Are you Wimpy?

次々と心に浮かぶ景色と音。
そこからは絶対に逃げられないんだ。

★「ネット小説大賞」にもチャレンジ中★

巡り逢いの妙巡り逢いの妙⑧  ペットを巡る不思議な体験 第3話

2021年01月27日 | 日記
(2)「いつか来た道」


 私達夫婦には長らく子供が授からなかった。ももたろうが嫡男の位置に鎮座していて、体重は優に20kgを超えるほど大きく育ったが、前述したように余り犬らしくない、つまり無駄吠えもせず走り回りもせず、手前味噌だが、本当に「良く出来た子」で、帰省する時も旅行するときも3「人」家族で常に一緒だった。しかし、結婚して3年を過ぎる頃から帰省する度に田舎の両親から「今度は毛の生えていないのをな・・・」などと冗談を言われたりして、女房が今度は子供ができないことを気にし始めたので、職場の先輩から勧められた三郷のクリニックに夫婦で通うことにした。
 医師というのは何時の時代もそうなのかもしれないが、命の取り扱いに慣れてしまっていて、何度か人工授精を試みて成功しなくても「残念、また次回」くらいの言い方しかしてくれなかったから、私達の心情を逆撫でした上に焦りを逆に煽った。まぁ、それも贔屓目に考えれば私達を励まそうとしていただけなのだろうが、女房の悲観的な気持ちが収まらず、そのクリニックのウェブサイトの問い合わせ欄で相談したところ、その直後の診察では米国から一時帰国していた院長先生が施術を担当してくれることになり、それが功を奏することになった。
 受精成功後4ヶ月ほどして、妊娠の報告を兼ねて里帰りした際、女房が妙なことを言い出した。私には全く身に覚えがなかったのだが、以前妻と「子育ては女房の実家近くで」という相談をしたと言うのだ。当時、私は埼玉県春日部市在住で、杉戸町にある事業所に勤め始めて11年を迎えようとしていた。職場の先輩が千葉県成田市にマイホームを建てて通っているという事もあり、何度か夫婦で食事に招かれたりしていたから、私が忘れているだけかもしれないと、素直に実家近くの物件を探すことにした。しかし、いざ探し始めると中々良い条件の物件は少なくて、内見を繰り返しては結局決断には至らず師走を迎えてしまった。
 2月に出産予定だった女房のお腹は大分大きくなって、「身重」という表現が正にピッタリといった様相を呈してきた。出産準備の為、実家近くの産婦人科を紹介してもらい、年末には女房だけ郷帰りをすることになっていたから、私達は少し悲観的になり始めていた。親族から紹介されたエージェントも回り尽くして、夫婦で途方に暮れていた12月中旬、偶々私の名字と同じ名を掲げた不動産業者の看板を見かけて、冷やかし程度に寄ってみようということになり、珍しい名字だと初対面の社員達と盛り上がりながら「賃貸よりは中古物件を購入した方が良い」とアドバイスされて、更に「先月、丁度良いのが入ったところなんですよ」と、もぅ退勤時間にも関わらず内見に行こうという話がまとまった。
 場所も利根川に平行して通っている国道に近く、埼玉の職場に通うにしても、分かり易い場所に立地しているという。トントン拍子に進む話に一抹の不安を抱きながら、私達は業者の運転するセダンの後を追いかけた。
 物件に辿り着いた時、一緒に来ていたももたろうがピンと耳を立てた。ももたろうの「犬らしくない」部分の1つが、自動車での移動が余り好きではないというのがあって大抵は車内でぐったりとしているのだが、その時は何かに引き寄せられる様にそそくさと車から降りて、玄関の前で「早く開けろ」と言う様に座り込んだ。

「どうした、珍しいな」

 当時は夫婦でももたろうを連れている時は、リードを付けていなかったのだが、私達の言うことには本当に100%逆らうことのない「良い子」だったから、業者の少し戸惑うような様子を余所に、そこに“待て”をさせておいて、女房と2人で内見に向かった。

「いい子ですねぇ」

 不動産屋の遠藤さんが感心するくらい、ももたろう姿勢も正しく座って私達のことを待っていた。ももたろうを褒められて少し上機嫌になっていた私は、玄関からリビングに入ってすぐに、女房が少し怪訝な表情をしているのに気付いた。建物は築40年近く経っていて古く、床も少し軋んでいたし、きっと綺麗にリフォームされた賃貸住宅を想像していた妻が、少し失望しているのだろうと思って、気にも留めなかったが、内見が終わって事務所への帰路に就いた時に女房がポツリと漏らした。

「あそこ、何だか行ったことがある様な・・・」

 私は後部座席で眠っているももたろうを“バックミラー”で一瞥して、「デジャヴじゃないの?」とだけ答えたが、果たしてそれは本当のことだった。

 事務所に到着して、物件の詳細を説明されていた時に、女房が腑に落ちたように「ああ、だから!」と叫んだかと思うと、書類に記載されている名前を確認して「私と同じくらいの子供がいらっしゃいませんか」と尋ねた。その物件が知人から依頼されたものだと説明しながら「まりちゃんかなぁ」と遠藤さんが呟くと、今度は更に勢いを増した調子で「やっぱり!」と言った女房の顔は晴れやかであった。

 実は、その物件は、私達の結婚式にも出席していた女房の親友宅で、その友人の父親が隠居するのに広島の実家に一家で転居するに当たって売りに出したものだった。親友とはいえ、連絡を受けていなかった女房がその“まりちゃん”に連絡して確認をすることができた。
 とかく中古物件は、以前に住まっていた家族がどの様な生活をしていたのか気になるものである。その家族というのが幼い頃から知っている友人一家だと知って、女房が一気に乗り気になった。そんな巡り合わせも不思議なものだったが、そこに住み始めてから少しして、もっと不思議なことに気付くことになるのだ。

巡り逢いの妙巡り逢いの妙⑦  ペットを巡る不思議な体験 第2話

2021年01月27日 | 日記
(1)「醜い“モグラ”の子」


 ももたろうは不思議な犬だった。その登場も、それから去った後も・・・。

 1999年4月3日に、私達夫婦は結婚式を挙げた。その後すぐに仕事を辞めて私が住む埼玉のアパートに越してきた我が愛妻は、たった独りぼっちで知らぬ土地に突如放り込まれ数日もしない内に引きこもり状態に陥ってしまった。仕事が忙しくて、5月の連休中に予定していた那須への新婚旅行が気晴らしになるだろうと想う様にして、私はそんな妻のことを気に掛けてやれずに4月末を迎えようとしていた。
 連休直前の4月28日、職場の若い女の子たちが私のデスクに押し寄せて何やら騒ぎ始めた。話を聞いてやると、私の車の下にもぐらの様な動物が死んでいるので片付けて欲しいという。私は「モグラくらい放っておけばいいのに、君たちは天使みたいに優しいんだね」などと嫌味を言いながら、心配そうな彼女らを宥めるくらいの軽い気持ちで仕方なく駐車場へ同行した。
 まだ二十歳前の麗しき乙女達が気味悪そうに見つめる中、私は自分の車に傷が付かない様に細心の注意を払いながら箒を車体の下に差し込んで、その“もぐら”を手前に掃き出そうと試みた。週末の旅行に備えて前の晩にワックス掛けをしてあったから愛車のGX81マークⅡのドアパネルはテロテロに輝いていて、満足気な私のニヤケ顔を映し出していた。“もぐら”はやはり死んでいるのか、いとも簡単にゴロゴロと地面を転がりながら姿を露わにした。

「あれ、これ、モグラじゃないね・・・」
「え?・・・何これ!!」

 真っ黒な“子犬”はグッタリとしていたが、死んではいなかった。その目はうつろで、今にも息絶えそうだったが、身体は温かく、何とか生きようと必死で呼吸をしていた。

「この犬、どうするの、君たち?」

 私が「天使」と喩えたはずの乙女達は、自分には関係ないといった調子で何の躊躇いもなく子犬を押し付けて走り去った。この時ほど女が無責任で卑怯に思えた瞬間はない。彼女らは、まるでその子犬を引き取って育てる事が私の義務であるかの様な捨て台詞を投げ付けた。

「・・・宜しくお願いしますね!!」

 呆然と立ち尽くして暫く考え込んでいると、すぐ傍を偶然社長が通り掛かり、恐れ多くも直接私に声を掛けて下さった。100人ほどの社員しかおらず小さな事業所だったし、元々気さくな社長ではあったが、擦れ違う時などにも敬礼しつつ道を譲らねばならぬ程の緊張を伴うのは何処も同様だろう。私のような末端の小間使いなど滅多に声など掛けてもらえる筈もないのだ。

「犬かい?拾ったの?」
「はい・・・女の子らがモグラだと」
「モグラ?モグラか。そりゃぁいいっ!!」

 社長は愉快そうに声高に笑って、私が社屋に犬を持ち込むことを許してくれたばかりではなく、「キチンと世話をしてやりなさい」と必要な物を買い出しに出掛ける許可・・・というより命令を下された。こうなると“社命”となるのだから、私は部署で慌ただしく事情を説明し、本来の業務を放置して犬の救命に奔走することになった。
 取敢えず近所のコンビニに“出張”して、牛乳と缶詰のドッグフードを2つ3つ見繕って、段ボール箱で拵えた“小屋”でグッタリとしている子犬の近くに置いてやった。犬はうつろな瞳のまま暫くは微動だにしなかったが、一瞬鼻をヒクヒクとさせて耳をピンと張ったかと思うと、スクっと脚を突っ張らせて全身を小刻みに震わせながら牛乳を飲み始めた。一頻り牛乳を飲み干すと、今度は脇に並べた皿に盛っておいた半生のドッグフードに勢い良く食らいついた。
 本来なら、この様な事が犬を育てる上では「禁じ手」であるのを今なら理解しているが、この時の私は犬を飼う知識が皆無であったのだから、犬の食いっ振りとみるみると元気になる様子に達成感すら感じていた。
 その日、私は犬を“小屋”に閉じ込めたまま仕事を続け、退勤時間になる頃には自分の手で育てる決心をすっかり固めていた。犬もそのことを望んでいたのか、唸りもせず吠えもせずに大人しくしていて、その粗末な“小屋”から全く逃げ出そうとする様子がなかった。家に連れ帰ってからも、新しい家族の参上に声を上げて大喜びする妻を余所に、まるで「抜き足差し足忍び足」といった警戒振りで騒いだり走り回ったりもせず、まるで必死で自分の気配を消している風に振る舞う犬の様子に少し戸惑った。まぁ、大人しいのはアパート住まいの私達にとっては大助かりだったが、「変わった犬」と言うよりは犬らしさを全く感じさせない「借りてきた猫」の様な余所余所しさを醸し出していて違和感の様なものさえ抱いた。
 予定していた旅行中も預かってくれるペットショップが難なく見つかり、旅先では偶然ドイツ警察犬のショーを見られて、そのトレーナーとも少し話ができるなど、犬を取り巻くあらゆる事が自然に流れた。獣医に診て貰った際、年齢が大体2ヶ月ということで、分かり易く3月3日生まれとして、桃の節句に因んで“ももたろう”と名付ける事にした。ももたろうは、飼い始めてからも時々「犬らしくない素振り」を見せることがあったが、それも“個性”なのだろうと気にせずに、2011年6月26日の午前2時に息を引き取るまでの12年間共に過ごすことになった。ももたろうが死んだ日、その違和感の答えの様なものが明らかになったのだが、その予兆はそれよりも大分前の2004年3月末に唐突に訪れた。そのことについてはまたの機会に・・・。
 とまれ、ももたろうのお陰で妻も前向きになったのだし、社長とも事ある毎に“モグラ”の話題で気兼ねなく話ができるまでになって、在職中は何かと目を掛けて貰いながら、更にその流れで私の転職にもプラスに繋がったのだから、ある意味、ももたろうは私達家族に幸運をもたらした奇跡の犬とも言える。