プーケット津波情報総合 (スマトラ沖地震)

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各記事の整理&保存 (12/28 18:45収集分、防災関連)

2004-12-28 18:59:11 | 記事スクラップ
東京新聞より
津波の脅威 逃げるしか
破壊力は風波の1000倍にも

インドネシア・スマトラ島沖地震と津波の犠牲者の数は時間がたつにつれ、増える一方だ。「南国の楽園」での年末年始休暇は暗転し、日本人もツアー客ら数十人の安否が不明だ。そもそも津波の脅威など、誰が予想できたろう。現地からの情報を基に、あらためて津波の怖さと、警報システムも十分ではない海外での対処の仕方を探ってみた。

今回、津波の被害を受けたタイ・プーケット島のナイヤン・ビーチにある「パールビレッジホテル」では客室棟八棟のうち五棟の一階がすべて床上浸水した。

同ホテルの日本人女性研修生 (31) は「ホテル前のビーチの砂が全部押し寄せてきて、ビーチは崩壊している」と話す。多数あった「海の家」のような店はすべて消え、割れたガラスの破片やデッキチェアなどが散乱していて「手の付けようがない」 (同女性) 。ホテルの裏には、現地住民が住む一般住宅もあったが、家屋は押し流されたり、柱がむき出しになるなど無残な姿になっているという。

客の一人の茨城県の男性会社員 (57) は「二階の部屋にいたが、現地時間の二十六日午前九時半ごろ、震度2ぐらいの揺れが来た。何だか変な揺れだなと思っていて地震とは思わず、こんな時間になんで工事をやってるんだと思った」。しかし、午前十時ごろには一階に水があふれ始めた。「従業員に聞いたら津波が来ていると言いだした。なるべく上の階へ行こうと逃げたが、ホテルは何のアナウンスもしないし、情報がまったくなく不安だった」

同じくプーケットの「シェラトン・グランデ・ラグナ・プーケットホテル」でもレストランが津波にさらわれ、跡形もなくなってしまったという。現地の女性従業員は「とても大きな波だった。大人の男性三人分の高さはあったんじゃない? 見たことがない」と一気にまくし立てた。

■『被害の全容つかめない』

一方、インドネシア・スマトラ島の北スマトラ州メダンにある日本領事館総領事代理、宮川勝利氏は「日本の地震に比べると、ゆっくりとした横揺れだった。スマトラ島でもアチェ州など北部は電柱などが倒れ、通信事情が極めて悪い。携帯電話もつながらず、被害の全容がつかめない」。

そのアチェ州は現在、分離独立問題で非常事態宣言下だが、現地の天然ガスプロジェクトに携わる日本人職員は「非常事態宣言下で現地情報は伝えにくい」と前置きした上で「津波直前に潮が大きく引き、そこに残った魚を捕りにいった人々が津波にのみ込まれた。それと水上住宅が多く、両親が働きに行った後の時間帯だったため、子どもたちが犠牲になったようだ。漁船も埋め立て地に打ち上げられた。被害者は六百人とも千三百人とも」と語る。

こうした被害の大きさを受けて、国際的な医療支援の民間非営利団体 (NPO) 、「AMDA」 (岡山市) は急きょ、インドネシアとスリランカへのメンバー派遣を決めた。

スリランカでの活動歴もある富田彩香さんは「スリランカ東部のトリンコマリー地域に昨日、国際協力機構 (JICA) の職員とAMDAのスタッフが訪れたが、遺体の方が多く、治療より遺体収容の仕事のニーズの方が大きいほど、と報告があった。すさまじい状況だと思う」と話す。

「地震大国」と呼ばれる日本だが、それでも津波の脅威となると、そう浸透しているとは言い難い。

「夜中のことだったので波を見た人はいないだろう。地震後、三十分もすると引き潮になったという。少しばかりの引き潮でなく、何百メートルと潮がひいた。明治の三陸地震の経験者がいて『逃げろ』となった。明治の地震の体験者のいる地区とそうでない地区では被害がぜんぜん違った」

こう一九三三年の三陸地震 (死者・行方不明者三千十四人) の体験を話すのは津波研究家で、ノンフィクション作家の山下文男氏 (80) だ。山下氏の住む岩手県大船渡市は、かつて国内最大の津波被害を受けた。

波が引いた後、自宅に戻ると集落に二十八軒あった家はほとんどが流され、残ったのは、同氏の家を含めた三軒だけだった。

同市内の志田賢太郎氏 (76) は「とにかく怖かった」と振り返る。「家族が海を見て『大丈夫』と思っていたら三十分もしないうちにふすまなどが波と一緒にかぶさってきた。家は流されなかったがつぶれた」

同市は六〇年五月のチリ沖地震 (死者・行方不明者百四十二人) でも津波被害を受けた。志田氏は「地震の後、海面はタップンタップンと波打っていた。家が高台で見ていたが、波の高さは四メートルくらいあった。海からの水はゴーと音をたてて市街地に向かった」

九三年七月の北海道南西沖地震 (死者二百二人) でも、津波の被害は大きかった。「波の高さは最大で二十九メートル、学者によっては三十一メートルという人もいる」と話すのは北海道・奥尻町役場の木村孝義氏 (44) だ。

「早いところでは、地震の三分後に津波が襲っており、島の最北端では十一メートルあった。最大の被害を出したのは島南端の地区で、五分後には一二・三メートルの津波が襲った。車で逃げているうちに車内に浸水し、車の中に残ったわずかな空気で生き残った人もいる」

■広がる渡航『危険地の啓発に援助を』

津波の怖さについて、先の山下氏はこう話す。「第一にスピード、第二にそのエネルギー。自動車くらいの速さはあるし、破壊力は風波の千倍といわれる。台風などの風波は海の表面が動くだけだが、津波は水が体積を持って海ごと突っ走ってくる」。東北大学大学院工学研究科の今村文彦教授 (津波工学) は「突然で広域。逃げ場がない。津波が来るまで時間はあるが行動を起こせないと、すべて流されてしまう」と言う。

今村氏は、今回のスマトラ島沖地震による津波の被災地域について「警報システムなどの必要性がいわれながらも、二十四時間の監視が必要なために負担がかかると、各国が理解を示さなかった。しかし、リゾート地には多くの訪問客が入る。ハザードマップを作るなど旅行者に情報提供したり、避難訓練をするなど、特別な配慮が必要だ」と指摘する。

前出の山下氏は「警報も過信してはダメ。日本ですら、チリ沖地震や今年九月の紀伊半島沖の地震では気象庁の警報は遅れた。防潮堤にしても北海道南西沖地震では、四・五メートルの防潮堤があっても全滅した地区もある」と警告する。

日本人旅行者の行き先は広がるばかり。渡航先は津波などの対策が不十分な地域の方が多いはずだ。何らかの対処法はあるのか。

山下氏は「日本政府はインドネシアやフィリピンなど津波の危険のある地域については、啓発のシステムづくりに援助すべきだ」と前置きした上で、現実論としてこう語る。

「リゾート地では、防潮堤を造ったら観光地にはならないだろう。どこであれ、究極の津波対策は逃げること。それしかない」

東京新聞より
津波10メートル 想像してください
世界一の警報網、どう生かす

インドネシア・スマトラ島北部の沿岸で起きたマグニチュード (M) 9・0の地震は、大きな津波を起こして二万人を超す死者を出した。津波の観測や防災研究で世界の先頭を走る日本でも、場合によるとこれに近い被害が出る可能性がある。今回の津波をきっかけに「いま、ここで十メートルの波が押し寄せたら」と想像してみるのが、一人ひとりにできる防災対策の第一歩になる。  (科学部・永井理)

■最先端

日本の太平洋沿岸の南海トラフに沿った海域で東海・東南海・南海の三地震が同時発生すると、M8・7の巨大地震になると想定されている。今回の地震と近い規模だ。その場合、高知県や紀伊半島を十メートル前後の津波が襲い、その死者は最大九千百人に達すると政府は見積もっている。

今回の被災地域と違って、日本では津波の注意報や警報を出す仕組みが整っている。気象庁は警報を素早く出すため、日本近海で地震が起きた場合の約十万通りについて計算したデータベースを作っている。震源の位置とMの値を入力すると、どこにどんな高さの波が来るか、すぐにはじき出すことができる。

遠くで発生した地震の津波も、米国やロシアなどとつくる太平洋津波警報センター (PTWC) の情報網で警報を流す。気象庁・地震火山部管理課は「見逃すことはない」と自信をにじませる。

さらに進んだ方法も研究中だ。海底に水圧計を置いて発生直後の津波の高さを測り、より正確な警報を出す方式だ。現在は十勝沖から四国沖まで十二の観測点がある。

まだ警報発令の参考にする段階だが、海洋研究開発機構の平田賢治研究員は「津波を直接測るのが一番。水圧計の数では日本が世界一」と話す。

これら日本の技術を役立てようと、防災科学研究所ではアジア太平洋の津波情報ネットワークづくりを計画中だ。

同研究所の石田瑞穂研究主幹は「アジア地域には津波情報を出すネットワークが整っていないところが多い」と指摘する。ネットがあれば、震源地から遠く、避難までの時間的余裕があった、インドやスリランカなどでは被害がかなり防げたかもしれない。「日本が中心になってやるべき取り組みだ」と話す。

■警報後

東海・東南海・南海の三地震が同時に起きたとき、もし住民がまったく避難しなかったとすれば臨海地域の都市の被害は拡大し、死者は一万人を超す可能性があるともいわれる。

避難ゼロは現実的な仮定でないとはいえ、日本での津波への意識は必ずしも高くない。

九月五日に東南海地震の震源域に近い紀伊半島沖でM7級の地震が二度起きた。三重県尾鷲市と群馬大学との共同調査では、最初の地震で避難した同市の市民は一割だけだった。東南海地震で想定した通りの津波が来たとしたら、人口約二万四千人の尾鷲市だけで二千二百人余りが犠牲になっていたという。

気象庁の警報を受けて住民を避難させるのは自治体だ。だが、東大社会情報研究所の広井脩教授は「自治体の対応にばらつきが大きい」と指摘する。警報を待たず、独自のシステムで住民に避難を呼びかける岩手県釜石市のような自治体もあれば、警報が出ても避難勧告を出さない自治体も少なくないという。

タイのプーケット島では死者の多くが観光客という。夏場には、東海地震の影響を受ける海岸部だけで約十万人が訪れるとされる。普段、沿岸部に住んでいない観光客の避難も大きな問題だ。

津波防災工学が専門の今村文彦東北大教授は「意識のあるなしで被害は二けた違う」と話す。東南海・南海地震の被害想定を発表する際、政府の委員会の座長をつとめた土岐憲三立命館大教授は「十メートルの津波は信じ難いかもしれないが、ぜひ想像してみてほしい」と繰り返している。

■津波が発生した主な地震

1896年6月 マグニチュード (M) 8.5の明治三陸地震。死者約2万2000人

1933年3月 M8.1の昭和三陸地震。津波と合わせ死者・行方不明者3000人以上

60年5月 M9.5のチリ地震。死者5700人。日本に押し寄せた津波の死者・行方不明者約140人

83年5月 M7.7の日本海中部地震。津波と合わせ死者・不明者100人超

92年12月 インドネシアでM7.5の地震・津波。死者2500人

93年7月 M7.8の北海道南西沖地震。奥尻島に津波被害、地震と合わせて死者・不明者約230人

94年6月 インドネシアでM7.2の地震・津波。死者約250人

98年7月 パプアニューギニア北西部沖でM7.0。同島北部に津波が押し寄せ、少なくとも2100人死亡

2004年12月 インドネシア・スマトラ島沖でM9.0の大地震。津波と合わせスリランカ、インドや東南アジア各国で2万3000人以上死亡