またしてもすごい本を読んでしまった。
去年からずっと気になっていて、最近やっと本屋さんで見つけて即買いした一冊。
王女レイアと父王を取り囲む世界の…お話。
美しいもの、耽美的なものを求めて生きるには、
醜いもの、俗物的なものを徹底的に排除しなければならないのかもしれない。
閉鎖された空間(=闇)の中で、美しく輝く光のような物語や音楽。
現実世界は幻滅するようなことも多い。
俗世的なものやひとにげんなりすることも。
わたしだって、心を閉ざして引きこもっている自覚があるから、なんだかレイアと似たような境遇にも思えた。
ただただ環境を作られ、与えられ、そこで生きることしかできなかったレイアと、自分自身で選び、望んでいるわたしとでは、大きな違いがあるのかもしれないけれど。
でも、別荘から出たレイアもまた、美しい幽閉空間の日々を恋しく思っているのだと思う。
捨てきれずに、現実が受け止めきれずに。
もどかしく毎日を過ごしている。心を閉ざし続けている。
それは、一度、ひたすらに美しい世界をその身で体験してしまったから。
観念的な美に魅了され、囚われて、現実世界を直視することを心が拒んでいるのだと思う。
それはある意味では幸せであり、でも現世でしぶとく生きていくには不幸なことだと感じた。
無垢なレイアと、周りの大人たちとの対比がよく描かれていて、興味深かった。
父王の内心での葛藤や衝動的な行動は、とても人間臭くて好きだ。
子どもの目に映る、感じる世界と、
大人たちの捉えている世界とでは、
とても大きな違いがあり、越えられない隔たりがある。
幼い頃、もっと世界は幻想的で、観念的で、美しかった。
ずっとその世界の中で生きられたらいいのに。
幼い頃は自由で、でも大人になったらまた別の意味の自由が与えられる。
中途半端なルールの中で縛られながら生きる、中高生時代が、もしかすると一番、不自由で窮屈かもしれない。
そんな風に思った。
すくなくとも、わたしは息苦しかったし、ずっともがいていた。
いま、再び本来の世界を取り戻しつつあるのかもしれないとも。
この闇と光。
世界の捉え方を自由自在に変えて、柔軟に生きられたら、案外もっとラクになれるのかもしれない。
余談だけれど、最近読んだハルチカシリーズの『惑星カロン』にも、この本にも、【ワルプルギスの夜(ヴァルプルギスの夜)】が重要なキーワードのひとつとして出てきて、とても驚いたし、思わずにやりとした。
こういうことが、読書をしていると、たまにある。
ほんの偶然なのだけれど、世界は繋がっているなあ、と感じさせられる。
どのように世界を捉えて生きるか。
美しさを希求するとはなんなのか。
その功罪。
そんなことを考えさせられる本だった。
服部まゆみさんの本、ほかにも読んでみたいなあ。
独特な世界観がわたしはすごく好きでした。