ヲノサトル責任編集・渋東ジャーナル 改

音楽家 ヲノサトル のブログ

自殺裁判

2009年12月11日 | 大学




情報デザイン学科で担当している、VACこと「映像音響創造ワークショップ」の最終発表会。

毎年、このファイナル企画については「とにかく1年間の集大成を好きに表現せよ!」と全て学生に丸投げしている。なにしろ映像やら写真やらインスタレーションやらコスプレやら、とっ散らかった内容を展開しているワークショップなので、何が出るかは、その年度の雰囲気や学生のキャラ次第。

で、今年の学生が制作したのはパフォーマンス。タイトルは「自殺裁判」。

ふだん授業や実習に使われている写真スタジオを、照明や大道具を建て込んだ小劇場につくりかえてしまう。舞台は裁判所。裁判官の両脇に弁護側と検察側を配置し、観客席を傍聴席に見立てるという、かなり演劇的なパフォーマンス。

自殺した男が、仮面をつけた人々に「自らを殺した罪」で裁かれる…という不条理劇。彼がなぜ死んだのか、状況は映像で説明されていくが、判決の後、実は別にあった真実が明かされる…という趣向。

映像、音響、身体表現、空間づくり…と、まさにこれまでやってきた実習が集積された内容で、指導教員としては大満足。もっとも、子どもの学芸会を観に行く親と同じ心境で、自分のライヴなんかよりも緊張しつつ観覧したけれど…

もちろん内容的には「死」「自殺」「裁き」と、扱っているテーマが重いだけに、もっと芸術的に深めらたのではないかという批評もできなくはない。

しかしこのワークショップの達成目標は、こうした総合表現を企画制作するスキルを身につけることであり、「何を表現するか」自体は、学校なんか関係なく、個人それぞれが考えたり目指したりしていけば良い領域だと思うのだ(それが見つからないなら"表現"などするべきではないし)。

細かいことはどうでもいい。舞台稽古に入ってからの現場をみてると、役者は役者の顔、音響さん照明さん美術さんもそれぞれの顔…と、それぞれどんどん「その道のプロ」みたいな顔に変貌していく。みんな本当はただの美術学生なのに。感情をぶつけ合ったり批判し合ったり、でも何とかして公演を成功させようとしているうちに、いつのまにか「劇団」みたいな集団になっちゃっている。ただの演習クラスなのに。

そのプロセスが、とても貴重に感じられた。人は、もともと職能や才能を持っているわけでない。仕事や役割がその人を作っていくのである。


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