プーケット津波情報総合 (スマトラ沖地震)

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津波被災体験談 (12/28 01:45収集分)

2004-12-28 01:48:30 | 記事スクラップ
中国新聞地域ニュースより
インド洋地震 無事祈る関係者の声 中国地方 '04/12/28

スマトラ沖地震津波でインド洋沿岸が被災、混乱し、中国地方に住む被災国の出身者や旅行代理店は二十七日、連絡が取れない家族や知人、顧客の無事を祈り続けた。

広島市中区のスリランカ料理店「シギリ」は、母国を気遣う店員のために一日中、現地のラジオ放送をインターネット経由で流し続けた。シェフのシリル・エドモンドさん (48) は「母国にいて地震に遭った覚えがない。被害者がまだ増えるんだろうか」と、不安がっていた。

山口大医学部 (宇部市) の特別研究員ヤミニ・アルチェルレンさん (40) も同国出身。「親類や友人の様子がまだ分からない」と、何度も電子メールを送っていた。

JTB福山支店 (福山市) は、十九日にスリランカに向かった福山市内の男性の安否が分からず、外務省に照会。各地の代理店に、インド洋沿岸への旅行を年末年始に計画していた客からの問い合わせ電話が相次いだ。

津波が襲ったタイ・プーケット島で遊覧船を営む伊東浅太郎さん (68) =広島市安佐北区=は当時、バンコクにいて命拾いした。「電話が通じにくい。自慢の砂浜がえぐれ、プーケットは当分、立ち直れないのでは」。電話がつながり、所有する船約十隻の無事を知って、一息ついていた。

■「ヘドロが道路一面」 東広島の河野さん

マレーシアにあるシャープの現地法人に出向している東広島市の河野瞬市さん (47) は二十七日、中国新聞の電話取材に対し、住んでいるペナン島に津波が押し寄せる様子などを語った。

河野さんは二十六日午前九時 (日本時間同十時) ごろ、震源地から東に約六百キロのペナン島の二十階建てマンション最上階の自宅で揺れを感じた。

午後一時半ごろ、いつもはくっきりしている水平線が白く霧状になった。三十分ほどで津波は海岸線に到達。マンションの下の住宅街の敷地や道路は海水とヘドロに覆われたという。

河野さんは「津波が高さ三、四メートルの防波堤を乗り越えた所があった。もし歩いていたらと思うと、ぞっとします」と恐怖を語った。