ヲノサトル責任編集・渋東ジャーナル 改

音楽家 ヲノサトル のブログ

作曲とブレストと地球の救世主

2014年11月16日 | 日常


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「いいものを作るぞ!」と気負っていると、「いいもの」ってなかなか生まれない。

習作、駄作、できの悪いものでも気にせず、とにかくガンガン作り続ける。すると、あるとき突然、自分でも思いもよらない名作が生まれたりする。これは、ものを作る人なら誰でも経験していることと思う。

作曲の初心者にも、曲を作り始めてみたものの、どうしても最後まで曲が完成できず、なかなか曲のストックが増えない人は多いだろう。けれども往々にして、単に自分に課するハードルが高すぎるだけだったりする。

初心者ほど「こんなサビじゃつまらない」「終わり方がどうも面白くない」などと、できあがりつつある曲に納得ができず、途中であきらめてしまう。そして、また別の曲を最初から作り出したりする。

これって車で言えば、ローギヤで走りだしたものの大通りに出られず、裏道をウロウロしたあげく停車してしまうようなものだ。

気に入らない道でもいいから、とりあえず大通りに出て速度を上げ、高速道路に乗って、安定速度でクルージングを始めなければならない。好きな走り方ができるのは、それからだ。

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会議に「ブレイン・ストーミング」(以下ブレスト)という手法がある。ネーミングや新商品開発などで斬新なアイディアが必要な時に、少人数で集まり、思いつくままにアイディアを出し合うのだ。

そのルールの一つに「アイディア出しの段階では、他人の意見を否定しない」というのがある。

往々にして、他人の発案には「それって非現実的じゃない?」とか「前にも同じようなアイディアがあったよ」とか、ツッコミたくなるものだ。

けれどもそれを始めると、こんなこと言ったらツッコまれるんじゃないか、と「アイディア脳」は萎縮し、思いつくまま話すことができなくなる。

そこで、ブレスト中は他人への批判を禁止する。玉石混淆を前提に、出せるアイディアはガンガン出す。それらの検討や評価は、アイディア出しがいったん終わってから、まとめて行う。

この「段階を分ける」という考え方は、様々な知的作業に応用できる。

たとえば作曲も、作ってる最中に自分の作ったものを批評し始めると、その高い基準に縛られて「アイディア脳」が萎縮してしまう。

だから、作ってる間は自分の中の「批評脳」をシャットアウトし、霊媒のようになって、とりあえず降りてきたものを次から次へとひたすら書き飛ばすことだ。

そしてその「降りてきたもの」が果たして使えるかどうかジャッジする作業は、その後であらためて行う。

もちろん作曲と言っても、単にメロディやハーモニーを作るだけでなく、もっとコンセプチュアルな作曲や、メタレベルの作曲(「曲」や「音楽」という前提や概念自体を問い直すような作曲)もある。

その場合も、アイディアを出す時にある種の「ひらめき」が必要なことに変わりはない。やはり「発案」と「評価」の作業段階を分けるのは有効だ。

+ + +

個人の知的活動についてのこうした考え方は、社会にもあてはまる。

世の中には、学問やら研究やら芸術やら多種多様な知的活動が存在する。その中には、誰もが賞讃するものもあれば、何の役に立つのかわからないもの、いやひょっとしたら社会にとって有害と思われるものもあるだろう。

これをブレストにたとえるなら、玉石混淆のアイディアが湧いている状態だ。

その中から、できの悪いものや役に立たないものを分別し、排除しようとすれば、たちどころに「アイディア脳」は萎縮し始める。結果として「役に立つもの」も「できのいいもの」も、生まれにくくなってしまう。

最初に書いた作曲の話と同じで、いいものを作らせたかったら、とりあえず何でもいいから、やりたいだけやらせて、様子をみるのが最善だ。

もっと言えば、そもそも未来の社会で何が役に立つかなんて、わかるわけがない。

だから、今はどう考えても役に立たないけれど、ひょっとして「風が吹けば桶屋が儲かる」みたいに巡り巡って将来なにか役に立つかもしれないものも、とりあえず残しておく。長期的にみれば、これが最善の戦略だ。

なにしろ、人類がこれほど多種多様な文化を持っているのは、偶然ではない。多様な選択肢があったからこそ、大規模なリスクが生じた時にそれを回避し、生き残れたわけだ。

B級SF映画なんかに、こんなプロットがよくあるでしょう。

「軍隊も歯が立たない強力な宇宙人(とか怪獣とかゾンビとかギズモとか、何でもいい)に世界が滅ぼされそうになるが、その敵が実はエレキギターの強烈な音(とかブルーチーズの匂いとか飲み残しのぬるくなったビールとか、何でもいい)を唯一の弱点としていて、地球は滅亡をまぬがれる…」みたいな話。

こういう物語がくりかえし作られてきたのは、「未来の危機で役立つのは、今は誰も役立つと思っていないものだったりする」という教訓が、人類の記憶に刷り込まれているからではないか。

そう考えると、ある社会が文化から「悪しきもの」や「役に立たないもの」を潔癖に分別したり排除しようとするとき、その社会の未来にはきわめて悲観的にならざるをえない。

逆に、一日中ひきこもってネット見てるだけの自分なんて誰の役にも立ってないしな……と、ため息をついているそこのアナタ! アナタこそ実は、未来の地球の救世主かもしれませんぞ!(無理やりなオチ)



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