ヲノサトル責任編集・渋東ジャーナル 改

音楽家 ヲノサトル のブログ

世界おもいやりぞーん計画

2006年02月10日 | 日常

「カワイイ」は今や欧米で、ユニークでファンキーなジャパンという国を象徴する言葉になっている… なんて報道をよく目にするが、時と場合を考えてくれと言いたくなることは多い。

今日も、私鉄電車に乗ってたら車内に貼られた奇妙なステッカーに気づいた。

「おもいやりぞーん」

なぜ、ひらがな。

とりわけ「ぞーん」という語感の間抜けさには、格別な味わいがある。

車両への配備を決めるにあたっては代理店やら制作会社が多数参加し、コンペやらプレゼンやらあったと思うが、そういった席でも、やはりイイ大人が集まって

「思いやりゾーン…ではインパクト不足ですし」
「やさしさとか、人と人との絆を訴求する方向で」
「バリアフリーも大事ですよね」
「漢字が読めない方へも配慮して」
「ぞーんで」
「ぞーんですな」

などと議論を重ねた末、このような表記が採択されたのだろうか。

あらためて見渡せば、この表示に限らず車内全体が何とも幼児的なビジュアルに満ちていると気づく。

ひらがな、原色、アニメ感、キャラクター… 大人の落ち着きとおよそ縁遠いもので電車は、いやこの国は埋め尽くされている。誰も変えようとしないのは、やはり国民の大半がこういった空気を好んでいるからに違いない。

そんな事を考えながらドアの上をひょいと見ると、自動車教習所の宣伝ポスター。3DポリゴンCGの恐竜みたいなキャラクターに添えて、こんなコピーが大書してある。

「ノリタガリアン大集合!」

よりによって、ノリタガリアンだ。「オバタリアン」「ジベタリアン」といった周回遅れの"流行語"を彷彿とさせる響き。個人的には、そんなノリタガリアンたちが集まる教習場に通いたくはない。

電車に限ったことではない。何かと言えば「親しみやすいキャラクター」を持ち出す風潮には、どうもなじめないのだ。根が吝嗇なので、自分の支払う料金の一部はキャラクターのデザイン料や版権に消えるというのも、腹が立つ。キャラなんかいらないからその分マケてくれ!

キティちゃんとかポケモンがペイントされたジェット機など見ると、あまりに子どもっぽいビジュアルに「操縦するのはもちろん子ども機長じゃないよな…ハハ、ハハハハハ」と航行への漠然とした不安を感じるタチだ。

銀行カードや通帳の表紙がミッキーだのドナルドといったキャラクターだと「なけなしの財産を預けて大丈夫なんだろうな、まさか払い戻しは"こども銀行券"じゃないよな…ハハ、ウハハハハハ…」と心細くなるタチだ。

だが、今回の電車で最も脳髄にガツンときたアイテムは、ドアに貼られた丸いステッカーだった。

ファンシーでポップな色合い、書体、♡マークにリボンがキュートだ。しかし



「ゆびをはさまれるよ!」
「あぶない!」
「ドアからはなれてね!」


書かれている文章は、いささか剣呑だ。よく見ればキティちゃんは手に包帯を巻いている。ドアに指を挟まれて負傷したのか!

…とは言え、このステッカーからは"今そこにある危険"など全く伝わってこない。「キティちゃんカワイイ♡」というピースフルでホンワカした"気分"だけだ。

ん?俺いま「カワイイ」って言った?

あ、そうか。キャラってこんなふうに気持ちをやわらかくしてくれる効果があるんだね。

ゆびをはさまれるよ!と言われたって、なんだか大丈夫な気がしちゃう。

手首を複雑骨折しちゃっても、これならニコニコ笑って「いいよ、いいよ」なんてね。間違っても鉄道会社を告訴しようなんて思わないよ!なにしろ、ここにちゃあんと注意は書いてあったんだから。自己責任、自己責任。

そうか、カワイイものでフォローすれば、たいていのことは何だか大丈夫な気がしてきたぞ。

高速道路では「くるまがぶつかるよ!そくどをおとしてね!」とか。

肉屋さんでは「のうがこわれるよ!せぼねはたべないでね!」(※1)とか。

他にも「かぶかをそうさしないでね!」とか「てっきんをぬかないでね!」(※2)とか。

たいていのことは親しみやすいキャラクターや、ひらがなでわかりやすく書いた標語で、あらかじめ注意さえすれば解決だ。もし解決していない問題があるとしたら、それはキャラクターの掲示が行き届いていないだけのことだ。

標語を増やせ!ステッカーを貼り続けろ!

世界中が「おもいやりぞーん」となるその日まで。


("渋東ジャーナル" 2006年2月10日号より・加筆修正)

※1:執筆当時、牛の背骨はBSE(狂牛病)の特定危険部に指定されていました。
※2:執筆当時、建築物の耐震偽装疑惑が大きな社会問題となっていました。



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