ドイツで三十路すぎはつぶやく

ドイツ暮らしでつい漏れてしまう日本語での独り言を、つれづれと書き留めることにしました。

愛情か感情か・・

2005-09-01 | ふとひとりごと
最近、教師による生徒への「体罰」があちこちで騒がれるようになった。「平手打ち」「蹴る」「頭を叩く」・・・へ?それだけで?私はそう思ってしまう。

どうして「最近」なんだろう?なんで以前は騒がれなかったんだろう?それが「時代の移り変わり」なのかなぁ・・。

私が中学時代属していた「バレーボール部」は、全国レベルで強いチームだった。そして殴られて当たり前だった。

平手打ち?当たり前。連続14発ビンタというのもくらった事がある。チーム内で「何発叩かれたか」をみんなで記録していた事もある。私は100発を過ぎた辺りから、虚しくなって止めた。

蹴る?当たり前。蹴られながらも
「立て!」
と怒鳴られ、蹴られてるから立てないのに
「何で立てねぇんだ!」
とさらに蹴られた。

頭を叩く?当たり前。叩いた上に髪の毛をつかまれて振り回され、その夜はお風呂で髪を洗うと大量に毛が抜けた

血が出る?鼓膜が破れる?アザができる?そんなの当たり前。だって殴られるんだもの。そんなアザを頬に作って学校へ登校しても「ああ、彼女はバレー部だから。」と他の先生も見て見ぬフリ

それだけじゃない。言葉の暴力だってものすごかった。当時の仲間の一人は、今でもその時に受けた言葉の暴力を笑えなくて、昔の話はしたがらない。

みんなバレーボールが大嫌いになった。誰もが怪我をすると、
「これでバレーをやらずにすむ・・。」
とホッとした。体調を崩して入院した仲間は、先生から退院を告げられると、その場で大泣きした。
「またバレーをやらなくちゃいけない・・。」

でも辞められない。辞めたら、他のメンバーに申し訳ない・・。先生に「言い返す」事すら知らないかった、素直な田舎の中学生だった。

中学3年の夏の最後の大会が終わって、負けても、とっても嬉しかった。「もうバレーをやらなくていいんだ」受験勉強すらバレーの練習に比べたら楽しかった。そして高校へ上がって、バレーを続けた仲間は誰もいない。

そうやって毎日緊張の中練習をし、強くなり、その叩いた張本人の監督は、「指導力」を買われてどんどん出世。終いには、教育委員会委員長に、校長までやって、退職していった。

彼に今の時代のこの問題を聞いてみたいな。誰もが言う。「愛情から叩いたのだ。」本当かなぁ?叩く瞬間は、「愛情」なんてどこにもないんじゃないかなぁ。叩く瞬間にあるのは、苛立ち、憎しみ、そんな「感情」なんじゃないかなぁ。

ただこれだけはよく学べた。
「緊張感の無い練習をいくら繰り返しても強くはなれない。」
その緊張感をあの監督は「叩く、蹴る」という行為、つまり「恐怖」で作ったのだ。