妄想する美術史。

妄想と現実間のアートの歴史記録

ベアトリーチェ・チェンチの肖像

2004-12-18 | 美術番組

美の巨人たち
グイド・レーニ「ベアトリーチェ・チェンチの肖像」
12月18日(土) 22:00~22:30 
テレビ東京

この絵ははじめて見ました。
白いターバンと振り向いたときの少女の儚い瞳が印象的な作品。
その瞳と構図が気になって、久しぶりにこの番組をじっくり見てしまいました。

暗い背景に浮き立った白いターバンと白装束。
これから、暗い闇の世界へ向かおうとしている。

この絵には悲しいストーリーがある。

ベアトリーチェは1577年に生まれた。
父親であるフランチェスコ・チェンチは、誘拐や強姦などあらゆる悪事を働く男でした。そのフランチェスコは美しく育った娘ベアトリーチェについに手を出します。その強姦・虐待はどんどんエスカレートし、ついにベアトリーチェは父親を殺害しようと決心します。その殺害に継母や使用人などが協力しました。阿片を父親に飲ませた後に、刺し殺し、ベランダから落としました。彼女たちは口を揃えてフランチェスコは転落死をしたと主張しましたが、検死の結果、殺されたことが判明し、ベアトリーチェは激しい拷問のすえ、罪を認め、1599年9月11日、サンタンジェロ橋の広場で、断頭の刑に処せられました。この絵は、処刑直前の牢屋の中で描かれたものだそうです。

この判決の内容に怒りを覚えたローマの人たちは暴動に出て、多数の死傷者を出したそうです。それだけフランチェスコは極悪非道の人物であったということが知られていて、かつ、ベアトリーチェは可憐で美しかったのでしょう。ベアトリーチェが並みの美しさであれば、ここまでの騒動は起こらなかったのではないかと思います。また、別の視点で見てみれば、人々の心に残すには美人である必要があったのかなとも思います。
ちょっと歪んだ見方ですね・・・すんません(^^;)
実際にフランチェスコのやってきたことは、許されるべきことではありません。今の時代なら、ドメスティックバイオレンスで警察等に相談される内容です。前科が前科なだけに刑務所にも入れられていたことでしょう。


番組で、この絵の構図はフェルメールの『真珠の耳飾りの少女(青いターバンの少女)』に似ていると言っていました。オランダの風俗ではターバンを巻く習慣はないらしく、フェルメールはイタリアで絵画を学んでいたという事実からフェルメールはこの絵をイタリアで目にして、オマージュとして『真珠の耳飾りの少女(青いターバンの少女)』が描かれたのではないかというのです。確かに、構図はよく似ていると思います。これが断定的になるにはいろいろな研究が必要だと思いますが、フェルメール自体謎に包まれた画家なので、なかなか立証するのは難しいのではないかと思っています。でも、それがきちんと立証されなくても、この説はとてもに興味深いものです。



<メモ>
画家:グイド・レーニ(1575-1642年)
イタリアの古都ボローニャ生まれ。

ローマ市街のバルベリーニ宮殿(国立古典絵画館)蔵
名門貴族の館であったが、現在2階は国立古典絵画館として使われている。
14-17世紀に生まれたイタリア美術が収蔵されている。

美の巨人たち グイド・レーニ「ベアトリーチェ・チェンチの肖像」

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