引き続き、松江市の月照寺を紹介します。
月照寺の「縁起」に、次のとおり記されています。
月照寺はもと洞雲寺(とううんじ)という禅林でしたが、寛文4年(約330年前)徳川家康の孫にあたる松江藩初代藩主松平直政公が聖母月照院様の霊牌を安置するため、浄土宗の長誉上人を開基とし蒙光山(むこうさん)月照寺として改称復興したのが始まりです。
更に公の没後、二代綱公が父の遺命により境内に廟を造り、山号を歓喜山(かんぎさん)と改めて以来、九代にわたる藩主の菩提寺として栄えてきました。
・・・(中略)・・・
静寂な境内には四季折々の花が咲き誇り、特に6月中旬からは、あじさいの花が所狭しと咲き誇ります。
近年は、「山陰のあじさい寺」として、多くの観光客が訪れています。
TOP画像の、廟門の先に見えるのは松江藩初代藩主松平直政公のお墓です。
廟門をくぐり石橋を渡り、左右の紫陽花の咲き誇る石畳を行くと、直政公のお墓です。
(月照寺パンフを大きく見るには → こちら)
月照寺に歴代松江藩主九代のお墓がありますが、初代直政公のそれは、二代目以降のお墓と比べると広大なつくりとなっています。
左右に石灯籠が立ち並び、荘厳な雰囲気が漂っています。
直政公のお墓に隣接して、七代藩主松平治郷公(不昧公)のお墓があります。
不昧(ふまい)公は、江戸時代の茶人として有名ですね。
私は、松江藩九代にわたる藩主のうち松平不昧公は知っていましたが、他の藩主は知りませんでした。
不昧公のお墓の廟門を背にしての風景です。
九代までの藩主のお墓には、廟門が設置されています。
実は、すべてのお墓の写真は撮ったのですが、廟門とお墓はだれのものかすっかり忘れてしまいました
藩主によって墓の石碑はそれぞれ特徴がありますが、いずれも立派な石碑が建立されています。
↑のお墓も、だれの藩主のものか失念してしまいました
境内の通りには、今は紫陽花が咲き誇っています。
六代のお墓のそばに、大きな亀の石があります。
小泉八雲の随筆に登場する月照寺の大亀です。
頭をなでると長生きするとか。。。
仁王様を刻した廟門ですね。
各廟門には、それぞれ独自の模様が刻されています。
さて、九代にわたる藩主の御廟すべて紹介はできませんでしたが、次回は境内の紫陽花を詳細に紹介します
続く・・・
時期的にどうでしたか
以前2回行ったことがありますが
遅すぎたり早すぎたりと
まともな写真が撮れた試しがなくて
あまりいい思い出がありません。(^_^;)
アタクシはいつでも行けるスポットですが、過去に一度だけ行っただけでもぅ二度と訪れることは無いでしょう。
というのも松平家の墓参り、という印象しかないからであります。
松平家イコール徳川家の歴史がダメなんです。
アタクシのDNAは織田信長、あるいは秀吉系の関西系の血が流れてるような気がするもんで、松平には拒絶反応が生じるワケ(^^♪
しかし生まれ育ったところが関東系の殿様が治めたところなので、適当にごまかしながら生きていくのでした(*´∀`*)
次回の記事を楽しみにしてるにゃ~(…としまねっこが期待してる)
紫陽花が見事に咲いていましたよ。
大神山神社より広い敷地に、紫陽花が点在して咲いていて、撮影スポットが結構ありましたね。
ぽん太さんは、睡蓮の咲く池をアンダー気味にUPされていたような記憶があるのですが、今回は日が照っていて、あのイメージどおりに撮れませんでした^^;
確かに、この寺は他の檀家はないようですね。
松平家の墓地しかないようで、入園料を徴収して存続せざるを得ないかもしれません。
境内を散策して、きちんと保存管理されていることに感動しました。
なかなか難しいコメントですが、西日本に住んでいると、江戸というか東京には対抗心を感じるところもありますね。
1964年の東京五輪は日本全国盛り上がったように思いますが、2020年のオリンピックは、あのときの気持ちとは違うように感じるのは私だけでしょうか(笑)
もっとも、あの当時の日本の時代背景は今とは違いますからね。
月照寺は、明治維新後もこのように残っているとは驚きでした。
鳥取市にある池田藩主池田家墓所は、今は管理するお寺はあるかどうかわかりませんが、公益財団法人が保存管理しているようですね。