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福島の青い空(455)私の田中角栄論(1)

2018-12-22 04:55:14 | 言いたいことは何だ
福島の青い空(455)






私の田中角栄論(1)




世間はバカ首相の一挙手一投足に大騒ぎしてるわけですが


私らノンポリは、もう今の政治には関知しません。


ああだこうだといってる時間がもったいないんです。


人生には限りがあります。


国会議員が責任をとればいいんです。日本はそういう社会


制度です。


国民が国会議員を選びその国会議員が首相を選ぶわけで


す。われわれが選んだわけではありません。選んだ人たち


が責任を負えばいい。自民党が悪いなら自民党を選んだ人


たちの責任です。


自民党を選ばなかった人たちまで責任をとる筋合いはあり


ません。民主主義だからみんなの責任だ、お前も戦争に行


けと言われるのはごめんです。


戦争に行かない民主主義もあるんです。


田中角栄という人はそういう政治家でした。


国の具合が悪くなれば、国によって大きく利益を受けてい


る奴が当然大きくマイナスになるわけで、当たり前のこと


です。


これを因果応報といいます。


関東圏でこの世を謳歌した東京電力とその東京電力に大き


く依存してきた首都圏の人たちが、大きな影響をこうむる


のはものの道理です。世の中そうなっているわけです。


みなさんと全然見方が違うでしょう。


いわばこれから悲惨な目に遭う人と、すでに悲惨な目に


あってしまった人との考え方の相違です。しかしいずれも


時間の問題で、悲惨な目に遭わないと考えることは無理で


す。関東大震災の例があります。安政の大地震の例もあり


ます。関東大震災=1923年震源地相模湾M7.9 . 安政の大地震=185


5年震源地荒川下流、水戸藩藤田東湖圧死。




さてこれから数次にわたって「私の田中角栄論」を始めま


す。


25年前に亡くなった人ですが、2015年元旦にNHK


でとりあげた「戦後70年ニッポンの肖像」戦後を象徴す


る人物世論調査の結果、ダントツのトップだった田中角栄


は私の同時代人である。「今太閤」と呼ばれ、頂点をかけ


上った姿をこの目にしてきた。


ひとは功罪相半ばする人と評価する人もいるが、私はそう


思っていない。


戦前戦後を体現し、良くも悪くも民主主義の象徴と思って


いる。その意味では功の方がはるかに勝っていると思って


いる。ダントツトップというのはその表れ。


私の「田中角栄論」だから他の人とは取り上げ方も違って


くる。





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人から首相は書がうまいなどとおだてられ、揮毫したも


の。書が下品である。




”会越の窓開く


六十里越峠開道記念碑


昭和四十八年九月


内閣総理大臣田中角栄”


と書いてあります。会越とは越後と会津のこと.六十里越


峠とは福島新潟県境のこと。国道252号線。



この碑のことなどどこの誰でも取り上げていない。すなわ


ち「私の田中角栄論」のゆえんである。


新潟県の魚沼市は福島県境に接している。小出町を主邑と


する昔の北魚沼郡である。言わずもがな、田中角栄の金城


湯池で大票田であった。いわゆる越山会である。


金城湯池=鉄壁の金城湯池などといって、ある勢力が強く他の勢力が入り込めないこと。


越山会=田中角栄の後援会。


田中角栄は新潟県のためにだけ政治をやったわけではな


い。日中国交回復は断じて新潟県のためではない。


一夜にして、教師の給料と警官の給料を3割上げたが、あ


れも断じて新潟県のためではない。


日本列島改造論は道路の整備と中核都市の形成である。し


かし中身は新潟県のためだけである。


かつて、角栄は最初の選挙に立候補して落選したが、その


時、三国峠に風穴を開けて、風通しを良くし、その土で佐


渡まで海を埋め立てて道路を作りますと言っていたのであ


る。


田中角栄の日本列島改造論は簡単に言うとそういうことな


んです。上越自動車道と上越新幹線のことだったんです。


越後人の怨念だったんです。それがわかるから越後の人た


ちは角栄を身をよじるようにして愛したわけです。


かって司馬遼太郎さんは「峠」という小説で河井継之助の


言葉を借りて、三国峠のことを述べ、雪国の辛さを物語り


ました。「三国峠を越後に抜けると、鉛色の空が待ってい


る」一夜にして3mも積もる雪はただごとではない。


雪が積もるのに音を立てて積もるのだと、毎月三条市に金


物を仕入れに行っていた、今は亡き同級生が言っていた。


あの当時の人々のほとんどは田中角栄が好きだった。嫌い


な人の方が珍しい。だから戦後を象徴する人物として印象


がトップなんである。


つまらない人物が首相をやってる世の中しか知らない人た


ちは不幸である。人生に厚みも彩りもはなやぎもない。


現代を象徴している。同時代を生きてきてよかったなどと


いう感慨もない。借金1千百兆円と聞いただけでも、うっ


うしくなって、その上米国から武器を何兆円も購入した


り、それを国民の年金から払うなどと聞くと、もうまとも


に相手にする気もなくなってくる。日本の国民てはすごい


ですね。ああいうことをやる首相の党を選ぶんですから、


もう処置なしです。開いた口がふさがりません。


田中角栄は「平和と国民の生活の向上」にまい進した。


改憲などと一言も言わなかった。


「みぞゆう」などと読まなかったし、でんでんなどとは読


まなかった。


小学校卒の学歴だったが大教養人でした。昔の政治家はそ


んな漢字読み方も知らない人はひとりもいなかった。


なんであんな奴ら紛れ込んできたのだろう。山口4区と福


岡8区の悪口です。


今の政治家で「平和と国民の生活向上」などといってる政


治家は寥寥たるもので、まったくとんでもない世の中に


なったものである。

1970年代はそういう時代だったんである。そういう政



治家がいて、国民が大いに期待した時代が懐かしい。


長らく人間をやってきたが、あの時代を共有できて本当に


よかったなという思いです。


この間、小出町(魚沼市)に行った時、上越道を新潟まで


行ってきた。そこから磐越道を通って帰ってきた。


田中角栄の夢と志はかなえられて、新潟の人々は雪国のハ


ンデを乗り越えて、鉛色の空に、今日も耐えている。

かって、田中角栄は「雪は宝だ!」と言った。まことに創


見である。あの当時も今も「雪は宝だ」などといった人は


いない。今にして思えば確かに宝なんである。


利雪技術協会というものがあって、さまざまな雪の利用を


具体的に考えている。冷温技術のことである。倉庫に雪を


ためて、さまざまなことに利用しているのである。


こういうことを田中角栄はすべて見通していた。


こういうことも誰も言っていない。そういうことを物語っ


ていきたい。


創見と具体策はまさに政治そのもので、政治がまことに身


近なものになってくる。田中角栄は本当に日本のリーダー


でした。

















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