goo blog サービス終了のお知らせ 

窓の向こうの海

素直で純心なきみに、憧れ手を伸ばしていた。いつのまにか、掴まれていた。もう離さないよって、きみが太陽みたいに笑った。

誠実さとは。

2017-06-20 14:59:20 | 考え事



最近、『誠実さ』についてすごく考えさせられることが立て続けにあったので、
思うところを書き残しておこうと思う。

とりとめもなく、支離滅裂な文章になってしまいそう。
はじめに断っておきます、あくまで自分のためのメモのようなもの。



ここ半年ほど、ネットの人間関係のなかで少なくない時間を過ごしてきた。

引きこもり状態のわたしにとって、それはとても貴重な場所だった。

今の自分は基本的に、なかなか外に出たくても出られない状況なので、
ネットもリアルもさほど変わらない『自分』で過ごしているつもりだ。

つまり、特には人格を作ったり繕ったりせずに、
割とそのままの自分で人と関わっている、ということ。

ネットとリアルを完全に分けている人もいると思う、
どちらが本当の自分とか、そういうことでもなくて。

でも個人的には、結局ある程度は、顔が見えなかったり情報が限られている分、
逆にその人の本質が炙り出しのように見えてくるのがネットのような、気がする。

わたしはその中でも、外見によらずに仲よくしたり、
内面を評価してもらったりすることでうれしく思うことも多かった。
話し方とか、考え方とか、そういうところで褒められたり、
好きだと言ってもらえると自信がついた。

大学生のころ、容姿や見た目の雰囲気で勝手に判断されたり、
なめられたりするのが本当に嫌だったのもあって、なおさら。


そんなこんなで、楽しくチャットやスカイプで会話するゲーム友達が増えていたのだけれど、最近納得いかないことがあり。

それなりに仲良くなった子のひとりから、すこし前に個人的に相談を受けていて。
その子はツイッターのフォロワーさんとトラブってしまい、というか一方的に被害を受けたようなものなのだけれど。
それでいろいろとあったせいで、人間不信になってしまって、と言われて。
リアルのほうでも家族が倒れてしまい、ごたごたしていて大変そうだった。

わたしはその子のことを大事に思っていたしすごく心配で、
自分なりに親身に相談にのったつもりでいた。


でも、そのすこしあと、最近、別の友達から、
その子がトラブった子と前以上に仲よく話していると聞いてしまい、
わたしは、すごくモヤっとして。

あれだけ暴言を吐かれたり、酷い仕打ちを受けたりしたのに、
ストレス性の胃腸炎になったとまで言っていたのに、
その原因の子とまた仲よく接することへの違和感ももちろんあったけれど、
なにより、曲がりなりにも問題が解決したのなら、
私に一言あってもよかったんじゃないかなあ、と思って。

所詮ネットの人間関係、という考え方は、わたしはあまり好きではない。

ネットだからこそ、相対するときに顔が見えない特殊な環境だからこそ、
そういう些細なところに人間性が表れてしまうのではないか、と思う。

あまりにもやっとしたので、その子に直接聞いた。
そのときにされた説明も、正直、うーんと思ってしまった。

その子の考え方も、ネットは第二の人生だと思っているから、人間関係は大事にしたい。
一度喧嘩しても、修復可能ならまた元通り仲よくしたい。
そんな風に言っていたけれど、正直、関わってリアルで体調を崩したまで
追い詰められた相手とまた関わる必要はあるのだろうか?
単純にまず、そこが疑問。

それに加えて、目の前の人間関係に必死で、
相談した相手のことは雑に扱っているように思えて、矛盾を感じる。

単に慰めてほしい、自分の味方がほしいだけだったのならなんだか、
都合よく使われたみたいでとても悲しい。

中途半端な信頼関係。

そんなことを思った。

その子はわたしとも仲よくしていきたいと思っているみたいだけれど、
すこし不信感が募ってしまった。



書いていてあまりに愚痴っぽくなってしまって、
自分自身に辟易してきたので、このへんで終わります。


誠実さとは、相手への真摯なふるまいとは何か、
そんなことを今一度考えさせられたのでした。


相手の立場に立って物事を考えられるようになりたい。切実に。
こんなわたしは理屈っぽいのかなあ、めんどくさいのかなあ。


ちょっと今は落ち込んでいます。












ミカヅキ

2016-07-03 19:10:05 | 考え事



短いリフレッシュ休暇が終わりました。



かなり疲れが取れて、ホッとしています。


いま、新幹線の中でこれを書いています。




いつの間にか地元は大好きな場所になっていたみたいで、自分でも戸惑っています。


やっぱり、学校を卒業したら、
地元にカムバックするべきなのかなあ、、

親からはもう、自由に生きろって言われてるので、
自分だけがいろいろと勝手に焦っているのだけれど。


進路についてはやっぱりすごく、考えてしまいます。


英語を使う仕事が出来たら良いなあとは思っているのだけど。


父や兄には、働くのが厳しいならもういっそ主婦になれば、なんて陰では言われているようで。
でも、わたしは絶対結婚したくない、というか子どもを産みたくない育てたくないので、
なんとか自分で生きていきたいのです、、

たぶん彼らはお金のことよりも、わたしに幸せになって欲しいと純粋に、思ってくれているのだろうけれど、
わたしにとっては家庭を築くことが幸せだとはどうしても思えないのです。


わたしが子育てなんてしたら。
想像するだけでも地獄絵図。

子どもが好きじゃないし、母性が皆無なわたしです。
どうしてこうなっちゃったんだろうなあ、本当に。



いま一番欲しいものは強靭な身体と体力です(同義)。


与えられたもので人は生きていかなくちゃいけなくて、
配られたカードで勝負しなくちゃいけないのは皆平等で、
人それぞれに強みも弱みもあって、それが世界の仕組みだって頭ではちゃんとわかっていて。


でも、どうしても欲張りになってしまうし、
なんでどうして、もしこれがあれば、と無い物ねだりを繰り返してしまう愚かな人間だなあ、本当に。


とりあえずまだ自分の人生の中で
納得のいくことを何ひとつ成し遂げられていないので、
なんとか粘り強く生き抜いて、10年間くらいで何かひとつでも出来たらなというのが現在の希望、生きるために縋りついている考えです。



それがないと、そういう気持ちでいないと、
毎日を過ごすのはあまりにも辛すぎる。

だから、小さな目標を作っているけれど、
こんなにすぐ躓く自分がいる。

でもまあ、うんざりしながらも地道に進んでいくしかないのだよなぁ。


思いついたことをだらだらと書いていたら
果てしないひとりごとみたいになってきてしまった。


しばらくはこんな感じで堂々めぐりなんだろうな。


あしたからはとりあえず学校に毎日行く。
ゆっくりでいいからやることをやる。


睡眠時間を大事にする。


そんな感じでいきます。




いったん終わり、
日記書こうとしたのに内容違ってきちゃったから考え事にした。







I know

2016-04-17 00:48:25 | 考え事
次の道について
次の道を探しているわたしは今 大学を休んでいて。でも、そこの大学にはきっともう戻らないそこにはわたしの小さな夢、目標があったけれど結局それは、わたしにと...



一年前、自分はまだまだ不透明で、曖昧な日々を送っていた。

自分がこれから何をしていけばいいのか、何をしていきたいのか、
よくわからずに、確信を持てずに毎日をただやり過ごしていた。


そこから丸一年経って、その間にもたくさん自分と向き合って、
いろんなことを考えたり、違う場所へ旅をして人と話して気が付いたり、
そんな風に日々を重ねていくうちに、自分自身で選んで、決めた新しい道。


四年ぶりに「入学式」に出席して、四年前のことをどうしようもなく思い出して、感傷にも浸った。
あの頃は自分がまた人生の中で「入学式」を経験するなんて、露ほどにも思っていなかった。
周囲にはあの時の自分と同じ年の子たちが溢れていて、
なんだか不思議な気持ちだった。

でも、淋しさなんかは全然なくて、晴れやかな気持ちだった。
過去に帰りたいとは思わないし、過去を消したいとももう思わない。


最初から未練なんてなくて、だとしたらただ前に進んでいくしかないってことなんだろう。

18から4つ年を重ねて、わたしもそれなりに大人になった。

あと2か月もしたら、23になる。


もう十代のころのような、迷子の気分で生きてはいない。
先行き不透明なのはたいして変わっていないのかもしれないけれど、
でもあの息苦しさや自分自身に対する不信感は消えた。

その代わりに異なる苦しさも現れたけれど、それは以前とは完全に異質のものだ。


これからもいろいろな予測不能なことたちが起こって、
日々に翻弄されるのだろうけれど、
できるだけ落ち着いて、自分自身をしっかり持って、
一日一日を積み重ねていきたい。


二年後、少しでも自分の夢に近づけていますように。


そんな振り返り日記。

限りなく曖昧で、抽象的な日記になってしまったけれど、
詳しいことはまたあとで、書いていこうと思う。

四月に入ってから息つく間もないような二週間だった。


新しい環境はいつでも苦手だけれど、
それでも今は、いつもよりは辛くない。

それはきっと良い変化で、今の環境を好きになれそうな予感がしているから。


この街がどうやらわたしは、好きみたいです。

札幌にいたときの孤独感やカルチャーショックを今のところは、浴びていないのも大きい。


行きたいところもたくさんあって、少しずつ訪れていきたいな。


とりあえず明日は、映画館に行きたい。。
この二週間ずっと思っていること。
観たい映画があるのです。

今日は部屋にずっと籠っていたので、
明日は活動して、リフレッシュしたいと思います。


好きなこと、夢中になれることを頑張ればいいんだよって、
背中を押されている気分。

年下の子たちはフレッシュでかわいらしくて、素敵。
見かけで22歳に見えない!とたくさん驚かれてしまった。
18に見えるって言われたけれど、
それもどうなんだろう。。苦笑


でも、心配は杞憂だったということで、それも含めて、少し安心している今。


植田真梨恵ちゃんの曲は素敵で、癒される。
センチメンタルなリズムからはなしはそれからだ、と聴いていた。

瀧川ありさちゃんの新譜も、最近ずっと聴いている。
まさに今の自分にぴったりな曲で、うれしい気持ちになった。
リリイベ、行けますように。
それまでなんとか生き抜いていこう。


書きたいことがたくさんあるけれど、
まとめるのが難しくていつも、支離滅裂になってしまう。

でも、自分のためのメモみたいな日記だし、それでもいいかなとも思う。

思い出すための出来事や思いの断片。

これからもマイペースに残していこうと思っているので、
読んでくださっている方はよろしくお願いします。

それではおやすみなさい。
それぞれが、素敵な週末を過ごせますように。







『 僕はまず僕を幸せにできなきゃ
  あの日の自分が目指した 向かうべき旅路を行くよ 』









深層心理

2016-03-14 00:39:53 | 考え事



なんだろう、いつもいつも、定期的に、
どこか遠くへふらっと消えたくなる。


放浪癖、定住できない人種。

ジプシーみたいだって思う。


周りの人から、愛されたり、大切にされたりしていると気づく度に、
重くなる。背負えない、わたしには。


ひとりきりになりたいと、強く願ってしまう。




どうしてだろう、大好きなのにね。



こんな時、子どもたちは夜と遊ぶを読み返したい気分になる。

月子の気持ちが、痛いほどわかるよ。

似てるって言われた理由も、今なら理解できて。


どんなことがあっても、書くことだけは続けていきたいし、それが出来ることも知っている。



取捨選択の向こう側だ、行く先はいつだって。


またひとりきりになれるのが、本当は嬉しいのかもしれない。

ここで癒されて、でもやっぱり、
肩肘張らないと他人といられない自分が自分のなかにどっしりと居座っている。

自分の気持ちをもっと正確に知りたい。


傷つけるようなことでも、傷つくようなことでも、できるだけ正確に。

今はそんな風に思う。


夜のひとりごと。