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窓の向こうの海

素直で純心なきみに、憧れ手を伸ばしていた。いつのまにか、掴まれていた。もう離さないよって、きみが太陽みたいに笑った。

点滅する。

2018-08-21 17:24:29 | 過去





おなかいたい、、。しんどい。やだやだ。かみさま。
たすけてください。かみさま。




わたしを、大学2年生の夏に、戻してください。



あの頃の、あの時期の、
すべてを、やり直したい。


でも、やり直したら絶対に、きみには会えない。くるしい。





夏休みが終わる前に、図書館に行きたい。




野中柊さんの本が読みたい。


救われたい。



掬われたいすくわれたい救われたい。







わたしは、もう二度と戻れないあの日々を、


いつか、ちゃんと、愛せるのだろうか。





大学時代、とか

2016-12-31 00:51:07 | 過去




最近、大学戻りたいとか中退とか高卒とか気にならなくなったな…専門も中退するからついに諦めついたのだろうか。2年いっぱいは通って単位いっぱい取って実習もどきも実験もしてレポートも書いて統計もやってある程度満足したのかもしれない。大学生活に対して

飲み会も参加したしトイレで吐いたしお泊まりもしたし深夜カラオケもしたしオールでアニメ鑑賞会もしたし朝帰りもしたしコタツで寝落ちもしょっちゅうだったし長期休みの旅行もしたしバイトもしたし思い残すところなんてないのかもしれない。十代の若いエネルギーと探究心で出来たことであってもうできないししたくもないのかなぁと

へんなの。まだ23なんだけどね。最近妙に落ち着いている
他人のことも気にならない わたしがどう思われるかな面倒だなとは未だに思うけど、
誰がなにしててもいい
クスリ効いてきたのか 感情の波が穏やかになったのか わからないけれど…
わたし、やっぱり双極性障害II型だったのかな

パニックは絶対ある 疲れてると発症する 不安発作も
でも、やっぱり双極性とかって医者に行かないとわからないことだったし 良かったなあ


大学時代無駄に贅沢して食べたご飯とか、お酒とか、散財とか、はぁなにやってんのって感じだけど情緒不安定で若気の至りで、あの頃のわたしはアクティブに病んでいた。可哀想なくらいに。抱きしめてあげたいくらいに、淋しくて孤独だった。その事実に辿り着いて真正面から迎えている今の方がずっと、いい。決してラクではないけど、わたしは逃げていない。肌もよくなった 治療しようという意思を手に入れた まぁ、動けなくなったからなんだけど
あの頃のわたしはアクティブに自傷していた


いま 買うものといったら本くらいで 本に囲まれていればしあわせで浴びるようにアニメをみて 栄養のあるものを食べて そんな生活が嫌いじゃない。落ち着いているとも思う 歯並びも直って



ほんとはわたしももっとはやくから居場所がほしかった。はやくから能力を認められてそこで働くようになりたかった。だから自分なりに居場所を大事にしているつもりだったけれど 結局どこにも必要とされないまま 見つけられないまま 今に至る。そしてわたしは病んでしまった。動けなくなってしまったのだ

だからこれからは自分で生きる場所を探していくのだ


わたしの心ってものすごく自由だ







つらつらとつぶやきを集めていたものを、
まとめてペーストしてみた。



こんなこと延々と考えたり振り返ったりしながら

ここ3ヶ月くらいずっと、寝そべりながら、過ごしていた。




道のり、あの子を思うとき

2016-01-28 21:15:16 | 過去




高校時代のわたしは、毎日閉塞感に苛まれていて、それは別に環境や人間関係のせいとかではなくて、いわゆる生き辛さを抱えていたんだと思う。
集団行動が苦手で、教室の中に四十人存在していることがもう、苦しかった。授業中が特に苦しくて、動悸をこらえながらなんとかいつも、座っていた。
仲の良い友達もいたし、それなりに楽しかったけれど、それでもいつも苦しかった。


学校帰りのバスの中で、バス停から家までの歩道橋の上で、高校から歩いて行ける図書館や街(田舎の概念)にあるドトールで、過ごす放課後の時間が休息だった。
ひとりでぼーっとしたり、何かを飲んだり、本を読んだり、とりとめもない考え事をしたり、思いついた言葉をばーっとHPに書き連ねているのが、今思えばずっと、わたしの心の癒しと支えになっていた。


文章を書くことは、自分と折り合いをつける作業なのだと思う。少なくとも、わたしにとっては。
本を読むことも、フルートを吹くことも音楽を聴くことも、その他いろいろな好きなことも、自分を等しく構成する一部で、嫌いにならない限りはやめられない、手放せないものだと、以前のわたしは思っていた。
でも、お兄ちゃん病気で、死ぬかもしれない、と知った時から一瞬で、フルートを吹く気持ちなんて微塵もなくなったし、とにかく不安を紛らせたくて、いきなり新しいバイトを始めたり、友達と普段はしない遊びをしたり、気持ちがどんどん変な方向に飛んで行っておかしくなって、「好きなこと」なんて簡単にやめられるというかできなくなるんだ‥ということを初めて思い知った。自分の心の動き次第で。

好きなことができるのは、人生に余裕があって、ある程度不安や心配から離れていて、恵まれた環境があるからなんだ、と。
でも、どんなに病んでいても、むしろどん底の時に、わたしの気持ちのはけ口になったのは、やっぱり文章だった。
こういう、人生を削ぎ落としていく時期を通して知るものがあるのだと、初めて理解した。


究極的に自分は、何をしたいのか。何を求めているのか。わたしは選択肢があればあるほど、そこから遠のいていくのを感じていた。
大人はいつも、選択肢の多い方を選ばせたがるけれど、わたしが本当にしたいことは、極限にシンプルなことで、生き方で。
本当はいらないものがどんどん増えていって、それらの「本当はなくてもよいもの」に埋め尽くされて、溺れている自分は、みじめだった。無力ささえ覚えていた。
もしかしたらこれが、わたしの高校時代の息苦しさの正体だったのかもしれない。
自分がどこか遠のいていくような感覚。
目指す目標に向かって走っているなら、身体に負荷がかかっても、心は楽だ。
あとは頑張るだけ。まっすぐ走っていくだけ。でも、そのゴールすら設定されていない、漠然とした空白は怖い。

わたしは高校三年間を通して、行きたい大学を見つけられなかったし、でも国立に進まなければならなったから、適当に勉強しても入れるところを(高校生にとって)合理的な考えで選択した。
そんな、本来の自分に反したスタンスでいたから、四年間続かないのは当たり前だ。
もう戻りたくない、と思っても仕方ない。そもそも、向いてないんだから。
やりたいことじゃないことにエネルギーを注ぐこと自体が、負担になっていたのだ。


だからこれからは、やりたいことに思う存分、エネルギーを注ごうと思う。
まだ手探りで、わからないことだらけだけれど、それでいい。
誰かと比べることなく、争うことなく、ただ自分の向上心を持って何かを得ていくことは、必ず、出来ると思うから。
自分の躓きもきっと、克服できるはずだから。



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話は過去に戻るけれど、高校一年生の秋、クラブ活動の関係で受け取りが遅れた模試を、友達と一緒に職員室へ取りに行った時、その結果がすごく良くて、ふたりで東大を目指せと言われたことがある。(これはたぶんその時点で上位の人たちは結構言われること。その中で本気で東大を目指すのは十人くらいで、受かるのは毎年三人くらい。)

わたしとその子は、勉強はそれなりに好きだけど別に試験で上位を取りたいとか、上の大学にいきたいとか、そういう気持ちがないタイプの生徒だったから、その時ははあいと適当な返事をしていた。
でも、友達は本当に純粋に理系で賢い子で、受験期は、東大を目指すグループに混ざって数学や物理をしていて、とても楽しそうだった。

結局、推薦で地元の国公立の教育学部にあっさり進んだのだけれど。
とりあえず受けたセンターでも、全教科で平均が八割五分を取っていた。
同じ大学の医学部も受かる成績なのに、「そんなの全然関係ないし、目指したいものを目指すだけだし、わたしは都会に行きたくないから良いの」とあっけらかんと笑う彼女をみて、わたしはすごい、と思った。それは、自分が持たない潔さだったから。
思えば、養護教諭になろうと思ったのも、彼女の存在が大きなトリガーだった。


その子はわたしの高校時代においてひとりのキーパーソンであり、親友だ。

出会いは一年生の春。
入学式の日に、はやめに学校に着いたわたしが、まだ人の少ないクラスに入ろうとした時、その子と、ばったり出会った。

そしてその子はにこやかに笑って自己紹介をして、わたしたちは1分も経たず友達になった。

今でも「あれは運命の出会いだった」と彼女は時々真面目な顔で言う。言われる度、わたしは思わず笑ってしまうのだけど。


その子は別の地方から来ていて、下宿に住んでいた。
毎日昼食を共にしているうちに、メロンパンなどの菓子パンばかり頬張っている彼女に思わず、お弁当作ってこようか? と打診し、翌日からわたしは、毎日2人分のお弁当を持って学校に行くことになった(もちろん作っていたのは母。しかし当時、兄の弁当も作っていたので、ふたり分も3人分もさして変わらない、と快諾してくれた。そんなに豪華なものでもないし)。


そしてその子と一緒にマイナーな、主にボランティア活動などをするクラブに入った(2年次に、国際交流事業で台湾に行けるというのに、わたしたちは惹かれていたのだ)。

結局、わたしたちは(2、3年から)部長と副部長になり、
好き勝手に活動を企画して思う存分3年間の活動を楽しんだ(もちろん真面目なこともいろいろした)。
部室である地学準備室が、わたしたちの基地だった。
先輩が卒業してからはどんどん部員も勧誘し、結局、人数は同学年で2倍くらいに増えた。

台湾にもふたりで行った。

2、3年ではクラスが分かれてしまったけれど、(彼女が理系、わたしが文系のため。2、3年ではクラス替えは無かった)

わたしは毎日彼女のクラスまでお弁当を運び、一緒にお昼を食べた。彼女の友達と、3人で。


わたしたちは色々な話をした。

わたしは本のこと、彼女は数学や物理のこと。わたしは数学が苦手だったので、よく教えてもらっていた。
わたしはその頃本の虫で、毎日馬鹿みたいに本ばかり読んでいて、それを見ていた彼女が、それまでは読書をしなかったのに読書をするようになった。わたしが強く薦めたわけでもないのに。

去年、彼女のアパートに短期滞在をしていた時、本棚にたくさんの文庫本が揃っていて驚いた。
彼女はすっかり、読書家になっていたのだ。そして折に触れ、読書の楽しさ、本の面白さを教えてくれたのはわたしだと言う。こんなに嬉しいことはない、と思う。

もちろん、わたしの方が、彼女から影響を受けたものはたくさんあると思っているのだけれど。

今は彼女が愛読している「数学ガール」がとても読みたい。絶対集めようと思う。

知らず知らずのうちに、自分が友達に影響を与えているというのは、何かくすぐったいような気持ちになる。

ザ理系な彼女と(もちろん理系で読書好きな人もいるけれど、彼女は全くそういうタイプではなかったから)、今では本の話が出来るのはとても嬉しい。
今では時々会う度に、互いに読んで面白かった本をおすすめし合ったり、交換したりしている。
共通で好きなのは豊島ミホさんや、伊坂幸太郎さん、米澤穂信さんなど。
わたしはこの間、辻村深月さんをおすすめして、感想を語り合った。



そんなこんなで、わたしの青春には彼女は欠かせない存在だ。

高校を卒業したあと、大学入学までのインターバルの春休みに、彼女と遊んでいた時、彼女はわたしに出会って変わったと思う、出会えて良かった、ありがとう、と唐突に言った。
わたしこそ、その言葉を言う立場だった。
なんだか涙が出るくらい、その時は感動した。


会う機会や時間は少なくなったけれど、今も、これからも、彼女とはこんな関係でいられたらいいなと思う。
お互いに、肩肘張らずに言いたいことを言い合える関係というのはなかなか、得難いものだから。


彼女はこの春から、無事に夢を叶えて養護教諭になる。

絶対良い先生になるとわたしは確信している。これからの活躍が楽しみだ。







去年のGW、ふたりでお花見しながらラムネを飲んだ。


そんな彼女から2、3日前に突然電話がきて、毎日一緒にいたあの頃が懐かしくなって、なんとなくばーっと書いた文章。




「 夏の名残の手紙 」

2015-12-11 02:24:40 | 過去





きっと、あと2ヶ月くらいしたら、
寒くなって、落ち葉を踏んだりして、
切ない秋が、またくる。


そのときには、
もう少しキレイな私でいたいのだ。

深呼吸する、冷たい空気。

大気の音が、聴こえたりして。

美しさを引き出せるような、
鐘のような美しさを。


僕だって君だって無力だよ。



p.s.


眠れなくて昔の日記を読み返してた。


2011.9.4 の日記のような詩のような、よくわからない言葉の羅列。

でも、これを書いた時のことは今でも憶えてる。

ドトールで受験勉強をしていた。
地学の模試直しで、SiO2がわからなくて四苦八苦していた。






'言葉も、記憶を喚起する'


リライト

2015-12-07 15:36:07 | 過去



昨日の追記で、高校時代気になっていた人の話を書いたら、いろんなことを思い出したので、また書き留めておく。


その人は1年生の時に同じクラスになって、でも席は近くになったことがなくて、いつからだろう、、話すようになったのは。


その人は軽音部で、同級生とスリーピースバンドを組んでいて、ベースを担当していた。
拘りらしいウッドベースは、他に使っている人がいなくて、珍しいお洒落なタイプだった。
演奏も、上手だった。高3の頃は部長も務めていた。



わたしはフルートを習っていたので、一回だけ部室にお邪魔して、一緒に演奏したことがある。





去年の冬、SNSを通じてギターの子から連絡が来た。その子は高2で中退してしまった。3年生の秋にわたしが大好きなバンドのライブに初めて行った時、偶然会って、一緒に帰ってきた。それ以来、連絡も途切れていたのだけれど。


彼は今絵を描いているらしく、絵をあげるから、会おうよと言われた。
そんなに親しいわけではなかったので驚いたけれど、特に断る理由もなかったので、街に会いに行った。

すると、絵や雑誌などを貰ったあとで、話している時に、突然、告白された。

わたしはその頃兄のことや自分のことで本当にわたわたしていたし、いっぱいいっぱいだったので、正直、少し腹を立てたことを覚えている。

わたしは今、とてもじゃないけれどそんな場合じゃない。と。
しかも彼は、わたしが今家がちょっといろいろ大変で、と零したタイミングで、行ってきたから。
大丈夫、絶対大丈夫と彼は言ったけれど、そんなに親しくない、わたしをよく知らない相手に、そんなことを言われたくなかった。
あなたに何がわかるの、そう言いたくなった。言わなかったけれど。


わたしはすっかり興ざめしてしまって、そのあと少しして別れ、帰途に着いた。


そんな一年前の記憶。


彼はきっと、高校時代の淡い思い出の中のわたしを好きだったんだろうな。


わたしも数年前なら、ちょっとだけ浮かれたり、うーんと迷ったり、そんなことをしていたかもしれない。

でももう年を取りすぎたな、という気がする。
わたしはひどく冷めていて、恋愛を楽しむことなんてあるのかしらと思う。


他の子みたいに現時点で、結婚願望も出産願望もない。
それが悪いことだとも思わない。
わたしは自分らしく、楽しく生きたい。
誰かに縛られたくない。

そんな風に思うのは、まだ本当の意味で素敵な人に出会っていないからだろうか。


愚かな恋に身を落とす人たちがまだ、受け入れられない。嫌悪感すら感じてしまう。ある種の潔癖性なんだと思う。






p.s.

ベースの子のことを書くはずだっのに、ギターの子の方が多くなってしまった。


でも実のところ、わたしがただ気になっていただけで、ベースの子とのエピソードはそんなにないのだ。