り続けるいのち

2012年04月04日 | 映画/映像
『Pina/ピナ・バウシュ 踊り続けるいのち』
(2011年 ヴィム・ヴェンダース監督)




観ている間は完全に熱中しているが、見終わった瞬間に物語も場面もあっさり忘れてしまうような映画がある。一方で、夢でもみるようにボーッと眺めるしかない内容なのに、映画館を出てしばらくたっても劇中の様々な場面がフラッシュバックして、長い間そのイメージに取り憑かれてしまう映画もある。この作品は僕にとって、完全に後者。


本作では、今は亡きピナ・バウシュが残した現代ダンスの名場面が、様々な趣向で再現される。

パフォーミングアーツの多くはふつう、「観客席からステージを眺める」という固定した視線で眺めることしかできない。しかし、ここではダンサーの間に分け入るカメラの視線を借りる事で(3Dの効果もあって)、自分がまるで舞台監督か何かになってステージに乗っているかのような臨場感で、ダンサーの体温や息づかいまで感じる事ができる。



ピナの作品は、土や水のような自然物、カフェなど、演劇空間の外にある現実の事物を取り込むことで有名だ。ここでは逆に、「映画」ならではの自由さを利用して、ダンサーもどんどんステージの外の現実世界に飛び出していく。

公共空間へ。


ストリートへ。


野外へ。



頻繁に挿入される、ダンサーたち一人一人をとらえたインタビューのショットも、いい。ある者はピナが残してくれた言葉や、その存在への感謝の想いを語る。ある者はカメラの前でひたすら沈黙する。

そして彼らは踊る。言葉よりも雄弁に。

肉体は言語だ。言葉や文章では伝え切れない、そこにある感情を、それでも伝えざるをえない切実さこそが、人をダンスに向かわせるのかもしれない。



時折、映し出される生前のピナ。

当然ながらそれらは2D映像であり、時にはモノクロの古いフィルムですらあったりする。それらの「画質」そのものが、3Dのこの映画の中では、「過ぎ去って取り返しのつかない"過去"」を表現している。人間だれしもが逃れることのできない「時間」の痛み。

それでも人生は続いていく。ダンスは止まらない。

冒頭をはじめ映画の随所に現われる、オールドファッションな音楽に合わせてゆっくり全員が行進していく「行列のダンス」。ああ絶対この映画はこの行進で終わるだろうな、と思っていたら、やはり最後は高台を行進するダンサーたちの姿だった。



ノスタルジックな音楽の効果もあってか、僕にはフェデリコ・フェリーニの名作『8 1/2』の有名なラストシーン、失意と混乱の映画監督が役者たちと野外で手をつなぎ、踊り歩き始める場面が思い出されてならなかった。



「人生は祭りだ。共に生きよう!」 (『8 1/2』より)








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追記

すかさずツイッターでアーティストの笠原出 (@izr_kshr)さんから
「野外の手前におんぶの2人、奥に木を背負う人がいるシーンはサクリファイスの冒頭を想起…。」
とコメントがあったので、タルコフスキー監督の映画『サクリファイス』と並べてみました。



木と人のバランスと、水平に広がる野外の構図が、言われてみれば…(笑)





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