プーケット津波情報総合 (スマトラ沖地震)

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安否情報

2004-12-28 02:20:59 | 記事スクラップ
毎日新聞より
スマトラ地震:
動物ツアー受難 スリランカの日本人観光客

波に洗われた海岸地域は何も残っておらず、街には多くの遺体が散乱している。大波は、海から離れた国立公園内で動物観察をしていたグループをも襲った。インド洋沿岸を急襲した大津波による被災状況が27日徐々に明らかになる。日本人はツアー客だけで少なくとも20人の行方が分からず、個人での旅行などを含めると不明者はまだまだ増える見込みだ。被害の大きさと比べて少ない情報に家族らは不安を募らせた。

◇波の壁 12人襲う

スリランカで行方が分からなくなっているのは、旅行代理店「大陸旅遊」 (東京都新宿区、谷奥徹男社長) が主催した「タイ・スリランカ野生動物と瞑想 (めいそう) を共にする旅」に参加した19人のうちの11人と同社の男性添乗員 (44) の計12人。19人は男性9人、女性10人で、3歳、8歳、12歳、13歳、16歳の子供5人も含まれる。居住地は、東京都10人、神奈川県6人のほか、大阪府、埼玉県、兵庫県各1人。

19人はこの添乗員とともに21日に成田空港を出発。タイを観光した後、24日にスリランカ入りし、1月1日に帰国予定だった。津波は26日、一行がヤラ国立公園内にある動物保護区で、車に乗って象などの動物を観察するサファリ形式の観光を楽しんでいた時に襲った。

コロンボに滞在している同社の提携会社の男性マネジャーによると、現場は海岸から約1.6キロ離れているが、高さ約6~15メートルの津波が襲ったという。難を逃れた8人は翌27日、現場から車で約5時間かけてコロンボ市内のホテルに入った。ホテルの日本人スタッフによると、8人の中には重傷で病院に運ばれた人もいる。一行は一様に暗い表情で、「行方不明の人の無事を信じて希望を持って頑張りたい」などと語っていたという。

大陸旅遊の本社には、ツアー参加者の家族らが駆けつけ、近くのホテルで待機した。現地スタッフから27日夜、参加者の可能性がある7人の遺体が見つかったという情報が届き、家族に伝えられたという。同社は、希望する家族には早く現地に行けるよう準備を進めている。都内で27日会見した谷奥社長は「生存者がいるので期待もしているが、最悪のことも考えねばならない」と話し、現地に向かった。

ヤラ国立公園は、コロンボの南東約300キロに位置し、広さは約1260平方キロある。常緑樹の森林が茂り、一部はジャングルで、象やヒョウ、クマ、ワニ、シカ、水牛や多種類の鳥が生息している。多くの仏教碑があり、仏教徒の巡礼場所となっている。【工藤哲、早川健人】

◇プーケット島一帯 旅行者11人が行方不明 

国土交通省などのまとめでは、スリランカ以外ではタイのプーケット島一帯で日本からの旅行者11人が行方不明となっている。

このうち「日本旅行」のツアーに参加した2人は、カオラック地区のホテルに滞在していた。福岡市の「ジャルトラベル九州」の団体旅行に参加していた福岡市の女性 (27) は、カヌーに乗っていて津波に襲われたという。東京の「A&A」のツアーに参加していた男女は、同島からピピ島への日帰りツアーに出かけたまま連絡がつかないという。【大平誠】

◇日本人学校の教員と家族 5人と連絡取れず

文部科学省に入った連絡によると、タイとインドの日本人学校の教員とその家族の計5人と連絡が取れていない。

バンコク日本人学校の教員でプーケット方面に休暇で滞在していた4人のうち、ピピ島に夫婦でいた男性教員の妻との連絡が取れていない。津波の直前までホテルにいたとされる。

また、ニューデリー日本人学校では、やはりピピ島に滞在中の男性教員とその家族計4人の安否確認ができていない。

◇個人旅行 問い合わせ殺到

外務省には27日、安否確認を求める旅行者の留守宅からの問い合わせが500件以上寄せられた。その多くが航空券や宿泊施設を独自に手配した若者を中心とした「個人旅行客」とみられる。冬休みとも重なり、問い合わせの窓口となった海外邦人安全課の約10台の電話は、途切れることなく鳴る状態だという。

大手旅行会社「HIS」 (東京都新宿区) は「個人旅行客の正確な状況を確認することはできない」と打ち明ける。個人旅行客の大半が利用する格安航空券では、航空便の目的地しか把握できない。利用者の多くは到着地にとどまらずに、別の場所へ移動して旅行を楽しむことが多い。団体旅行と違って、国内をどのように移動するのかもわからない。到着地で安い航空券を購入して、その国を足場に別の国に向かうケースも多い。旅行業者が加盟する「日本旅行業協会」 (東京都千代田区) も「人数の推定すらできない」 (広報室) と話す。

被災地のうちモルディブは団体旅行客が中心だが、タイ・プーケット島やスリランカは個人旅行客も多い。そのため、「滞在場所を知っている家族から問い合わせがなければ、我々には分からない」 (HIS広報担当) というのが実態だ。政府も「できる限り現地の警察や病院を足で回り、情報収集に当たるしかない」 (外務省幹部) と頭を悩ませている。【前田英司】

◇当時の様子生々しく アキレスけん切った柳沢さん

津波に襲われてアキレスけんを切り、バンコク・プーケット病院の5階の個室に入院した東京都豊島区の私立大学職員、柳沢裕之さん (46) は27日午後10時ごろ、当時の様子を生々しく語った。

柳沢さんは26日午前10時ごろ、プーケット最大のリゾート地、パタンビーチで木製のパラソルつきチェアに腰掛けていた。周囲の人が「ロータイド (引き潮だ) 」と叫ぶ声が聞こえ、約50メートル先に浮かんでいたはずのブイが砂上に見えた。さらに数百メートル奥まで潮が引いたため、立ち上がると、遠く沖の方から茶色い低い波がサーッと押し寄せてきた。

「津波は大きな波のイメージがあったので安心していた」というが、低い波が腰の高さになり、ホテルに戻ろうと砂浜を渡り、道路まできたところで茶色い濁流にのまれ、足を取られた。左足に痛みが走り、アキレスけんが切れていた。

水上バイクに乗っていた英国人の老夫婦がホテルまで運んでくれ、応急処置を受けた。病院には救急車で午後3時前に運び込まれたが、生命の危険な人が優先のため、手術は27日午前7時まで待たされたという。2時間に及ぶ手術後に東京の両親に電話をし、父の武雄さん (77) に「迎えに行こうか」と声をかけられ、ほっとして涙が出てきたという。

22日から1人でプーケットを訪れ、28日に帰国予定だったという。柳沢さんは「全く揺れを感じなかったので、警戒のしようもなかった。ビーチが込んでくる1~2時間後だったら、もっと悲惨なことになっていただろう」と話した。【プーケット宍戸護】

毎日新聞 2004年12月28日 2時07分