言わなければならない事は言わないと前には進まない

生活する中において言わなければならない事や、他の記事で共感したことなどを中心に。今その時の思いを表す。

この現実を知ってください!

2011-12-22 19:53:37 | 言いたいことは何だ

12月19日に釜石の箱崎小学校での配布会の様子を四日市運送の樋口社長がブログにアップされていたので、ご紹介します!!



メディアでは伝えられない現地の現実です!
 




     第12弾、取り急ぎご報告!   

いつもご支援・ご協力戴く皆様、当ブログをお読み戴いている皆様、少々遅くなりましたが第12弾、今朝早くに全車輌無事に戻って参りました。
改めてご報告はさせて戴きますがご心配戴いている方のためにざっと報告させて戴きます。
金曜日、予定より少し遅れて午後7時前に出発。東北道の福島県内までは極めて順調に走っておりましたが、やはり日本の天気予報は素晴らしい!事前の予報通り、福島県郡山市辺りからは雪でした。
さらにラジオからは「この冬一番の冷え込み」と歓迎の言葉まで戴き、福島より北の岩手はどーなってんだ?とそれぞれ不安と恐怖を思い描き、何故か私は「かまくら」を思っていました。道路自体は
路肩にうっすらと積雪がある程度でしたが、宮城県内に入ると雪よりも嫌いな電光表示が・・・。
「事故通行止」です。何もなければ釜石に午前8時頃に到着出来る筈だったんですが、想定外のアクシデントに頭の中の「かまくら」は吹っ飛び、恐らく早朝からたくさんの人が待っていて下さってるんだろうな、と気ばかり焦ります。取り敢えず後続車輌に連絡し、私と吉原社長の乗った大型車が先行し、案の上仙台南ICで一般道へ、4号線を北上して仙台泉ICから再度東北道に乗りましたが、またしても事故通行止め。大和ICからまた一般道を走り、古川ICで東北道へ。そうです、我々運送業者のお客様は雪や通行止めなど関係ありません。ヤリがふっても荷物を届けろっ!というのが常ですので、とにかく1mでも前へ!という気持ちです。朝7時頃釜石の佐々木さんに延着のメールを入れ、8時頃には整理券が200番越えたよ~という返事。何とか一関ICへ辿り着き、なるべく雪道を走らないように気仙沼経由で45号線を北上。釜石市の箱崎小学校へは午前11時半頃に到着しました。
(つづく )

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     9ヶ月後の現実・・・

さて、先程の続きです。釜石市の箱崎地区。やはり朝6時頃からかなりの人が待っていて下さいました。いくら不可抗力とは言え、遅れてしまったことは間違いありません。時間は11時半、とにかく仕事でも滅多に見せない、というよりも出せない力が出ました。天井までびっしりと積んだ支援物資を20分ほどで卸し、ボランティアで来て戴いた「遠野まごころネット」の皆さんと佐々木さんたちのご協力で何とか正午頃には配布会場の設営が終わりました。取り急ぎ行列の前の方だけでも、と延着のお詫びに回りましたが誰一人文句を言う方はありませんでした。逆によく来てくれた、という言葉を掛けて戴き、内心ホッとしたものです。その後約2時間遅れで後続部隊も到着し・・・これ以上書くと報告書とダブってしまいますので割愛させて戴きますが、これだけは報告書と重なっても皆さんに知っておいて戴きたい現実がありました。物資をお渡ししている時、目の前にいた2人のおばあちゃんが、突然手にしていた物資を落とし、肩をゆすりあっています。次に耳にした言葉がなんと
「あんた、生きとったんやね」。被災から9ヶ月以上経っているのに、です。どうもそれぞれが違う避難所へ移り、それから通信手段(固定電話も携帯もパソコンも)が無いためどちらからも連絡が取れず、避難所からそれぞれ違う仮設住宅に入り、今日までお互いが日々の生活に追われて諦めていたらしいです。偶然この配布会場で再会出来たという場面に遭遇しました。そしてもう一つ。80歳位のご主人さんと2人暮らしをされている老婦人が大きな布団を一つ手にして会場を出て行かれる時にお手伝いをした三重県庁のMさんに「これで二人がゆっくり寝られる」と言われたそうです。このおばあちゃんにとっては6時間近く待たされても、どうしても1枚の掛布団が必要だったんだ、ということをMさんから聞き、なんでもっと早く来てあげられなかったんだろう、とつくづく後悔しました。この日、昼間の気温は3~5℃、風がありましたから体感温度はもっと低かったんです。夕方4時頃には道路の温度表示がマイナス1℃になっていました。あの夜、おばあちゃんはゆっくり休めたかな、とそればかりが今でも気になっています。現地の人によると「今日は暖かい方だ」そうです。
朝夕の厳しい冷え込みはこれから3月まで続くそうです。それなのに未だ寝具すら充足していないという現実。さすがにMさんも役所の中では知り得なかった、とおっしゃいました。その役所が支援物資を断り、「自立」を促しています。おそらくMさんはすぐに県庁や知人を通じてその辺りの改善に動いてくれていると思います。布団が駄目でも毛布ならあちらこちらの自治体が保管しています。
物資が不足しているからこそこれだけたくさんの方が集まって戴くんです。今年もあと僅かですが、被災地の皆さんがせめて暖かく年を越し、新年を迎えて戴くことを願って止みません。まだまだ皆様からの支援は必要です。まだまだ先は長いです。どうか、9ヶ月経った今でもこのような現実があることをより広くお伝え下さい。

釜石/箱崎小学校の配布会場にて

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9ヶ月ぶりの再会
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1 コメント

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Unknown (SUM)
2011-12-22 19:57:00
仮設住宅はあくまでも仮設ですから。それを何とか支える輪のつながりが絆をより太く強くすると思います。
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