久しぶりすぎて、何を書けばいいのかわからない、、。
でも、また書きたくなったので。
吐き出したくなったので、すこしずつ日々のこととか、考えてることとか、変化とか、好きなものとか、ひととか。
触れて感動したものとか。
そんなことをつれづれ書いていきたいです。
こんなに更新してなかったブログを、
何故か読んでくださっていたみなさん、
ありがとうございます。
それもなんとなく、また書こうかなって思ったきっかけのひとつ。
1年前とは、また違う生活とか、わたしになっているけれど。
それは自分にとってはだいぶ、良い変化とか、療養良好とか、そんな感じなんだとおもってます。
今でも毎日を生き抜くのに必死すぎて、
あんまり客観的に考えたりみたり出来ていなかったのだけど。
1年前の記事とかが時々メールで届くと、
なんとなくその頃のことを思い出して、
あ、この時よりは動けてるな、とか
できること増えてるな、とか
くるしみの種類が変わってきたな、とか
そんなことを実感してます。
最近はすこしずつ弱い自分のことも割り切れたり、自己理解が進んできたりして、、
これから自分がどう生きていきたいか。
なにができて、なにができないのか。
将来的に、ひとりでもなんとか生きていけるように、今なにをすればいいのか。
そんなことを考え始められてる。
願わくは、あとは、
好きなものを。ひとたちを、大切にできる自分でいたい。
傷つけたくない、しあわせでいてほしい。
悲しませたくない。
そんな感情に襲われている、2018の夏。
平成最後の夏だって。結構どうでもいいのだけれど。
25までは生きられたよ。30までには尽き果てそうな命だけど。
今は結構、しあわせなんだとおもう。
歳を重ねる毎に、ラクになっていく。
10代の頃背負っていたものは、わたしには重すぎて、はたちで限界を迎えて、半分死んだみたいになって。
でも辛い時期は超えたんだろうな。
女の子ってみんな、20前後は死にたいくらい辛い時期みたい。
小山田咲子さんもしんどそうだった。すごくわかる。
でもわたしはまだ生かされてるので、
自分のことも大切にできるようになって、
なにかを生みだしたり、誰かをほんのすこし癒やしたり、そんなことのために存在をゆるされたいです。
存在をゆるされたい、ゆるされたい、肯定してほしい。
きっとずっと、心の奥ではそれを望んでたんだ。
こわくて、欠陥品が生きてても迷惑かけるし、
自分でも痛いほどわかってるのにどうしようもできないこともおおくて、なんでこんなにくるしいのかもわからなかった。
自分の身体も心も無視して、無理して周りと、周りの期待に合わせてた。
努力すれば、苦しんで我慢すれば、そうなれるって信じてた、浅はかな根性論が粉々に砕け散って。
最初はなにも考えられなかったけど、死んでるみたいに日々を過ごしてたけど、
最近はやっと、生きてるみたいに過ごせるようになれたの。
徹底的に自分と向き合ったり、いろんな人たちと出会ったりして。
理解してくれる存在?のおかげで、ほんとについ最近、生きてていいのかもなあ、価値なんて関係なくても。
そんなふうに思えるようになった。
油絵の先生は、わたしの父親と同じくらいの年齢だけど、わたしのこと、天使みたいだって言う。いつも。
わたしは自分のこと、宇宙人だって思ってるけど。
天使っていうのは優しい表現だね、地に足ついてなくて、地上では生きられなさそうなわたしのこと。
人間として欠陥品のわたしのこと、そう呼んでくれるんだから。
わたしは神様を信じてるから、お側に寄り添うような天使になれたら、それもまた本望だけど。
なんか、中学時代に、わたしのこと巫女っぽいから巫女さんってあだ名つけて広めた、
生徒会の先輩のことをひさしぶりに思い出した。
やっぱりなんか、違うんだろうなぁ。ほかの人間と。
でも、男子しかいない生徒会のなかで、
ミコさん、ミコさん、って呼ばれるのは、
結構すきだった。
あの頃の、いろんな人との距離感がすきだった。
きのう、、おととい? お盆で帰省してきて、
中学時代の友達と3人でひさしぶりに飲んだ。
ひとりのこは、「わたし、ミコ(仮名)が自分のこと宇宙人だって思うのはわかる気がする!わたしはそうは思ってないけど。でもわかるよ。」って、言ってくれた。
もうひとりの、結婚間近のこは、「わたしはミコが宇宙人でも、これからもずーっと変わらず仲良くするし、ぜんぜんいいよ」って、笑ってくれた。
このこはわたしの、中学時代の、〈少女像〉をつくった、圧倒的に中学生として凛として綺麗な完璧な少女、だった子なんだ。
今は素敵な成人女性だけど、あの頃の輝きと憧憬は、ずっとわたしのなかに深い影響を与えてる。
そんな友達たちに支えられて、わたしは中学生時代をしあわせに乗り超えてきた。
みんなみんな。しあわせに生きてほしい。
わたしが「5年後くらいに生きてたら、山奥でひっそり暮らすかも」って本気で言ったら、
「じゃあ山奥に遊びに行くね」って、軽やかにふたりが笑って、
それは、それはとても、美しい風景だった。
夜の駐車場の、券売機のほんのりとした灯りのなかで。
わたしはたしかにまた、確実に、救われたんだ。
こんなこと今日、今書くつもりなんて全然なかったけど、頭のなかと指が勝手に動いていろいろ書いてしまった。
お腹が空いたから、なにか食べなくちゃ。
それではまた、読んでくれてありがとうございました。
その日の、圧倒的に綺麗な空。
見惚れてしまって、友達の車に乗る前に、思わず撮った。
田舎の広い空がすき。ここがすき。
時々外に出ると、そう思えるようになった。
またすぐ書くかもしれないし、書かないかもしれない。
こんな引きこもりなのに、毎日はめまぐるしくいろんなことがあって、
吐き出したいことは、残しておきたい感情は、たくさんたくさん貯まってるんです。
それではまた、素敵な休日(?)を、
みんなが。みなさんが。過ごせますように。