[TPP反対 ふるさと危機キャンペーン ハワイ農業 関税ゼロの現実 上] 自給率1割 食料安保 待ったなし (12月29日)
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1959年、米国50番目の州になったハワイ。米国本土などから無関税で“輸入”される安い農産物に、傾斜地が多い島の農業は太刀打ちできず穀物の生産は壊滅した。地域経済を支えたサトウキビの生産も、コストが安い他国に市場を奪われて激減。農地面積は減り、食料自給率は1割ほどに急落した。全品目の関税撤廃を原則とする環太平洋経済連携協定(TPP)交渉への参加に日本政府は前のめりだ。関税ゼロがもたらす現実をハワイの農業に見る。http://www.agrinews.co.jp/uploads/fckeditor/2011/12/29/uid001010_201112291325262d84a134.jpg
ハワイ州で最も広い農地を有するハワイ島。海岸線から標高4000メートルを超える山々までほぼ一貫して傾斜地が続く。トラックで熱帯果樹の枝をかき分けるように進むと、ハワイ熱帯果実生産者協会会長のケン・ラブさん(59)が栽培するブレッドフルーツ(パンの実)が姿を現した。でんぷん質などが豊富で粉末にしてパンを焼くこともできる。ラブさんは「小麦アレルギーがあるから自分を守るために栽培している。消費者も、危機感を持って食料と農業の問題を考えてほしい」と話す。
ラブさんの果樹園は、日本の棚田のように石垣で仕切られ、12種類以上の果樹やタロイモ、雑穀が植えられている。ハワイの野菜・果樹農家の経営面積(プランテーション型農業のパイナップルを除く)は1.2ヘクタールで、ラブさんのような少量多品目生産も多い。
http://www.agrinews.co.jp/uploads/fckeditor/2011/12/29/uid001010_20111229132521a2d8219d.jpg 食料安全保障の確立を目指す州政府のラッセル・コクブン農業部長は「西洋文明が入る前の伝統的な食と農業を見習う必要がある」と指摘する。18世紀に西洋人に発見されるまで、ハワイの人々はタロイモやパンの実を主食にし、食料を自給していた。既に米国の領土になっていた1907年ですら、米を2万トン生産し、パンなどを作るバナナ粉を10万トン輸出するなど食料生産が盛んだった。
米国本土から4000キロの距離があり、地震やハリケーンなどの非常時に支援物資をヘリコプターで運ぶことができないハワイでは、食料安全保障に対する意識が比較的高い。78年の州憲法改正では、農地の保全や農業の多様化、食料自給などを州政府の責務とする文言を盛り込んだ。
・輸入増加 厳しさ増す
だが州憲法の理念は実現せず、消費量ベースの食料自給率は10~15%と低迷している。米国本土の農産物は容赦なくハワイ農業を直撃。安い小麦や米の流入で穀物の生産は壊滅した。一時期は食料自給率に貢献した砂糖も外国産との競争に敗れて衰退し、農地は60年に比べ半減した。
http://www.agrinews.co.jp/uploads/fckeditor/2011/12/29/uid001010_2011122914331608a30fce.jpg
州政府は、食料備蓄の必要性を認めているが、予算の制約などにより公的な備蓄はゼロ。民間の在庫でしのげるのは7日間ほどだ。コクブン農業部長は「現行制度が非常時にどこまで対応できるかは不透明だ。例えばテロによる輸入への影響は長引く可能性がある。根本的に問題を解決するには、食料を州内で作ることだ」と話す。
ハワイの人々に衝撃を与えたのが、2005年のハリケーン・カトリーナだ。被災地は米国本土にあるにもかかわらず、食料が不足して強奪などが起きた。危機感を抱いたハワイ州政府は穀物を増産することの必要性を指摘した。だが、米国の農業予算の大部分はトウモロコシなど米国本土の穀物に注がれ、ハワイの気候風土に適したタロイモなどの増産を直接支払いで支援できない。
主食の本土への依存を減らすめどは立っていない。輸送が断たれ食料が底を突けば住民だけでなく観光客も困難に直面する。ハワイ熱帯果実生産者協会会長のケン・ラブさんは「ホテルなどで地元産を使うなどして農地を保全すべきだ。伝統的な作物とフルーツだけでも人は生きられる」と競争力が比較的高い野菜、果物の増産を訴える。
だが、1994年に発効した北米自由貿易協定(NAFTA)で、メキシコから輸入される安価なアボカドやペッパー類などが、ハワイ農業の鍵を握る野菜、果物の生産にも影を落とす。パイナップルを除く果樹・野菜農家の作付面積は99年の4割以下に減少。米国本土の農産物や通商政策に翻弄(ほんろう)されるハワイ農業の環境は、厳しさを増している。
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1959年、米国50番目の州になったハワイ。米国本土などから無関税で“輸入”される安い農産物に、傾斜地が多い島の農業は太刀打ちできず穀物の生産は壊滅した。地域経済を支えたサトウキビの生産も、コストが安い他国に市場を奪われて激減。農地面積は減り、食料自給率は1割ほどに急落した。全品目の関税撤廃を原則とする環太平洋経済連携協定(TPP)交渉への参加に日本政府は前のめりだ。関税ゼロがもたらす現実をハワイの農業に見る。http://www.agrinews.co.jp/uploads/fckeditor/2011/12/29/uid001010_201112291325262d84a134.jpg
ハワイ州で最も広い農地を有するハワイ島。海岸線から標高4000メートルを超える山々までほぼ一貫して傾斜地が続く。トラックで熱帯果樹の枝をかき分けるように進むと、ハワイ熱帯果実生産者協会会長のケン・ラブさん(59)が栽培するブレッドフルーツ(パンの実)が姿を現した。でんぷん質などが豊富で粉末にしてパンを焼くこともできる。ラブさんは「小麦アレルギーがあるから自分を守るために栽培している。消費者も、危機感を持って食料と農業の問題を考えてほしい」と話す。
ラブさんの果樹園は、日本の棚田のように石垣で仕切られ、12種類以上の果樹やタロイモ、雑穀が植えられている。ハワイの野菜・果樹農家の経営面積(プランテーション型農業のパイナップルを除く)は1.2ヘクタールで、ラブさんのような少量多品目生産も多い。
http://www.agrinews.co.jp/uploads/fckeditor/2011/12/29/uid001010_20111229132521a2d8219d.jpg 食料安全保障の確立を目指す州政府のラッセル・コクブン農業部長は「西洋文明が入る前の伝統的な食と農業を見習う必要がある」と指摘する。18世紀に西洋人に発見されるまで、ハワイの人々はタロイモやパンの実を主食にし、食料を自給していた。既に米国の領土になっていた1907年ですら、米を2万トン生産し、パンなどを作るバナナ粉を10万トン輸出するなど食料生産が盛んだった。
米国本土から4000キロの距離があり、地震やハリケーンなどの非常時に支援物資をヘリコプターで運ぶことができないハワイでは、食料安全保障に対する意識が比較的高い。78年の州憲法改正では、農地の保全や農業の多様化、食料自給などを州政府の責務とする文言を盛り込んだ。
・輸入増加 厳しさ増す
だが州憲法の理念は実現せず、消費量ベースの食料自給率は10~15%と低迷している。米国本土の農産物は容赦なくハワイ農業を直撃。安い小麦や米の流入で穀物の生産は壊滅した。一時期は食料自給率に貢献した砂糖も外国産との競争に敗れて衰退し、農地は60年に比べ半減した。
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州政府は、食料備蓄の必要性を認めているが、予算の制約などにより公的な備蓄はゼロ。民間の在庫でしのげるのは7日間ほどだ。コクブン農業部長は「現行制度が非常時にどこまで対応できるかは不透明だ。例えばテロによる輸入への影響は長引く可能性がある。根本的に問題を解決するには、食料を州内で作ることだ」と話す。
ハワイの人々に衝撃を与えたのが、2005年のハリケーン・カトリーナだ。被災地は米国本土にあるにもかかわらず、食料が不足して強奪などが起きた。危機感を抱いたハワイ州政府は穀物を増産することの必要性を指摘した。だが、米国の農業予算の大部分はトウモロコシなど米国本土の穀物に注がれ、ハワイの気候風土に適したタロイモなどの増産を直接支払いで支援できない。
主食の本土への依存を減らすめどは立っていない。輸送が断たれ食料が底を突けば住民だけでなく観光客も困難に直面する。ハワイ熱帯果実生産者協会会長のケン・ラブさんは「ホテルなどで地元産を使うなどして農地を保全すべきだ。伝統的な作物とフルーツだけでも人は生きられる」と競争力が比較的高い野菜、果物の増産を訴える。
だが、1994年に発効した北米自由貿易協定(NAFTA)で、メキシコから輸入される安価なアボカドやペッパー類などが、ハワイ農業の鍵を握る野菜、果物の生産にも影を落とす。パイナップルを除く果樹・野菜農家の作付面積は99年の4割以下に減少。米国本土の農産物や通商政策に翻弄(ほんろう)されるハワイ農業の環境は、厳しさを増している。
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