去年の11月の記事にも書いた、わたしの青春音楽バンド、Galileo Galilei。
彼らがバンドの’終了’を宣言した。
突然のことで、邦楽ロックファンは騒然としただろう。
わたしもそのニュースを知って、驚きはしたが次の瞬間にもう、「ああ、やっぱりか」と納得している自分がいた。
どうしてだろう? と自分自身に問うた。
たぶんその答えは、「なんとなくそんな予感がしていた」というものでしかない。
でもその予感のきっかけはやっぱり、11月のライブだ。
久しぶりのライブだったけれど、そもそも、ツアータイトルがずいぶん意味深だなあ、と行く前から思っていた。
’broken tower tour’。
ツアーのポスターには、壊れた塔から落ちる三人の姿。
アルバムリリースツアーというわけでもなく、なぜ今のタイミングでツアーを?といささか疑問に思いつつ、でもちょうど東京滞在にかぶっていてラッキーだなあ、とチケットを申し込んだことを覚えている。
そして、行ってみると、びっくりするほど豪華なセットリスト。
アルバムという単位に縛られていないから、惜しみなく自分たちの演奏したい曲を盛り込んでいたように感じた。
実際、サードアルバム以降が中心ではあるが、聴きたいと思っていた曲をたくさん聴くことができ、嬉しさと驚きがあったのを覚えている(途中の貧血退場はあったものの…)。
MCの中で、ポスターに触れ(ツアーグッズにもなっていた)、これは自分たちだ、と話していたざき兄。
微笑んでいたけれどわたしはどきっとした。大胆な発言だと思った。
豪華なセットリスト、示唆的なポスター。
ざき兄の左手の薬指に輝く指輪。
「売れたい」という(それまでにはなかった)言葉。
(あとから、多くの人に聴いてほしいという意味だ、と釈明していたけれど、わたしは最初からそういう意味としてとらえていた)
これらから、ガリレオの変化を感じ取るのは、初期の頃からファンをやってきた人間としては、寧ろ自然なことだったように思う。
ツアーファイナルだったその日、新しいアルバム発売と、それに伴う全国ツアー(過去になく大規模なもの)が発表されたが、わたしはチケットを申し込むことはしなかった。
もちろんその日のライブの演奏は素晴らしいものだったけれど、そんなガリレオと、また自分自身の変化をありありと感じて、戸惑ってしまったのも事実だったからだ。
それに、ライブの時期がちょうど新年度の準備期間とも重なり、行けるかどうかもわからない日程だった。
少し時間をおいて、どうしても行きたくなったら申し込もう、と思っていた。
その矢先の発表だった。
チケットはもう、即完売だろうと思うけれど、わたしは、行かないという選択肢を選んでよかったと、今は思っている。
もちろん新しいアルバムは楽しみだし、買おうと思っているけれど、ガリレオの決定的な終了の瞬間をライブで聴いたり、味わったりするのは少し、違うなと思った。怖いな、とも。
実質彼らは、わたしの青春時代を彩ってくれたバンドのひとつだ。
同世代で、一緒に歩んできたというような親近感も抱いている。
ガリレオガリレイの終了とはつまり、これは彼ら自身の言葉であるけれど、「おもちゃの車では先に進めなくなった」、だからその車を壊して先に進む、という表明なのだ。
つまり、かれらは自ら、「青春時代」を越えて「大人になる」ことを決断した。これは三年前から考え始めていたという。ざき兄とさこぴーが21歳、かずにゃんが19歳の頃だ。
そして紆余曲折を経て今、そうすることを決めた。今年でざき兄は25歳になる。
だから今は、丁度いい幕引きではあるのかもしれない。
ガリレオは正真正銘の、青春バンドだったのだから。
スーパーカーと同じなのだと、わたしは感じている。
たとえばBUMPはずっと、同じことを歌っている。
少年のまま、仲間も幼稚園のころからずっと一緒の仲良しメンバーで。
それが彼らの音楽で、そのことについて揶揄されることもあるけれど、わたしは十年間ずっと、彼らの音楽が大好きだ。
これからもずっと応援しているし、変わらず聴いていたいと思っている。
ガリレオがリレイは、ざき兄が去年結婚して、メンバーとの同居生活も解消して、健全に年齢を重ねて、これからは「大人」のミュージシャンとしての音楽を、創っていくのだろう。
わたしはガリレオがリレイのファンであると同時に、いやもしかするとそれより熱く、ミュージシャン尾崎雄貴のファンであるから、「終了」はもちろん淋しいのだけれど、妙にしっくりときている自分がいる。
それは、彼らが「大人になる」ことをわたしたちリスナーに対して表明したタイミングと、わたしが個人的に「大人になる」ことを決意した時期が、ぴったりと重なったからだ。
わたしも今の期間を過ごしていて、ひりひりした痛みと共生していた十代を卒業しよう、とずっと感じていた。だから彼らの変化には、シンパシーを覚える。
成長に伴う変化。でもそれは、彼らにとってその先の未来に繋がる大事な決断だ。
ガリレオガリレイとして最後になる新アルバムには、「俺たちの恨み辛みが全部こもってる、でも愛も親しみも全部ぶちこんだ」とざき兄は語る。
十代の頃の自分たちの抱えてきたものをすべて詰め込んで、過去の自分たちを清算するような気持ちでつくられたアルバムなのではないかと思う。
まだ手に取ることはできていないのだけれど、今からとても、わくわくしている。
聴くのがとても楽しみで、久しぶりにこんなにどきどきしている。
これからもガリレオガリレイ(特に尾崎雄貴)の一ファンとして、
彼らの生み出す音楽を楽しみにしていたいと思う。
P・S・
去年の11月に、思い切ってライブに足を運んで、本当に良かった。
あの日はわたしにとっても、ひとつの分岐点になったのだと感じている。
わたしの青春も終わりかけていて、でもまだぐだぐだとしていたところに、ざき兄が終止符を打ってくれたような、そんな気がする。
4月からはまた学生をするけれど、年齢的にも、わたしは「大人」として生きていきたい。
それは、子どもらしさをなくすとか、無邪気でなくなるとか、そういう意味ではなく、もっとずっと根本的な、物事への向き合い方として。
社会人のような心持でいたい。
そして物事やひとに対して誠実でありたいと、改めて強く思った。