続・軍務尚書の戯言

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皇帝ウラディミル・ウラディミロヴィッチ・プーチン~復活するロシア帝国~

2005-07-01 04:03:33 | 国際情勢
7月イギリスで開催されるグレンイーグルズ・サミットで,小泉首相とロシア・プーチン大統領の首脳会談が決定したとのこと。
北朝鮮問題と北方領土問題を抱えなんとか事態を打開したい日本側からの再三にわたる要請にようやくプーチン大統領が答えた形である。

2000年にアル中大統領エリツィンに代わりロシア共和国第二代大統領に就任したウラディミル・ウラディミロヴィッチ・プーチンは、チェチェン紛争における強権的手法によって得た国民の高い支持率を背景に着々とロシアの中央集権化と自己の権力強化を果たしており,現在ロシアは「共和国」ではなくもはや「帝国」であるとする論評すら見かけられ、小生もこの意見に賛同する。

知られているようにプーチン大統領は、旧ソビエト連邦時代はあの悪名高きKGBに所属しスパイとして東ドイツに駐在していた経歴の持ち主であり、その半生はソビエト崩壊後のロシアの混乱を反映し大変興味深いものである。
彼は東ドイツ滞在中に歴史的なベルリンの壁崩壊と東ドイツの消失を目の当たりにし,こうした事態に直面してもなんら有効な手段を取れず右往左往するクレムリンに愛想を尽かし共産主義を捨てたとされている。

事実かどうかは明らかではないがエピソードが伝えるところによれば,ベルリンの壁崩壊で暴徒化した東ドイツ市民がソビエト大使館につめかけた際、本国にソビエト軍による大使館保護を要請したが聞き入れられず、市民に対し「大使館に侵入したものは即座に射殺する」と威嚇してことなきを得たという。

帰国後レニングラード大学に勤務していたところレニングラード市議会議長のアナトリー・サプチャクにその高い能力と冷徹さを買われて腹心に抜擢され,政治家への道を進むことになった。
1991年のソビエト連邦崩壊後メキメキと頭角を現し,サプチャクのレニングラード市長就任後は副市長として辣腕を振るい,高い事務処理能力と冷静且つ的確な判断力で「灰色の枢機卿」と呼ばれていた。

サプチャク市長落選後,中央政界に引き抜かれて1994年大統領府総務局次長に就任し、以後はエリツィン大統領のもと出世街道を驀進。
1998年7月KGBが前身となるFSB(連邦保安庁)長官に就任以降はKGB時代に養った秘密警察のノウハウをフルに活用して組織の改革と権力の強化に努め,1999年には首相となりエリツィン大統領の後継者の筆頭に立ち,同年エリツィン大統領の突然の辞任により大統領代行に就任、翌2000年3月の大統領選挙で正式に大統領に選出されたのである。

大統領就任後は「強いロシアの復活」を掲げ、ソビエト連邦時代の失政と崩壊後の社会的混乱により失墜した大国ロシアの権威を復活させるべく様々な政策を次々と実施しており,世界で最も精力的な指導者の一人であることは間違いない。
外交面では、首相時代からの懸案であるチェチェン紛争において強行な態度を取り軍事力による解決を選択して勝利を得るとともに,以後続発するチェチェン軍事勢力によるテロに対しても一貫して強硬路線を維持することで国民の高い支持を得ることに成功している。
近隣アジア諸国に第二次世界大戦に関し土下座外交を続ける日本とは異なり,ヒトラーとの密約で国際法上明らかな違法行為であるバルト三国併合を行ったにもかかわらず,謝罪を求められると「何回謝れば気が済むのだ!!」逆ギレするほどの強硬派なのである。
アメリカとは対テロ戦争で共闘する姿勢を表明する一方でイラク戦争ではフランス・ドイツよりの立場を維持して一定の距離を保ち,チェチェンやウズベキスタンにおける人権問題で付け入る隙を与えていない。
国内政治では次々と中央集権化を進める政策を実施するとともに、経済の再建とソビエト連邦崩壊後の混乱やエリツィン時代の側近政治に乗じて国有企業を買収し莫大な利益をむさぼっていた新興財閥の解体と企業の再国有化,ロシア軍の近代化と再構築を強力に推進中である。

こうした政策の中心となっているのが前述した彼のKGB時代に得た知識・戦略・人脈であり,彼の手足となっている人物には旧KGB出身者が圧倒的に多く、その政策も秘密警察の香りがムンムンでお世辞にも開かれた民主主義とは言い難い。
特に新興財閥の解体と企業の国有化に際し、トップを脱税や汚職で逮捕したうえで企業を解体・処理して国有化するという強盗まがいの手段を用いたり,大統領や政府に批判的なマスコミや評論家を厳しく弾圧し放送局の閉鎖やキャスターの更迭を強要するなど、ソビエト連邦時代を彷佛とさせるものがある。

このように強権的かつ中央集権的・秘密警察的な政策を次々と実行しているプーチン大統領だが、昨年の大統領選挙での70%を超える支持率が示すように国民の人気は高い。
これはチェチェン紛争をはじめとする国際紛争で強硬路線を取ることで「強いロシアの復活」を強くアピールし,ロシア国民に喪失していた自信を回復させたためだけではなく、ソビエト連邦崩壊後のドサクサにまぎれて国有企業をタダ同然の価格で手に入れ,窮乏する国民生活をよそに巨利を得て贅沢の限りを尽くしていた新興財閥のトップを裁判にかけることで社会正義を前面に押し出し,政府の政策を正当化することに成功しているからである。

また国民に対する大統領の宣伝とカリスマ化も巧妙で,政府の宣伝機関と化したマスコミをフルに活用して「如何に大統領が誠実に職務を遂行しているか」「如何に大統領の政策がすばらしいものか」を繰り返し国民に植え付けている。
たしかにプーチン大統領は、伝え聞くところによれば金銭欲や色欲に乏しく、趣味は日本柔道で日常生活もストイックであり汚職や横領などの不正を憎むこと甚だしく、今までの経歴においてもこうした不正行為の摘発から組織改革を実行してきた実績があるとともに、本人にはそうした疑惑が上がったことはなかったとされている。
ただこうした人物は歴史的に見ると権力欲や支配欲が極めて強い場合があり、彼もその一人の可能性が高い。

現在はまだ「灰色の枢機卿」時代に賞賛された冷徹な判断力と客観性を保っていられるだろうが,権力の集中と側近政治が「強力な指導者」を「悪逆な独裁者」に変化させる最高の触媒であることは歴史が証明している。
また多くの独裁者は権力掌握の初期には圧倒的な国民の支持を背景にしており、国民の熱狂が独裁者誕生の原動力となっていることは疑いの余地はない。
ロシア国民には帝政ロシアから最悪の反民主主義体制である共産主義体制を経て大統領制に移行したため民主主義の概念が乏しく,「強力な指導者」を求める風土があることもこの傾向に拍車をかけている。
こうしたことを考えると、現在のプーチン大統領の状況はヒトラーが誕生した状況に非常に似通っており、独裁制や帝政樹立に後一歩の段階だと言うことができるのだ。
彼が独裁的権力を確立した際にどのように変化し、強大な権力と軍事力をどのように用いるのか,隣国日本の我々は注意深く監視しなくてはならない。

今日の箴言
「独裁者は国民が作るものである。」

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1 コメント

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Unknown (みんなのプロフィール)
2005-07-01 04:25:45
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