私は足下すらおぼつかない其の2人に車から乱暴に引きずり出されて、自分の愛車が照らし出す20人ほどはいたかと思われる集団の前で座らされた。恐る恐る見上げると、バイクのシート上で横向きに足を組んだ、集団のボスらしき人物が少しにやけた表情で私のことを見下ろしていた。
「あんた、こんな時間に何やってんの」
思ったよりも優しい口調で聞かれたので、私は懇切丁寧な言い方を選んで、サービス残業とテレビ番組のことを説明した。
「ふざけんな!他県なんばーじゃねーか」
例の2人組の内の1人が呂律の回らない口調で怒鳴った。ああ、そうか・・・。私が埼玉での仕事を辞めて実家に戻って3ヶ月程は経っていたが、億劫なナンバー変更の手続きをしておらず大宮ナンバーのままだったから余所者に縄張りを荒らされたという風に思ったのか。
「いや、それは・・・」
今度は埼玉時代の事から説明しなければならなくなった。しかし、その話の中で茨城に越してきたばかりの私に教室を任せてくれた有り難い学習塾の名前を取り上げた途端、彼らの様子が一変した。
「それって鹿島にも教室があっぺ?」
「私は其処の責任者で」
「え・・・」
さっきまで敵対心を剥き出しにしていた2人が急激に大人しくなったかと思うと、2人とも自分のTシャツを脱いで、何を思ったか私の車のボディを拭き始めた。
「ごめんなさい!ごめんなさい」
元々正常ではないとは分かっていたけれど、その奇妙さに呆気にとられて言葉を失っていると、何やら白けた様な表情をしたボスの方からその理由を問い正された2人が半べそをかきながら話し始めた。
どうやら彼らが中学生だった頃、2人とも其の塾で楽しく過ごしていたらしい。ヤクザの下働きで暴走族をやっているような輩にもあどけない時代があったのだ。昔世話になった塾の名前を聞いて戦意喪失に陥ったのは明白だった。
私が裁かれるはずの場は、いつの間にやら和やかな道徳の授業のような様子を呈していた。昔の塾の先生とは、学校の先生ほど堅くなく、生徒達が無条件で甘えることができる存在だったのだろう。勿論私自身はその様な資質を備えてはいなかったが、もはや命の心配が無用となった開放感で生徒達(?)のどの様な質問にもハイテンションで答えることができたから場が盛り上がった。さっきまで敵だと思い込まれていた私は、若者達のキラキラした眼差しに絆されて、居心地さえ良く感じ始めていた。
「先生、俺たちは何で生きてるんだろうな」
この人達はそれなりに悩みながら人生を送っている。そんな質問が、さっきの2人から漏れたとき、私は迷わずはっきりとした口調で答えた。
「それは死ぬまで分からないし、きっと死ぬときにわかることだよ」
そんな口から出任せの様に吐きだした一言に、一瞬しんみりとした空気が漂った。それを良いタイミングだと思ったのか、ボスがスクっと立ち上がって出発する準備を始めると、私の周囲に輪を作って座っていた他の若者達も彼の後に続いた。
「先生、これから俺たち泳ぎに行くんだけど、一緒に来るかね?」
深夜3時を回ってるというのに一体何処で泳ぐというのか。私達がいた場所は鹿島の工場地帯の一角で、その時間でも侵入できる恰好のプールがあるらしい。私は翌日の勤務のことを口実にして丁重の断りながら胸を撫で下ろして愛車の座席に戻った。
しかし、そこからが悪かった・・・。
彼らと打ち解けて有頂天になっていたのだろう。調子に乗った私は迂闊にもその場所から国道に出る道を窓越しに彼らに尋ねてしまったのだ。