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プーケット津波情報総合 (スマトラ沖地震)

Webや口コミで収集した情報のまとめです。「一覧」のカテゴリーに各種情報のまとめを置きました。

各記事の整理&保存 (12/28 18:45収集分、防災関連)

2004-12-28 18:59:11 | 記事スクラップ
東京新聞より
津波の脅威 逃げるしか
破壊力は風波の1000倍にも

インドネシア・スマトラ島沖地震と津波の犠牲者の数は時間がたつにつれ、増える一方だ。「南国の楽園」での年末年始休暇は暗転し、日本人もツアー客ら数十人の安否が不明だ。そもそも津波の脅威など、誰が予想できたろう。現地からの情報を基に、あらためて津波の怖さと、警報システムも十分ではない海外での対処の仕方を探ってみた。

今回、津波の被害を受けたタイ・プーケット島のナイヤン・ビーチにある「パールビレッジホテル」では客室棟八棟のうち五棟の一階がすべて床上浸水した。

同ホテルの日本人女性研修生 (31) は「ホテル前のビーチの砂が全部押し寄せてきて、ビーチは崩壊している」と話す。多数あった「海の家」のような店はすべて消え、割れたガラスの破片やデッキチェアなどが散乱していて「手の付けようがない」 (同女性) 。ホテルの裏には、現地住民が住む一般住宅もあったが、家屋は押し流されたり、柱がむき出しになるなど無残な姿になっているという。

客の一人の茨城県の男性会社員 (57) は「二階の部屋にいたが、現地時間の二十六日午前九時半ごろ、震度2ぐらいの揺れが来た。何だか変な揺れだなと思っていて地震とは思わず、こんな時間になんで工事をやってるんだと思った」。しかし、午前十時ごろには一階に水があふれ始めた。「従業員に聞いたら津波が来ていると言いだした。なるべく上の階へ行こうと逃げたが、ホテルは何のアナウンスもしないし、情報がまったくなく不安だった」

同じくプーケットの「シェラトン・グランデ・ラグナ・プーケットホテル」でもレストランが津波にさらわれ、跡形もなくなってしまったという。現地の女性従業員は「とても大きな波だった。大人の男性三人分の高さはあったんじゃない? 見たことがない」と一気にまくし立てた。

■『被害の全容つかめない』

一方、インドネシア・スマトラ島の北スマトラ州メダンにある日本領事館総領事代理、宮川勝利氏は「日本の地震に比べると、ゆっくりとした横揺れだった。スマトラ島でもアチェ州など北部は電柱などが倒れ、通信事情が極めて悪い。携帯電話もつながらず、被害の全容がつかめない」。

そのアチェ州は現在、分離独立問題で非常事態宣言下だが、現地の天然ガスプロジェクトに携わる日本人職員は「非常事態宣言下で現地情報は伝えにくい」と前置きした上で「津波直前に潮が大きく引き、そこに残った魚を捕りにいった人々が津波にのみ込まれた。それと水上住宅が多く、両親が働きに行った後の時間帯だったため、子どもたちが犠牲になったようだ。漁船も埋め立て地に打ち上げられた。被害者は六百人とも千三百人とも」と語る。

こうした被害の大きさを受けて、国際的な医療支援の民間非営利団体 (NPO) 、「AMDA」 (岡山市) は急きょ、インドネシアとスリランカへのメンバー派遣を決めた。

スリランカでの活動歴もある富田彩香さんは「スリランカ東部のトリンコマリー地域に昨日、国際協力機構 (JICA) の職員とAMDAのスタッフが訪れたが、遺体の方が多く、治療より遺体収容の仕事のニーズの方が大きいほど、と報告があった。すさまじい状況だと思う」と話す。

「地震大国」と呼ばれる日本だが、それでも津波の脅威となると、そう浸透しているとは言い難い。

「夜中のことだったので波を見た人はいないだろう。地震後、三十分もすると引き潮になったという。少しばかりの引き潮でなく、何百メートルと潮がひいた。明治の三陸地震の経験者がいて『逃げろ』となった。明治の地震の体験者のいる地区とそうでない地区では被害がぜんぜん違った」

こう一九三三年の三陸地震 (死者・行方不明者三千十四人) の体験を話すのは津波研究家で、ノンフィクション作家の山下文男氏 (80) だ。山下氏の住む岩手県大船渡市は、かつて国内最大の津波被害を受けた。

波が引いた後、自宅に戻ると集落に二十八軒あった家はほとんどが流され、残ったのは、同氏の家を含めた三軒だけだった。

同市内の志田賢太郎氏 (76) は「とにかく怖かった」と振り返る。「家族が海を見て『大丈夫』と思っていたら三十分もしないうちにふすまなどが波と一緒にかぶさってきた。家は流されなかったがつぶれた」

同市は六〇年五月のチリ沖地震 (死者・行方不明者百四十二人) でも津波被害を受けた。志田氏は「地震の後、海面はタップンタップンと波打っていた。家が高台で見ていたが、波の高さは四メートルくらいあった。海からの水はゴーと音をたてて市街地に向かった」

九三年七月の北海道南西沖地震 (死者二百二人) でも、津波の被害は大きかった。「波の高さは最大で二十九メートル、学者によっては三十一メートルという人もいる」と話すのは北海道・奥尻町役場の木村孝義氏 (44) だ。

「早いところでは、地震の三分後に津波が襲っており、島の最北端では十一メートルあった。最大の被害を出したのは島南端の地区で、五分後には一二・三メートルの津波が襲った。車で逃げているうちに車内に浸水し、車の中に残ったわずかな空気で生き残った人もいる」

■広がる渡航『危険地の啓発に援助を』

津波の怖さについて、先の山下氏はこう話す。「第一にスピード、第二にそのエネルギー。自動車くらいの速さはあるし、破壊力は風波の千倍といわれる。台風などの風波は海の表面が動くだけだが、津波は水が体積を持って海ごと突っ走ってくる」。東北大学大学院工学研究科の今村文彦教授 (津波工学) は「突然で広域。逃げ場がない。津波が来るまで時間はあるが行動を起こせないと、すべて流されてしまう」と言う。

今村氏は、今回のスマトラ島沖地震による津波の被災地域について「警報システムなどの必要性がいわれながらも、二十四時間の監視が必要なために負担がかかると、各国が理解を示さなかった。しかし、リゾート地には多くの訪問客が入る。ハザードマップを作るなど旅行者に情報提供したり、避難訓練をするなど、特別な配慮が必要だ」と指摘する。

前出の山下氏は「警報も過信してはダメ。日本ですら、チリ沖地震や今年九月の紀伊半島沖の地震では気象庁の警報は遅れた。防潮堤にしても北海道南西沖地震では、四・五メートルの防潮堤があっても全滅した地区もある」と警告する。

日本人旅行者の行き先は広がるばかり。渡航先は津波などの対策が不十分な地域の方が多いはずだ。何らかの対処法はあるのか。

山下氏は「日本政府はインドネシアやフィリピンなど津波の危険のある地域については、啓発のシステムづくりに援助すべきだ」と前置きした上で、現実論としてこう語る。

「リゾート地では、防潮堤を造ったら観光地にはならないだろう。どこであれ、究極の津波対策は逃げること。それしかない」

東京新聞より
津波10メートル 想像してください
世界一の警報網、どう生かす

インドネシア・スマトラ島北部の沿岸で起きたマグニチュード (M) 9・0の地震は、大きな津波を起こして二万人を超す死者を出した。津波の観測や防災研究で世界の先頭を走る日本でも、場合によるとこれに近い被害が出る可能性がある。今回の津波をきっかけに「いま、ここで十メートルの波が押し寄せたら」と想像してみるのが、一人ひとりにできる防災対策の第一歩になる。  (科学部・永井理)

■最先端

日本の太平洋沿岸の南海トラフに沿った海域で東海・東南海・南海の三地震が同時発生すると、M8・7の巨大地震になると想定されている。今回の地震と近い規模だ。その場合、高知県や紀伊半島を十メートル前後の津波が襲い、その死者は最大九千百人に達すると政府は見積もっている。

今回の被災地域と違って、日本では津波の注意報や警報を出す仕組みが整っている。気象庁は警報を素早く出すため、日本近海で地震が起きた場合の約十万通りについて計算したデータベースを作っている。震源の位置とMの値を入力すると、どこにどんな高さの波が来るか、すぐにはじき出すことができる。

遠くで発生した地震の津波も、米国やロシアなどとつくる太平洋津波警報センター (PTWC) の情報網で警報を流す。気象庁・地震火山部管理課は「見逃すことはない」と自信をにじませる。

さらに進んだ方法も研究中だ。海底に水圧計を置いて発生直後の津波の高さを測り、より正確な警報を出す方式だ。現在は十勝沖から四国沖まで十二の観測点がある。

まだ警報発令の参考にする段階だが、海洋研究開発機構の平田賢治研究員は「津波を直接測るのが一番。水圧計の数では日本が世界一」と話す。

これら日本の技術を役立てようと、防災科学研究所ではアジア太平洋の津波情報ネットワークづくりを計画中だ。

同研究所の石田瑞穂研究主幹は「アジア地域には津波情報を出すネットワークが整っていないところが多い」と指摘する。ネットがあれば、震源地から遠く、避難までの時間的余裕があった、インドやスリランカなどでは被害がかなり防げたかもしれない。「日本が中心になってやるべき取り組みだ」と話す。

■警報後

東海・東南海・南海の三地震が同時に起きたとき、もし住民がまったく避難しなかったとすれば臨海地域の都市の被害は拡大し、死者は一万人を超す可能性があるともいわれる。

避難ゼロは現実的な仮定でないとはいえ、日本での津波への意識は必ずしも高くない。

九月五日に東南海地震の震源域に近い紀伊半島沖でM7級の地震が二度起きた。三重県尾鷲市と群馬大学との共同調査では、最初の地震で避難した同市の市民は一割だけだった。東南海地震で想定した通りの津波が来たとしたら、人口約二万四千人の尾鷲市だけで二千二百人余りが犠牲になっていたという。

気象庁の警報を受けて住民を避難させるのは自治体だ。だが、東大社会情報研究所の広井脩教授は「自治体の対応にばらつきが大きい」と指摘する。警報を待たず、独自のシステムで住民に避難を呼びかける岩手県釜石市のような自治体もあれば、警報が出ても避難勧告を出さない自治体も少なくないという。

タイのプーケット島では死者の多くが観光客という。夏場には、東海地震の影響を受ける海岸部だけで約十万人が訪れるとされる。普段、沿岸部に住んでいない観光客の避難も大きな問題だ。

津波防災工学が専門の今村文彦東北大教授は「意識のあるなしで被害は二けた違う」と話す。東南海・南海地震の被害想定を発表する際、政府の委員会の座長をつとめた土岐憲三立命館大教授は「十メートルの津波は信じ難いかもしれないが、ぜひ想像してみてほしい」と繰り返している。

■津波が発生した主な地震

1896年6月 マグニチュード (M) 8.5の明治三陸地震。死者約2万2000人

1933年3月 M8.1の昭和三陸地震。津波と合わせ死者・行方不明者3000人以上

60年5月 M9.5のチリ地震。死者5700人。日本に押し寄せた津波の死者・行方不明者約140人

83年5月 M7.7の日本海中部地震。津波と合わせ死者・不明者100人超

92年12月 インドネシアでM7.5の地震・津波。死者2500人

93年7月 M7.8の北海道南西沖地震。奥尻島に津波被害、地震と合わせて死者・不明者約230人

94年6月 インドネシアでM7.2の地震・津波。死者約250人

98年7月 パプアニューギニア北西部沖でM7.0。同島北部に津波が押し寄せ、少なくとも2100人死亡

2004年12月 インドネシア・スマトラ島沖でM9.0の大地震。津波と合わせスリランカ、インドや東南アジア各国で2万3000人以上死亡

津波被災体験談 (12/28 18:45収集分)

2004-12-28 18:57:19 | 記事スクラップ
神戸新聞より
黒い波「夢中で逃げた」 兵庫などの旅行者
2004/12/28

巨大な波にさらわれてしまったのか。インド洋大津波の被災地で消息を絶ったまま、二十七日夜になっても安否確認できない日本人旅行者ら。タイのプーケットでは子供たちの不明情報も。船が店に突っ込み、住民の暮らしは家ごと押し流された。「どす黒い波がどこまでも追い掛けてきた」と命からがら帰国した観光客。「生きていて」。焦りの色が濃くなる中、国内で無事を祈る家族の中には居たたまれずに泣きだす人もいた。

スマトラ沖地震の津波に遭った日本人旅行者数十人が二十七日午後、バンコク発の日航機やタイ航空機で関西空港に到着、当時の様子を生々しく語った。

「人々が逃げ惑い、車のクラクションがけたたましく鳴った」。興奮気味に話すのはダイビングのためタイ・プーケット島に滞在していた西宮市の高校教諭高瀬少輔さん (59) 。多くの人の叫び声で津波に気付いた。津波は砂浜を、道路を内陸側に押し寄せた。「これはまずい」と夢中で約三百メートル逃げたが、どんどん追い掛けてきたという。

プーケットの空港に向け海岸を走る車窓からは、車の上に車が折り重なり、船が店に突っ込むなどの惨状が広がっていたという。

「第一波は高さ一メートル、第二波が一・八メートルくらいだった」と話すのは芦屋市の無職岡本光雄さん (60) 。津波が襲った後の海岸には、パラソルやデッキチェア、バルブが開いたままのプロパンガスのボンベなどが散乱。住民や観光客はひざから下にけがをした人が多かったという。

東京都葛飾区の会社員 (52) は高速道をタクシーで空港に向かう途中に津波を目撃した。

「地面が揺れる感じで津波が迫った。海岸から数百メートル離れていたが、頭の中が真っ白になった」。海岸に立つ平屋の民家より高い波が押し寄せ、家がのみ込まれるのが見えたという。

滋賀県長浜市の会社員岩崎靖彦さん (42) は「すごい勢いで潮が沖に引いていくのが見えた」。高台のホテルの二階に滞在、タクシーなどが下から一斉に上ってくるので不思議に思ったという。一階には海水が侵入し、ロビーで「知人が流された」と泣き叫ぶ人がいた。

福井市の介護職の女性 (51) も「前夜に食事をしたビーチのレストランが影も形もなくなっていた。津波は十メートルくらいあったとガイドが言っていた」と話した。

毎日新聞より (画像あり)
インド洋津波:
水着のまま避難所に プーケット観光客ら

【プーケット (タイ南部) 竹之内満】津波襲来から3日目となる28日朝、タイ最大の被災地となったプーケット中心部の県関連庁舎に設けられた臨時救援センターでは、宿泊先を失った観光客らが不安げな表情で参集。タイ当局によると、この日だけで約3000人が利用し、同日中にも被災者用の臨時航空便がバンコクに向け運航する。

救援センターでは、安否連絡用に無料電話の開放や、空港へのバス運行などを実施。観光客の多くは欧米人で、被災時の水着姿のまま地べたに座り込み、うつろな表情でアナウンスに耳を傾けていた。

休暇でピピ島へダイビングに訪れたという、東京都昭島市の公認会計士、三沢浩さん (37) は、島のダイビング店が旅券など預けた所持品ごと流されたため、救援センターに海水パンツ、Tシャツ姿で訪れた。

「ちょうど潜っている最中、急に水が濁り始め、強力な水流にもまれた。幸い、海面に上がれたが、最初は何が起きたのか分からなかった」と三沢さん。「島に戻り、浜には死体が並んでいるし、家屋が破壊されているのを見て初めて津波と分かり、恐怖を覚えた」と言う。三沢さんは「ダイビングは2回目だが、とんでもない経験をしてしまった。ああ、歯ブラシを買わなくては」と話し、初めて安堵 (あんど) の表情を浮かべた。

センターには日本大使館員2人も詰め、ほぼ24時間態勢で相談にあたっている。旅券の発行は、約500メートル離れたプーケット日本人会事務所で行っており、職員は絶え間なく訪れる邦人への説明に追われた。邦人観光客には海外在住者も多く「居住国の査証 (ビザ) はどう入手するのか」といった不安を口にする人も。

すでに50人以上が訪れたが、職員の一人はその様子を「恐怖と、無事の喜びと、所持品を失って呆然 (ぼうぜん) と」と説明。それでも各訪問者に、波にのまれた邦人を目撃しなかったか、など確認しながら安否照会も続ける。職員は「プーケットだけで10人近く行方不明者がいる。他県も入れるとまだ増えるだろう」と、焦りの表情を見せた。

毎日新聞 2004年12月28日 11時33分

毎日新聞より
スマトラ地震:
紙一重の生と死 各地の被害は

◇「何も残っていない」 インドネシア・アチェ州

震源地に最も近いインドネシア・スマトラ島北部のアチェ州では、州都バンダアチェだけで3000人が死亡したと伝えられる。しかし、交通と通信網は途絶し、どれだけ被害が広がっているのか確認できない状況。住民たちは「まるで神が怒りを爆発させたようだ」と声を震わせるばかりだ。

バンダアチェでは、地震で数多くの建物が倒壊。さらに津波にも襲われ多くの木造家屋が押し流された。AFP通信によると、地元住民は「ヤシの木ほどの高さもある津波が押し寄せた。町の中心部も深さ3メートルの水につかり、海に近い地域は完全に洗い流され、何も残っていない」と惨状を地元ラジオに語った。

「きちんと埋葬したいがあまりにも死者が多すぎる」。医師の一人はAP通信に人的被害のすさまじさを語る。バンダアチェ市内には数多くの遺体が散乱。約500人の遺体が集められた市郊外では、行方のわからない家族を捜す人々の姿が。住民がイスラム教徒のこの町では、モスク (イスラム礼拝堂) が遺体安置所になっているという。

町は停電し電話も不通になり、孤立状態。医薬品や食料も底をつき始めている。

アチェ州ではインドネシア政府と独立派武装組織との間で紛争が続いており、同政府は国際援助機関やジャーナリストらのアチェ訪問を制限してきた。【バンダアチェ (インドネシア・アチェ州) 岩崎日出雄】

◇社員旅行の日本人、無事避難 タイ・プーケット

東京都のメンテナンス会社経営、苅部伸二さん (42) は、部下3人と社員旅行でプーケットを訪れ、パトン・ビーチ沿いの商店街で買い物中、周囲のただならぬ様子に気付いたという。「住民たちが血相を変えてこちらに向かって走って来た。タイ語は分からないが『逃げろ』と言っているように思えた」と話す。苅部さんらは、急いで乗り合いタクシーのトゥクトゥクを捕まえ、近くの小山に避難したという。

部下の1人は「一番先頭で逃げていたのが警察官だった」と言う。「しかし、欧米人も含め逃げてくる人が皆必死の形相だった。瞬時にこれはマズイと思った。無事でよかった」と胸をなで下ろした。

プーケット中心部では27日、県庁施設内に臨時の救援センターが設けられた。各国大使館も職員を配置、臨時の旅券発給業務を行うなど対応に追われている。タイ当局によると、避難者は2000人を超え、さらに山頂などで一夜を過ごした観光客約1000人がセンターに入る見込みという。

ピピ島にダイビングをしに来たという東京都昭島市の公認会計士、三沢浩さん (37) は、島のダイビング店が旅券など預けた所持品ごと流されたため、救援センターに海水パンツ、Tシャツ姿で相談に来た。

三沢さんは「海中に潜っている最中、急に水が濁り始めたと思ったら、強力な水の流れにもまれた。何が起きたか分からなかった」と話す。「島に戻ると浜には死体が並び、家屋が破壊されているのを見て初めて恐怖を覚えた」

千葉市の地方公務員、墨谷明人さん (46) と東京都江戸川区の中学校講師、倉島由貴絵さん (34) は、ピピ島に到着直後、津波に遭遇した。「海面に太い横一線の波が見えた。怖くなって荷物を船に残したまま、友人と手を取り合って山を目指した」。途中で転倒、右足の指を負傷した。そのまま山頂で一夜を明かした。墨谷さんは「早朝は寒かったが、欧米人などが助け合って毛布などを集めてくれた」という。【プーケット竹之内満】

◇「水が音を立てて押し寄せた」 スリランカ

「海が突然盛り上がり、泳いでいた子供の姿が見えなくなった。気が付いたら水が音を立てて押し寄せた」。子供2人が波にさらわれる現場を目撃した漁師が語った。

震源地から約1400キロの同国を津波の第1波が襲ったのは、スマトラ島沖での地震発生から約2時間後の26日午前9時 (日本時間同日正午) ごろ。漁師によると、悪天候時の高波は波が高く見えても海岸線から数メートル程度で勢いが弱まり引いていく。しかし、津波ははるかに内陸部まで入り込んできた。「まるで大きな川のように、海全体が押し寄せてくるようだった」という。

それから約3時間、津波は繰り返し押し寄せた。被害が大きかった同国東部から南部にかけての海岸線では、高さ約9メートルにも達したという。

海岸近くの道路を観光バスで走行中だったというオーストラリア人旅行者の男性は「水はバスの床よりも低かったが、スリップしたようにバスが蛇行して横転しそうになった」と話した。【コロンボ西尾英之】

◇犠牲者に女性や子供多く インド

「私はどうしたらいいの? どうして生き残ってしまったの?」。約2300人が死亡したと伝えられるインド南部タミルナド州。その小さな漁村で、途方に暮れる女性の様子をロイター通信が伝えた。小さな娘は津波にさらわれ行方不明。漁師の夫と息子は津波のあった日に漁に出たまま戻ってこない。

犠牲者には女性や子供が多い。「大人の男は木や壁にしがみつくことが出来た。だが、女性や子供たちはそんな力がなかったんだ」と漁師の1人は話す。この漁師は「漁に出る勇気がいつ戻ってくるかわからない」と、海への畏怖 (いふ) を語った。

一方、震源地のスマトラ島沖北方のベンガル湾に浮かぶインド領のアンダマン・ニコバル諸島でも海岸沿いの多くの集落が津波で壊滅、大きな被害が出ている模様だ。約500の島々からなる同諸島の警察当局者はインドのテレビ局に対し、「少なく見積もっても3000人が死亡した」と語った。いまだに連絡が取れない島がいくつかあるといい、同諸島の被害状況は明らかになっていない。【コロンボ西尾英之】

◇低い波で安心感 直後、濁流一気に 負傷の大学職員

津波に襲われてアキレスけんを切り、バンコク・プーケット病院の5階の個室に入院した東京都豊島区の私立大学職員、柳沢裕之さん (46) は27日午後10時ごろ、当時の様子を生々しく語った。

柳沢さんは26日午前10時ごろ、プーケット最大のリゾート地、パタンビーチで木製のパラソルつきチェアに腰掛けていた。周囲の人が「ロータイド (引き潮だ) 」と叫ぶ声が聞こえ、約50メートル先に浮かんでいたはずのブイが砂上に見えた。さらに数百メートル奥まで潮が引いたため、立ち上がると、遠く沖の方から茶色い低い波がサーッと押し寄せてきた。

「津波は大きな波のイメージがあったので安心していた」というが、低い波が腰の高さになり、ホテルに戻ろうと砂浜を渡り、道路まできたところで茶色い濁流にのまれ、足を取られた。左足に痛みが走り、アキレスけんが切れていた。

水上バイクに乗っていた英国人の老夫婦がホテルまで運んでくれ、応急処置を受けた。病院には救急車で午後3時前に運び込まれたが、生命の危険な人が優先のため、手術は27日午前7時まで待たされたという。2時間に及ぶ手術後に東京の両親に電話をし、父の武雄さん (77) に「迎えに行こうか」と声をかけられ、ほっとして涙が出てきたという。

22日から1人でプーケットを訪れ、28日に帰国予定だったという。柳沢さんは「全く揺れを感じなかったので、警戒のしようもなかった。ビーチが込んでくる1~2時間後だったら、もっと悲惨なことになっていただろう」と話した。【プーケット宍戸護】

毎日新聞 2004年12月28日 2時43分

SankeiWebより
小6、家族とはぐれ野宿 ピピ島、津波に襲われ「どこへ…」

【プーケット島 (タイ南部) =岩田智雄】大津波から一日たったプーケット島。各国大使館の詰め所が置かれた県庁事務所は、家族や友人が行方不明になったり、パスポートを流されたりした観光客でごった返した。

その列の中に愛知県岡崎市の小学六年、杉本遼平君 (12) がいた。Tシャツに短パン、草履という姿。家族とはぐれて、不安な野宿の夜を過ごしたという。

家族四人で旅行にきた遼平君は、ピピ島の海岸で遊んでいて津波に襲われた。

「早く逃げろ!」。父親の孝幸さん (41) の声で家族は島の中へ走り出した。しかし、弟の知槻君 (8つ) =小学二年=が転んだため孝幸さんが助けに戻り、二人の姿はそのまま消えた。母親の正美さん (41) も、「どこへ行ったかわからなくなってしまった」 (遼平君) 。

遼平君は津波にもまれながらもバンガローにつかまり、救助の船に助けられた。プーケット島へ渡ったあと、一人で安全な丘に登ってニュージーランド人のグループに保護され、やはり避難していた日本人女性に引き渡された。

二十七日、女性とともに日本大使館の駐在員に家族が行方不明になっていることを届け出たが、大使館によると、家族は病院の入院者リストにはなく、安否はわかっていない。

プーケット島の沖合にあるピピ島は、もっとも津波被害の激しかったところだ。当時、百人乗りの観光船でピピ島に向かっていた米国人男性 (47) によると、突然、海が二つに割れたようになり、船の右側が盛り上がった。続いて船が津波の上に持ち上げられ、三百メートル前方のピピ島のバンガローの二階が同じ高さに見えたという。数時間、海上で待機したあと、プーケット島へ引き返したが、途中転覆した小型ボートにつかまったり、海上に浮かんだりしているダイバー四、五人を救助した。

ピピ島で救助されたある日本人女性は、救助船でシンガポール在住の日本人の小学生男児に出会ったが、この子も両親と妹が波にのまれ行方不明になったという。男児は左足にけがをしていたが、「チャンギ空港まで送ってくれれば、一人で家に帰れます」と気丈に話していたという。

プーケット島では二波にわたって津波が襲来、ビーチ沿いのホテルや店舗を一瞬にしてガレキの山に変えた。

ギリシャから来たジアヌーリディスさん (37) は、海岸線から百メートル離れたホテルにいた。「ゴー」という音が聞こえて一、二分後、第一波が襲ってきたが部屋の外でとまった。しかし十分後、さらに強力な第二波が襲い、海水は一階の室内の天井にまで達した。「お金もパスポートも何もかも流されてしまった。プーケットへ来るのはこれで最後にする」と話した。

各記事の整理&保存 (12/28 18:45収集分、支援関連)

2004-12-28 18:55:16 | 記事スクラップ
asahi.comより
被災海域へ自衛艦3隻派遣 政府方針、31億円援助も

スマトラ沖地震と津波による被災を受け、政府は28日、自衛隊をタイ・プーケット島周辺に派遣する方針を固めた。現地での行方不明者の捜索や救助に当たる。タイ政府の要請を受けたもので同日中にも町村外相が国際緊急援助隊派遣法などに基づいて防衛庁に派遣を求める。また、外務省は総額3000万ドル (約31億円) の資金援助をする方針を固め、まずインドネシアなど3カ国にこのうちの計300万ドル (約3億円) を実施する。

防衛庁は同日、すでに現在、テロ対策特措法でインド洋に派遣され、日本に帰還中だった海上自衛隊の護衛艦や補給艦をプーケット島周辺に向かわせ、外務省からの正式な要請を待ち捜索・救難活動を実施する。

派遣されるのは、シンガポール周辺を航行中の海上自衛隊のイージス護衛艦「きりしま」と護衛艦「たかなみ」、補給艦「はまな」の計3隻。護衛艦に搭載されているヘリコプターにより、プーケット島周辺で捜索・救援活動を行う方向だ。

これに関連し大野防衛庁長官は同日の記者会見で「自衛隊は国際緊急援助活動に対応すべく待機している。捜索・救難活動や、医療・防疫にニーズが出てくるかと思う。直ちに出て行ける態勢を整えている」と語った。

外務省が実施を決めた無償資金協力はインドネシア150万ドル、スリランカ100万ドル、モルディブ50万ドル。医薬品など援助物資の購入に充てる。今後も被災国の要請を受け、随時実施する。

同省は28日に省内の緊急対策本部の本部長を鹿取克章領事局長から町村外相へ格上げし、初会合を開いた。テント、毛布、発電機などの援助物資を同日中にもモルディブ (970万円相当) 、スリランカ (1470万円相当) 、インドネシア (2600万円相当) へ供与することを確認した。 (12/28 15:20)

japan.internet.comより
スマトラ島沖地震、インターネットでも拡がる救援の輪

著者: Erin Joyce
▼2004年12月28日付の記事
■海外internet.com発の記事

26日に発生したインドネシアのスマトラ島沖地震に伴う巨大津波で、沿岸部に壊滅的な被害を受けた周辺各国に対し、世界各地の団体やコミュニティが、インターネットを通じて救援の手を差しのべている。米国赤十字などの各救援団体は、27日から寄付方法に関する情報をオンラインで公開し始めた。

また、Blog 作成者たちも地震関連のリンクをピックアップして状況をたどり、スリランカ、インド沿岸部、タイなどを襲った津波被害の深刻さについて、迅速に情報を拡げている。

米国地質調査部によれば、26日の地震はマグニチュード9.0を記録したという。この地震により、場所によっては10メートルにも達する津波が発生し、東南アジア沿岸部の広い地域が被害を受けた。国際赤十字は、27日時点で死者数を2万3000人と概算し、遺体が原因となる伝染病の蔓延にも警告を発している。

ニュース報道によれば、これまでのところ、死者の半数以上はスリランカに集中しているが、インドのアンダマン ニコバル諸島、マレーシア、バングラデシュ、さらにはアフリカ大陸のソマリアでも大規模な停電のほか、深刻な被害が出ているという。

インドの Blog 作成者グループは、支援方法などの情報を共有するコミュニティ Blog『The South-East Asia Earthquake and Tsunami』(東南アジアの地震と津波) を立ち上げた。

同サイトには、インド政府の救援基金を通じた寄付協力を訴える、同国首相 Manmohan Singh 氏の懇請も掲載している。Blog に掲載した Singh 首相の声明によれば、インドの死者数は数千人にのぼり、家屋の被害額も甚大だという。首相は全国民に善意の寄付を呼びかけている。

またイギリスの救援団体 Oxfam は、特にスリランカ救援のための寄付方法に関する情報を、Web サイトに掲載した。Oxfam によると、スリランカが今回の津波でもっとも大きな被害を受けた国の1つで、同団体は初期的な推定値として、スリランカの死者数は5000人、直接被害を受けた人数は20万人、家屋を喪失した人は100万人に達するとの数字を示し、直ちに対応を始めたと発表した。

なお個人レベルでは、普段は一般的なニュースに関する話題を取り上げない個々の Blog サイトでも、スマトラ島沖地震による被害の甚大さに反応し、情報を取り上げるほか、寄付の表明などを始めている。

経済ニュース

2004-12-28 18:37:15 | 記事スクラップ
REUTERSより
[情報BOX]スマトラ島沖地震、災害国への状況・企業や市場の反応など
2004年 12月 28日 火曜日 17:55 JST

[シンガポール 28日 ロイター] スマトラ島沖地震に伴う津波は、現時点でアジアで2万6000人以上の死者を出しただけでなく、域内外の企業、経済、市場にさまざまな影響を与えている。

以下は、その一例。 (カッコ内の日付は、GMTベースの報道時間)

<経済>

*国連緊急援助調整官室 (OCHA) のイゲランド室長、被害の規模が数十億ドルに上るとの見通し示す。 (12月28日)

*エコノミスト、国内総生産 (GDP) の6%を占めるタイの観光に長期的ダメージはないと予想。新型肺炎、重症急性呼吸器症候群 (SARS) や今年散発している南部の抗争より影響は軽微と見込む。 (12月27日)

*インド財務相、津波が同国財政に深刻な影響を与えない、との見方。その後、当局者が、津波関連の税金や復興目的で国債を追加発行するなどの計画はない、と表明。 (12月27日)

*インドネシア政府、財政赤字をコントロールすることに努力。財務省高官は、災害資金の手当ては管理可能と述べるが、影響の詳細には触れず。 (12月27日)

<ビジネス>

*東南アジアのリゾート、格安航空が最近運行を開始したところで津波災害に見舞われる。災害から復興するには最大で半年要する可能性も=OCBC銀行エコノミスト (12月28日)

*日本の損害保険会社の反応。ミレアホールディングス<8766.T>、あいおい損害保険<8761.T>、三井住友海上火災保険<8752.T>は、まだ顧客から関連の損害補償請求は来ていない、と表明。損害保険ジャパン<8755.T>は、影響を算定するのは時期尚早との見解。 (12月28日)

*独ミュンヘン再保険とスイスのチューリッヒ・ファイナンシャル、まだ被害コストを算定できない、と表明 (12月27日)

*仏リゾート大手クラブメッド、損害は保険によって補てんされるとの見通し示す。同社は、津波が襲ったモルジブとプーケットにリゾート施設を持つ。 (12月27日)

*欧州最大手の旅行会社TUI、津波による業績への大きな影響はない、との見通し示す。 (12月27日)


<商品/エネルギー>

*石油輸出国機構 (OPEC) 加盟国のインドネシア、日量100万バレルの石油生産と輸出に影響なし。 (12月26日)

*スマトラ島からの天然ゴム輸出、設備損傷で一部に遅れ。 (12月27日)

*世界最大のコメ輸出国タイ、穀物輸出に支障なし。出荷地の大半が、津波被害と関係ない北東部であるため。 (12月27日)

<マーケット>

*28日のバンコク株式市場。ロイヤル・ガーデン・リゾーツやラグーナ・リゾーツ・アンド・ホテルズが、施設が被害を受けたとのニュースでそれぞれ2.1%、1.0%下落。半面、復興需要期待でサイアム・セメントやサイアム・シティ・セメントが0.8%、1.7%それぞれ上昇。 (12月28日)

*アジア通貨。27日に0.25%前後下落したタイバーツとインドネシアルピアは、28日序盤では横ばい。インドルピーとスリランカルピーは、27日はほぼ変わらずで引ける。 (12月28日)

*27日の欧州株式市場、保険、観光株が売られる。 (12月27日)

※原文参照番号[nSP146255]

安否情報

2004-12-28 02:20:59 | 記事スクラップ
毎日新聞より
スマトラ地震:
動物ツアー受難 スリランカの日本人観光客

波に洗われた海岸地域は何も残っておらず、街には多くの遺体が散乱している。大波は、海から離れた国立公園内で動物観察をしていたグループをも襲った。インド洋沿岸を急襲した大津波による被災状況が27日徐々に明らかになる。日本人はツアー客だけで少なくとも20人の行方が分からず、個人での旅行などを含めると不明者はまだまだ増える見込みだ。被害の大きさと比べて少ない情報に家族らは不安を募らせた。

◇波の壁 12人襲う

スリランカで行方が分からなくなっているのは、旅行代理店「大陸旅遊」 (東京都新宿区、谷奥徹男社長) が主催した「タイ・スリランカ野生動物と瞑想 (めいそう) を共にする旅」に参加した19人のうちの11人と同社の男性添乗員 (44) の計12人。19人は男性9人、女性10人で、3歳、8歳、12歳、13歳、16歳の子供5人も含まれる。居住地は、東京都10人、神奈川県6人のほか、大阪府、埼玉県、兵庫県各1人。

19人はこの添乗員とともに21日に成田空港を出発。タイを観光した後、24日にスリランカ入りし、1月1日に帰国予定だった。津波は26日、一行がヤラ国立公園内にある動物保護区で、車に乗って象などの動物を観察するサファリ形式の観光を楽しんでいた時に襲った。

コロンボに滞在している同社の提携会社の男性マネジャーによると、現場は海岸から約1.6キロ離れているが、高さ約6~15メートルの津波が襲ったという。難を逃れた8人は翌27日、現場から車で約5時間かけてコロンボ市内のホテルに入った。ホテルの日本人スタッフによると、8人の中には重傷で病院に運ばれた人もいる。一行は一様に暗い表情で、「行方不明の人の無事を信じて希望を持って頑張りたい」などと語っていたという。

大陸旅遊の本社には、ツアー参加者の家族らが駆けつけ、近くのホテルで待機した。現地スタッフから27日夜、参加者の可能性がある7人の遺体が見つかったという情報が届き、家族に伝えられたという。同社は、希望する家族には早く現地に行けるよう準備を進めている。都内で27日会見した谷奥社長は「生存者がいるので期待もしているが、最悪のことも考えねばならない」と話し、現地に向かった。

ヤラ国立公園は、コロンボの南東約300キロに位置し、広さは約1260平方キロある。常緑樹の森林が茂り、一部はジャングルで、象やヒョウ、クマ、ワニ、シカ、水牛や多種類の鳥が生息している。多くの仏教碑があり、仏教徒の巡礼場所となっている。【工藤哲、早川健人】

◇プーケット島一帯 旅行者11人が行方不明 

国土交通省などのまとめでは、スリランカ以外ではタイのプーケット島一帯で日本からの旅行者11人が行方不明となっている。

このうち「日本旅行」のツアーに参加した2人は、カオラック地区のホテルに滞在していた。福岡市の「ジャルトラベル九州」の団体旅行に参加していた福岡市の女性 (27) は、カヌーに乗っていて津波に襲われたという。東京の「A&A」のツアーに参加していた男女は、同島からピピ島への日帰りツアーに出かけたまま連絡がつかないという。【大平誠】

◇日本人学校の教員と家族 5人と連絡取れず

文部科学省に入った連絡によると、タイとインドの日本人学校の教員とその家族の計5人と連絡が取れていない。

バンコク日本人学校の教員でプーケット方面に休暇で滞在していた4人のうち、ピピ島に夫婦でいた男性教員の妻との連絡が取れていない。津波の直前までホテルにいたとされる。

また、ニューデリー日本人学校では、やはりピピ島に滞在中の男性教員とその家族計4人の安否確認ができていない。

◇個人旅行 問い合わせ殺到

外務省には27日、安否確認を求める旅行者の留守宅からの問い合わせが500件以上寄せられた。その多くが航空券や宿泊施設を独自に手配した若者を中心とした「個人旅行客」とみられる。冬休みとも重なり、問い合わせの窓口となった海外邦人安全課の約10台の電話は、途切れることなく鳴る状態だという。

大手旅行会社「HIS」 (東京都新宿区) は「個人旅行客の正確な状況を確認することはできない」と打ち明ける。個人旅行客の大半が利用する格安航空券では、航空便の目的地しか把握できない。利用者の多くは到着地にとどまらずに、別の場所へ移動して旅行を楽しむことが多い。団体旅行と違って、国内をどのように移動するのかもわからない。到着地で安い航空券を購入して、その国を足場に別の国に向かうケースも多い。旅行業者が加盟する「日本旅行業協会」 (東京都千代田区) も「人数の推定すらできない」 (広報室) と話す。

被災地のうちモルディブは団体旅行客が中心だが、タイ・プーケット島やスリランカは個人旅行客も多い。そのため、「滞在場所を知っている家族から問い合わせがなければ、我々には分からない」 (HIS広報担当) というのが実態だ。政府も「できる限り現地の警察や病院を足で回り、情報収集に当たるしかない」 (外務省幹部) と頭を悩ませている。【前田英司】

◇当時の様子生々しく アキレスけん切った柳沢さん

津波に襲われてアキレスけんを切り、バンコク・プーケット病院の5階の個室に入院した東京都豊島区の私立大学職員、柳沢裕之さん (46) は27日午後10時ごろ、当時の様子を生々しく語った。

柳沢さんは26日午前10時ごろ、プーケット最大のリゾート地、パタンビーチで木製のパラソルつきチェアに腰掛けていた。周囲の人が「ロータイド (引き潮だ) 」と叫ぶ声が聞こえ、約50メートル先に浮かんでいたはずのブイが砂上に見えた。さらに数百メートル奥まで潮が引いたため、立ち上がると、遠く沖の方から茶色い低い波がサーッと押し寄せてきた。

「津波は大きな波のイメージがあったので安心していた」というが、低い波が腰の高さになり、ホテルに戻ろうと砂浜を渡り、道路まできたところで茶色い濁流にのまれ、足を取られた。左足に痛みが走り、アキレスけんが切れていた。

水上バイクに乗っていた英国人の老夫婦がホテルまで運んでくれ、応急処置を受けた。病院には救急車で午後3時前に運び込まれたが、生命の危険な人が優先のため、手術は27日午前7時まで待たされたという。2時間に及ぶ手術後に東京の両親に電話をし、父の武雄さん (77) に「迎えに行こうか」と声をかけられ、ほっとして涙が出てきたという。

22日から1人でプーケットを訪れ、28日に帰国予定だったという。柳沢さんは「全く揺れを感じなかったので、警戒のしようもなかった。ビーチが込んでくる1~2時間後だったら、もっと悲惨なことになっていただろう」と話した。【プーケット宍戸護】

毎日新聞 2004年12月28日 2時07分

津波被災体験談 (12/28 01:45収集分)

2004-12-28 01:48:30 | 記事スクラップ
中国新聞地域ニュースより
インド洋地震 無事祈る関係者の声 中国地方 '04/12/28

スマトラ沖地震津波でインド洋沿岸が被災、混乱し、中国地方に住む被災国の出身者や旅行代理店は二十七日、連絡が取れない家族や知人、顧客の無事を祈り続けた。

広島市中区のスリランカ料理店「シギリ」は、母国を気遣う店員のために一日中、現地のラジオ放送をインターネット経由で流し続けた。シェフのシリル・エドモンドさん (48) は「母国にいて地震に遭った覚えがない。被害者がまだ増えるんだろうか」と、不安がっていた。

山口大医学部 (宇部市) の特別研究員ヤミニ・アルチェルレンさん (40) も同国出身。「親類や友人の様子がまだ分からない」と、何度も電子メールを送っていた。

JTB福山支店 (福山市) は、十九日にスリランカに向かった福山市内の男性の安否が分からず、外務省に照会。各地の代理店に、インド洋沿岸への旅行を年末年始に計画していた客からの問い合わせ電話が相次いだ。

津波が襲ったタイ・プーケット島で遊覧船を営む伊東浅太郎さん (68) =広島市安佐北区=は当時、バンコクにいて命拾いした。「電話が通じにくい。自慢の砂浜がえぐれ、プーケットは当分、立ち直れないのでは」。電話がつながり、所有する船約十隻の無事を知って、一息ついていた。

■「ヘドロが道路一面」 東広島の河野さん

マレーシアにあるシャープの現地法人に出向している東広島市の河野瞬市さん (47) は二十七日、中国新聞の電話取材に対し、住んでいるペナン島に津波が押し寄せる様子などを語った。

河野さんは二十六日午前九時 (日本時間同十時) ごろ、震源地から東に約六百キロのペナン島の二十階建てマンション最上階の自宅で揺れを感じた。

午後一時半ごろ、いつもはくっきりしている水平線が白く霧状になった。三十分ほどで津波は海岸線に到達。マンションの下の住宅街の敷地や道路は海水とヘドロに覆われたという。

河野さんは「津波が高さ三、四メートルの防波堤を乗り越えた所があった。もし歩いていたらと思うと、ぞっとします」と恐怖を語った。

各記事の整理&保存 (12/28 01:45収集分)

2004-12-28 01:47:19 | 記事スクラップ
NEWS EVEより (動画あり)
プーケット島では復旧に向けた動きも

津波の大きな被害を受けた現場では朝早くから夕方まで、ガレキの撤去作業など、復旧に向けた動きが始まっています。

しかし、海岸に近い場所だけでなく、海岸からやや離れた店舗やホテルでも大きな被害を受けている他、波によって打ち上げられたり、横倒しになった車などが町中のあちこちに放置してある状況で、復旧にはまだしばらく時間がかかりそうです。

「2階に逃げるのに精一杯。 (店の再開には) 約1ヶ月かかる」 (日本料理店の従業員)

タイ政府のまとめによりますと、プーケット周辺での被害はこれまでに死者が800人以上、ケガ人も7000人を超えています。

夕方には再び津波が来るのではと恐れた地元の人々が海岸近くの地域から離れようとする騒ぎもあり、今回の津波が人々に与えた恐怖を物語っています。

ところで、日本人も10人程度が高波に飲まれた可能性があるとみられていますが、この他にも所在の確認できない日本人旅行者もいるということで、日本大使館で所在の確認を急いでいます。

しかし、団体でのツアーではなく、個人での旅行の場合、所在を確認するのは難しく、日本人が何人、津波に巻き込まれた可能性があるのか、全体像を把握するのには今しばらく時間がかかりそうです。 (27日 23:07)

津波被災体験談 (12/27 23:10収集分)

2004-12-27 23:14:54 | 記事スクラップ
asahi.comより
津波2波、ホテル倒壊 スマトラ沖地震で目撃者証言

「潮が遠く、遠く、遠く引いていった。満月のときの干潮かしらとみんなが不思議に思っていると、『水の壁』が押し寄せてきた」--タイ・プーケット島のパトン・ビーチで大津波に遭遇した女性はそう語った。インドネシア・スマトラ島沖の震源から6千キロ以上離れたアフリカ東岸まで到達した津波の姿を、本紙の取材や外国通信社電などから再現する。

波が引く「予兆」は震源地近くのスマトラ島北端のナングロアチェ州でも起きた。ランチョク村に住むズルハムさん (35) は26日午前8時 (日本時間午前10時) すぎの余震の直後、「沖に引いていた海水が一気に押し寄せ、3メートル以上になった」と話す。

同10時ごろ、約600キロ離れたプーケット島のバンタオ・ビーチにいた東京都内の女性 (41) も「カニや魚が置き去りにされた」という。沖合の海の色が茶色に染まるのを目撃した人もいた。

専門家によると、津波は大洋を渡るとき時速700キロ以上に達する。

マレーシア・ペナン島沖で漁をしていたジャミールさん (54) は陸に向かう白波に気づいた。

「とても美しいが、普通の高さじゃない」と息をのんだ。3~4波に分かれて津波が同島を襲った。

スリランカでも、同国南岸のハンバントタ付近に2波が押し寄せ、ホテルなどを倒壊させた2波目は5メートル近くの高さに達した。震源と反対側の西岸に面した保養地カルタラでも2.5メートルの高さになったという。

プーケット島の建設作業員シダさん (32) は「1度目は5メートル、2度目は10メートルの高さがあった」と証言する。

バンコク在住の会社員二村浩高さん (43) は、同島の北約60キロのビーチで、バリバリバリという音とともに「20メートルの高さの濁流のような波」を目にした。海側に点在するコテージの壁や屋根がめくれあがっていた。「竜巻か」と思ったが、次の瞬間には「逃げられない」。とっさに子供2人に浮輪をかぶせ、両脇に抱えた。

同島の東にあるピピ島に滞在していた都内の会社員三浦真樹子さん (30) は、ホテルの4階にいて、約6メートルの高さの下の階まで波が来るのを見た。同島のホテル従業員は「津波はあちらからもこちらからも押し寄せ、島の中心近くでぶつかり合った」と話した。

「ゴーッ」「オーッ」「爆弾の破裂音」。海岸にいた人々は、津波の音をさまざまに表現する。「海を見慣れた住民はすぐに逃げたが、海水浴客は尋常でない波に見とれていた」と逃げ遅れた原因を話す人もいた。

スリランカのコロンボでは「津波を見よう」という見物客が波打ち際に集まった。現地の男性は「穏やかだったのでそのまま泳いでいると突然大きな波をかぶった」と語った。(12/27 23:03)

JoongAngIlboより
<南アジア大災害>海辺の人がホテルまで流される

27日にタイ南部のプーケットから仁川 (インチョン) 国際空港に戻ってきた人たちは、皆疲れ驚いた様子だった。 彼らが伝えるプーケットの光景は、恐怖のるつぼだ。

27日に大韓航空・アシアナ航空・プーケット航空で仁川国際空港に帰国した人は全部で827人だった。

◇修羅場と化した現地ホテル=「プーケット・マリンホテルに泊まっていた。 午前10時ごろ突然津波がホテルを襲い、1~2階は海水に漬かった」。家族と一緒に冬の旅行をして帰ってきたアシアナ航空のキム・ソングック副機長 (40) の話だ。 キムさんは「押し寄せる海水の勢いがどれだけ強かったことか。海辺で遊んでいた人たちがホテルまで流されて柱にぶつかってうめき声を上げ…筆舌に尽くしがたい」と付言した。

大韓航空KE638便で帰国したパク・ジュウォンさん (17、女、在米同胞) は「朝御飯を食べようと下の階に下りたら、海水が押し寄せてきてホテルにいた人たちをさらっていった。 大声を上げる人がいないくらいあっという間の出来事で、後で見たら子供やお年寄りがぷかぷか水に浮いていた」と当時の状況を生々しく伝えた。

◇恐怖の海辺・空港=津波が押し寄せた際、逃げ道や対処法を教えてくれる人はいなかったという。 海辺やリゾート地にいた旅行客は、ばらばらに散らばりながらひたすら山に向かって走った。

ソ・スンボムさん (32) は「道路が遮断されていたのはもちろん、携帯電話や電気などが使えず、孤立状態だった」と話した。

イ・ミョンソンさん (64) は「心臓が震えて今でも言葉にならない」と述べた。彼女は津波を直接目撃しなかったという。だが26日午後9時30分に空港に到着して出発を待っていた彼女は1時間後突然空港職員が声を上げながら逃げる姿を見た。 「倒され、踏まれて…。空港で死ぬところだった」。彼女は約20時間待った末に飛行機に乗ることができた。

「後で聞いた話だが、滑走路が海に沈むといううわさを聞き、空港職員が乗客を捨てて逃げたそうだ」 (チョン・ヨンチョル、29) 。

「空港にいたタイ人職員が、外国人旅行者に避難しろと案内放送もせず、適当なことだけ言って先に逃げた。 しばらくしてガイドから『プーケット中心部で津波が発生した。逃げろ』と言われて避難した」 (ユ・ビョンジョ、42) 。

金基讃 (キム・ギチャン) 記者 <wolsu@joongang.co.kr >

2004.12.27 20:03

nikkansports.comより
タイから帰国の観光客、恐怖語る

猛スピードの津波が建物をのみ込んでいく。「どす黒い波がどこまでも追い掛けてきた」「頭の中が真っ白になった」。スマトラ沖地震で津波の被害を受けたタイの観光地、プーケットから27日、成田空港や関西空港に帰国した観光客は、こわばった表情で恐怖の瞬間を語った。

仕事でプーケットにいた東京都葛飾区の会社員 (52) は、高速道をタクシーで空港に向かう途中に津波を目撃した。

「地面が揺れる感じで津波が迫った。海岸から数百メートル離れていたが、頭の中が真っ白になった」。海岸に立つ平屋の民家より高い波が押し寄せ、家がのみ込まれるのが見えたという。

「映画のシーンのようだった。無事に帰国できただけで幸運だが、地元の知り合いとは連絡が取れない」と心配そう。

東京都の40代の会社員女性はビーチにいた。「海岸線が一気に2、30メートル引いた後、ものすごいスピードで津波がやってきた。高さはひざ上ぐらいだったが、ビーチの屋台はすべて流された。現地の人も津波と分からず、潮の引いた浜にカニを捕りに行く人もいた」。

津波が押し寄せたホテル1階は泥だらけになり、2階にあるロビーにはけがをした観光客らが運び込まれた。「出血している人もいて、野戦病院のようだった」と疲れ切った表情。

家族5人で帰国した千葉県市川市の中学1年川瀬裕之君 (13) は「波頭が線のように見えたと思ったら一気に波がさくを越えて海岸線の店をのみ込んだ。怖かった」。

「海岸を散歩していたらどす黒い波が押し寄せてきた」と興奮気味だったのは兵庫県西宮市の教員高瀬少輔さん (59) 。多くの人が叫ぶ声で津波に気付いた。「これはまずい」と、夢中で約300メートル逃げたがどこまでも追い掛けてきたという。 (共同)

[2004/12/27/19:10]

nikkansports.comより
迫る高波、プーケットでは歓声が悲鳴に

「突然、海岸の水が沖合まで干上がった。海底で魚が跳ねているのを見て、子供たちは大喜びだった」。次の瞬間、地元の老人が「戻れ」と大声を上げた-。迫ってくる高波。「きゃー」。子供たちの歓声が恐怖の悲鳴に変わった。

スマトラ沖地震の津波による被害を受けたタイ南部プーケット。内陸部のプーケット・タウンでは、在タイ日本大使館の臨時詰め所には27日朝から、知人の所在確認や、旅券などを紛失し証明書を求める多数の日本人が詰め掛けた。その1人の東京都調布市、会社員田村淳さん (38) は、疲れ切った表情で戦慄 (せんりつ) の体験を振り返った。

田村さんは25日に妻と2人の子供とプーケットに到着。津波があった26日午前は家族で海岸にいた。

「引いてきた潮が満ちるような感じで波がやって来た。止まるかと思ったらどんどん来た」。ただ走って逃げるしかなかったという田村さん。4人は高台のホテルに駆け上がったが、それでも波はどんどん追ってきた。気が付くと田村さんと妻は足に切り傷を負っていた。

「ホテルの自室に戻ると、荷物は全部流されていました」。部屋の金庫のパスポートや現金は全部盗まれていた。持っているのはカメラとわずかな現金だけだった。

水着とTシャツだけの田村さんらは途方に暮れたが、住民が金を貸してくれたため服を買い、近くにあったホテルの大部屋の台所でようやく眠れたという。「人々の好意には本当に感激しました」と話した。

大使館臨時詰め所で渡航証明をもらい、28日早朝に帰国する田村さんは「荷物はなくなったけれど、お金を出しても買えない写真が残ったのはせめてもの救い」と話し、手元のカメラを見せた。 (共同)

[2004/12/27/18:59]

NEWS EVEより (動画あり)
ビーチを襲う津波、M9.0のつめ痕

観光客で賑わうタイ・プーケット島のパトンビーチ。しかし、次の瞬間、大きな津波がビーチを襲いました。

この衝撃的な映像はオランダ人の観光客が偶然に捉えたものです。映像は波が打ち寄せては引き潮となり、再び大きな津波となって、ビーチを飲み込む様子を捉えています。

波は街中に入り込み、人々の自由を奪いました。

「急に引き潮になった。おかしいなと思ったら、急に波が来た。足をだいぶ切った」 (津波に巻き込まれた男性)

「流されて助けてもらった。 (Q何で助けられた?) 船です、ボート。 (Q何百人も流されている状態?) わからない、全然見ている余裕ないし」

プーケットではこの津波に飲み込まれ、日本人約10人が行方不明となったのが目撃されています。

また、大津波はマレーシア有数のリゾート地、ペナン島をも襲いました。ヤシの木ほどの高さとなった津波はホテルのプールを次々と叩きつけます。

震源地に近いインドネシアのアチェ。マグニチュード9.0という巨大地震は激しい揺れとともに、地面の至る所にも大きな傷痕を残したのです。 (27日 16:48)

各記事の整理&保存 (12/27 23:10収集分)

2004-12-27 23:13:45 | 記事スクラップ
asahi.comより
日本人20人の安否不明、ボランティア7人も連絡取れず

外務省の27日午後4時の発表によると、津波に巻き込まれた可能性のある日本人がタイ・プーケット島周辺で8人いるほか、スリランカでもツアー客ら12人の安否が分からなくなっている。また、国際協力機構 (JICA) は同日、スリランカ、モルディブ、タイに派遣されているボランティア計7人と連絡がとれなくなっていることを明らかにした。

外務省によると、プーケット周辺で津波で流されて行方不明になっているのは、計5家族の大人4人、子ども4人。子どもはすべて小学生以下。いずれも津波に流された様子を、家族などが目撃していたという。

スリランカ南部のハンバントタでは、大陸旅遊 (本社・東京都新宿区) のツアー客と添乗員の計12人の安否が確認できていないという。

同社は27日午後、東京都内で記者会見を開き、「タイ・スリランカ野生動物と瞑想 (めいそう) を共にする旅」ツアーの20人が、スリランカ南部で被災したと発表した。8人の無事は確認されたが、添乗員1人を含む12人の安否は分からないとしている。20人の内訳は、東京都11人、埼玉県1人、神奈川県6人、大阪府1人、兵庫県1人。3~16歳の子ども5人が含まれている。

このほか、在スリランカ日本大使館に現地警察から入った情報では、コロンボの警察病院にアジア系9人の遺体が収容されているという。同大使館員が27日夕 (現地時間) に病院に行ったものの、身元を確認できなかったとしている。

一方、朝日新聞社が国内旅行社23社に確認したところ、27日午後8時半現在、日本からタイ、スリランカ、モルディブなどに計1352人が旅行しており、スリランカでは大陸旅遊の12人、タイ・プーケット島周辺でも2社3人の安否が確認できていないという。 (12/27 21:58)

NIKKEI NETより
スマトラ沖地震、津波の死者2万人超える

【ジャカルタ=岩本陽一】発生から1日たったインドネシア・スマトラ島沖地震・津波の被害は27日、さらに拡大した。各国政府などの情報を総合すると死者は2万人を超えたもよう。過去に例が少ない海溝型地震の被害は東アフリカまで広がっており、被害の全体像は依然不明だ。邦人の安否確認も難航、日本外務省などによると、日本時間午後7時時点で25人と連絡が取れていない。一方、日本の緊急援助隊医療チームがスリランカに出発するなど、国際支援も動き出した。

各国政府機関や警察などによると、各国の死者はインド約5600人、スリランカ約1万2000人、インドネシア約4900人、タイ約860人、マレーシア約40人、モルディブ約40人など。死者の8割程度が観光客といわれる。

被災地のうち、東南アジアを代表するリゾート、タイのプーケット島周辺では、連絡が取れなくなっている邦人が在タイ日本大使館の一等書記官と長男を含め11人いるが、行方は依然、つかめていない。現地では、バンコクの日本大使館から派遣された職員が情報収集を続けている。 (22:01)

静岡新聞より
死者2万1千人超す

【コロンボ27日共同】26日に起きたスマトラ沖地震による津波の被害は各国で拡大し、ロイター通信によると、インド洋沿岸約10カ国で死者の合計は27日、2万1500人以上となった。犠牲者はさらに増える可能性が大きい。
津波の死者数としては、約2万2000人が犠牲となった1896 (明治29) 年の明治三陸地震に並ぶ最大規模の惨事となった。
ロイター通信が伝えた各国の死者はスリランカ約1万人、インド約5700人、インドネシア約4900人、タイで839人など。東アフリカでも死者が出た。
日本の外務省は27日、タイ南部プーケット周辺で在タイ日本大使館の一等書記官、吉野貞行さん (41) と長男ら計5家族8人が行方不明と発表した。

読売オンラインより
タイ・マレーシア、政府首脳が救助陣頭指揮

【シンガポール=花田吉雄】インドネシア・スマトラ島沖で起きた地震で、タイ、マレーシアでは有数のリゾート地で多数の犠牲者を出し、政府首脳が現地に赴き、救助・復旧作業の陣頭指揮にあたるなど対応に追われた。

両国とも観光が重要産業となっているだけに、今後の観光客減少を懸念する声も出ている。

タイでは、海岸沿いの南部8県で被害が出ており、同国保健省によると27日現在、死者は計431人、負傷者4100人以上にのぼっている。

タクシン首相は26日夜、被害の深刻なリゾート地プーケット島入りし、パニックに陥った住民らに平静を呼びかけ、被災者を見舞った。同島に近い人気リゾート地ピーピー島では、取り残された観光客救出のため、タイ海軍の艦船や空軍ヘリも出動、少なくとも200人を救助した。

マレーシアではペナン、クダなど4州が津波に襲われ、死者52人が確認されている。なかでも、有数の観光地ペナン島では33人が犠牲となっているほか、依然として100人以上が行方不明のままだ。

アブドラ首相の指示で現地を視察したナジブ副首相は記者団に対し、「建国以来、最大の自然災害だ」と強調。政府は、ペナン、クダ州の沿岸地域の住民に避難命令を出し、漁業の操業中止を求めた。

両国とも2003年には新型肺炎 (重症急性呼吸器症候群=SARS) で観光客が激減したが、今年は持ち直し、観光業界もホッとしていたところだった。両国にとって痛手なのは、いずれも海外観光客が多いリゾート地で最悪の被害を出したことだ。

昨年のタイの外国人観光客1000万人のうち、プーケット島には270万人が訪れた。今回の大惨事で、ホテルなどリゾート施設の多くが壊滅状態となり、すでにキャンセルが殺到しているといい、同地の観光協会では「観光客数は3割減るだろう」と話している。

マレーシアは、欧米や中東諸国向けに積極的な観光キャンペーンを展開中で、今年1―10月の観光客数は1300万人と前年比で6割も増加した。

だが、ペナン島では、がれきが散乱するなど景観が一変。あるリゾートホテルの支配人は「ニュースを見たり噂を聞いたりして、キャンセルする客が多くなるのでは」と心配している。

(2004/12/27/20:45 読売新聞 無断転載禁止)

津波でタイ国王の孫死亡

2004-12-27 18:39:12 | 記事スクラップ
心よりお悔やみ申し上げます。タイ国民への心理的ダメージが大きくなるのではないかと心配しています。

SankeiWebより
津波でタイ国王の孫死亡、遺体を収容

タイの救助当局者は27日、スマトラ島沖地震の津波が襲ったタイ南部でプミポン国王の孫のプン氏 (21) の遺体を収容したと明らかにした。

プン氏は国王の長女、ウボンラタナ王女の息子で、母親の王女とともにプーケット北方のリゾート、カオラックに滞在。26日朝、水上バイクに乗っていた際に津波に見舞われ行方不明となった。

ウボンラタナ王女は無事だった。 (共同)

(12/27 17:43)

津波被災体験談

2004-12-27 17:31:36 | 記事スクラップ
SankeiWebより
楽園に悪夢の2波 プーケット島ルポ

【プーケット島 (タイ南部) =岩田智雄】南国の楽園タイのプーケット島を襲った津波は、ビーチ沿いのホテルや店を一瞬にしてガレキの山にかえた。目撃者によると、津波は二波にわたって襲来、特に二度目の津波は海岸線から百メートルも離れたホテルの一階部分まで破壊するなど、すさまじさを物語っていた。

二十六日午前十時 (日本時間同日正午) ごろに発生した津波のあと、ビーチ沿いに宿泊していた観光客は島の内陸部へ避難した。ホテルはどこも満室状態で、役所や寺院、学校、ショッピングセンターなどは野宿をする人であふれかえった。

ギリシャから来た男性 (37) は、海岸線から百メートル離れたホテルの室内にいた。「ゴー」という嵐のような音が聞こえて一、二分後、第一波が襲ってきたが、海水は部屋の外で止まった。さらに十分後、強力な第二波が襲い、海水は一階の天井にまで及んだ。室内にはビーチにあったイスなどが流れ込み、妻が負傷した。役所の庭で眠れぬ一夜を過ごしたが、「お金もパスポートも何もかも流されてしまった。プーケットへ来るのはこれで最後にする」と話した。

当時、ビーチにいた千葉県在住の梅宮正人さん (33) は、第一波のあとホテルへ逃げようとしたが間に合わず、第二波にのみ込まれた。茶色の泥流の中で足が立たず、頭上や周辺で車やイスが浮かんでいるのが見えたという。目撃者の話を総合すると、第二波の津波の高さは数メートルから二十メートルとの証言もある。

津波は船上の観光客やダイバーも直撃した。

プーケット島沖にあるピピ島へ百人乗りの観光船で向かっていた米国人男性サムさん (47) によると、突然、海が二つに割れたようになり、船の右側が盛り上がった。続いて船が津波の上に持ち上げられ、三百メートル前方のピピ島のバンガローの二階が同じ高さに見えたという。数時間、海上で待機したあと、プーケット島へ引き返したが、途中転覆した小型ボートにつかまったり、海上に浮かんだダイバー四、五人を救助した。

在タイ日本大使館は二十七日未明、プーケット島と、近郊の町クラビに大使館員を派遣し、邦人の安否情報の収集に当たっている。

捜索作業に当たっているタイ人スタッフによると、ピピ島で日本人の夫婦と息子二人が津波にのみ込まれ、六歳の男児を除く三人が行方不明になったとの情報があるという。また、ピピ島での避難者名簿の中に「チカ・クルマイ」「マキコ・オザワ」という日本人女性とみられる名前があったが、安否は確認されていない。

CNN.co.jpより
急激な引き潮、押し寄せる波の壁 プーケットの生存者談
2004.12.27
Web posted at: 16:29 JST

タイ・プーケット (CNN)  インドネシア・スマトラ島沖で起きた地震によってインド洋沿岸諸国を襲った巨大津波は、タイのリゾート地プーケットに壊滅的打撃を与えた。多くの観光客があっという間に押し流された26日朝、なんとか生きのびたオーストラリア人夫妻の話を、ジャーナリストのアラン・モリソンさんが聞いた。

巨大な水の壁が近づいてくる時、あなたならどうする? 走るしかない。全力で走るしかない。「うそだろ」と思いながら、でも走るしかないのだ。しかしやがて水が迫ってきて、あなたはきりもみしながら水にさらわれる。

泳ぐのがうまいとか下手とか、そんなことは関係ない。

とてつもない水の勢いがあなたを前へ前へと押し出していく。何かにしがみつけば、もしかしたら生きのびられる。波の動きにうまく乗ることができれば、もしかしたら大丈夫かもしれない。しかし何か固いものにぶつかれば、死んでしまうかもしれない。

クリスマス休暇で妻ダイアンさんとシドニーからプーケットに来ていたレス・ボードマンさん (56) は、波にさらわれたとき、柱にしがみついた。しがみつき続けた。

もう片方の手で、流される別の男性をつかもうとしたが、水の勢いがすごすぎて、つかんでいられなかった。

こんなことになるわずか数分前、レスさんはダイアンさんと、プーケットの有名なパトン・ビーチに立っていた。美しい青い海を前に、休暇が始まったことを喜んだのも束の間、夫妻は砂浜の波打ち際があっという間に200メートルも引いていくのを目にした。

このすごい勢いの引き潮はどういうことだろう。ボードマンさんはすぐには分からなかった。沖合からありとあらゆる船が全速で浜へ向かってくる様子を見て初めて、何が起きているか気づいた。夫妻は慌ててきびすを返し、自分たちも全速力で走り出した。

砂浜から道路までの約20~30メートルを走り、ダイアンさんが停めてあった車の下にもぐりこんだその時、2人は波に追いつかれた。

水の壁はレスさんを約5メートル前、地上2階ほどの高さに放りあげた。レスさんはそこで何とか柱にしがみついた。

そして奇跡的な偶然で、波はダイアンさんの上にあった車とダイアンさんを巻き込み、上に放りあげ、ダイアンさんをレスさんの近くに投げ出した。夫妻は2階の窓までよじのぼって建物内にかろうじて避難。それから約90分間、巨大な波が次々と押し寄せて通り過ぎるのを呆然と眺めていた。

2人はその後、島の反対側のワチラ病院にヘリコプターで運ばれた。ダイアンさんはあばらを数カ所骨折しているが、命に別状はなかった。しかしワチラ病院に収容されただけでも、13人が死亡していた。

「もうダメだと思った」とレスさんは病院で話した。「あれをどうやって生きのびたのか、まったくわけがわからない。2つ目の波で、車が私の方にふっとんできたが、体をずらしてなんとかよけた。自分の横を車がすごい勢いで流されていくのを、ただ見ていた。何より辛かったのは、水の中を流されていく遺体が次々と見えたことだ」とレスさんは話している。

読売オンラインより
「娘抱き必死で泳いだ」旅行で津波に遭遇の邦人女性

おぼれた人の遺体があちこちに転がるリゾート地。がれきに埋まった繁華街。スマトラ沖から広がった大津波は発生から一夜明けた27日、インド洋沿岸の各地に大きなつめ跡を残し、死者は1万3000人を超える惨事になった。

タイのプーケット島周辺では、10人前後の邦人が津波に巻きこまれたとみられるほか、スリランカでも日本人の死亡情報があり、ツアー客のうち、少なくとも32人の安否が不明のまま。「娘を抱いたまま、海の中を必死で泳いだ」。津波にのみ込まれながら奇跡的に助かった日本人女性は、恐怖の瞬間をそう語った。

◆ピピ島

400人以上の死者が出たと報道されているタイ。

その南部のリゾート地、プーケット島の対岸にあるピピ島にいた神奈川県藤沢市の広瀬由子さん (41) は、小学2年の長女碧ちゃん (7) とともに津波に流された。

「2メートル以上ある波が襲ってきて、あっという間に流された」。ちょうどピピ島の船着き場を歩いていた時で、現地の人たちが「海が変だ」と言いながら海岸に集まってきた直後だった。

頭から波をかぶり、一瞬のうちに沖合に流され、碧ちゃんを必死で抱き寄せた。数百メートル流されたところで浮かんでいたタンスを見つけ、2人で夢中ではい上がった。海のようになった市場をしばらく漂流していたところ、1階まで水につかったホテルの建物にたどり着き、窓から白人の観光客が助け上げてくれた。

屋上に避難すると、50人ぐらいの観光客がいて、負傷者が横たわって病院のようになっていた。

ホテルの部屋からベッドや寝具を屋上に運び出し、一夜を明かした。27日朝になって、救助に来たヘリコプターで、タイ本土の病院に運ばれて治療を受けた。今は、近くのホテルに入り、帰国の準備をしている。

「助かってほっとしている。昔からピピ島が好きで、娘との2人旅行だった。とにかく早く落ち着きたい」。広瀬さんは電話取材にほっとした様子で語った。

◆プーケット島

被害の大きかったプーケット島・パトンビーチの中心部にあるホテル「ロイヤル・パラダイス」の従業員は27日午前、「100人近くの日本人が宿泊しているが、まだ全員の安否は確認しきれていない」と電話取材に語った。

同ビーチに宿泊していた福島聡さん (38) は街が津波に襲われた際、ダイビングボートに乗っていた。津波に気付かず潜水しようとした時、湾が真っ白に変色し、机やイスが無数に浮いているのが見えた。

島内に戻ると、海岸沿いの地域では、車があちこち流され、水も電気も使えなくなっていた。一部は、建物が崩壊し、立ち入りが制限されている。

プーケット島の「バンコク・プーケット病院」のスタッフは「日本人7人が運び込まれ、入院しているようだ」と話した。同病院に200床あるベッドはすでに満杯。日本人スタッフは「患者の名前確認だけで精いっぱい。個々の容体を把握する余裕はない」と話した。

◆スリランカ

スリランカの主要都市コロンボで日本語ツアーのガイドをしている男性によると、ハンバントタや、ヤラなどスリランカ南東部の海岸地帯で大きな被害が出ている。現地報道では3500人以上が犠牲になったとのニュースが流れたという。

「日本人に人気のあるヤラ国立公園のホテル『ヤラ・サファリ・ビーチ』が倒壊したらしい。日本人が含まれているとの情報があるが、詳しい状況はわからない」。男性はそう話した。

コロンボにあるホテル「ヒルトン・コロンボ」の従業員は27日朝、電話取材に、「日本人団体客が南部のハンバントタの海岸沿いの通りをバスで走行中、津波にさらわれたという話を聞いた」と語った。

ハンバントタはヤラ国立公園から西に約20キロのリゾート地。サーフィン目当ての観光客に人気があるという。

(2004/12/27/15:02 読売新聞 無断転載禁止)

読売オンラインより
「大波、怖かった」成田空港などに帰国の旅行者

成田空港や関西空港には27日、被災したタイなどからの旅客便が次々と到着し、日本人観光客が現地の様子を語った。

家族旅行でタイ・プーケット島を訪れ、家族とともに成田空港に帰国した千葉県市川市の中学1年生、川瀬裕之君 (13) は津波の襲来時、父親とパトンビーチ近くにいた。海岸から大勢の人たちが大声を上げて逃げて来た直後、高さ6―7メートルの津波が追いかけるようにうち寄せてきた。

「大きな波が二つ、三つと次々とやってきた。とても驚いたし、怖かった」と疲れ切った表情。母の幸子さんも「海辺のレストランや木々が津波でなぎ倒され、跡形もなくなった」と話していた。

(2004/12/27/14:44 読売新聞 無断転載禁止)

帰国した日本人の体験談・2

2004-12-27 15:07:51 | 記事スクラップ
読売オンラインより
「逃げまどう人たち目撃」…津波の恐怖語る帰国者ら

「逃げまどう人たち目撃」…津波の恐怖語る帰国者ら
関西空港では、スマトラ沖から広がった大津波の被災地となったタイ南部などからの旅客便が二十七日早朝から次々と到着。日本人観光客らは、津波が押し寄せた当時の様子を語った。

午前七時すぎ、タイ・プーケットから帰国した兵庫県高砂市の男性会社員 (57) は、当時、パトンビーチの滞在先ホテルで揺れを感じた。約二時間後、外の騒ぎに気づきホテル前の道路に出ると、茶色く濁った津波が押し寄せ、海岸から悲鳴を上げながら逃げまどう人たちを目撃。土産物店や乗用車も押し流されていたという。

男性は「地震の後に津波が来るまで、周囲はまったく警戒する様子はなかった。早朝に散歩したが、あと二時間遅れていたら、私もどうなっていたことか」と声を震わせていた。

海岸線の両脇からプーケットの空港につながる二本の道路は冠水などで閉鎖、もう一本の道路も避難する人であふれ、車が通行できない状態に。バイクタクシーに乗り継ぐなどしてようやく空港にたどりついた。

バンコク経由で帰国した滋賀県野洲市の会社員田路公夫さん (27) は、津波が押し寄せる約一時間前にパトンビーチの宿泊先ホテルを出発。空港に着くと滑走路が浸水の影響で「閉鎖」されていた。「津波の恐れがある」としてバスに乗って日本人数十人を含む搭乗客ら約三百人とともに近くの高台の体育館に約六時間避難した。

田路さんは「こんなに大事になっているとは思わず、泊まっていたホテルが波にのまれたと、空港のテレビで知って驚いた」と話した。

(12/27 14:30)

asahi.comより (画像あり)
「津波来る」靴はかず逃げた 帰国の観光客、恐怖口々に

「津波来る」靴はかず逃げた 帰国の観光客、恐怖口々に
津波で打ち上げられた車のそばで復旧作業が進められていた=27日午前8時、タイのプーケットで

インドネシア・スマトラ島沖地震から一夜明けた27日午前7時過ぎ、バンコクからの便が関西空港に到着した。プーケットで津波を目の当たりにした日本人観光客が降り立った。

プーケットのパトンビーチに面したコテージにいた兵庫県伊丹市の女性会社員 (27) は、パジャマ代わりに着たワンピースに、砂で汚れたダウンジャケットという姿で帰国した。

現地時間の26日朝、くつろいでいたら、「津波が来る、逃げろ」と、海岸から戻ってきた恋人が言った。着の身着のまま飛び出した。くつをはく余裕もなかった。「逃げるのに必死で振り返る暇もなかった」という。

近くのホテルの高層階に避難し、しばらくしてコテージに戻った。部屋は水浸しで、所持品はすべて海水と砂にまみれていた。「パスポートまでぐちゃぐちゃ」と疲れ切った様子で話した。

兵庫県高砂市の男性会社員 (57) は、パトンビーチ近くのホテルで地震に遭った。揺れは激しくなかったが、しばらくしてビーチから「キャー」という叫び声が聞こえてきた。見下ろすと海岸に高波が押し寄せて、人が逃げまどっていた。

道路は横転した自動車でふさがれ、海岸沿いに並んでいた土産物店は、波にさらわれて消えていた。ビーチから空港へ向かう道は、避難者であふれていた。車は通れず、バイクタクシーで空港にたどり着いた。

滋賀県野洲市の会社員田路公夫さん (27) は26日午前の便で帰国する予定で、海岸沿いにあるプーケットの空港にいた。海を見ていたら、土砂が混じった茶色い高波が押し寄せ、滑走路を水浸しにする様子がみえた。

すぐ空港内が停電し、空港閉鎖を告げる放送が英語で流れた。土産店などのシャッターが閉まり、従業員らが競って逃げ出した。「従業員のストかな」といぶかっていると、地元の航空会社員から「津波がくるので避難してください」と日本語で言われた。

搭乗予定だった300人以上の乗客は近くの山上の学校にバスで移送された。帰国後、「まさかこんなひどい状況とは。とりあえず家族に無事を連絡します」と公衆電話に駆けこんだ。



プーケット島のダイビングショップ「マリンプロジェクト」によると、津波発生時、日本人16人を含む20人の客が、パトンビーチからボートで約2時間の場所でダイビングを楽しんでいた。引率していたスタッフは「海の中では特に異変を感じなかった」と言う。

昼ごろにボートの上で休んでいた時、別のダイビングショップのボートから、「津波が来たらしい。次の波が来るといけないので、安全な場所へ避難しよう」と無線で連絡が入った。客は全員無事で、店に戻ってから日本に電話し、無事を知らせていたという。

名古屋市東区の自営業和田佳裕さん (38) は夫婦で島に旅行に来ていた。パトンビーチから約150メートルのホテルの5階に宿泊していたところ、突然停電になったという。

「1階のフロントに苦情を言いに行くと、玄関先の道路が冠水していて驚いた。すると、また、津波がやってきて、車が大きな音を立てて玄関近くまで流されてきた」と当時の様子を話した。

パトンビーチ近くにある高級ホテル「ダイヤモンド・クリフ・リゾートアンドスパ」は日本人に人気で、宿泊する約400人の半数以上が日本人という。ホテル付属のレストラン2棟が、津波にさらわれて跡形もないという。

(12/27 14:00)

東京新聞より
『高い波が一気に』恐怖の瞬間語る
プーケットから帰国の旅行客ら

「一度波が引いた後、高い波が一気に来た」「ホテルのロビーは野戦病院のようだった」。インドネシア・スマトラ沖地震で津波の被害を受けたタイの観光地、プーケットから二十七日午前、成田空港に到着した旅行客らは恐怖の瞬間などを語った。

友人二人と一緒にプーケットに滞在していた東京都内の三十歳代の女性会社員は「海岸にいたが、一度波が引いた後に高い波が来た。ビーチの屋台が流されたり、海岸に置かれていた荷物が全部流されてしまった」。女性は波打ち際から遠いところにいたが、それでも高さ四〇-五〇センチの波が押し寄せ、慌てて逃げたという。

東京都の三十歳代の男性会社員も「妻と新婚旅行に行った。海の見えるホテルで食事をしていたら、すごいスピードで波が来るのが見えて、ボートに乗ろうとしていた人たちが流されていくのが見えた」と振り返った。

東京都の四十代の会社員女性によると、津波が押し寄せたホテル一階は泥だらけになり、二階にあるロビーにはけがをした観光客らが運び込まれた。「出血している人もいて、野戦病院のようだった。停電でテレビも見られず何が起こっているのか分からなかった」

家族五人で帰国した千葉県市川市の中学一年川瀬裕之君 (13) は「津波が来た時、お父さんとビーチにいた。波頭が線のように見えたと思ったら、一気に波がさくを越え、海岸線にある店をのみ込んだ。津波を見たのは初めてで怖かった」と話した。

一方、これから現地に向かうという東京都の地方公務員 (43) は「ぎりぎりまでやめるかどうか迷ったが、ホテルなどは安全だと言われたので、行くことにした。代金を振り込んでいるし、子ども二人が楽しみにしているから、余震は気になるが思い切って行くことにした」と語った。

また、同日午前のスリランカから成田への到着便はキャンセルになり、スリランカ航空成田空港支店には問い合わせが相次いだ。

読売オンラインより
突然、窓が割れるような音…邦人観光客が恐怖の体験

【プーケット島 (タイ南部) =川辺徹】インドネシア・スマトラ島沖の地震による津波で大きな被害を受けたタイ南部のプーケット島で、一夜明けた27日、ホテルに避難していた邦人観光客が津波襲来の恐怖を生々しく語った。

北海道札幌市の会社員本間一男さん (49) と美恵さん (46) 夫婦は、宿泊していた大型ホテルの1階が砂に埋まった。27日朝になってようやく、ホテルの屋上から家族に連絡を取ることができた。

本間さん夫婦によると、津波のあった26日朝、2階の客室から外出しようとしていたところ、突然、窓ガラスが割れるような音がしたためベランダに出た。道路にはすでに波が押し寄せてきていたという。

美恵さんは「悲鳴が聞こえ、手が震えてバッグに荷物が入らなかった」と話した。宿泊客らはパニック状態で、非常階段を使って4階へ避難。ホテルのスタッフが「次の波が来た時は柱につかまって」と呼び掛ける一幕もあった。

水かさは増し、さらに屋上へと逃げた。同じホテルに宿泊していた大杉穣さん (36) (横浜市) ら日本人2家族と励まし合いながら、屋上で一夜を明かしたという。本間さんたちは26日に帰国するはずだったが、「今日には帰れるだろうか」と不安そうに話した。

(2004/12/27/14:21 読売新聞 無断転載禁止)

NEWS EVEより (動画あり)
津波被害、帰国した邦人は・・・

プーケット島などから帰国した旅行客は、一様に、不安な表情で当時の様子を語りました。
「怖かったです。20メートルから30メートルくらい波が引いていって、そうしたら波が戻ってきて、戻ってきたと思ったら普通の位置以上に波が迫ってきた」
「自分は下の方にいたが、みんな下から上がってきて、自分も上に上がったが、いたところは波で埋もれた」
「桟橋からボートに乗ろうとしていたところで、桟橋ごと流された。地響きが『ゴォー』という、何があったんだろうと・・・」
「一瞬で流されてしまって、みんな大パニックになった」
「沖を見ていたら白い波が出てきて、沖合いを貨物船くらいの高さの波が通っていって、海岸はジューサーの中のように水が泡だっていて、あまり経験したことのない怖い感じ」 (帰国した人)

ご覧の映像は、旅行者が撮影した、津波が押し寄せた際のプーケット島の様子です。

海岸沿いのカウンターバーや土産物店がある芝生の上の部分が、押し寄せた津波で波につかってしまっています。

この影響で、スリランカ航空ではコロンボのカトナヤケ空港発でモルディブのマーレ空港を経由し、成田空港着予定だったUL460便の欠航が決まっています。 (27日 11:19)

現地の状況

2004-12-27 15:07:28 | 記事スクラップ
毎日新聞より
大津波:
高級リゾート地プーケット島も泥とがれきに

【プーケット (タイ南部) 竹之内満】未曽有の大津波がアンダマン海を襲い、一夜明けた27日、常夏の高級リゾート地プーケットは一面、泥とがれきに覆われていた。

市内中心部の「プーケット・インターナショナル病院」。ロビーに、診察室に、負傷者があふれた。包帯姿が痛々しい、川崎市の会社員 (36) はカオラック地区のホテル1階の部屋にいたが、津波とともに外に押し流された。「多分1キロくらい流された。途中、流れる机や廃材に必死でつかまろうとした。最後はヤシの木にしがみついている自分に気付いた」という。「周囲にはもう死んでるんだろうなと思える人が多数いた」と話すと目を潤ませた。

友人の都内会社員 (36) はビーチから約10分離れた商店街にいた。「タイ人たちが騒いでいるので不審に思ったら、静かに水が流れてきた。次の瞬間にはドッと押し寄せる波につかった」と話した。「まさか津波なんて気にもしなかった」。幸い、流された友人と合流し、高台に逃げて無事を喜び合ったという。

同病院にはタイ在住とみられる邦人男性 (37) も入院しているが、病院職員によると重傷という。

プーケット北西岸のパトン・ビーチのヤシの並木は、ことごとく高さ20メートル付近でポッキリと先端付近から折れて垂れ下がり、津波の高さと威力を物語っていた。

砂浜沿いに建ち並ぶ高級ホテルの軒先は、大破したクルージングボート、バス、乗用車がたたき付けられるようにしてめり込んでいた。どのホテルのロビーも流木がうずたかく押し寄せていた。

毎日新聞 2004年12月27日 13時59分

帰国した日本人の体験談

2004-12-27 12:18:38 | 記事スクラップ
毎日新聞より (画像あり)
スマトラ地震:
大津波、ホテルも襲う 帰国の日本人語る

インドネシア・スマトラ沖大地震で、大津波被害を受けたリゾート地から27日午前、日本人旅行客が成田空港に帰国し、恐怖の瞬間を振り返った。

タイ・プーケット島のバンタオビーチにいた東京都世田谷区の会社員、田尻智穂江さん (40) は数回の小さな揺れの後、砂浜が水浸しになったため、ホテルのプールサイドに戻り、女友達2人と横たわった。その直後、津波が襲ってきた。「高さは約1メートルだけど、ものすごいスピードで迫ってきた。従業員の指示で3階まで3人で必死に駆け上った。怖くて声も出なかった」と話した。プールでは約30人が泳いでいた。逃げながら悲鳴を聞いて振り返ると、波に巻き込まれた外国人5人が頭や腕などから血を流していた。頭にけがをして血を流したまま、子供をかばっていた大人もいた。ホテル1階は水浸し。停電でテレビが映らず、何が起きたのか分からなかったという。

新婚旅行で同島に滞在していた川崎市幸区の主婦、外崎千夏さん (29) は、最南端のビーチのホテルのレストランで夫と食事中、津波を目撃した。「海辺を見ていたら突然、『ゴゴゴー』という音とともに高さ数メートルの大津波がホテルにぶつかった。何がなんだか分からないまま上の階のロビーに夫と逃げた」。砂浜では多くの外国人観光客らが「ヘルプ、ヘルプ」と叫び、波にのみ込まれていった。「あそこに自分がいたらと思うと、ぞっとします」と語った。

家族5人で同島に来ていた千葉県市川市の中学1年、川瀬裕之君 (13) は父親とビーチ沿いの道路を散歩中、右前方から迫ってきた高さ6~7メートルの津波が手前の林にぶつかった。道路の反対側から水着姿のタイ人や観光客らが「津波だ、逃げろ」と叫びながら走ってきた。「みんな我先にホテルの方へ走って行った。道路は砂で埋め尽くされ、海辺の店はすべて横倒しに崩れた。一つの町が崩壊したような感じだった」と振り返った。【神澤龍二】

12/26スマトラ沖地震・津波の原因

2004-12-27 12:15:35 | 記事スクラップ
Sankei Webより
震源の東西に巨大な津波 スマトラ沖地震

インドネシア・スマトラ沖の地震津波では、震源の東と西方向を巨大な波が襲った-。産業技術総合研究所活断層研究センターの27日までのシミュレーションで、今回の大きな被害をもたらした津波の横顔が明らかになった。

佐竹健治副センター長によると、今回の地震の断層は、ほぼ南北に走り、長さ1000キロと推定。ここから津波が伝わる状況をコンピューターで再現した結果、震源東のプーケット島方面には先に引き波が押し寄せ、その後大きな波が押し寄せた。西のスリランカには2時間後、大きな波が押し寄せたとする結果が出た。

海底下の浅い場所で地震が起きると、地盤が隆起したり沈降する海底の変形に伴い海面が変動、津波となって四方に広がる。伝わる速さは水深で異なり、深いほど速い。

東北大災害制御研究センターの今村文彦教授は「速度は水深4000メートルで時速700キロ、1000メートルで200-300キロにもなる」と指摘。「津波エネルギーは断層に直交する方向に及ぶため、スリランカ、インド東部などを大きな津波が襲ったと考えられる」と話している。

太平洋沿岸諸国では、1960年のチリ津波をきっかけに、ハワイに太平洋津波警報センターを設置、地震や津波観測情報を各国間で交換しており、インドネシアもこれに入っている。

だが、インドネシア気象庁とともにスマトラ島の地震・津波観測体制整備に携わった東京大地震研究所の森田裕一・助教授 (地震火山観測学) によると、現地では観測点は整備されつつあるが、通信設備が不十分で、津波予報としては機能しない状態という。同助教授は「熱心に対策を取ろうとしているが、予算が十分でなく、日本の20年前の状態」としている。

(共同)

(12/27 11:54)