言わなければならない事は言わないと前には進まない

生活する中において言わなければならない事や、他の記事で共感したことなどを中心に。今その時の思いを表す。

(その2・前からのつづき)

2012-05-11 04:39:39 | 言いたいことは何だ
◆こんな不法裁判に国税がムダ遣いされていいハズがない

だが、国民はやってられない。控訴審が始まるのは、少なくとも半年から1年先のことだ。最高裁まで行けば、それこそ、数年がかりの裁判になる。いつまでも政治混乱は続き、不毛な裁判のせいで、税金をムダ遣いされ続けることになるのだ。こんなデタラメが許されていいはずがない。

「この国はもはや法治国家とはいえません。今回の控訴で『法の下の平等』『疑わしきは罰せず』の基本理念は完全に無視されてしまった。議会もいまだに、無罪となった小沢氏の証人喚問を求めてわめいている。司法も議会も政府も機能していないどころか、狂ってしまっている。その上で、不法裁判に税金がムダ遣いされ、増税議論まで持ち上がっているのです。日本はもうハチャメチャです。国民にとって、これほどの不幸がありますか」(本澤二郎氏=前出)
この国の将来と国民生活を度外視した今回の控訴決定は、あまりにも罪深く、重いのだ。

◆もうアキレて黙殺する国民世論

指定弁護士が意味のない控訴をしたことに、さすがに国民も呆れ、ウンザリしているはずだ。
野田首相の周辺さえ、「国民には『まだ裁判がつづくのか』との厭世気分も漂っているのではないか」と漏らしている。
実際、小沢一郎が「強制起訴」された時や、1審「無罪」となった時と比べても、国民世論はシラケ切っている。
きのう深夜12時からのNHK「NEWS WEB24」でも視聴者からのツイッターは、「これ以上、つづける意味はない」「小沢問題 長引きすぎてグダグダの気がする」「小沢さんに説明を求める人は、なにを説明して欲しいの」というつぶやきが多かった。国民は「控訴」など少しも望んでいない。

「小沢の疑惑は、検察が組織を挙げても起訴できず、しかも裁判で『無罪』という決着がついた。法廷で白黒ついたのだから、もう十分ではないか、これ以上なにをしたいのか、というのが国民の正直な気持ちでしょう。裁判の過程では事件の真相も次々に明らかになった。本来、国会議員は国会会期中の不逮捕特権が認められているように、身分が守られている。国民の代表だからです。これ以上、国民の一票で選ばれた政治家を、意味のない裁判に縛りつけるのは、政治への弾圧になりかねない。指定弁護士は、歴史に汚名を残しますよ」(山口朝雄氏=前出)

小沢問題はすでに3年以上つづいている。いったい、いつまでつづければ気が済むのか。

         (mokeihikiさんの許可をえて転載してます)

控訴決定に驚いた世論 小沢控訴に法曹専門筋から囂々たる非難の声:模型飛機さんから転載記事です(その1)

2012-05-11 04:37:10 | 言いたいことは何だ
控訴決定に驚いた世論 小沢控訴に法曹専門筋から囂々たる非難の声
(日刊ゲンダイ2012/5/10)

小沢一郎にどんな遺恨があるのか、証拠が捏造され1審無罪の判決に控訴した検察を気取る指定弁護士のうす暗い背景

◆そもそも裁判が成り立つのか

もうウンザリだ。これ以上、不毛な裁判を続けて誰が得をするのか。少なくとも国民にメリットは何もない。未曽有の国難の中、政治の混乱が再び繰り返されるだけだ。

マトモな国民なら誰もが驚き、アキレたのが、きのう(9日)の指定弁護士の“決断″だ。民主党の小沢一郎元代表(69)への1審無罪判決を不服として控訴した。




何度でも言うが、この裁判は不当だ。中世の魔女狩りにも等しい暗黒裁判である。
1審の公判過程では小沢の犯罪を裏付ける証拠はことごとく失われた。検察審査会が「強制起訴」する最大の根拠となった「捜査報告書」も特捜検事が捏造したものだった。指定弁護士が裁判を続ける道理はもはや存在しない。百歩譲って無罪判決を引っくり返すだけの新証拠や証人をつかんだのなら、控訴する意味もあるだろう。しかし、新証拠はゼロ。控訴しても、また「無罪」になるのは目に見えている。

会見で判決を覆す自信を聞かれると、指定弁護士の3人は「100%とは言えない」(村本道夫弁護士=57)、「5割を超える確度」(大室俊三弁護士=62)、「弁護士として恥ずかしくない程度には判決を破棄する可能性はあるだろう」(山本健一弁護士=48)とか言うのである。

この程度の覚悟で、引き続き小沢は刑事被告人として裁判に縛られ、政治活動を制限されてしまったのだ。控訴しても公判維持すら疑わしい。それが司法のプロの見立てである。
「そもそも、この裁判は小沢氏を罪に問える証拠が乏しい。十分な証拠があれば検察が2度も不起訴にしていません。ただ、1審判決では予想以上に指定弁護士の主張が認められた。控訴審で裁判官が代われば、もう少し踏み込んだ評価をしてくれるのではないか。それだけを期待し、指定弁護士は勝負をかけたに過ぎません」(元東京地検検事の落合洋司弁護士)

最高裁は今年2月、1審の無罪判決について「明らかに不合理でなければ尊重すべきだ」と初判断を示した。よほどのことがない限り、控訴すべきではないということだ。それでも指定弁護士は控訴したのだから、常軌を逸している。

◆1審判決に不服だという指定弁護士の私怨ではないのか

たいした自信も新たな証拠もなく、有権者に選ばれた国会議員を長く被告人の立場にとどめてしまう。控訴に踏み切った判断に正当性は見当たらない。指定弁護士は有権者を軽く見すぎだ。

それでも指定弁護士が小沢を暗黒裁判に縛りつけるのはなぜなのか。小沢に特別な遺恨や私怨でもあるのか。元検事の郷原信郎弁護士(関西大特任教授)は言う。
「指定弁護士は会見で『1審判決には看過しがたい事実誤認がある』と言いながら、その『看過しがたい』中身については何ひとつ答えませんでした。極めて無責任な態度だし、小沢氏を選んだ有権者にも納得してもらえるように控訴の説明を尽くすべきです。しかも、小沢氏が問われているのは収支報告書の“期ズレ″のみ。それも実行犯ではありません。小沢氏を長期間にわたって被告人の立場にとどめる不利益と釣り合うような犯罪なのか。あらゆる点を考慮しても控訴は常識では考えられない。指定弁護士は冷静な判断を失っているとしか思えません」

無罪判決後、指定弁護士の事務所には「控訴するな」という電話やファクスが相次いだという。それで「逆に指定弁護士たちが反発を強めて控訴の流れになった」という声が、永田町で飛び交っているほどだ。
いずれにしろ、こんなバカバカしい裁判を続けるなんて、正気の沙汰ではない。

◆司法権力の乱用ではないか

勝算もないのに控訴した指定弁護士には「検察の働きかけがあったのではないか」といった無責任な臆測まで流れている。確かに小沢をハメようとした当時の特捜検事はニンマリだろう。小沢の無罪判決が確定すれば、検察の不名誉が永久に残るからだ。指定弁護士が控訴したことで汚名返上のチャンスが訪れた。

1審の大善文男裁判長は小沢無罪の判決文で「事実に反する内容の捜査報告書の提出はあってはならない」「検察庁は原因の究明を十分、調査すべきだ」と、厳しく検察を批判した。

1審無罪判決が確定していれば、検察は「調査を尽くせ」という裁判所の命令に従わざるを得なかった。しかし、2審に審理が移ったことで、検察が断罪された判決は書き換えられようとしているのだ。検察に成り代わって司法権力の乱用を追認する指定弁護士は一体、誰の手先なのか。

「小沢氏を強制起訴した検察審の判断は妥当だったと言えるのか。その裏で検察はどのように暗躍したのか。控訴審に持ち込まれた以上、小沢弁護団は法廷の場で検察審で行われた“密室謀議″の真相を究明すべきです。控訴審に意義を見いだすとすれば、その1点しかありません」(郷原信郎氏=前出)
いつまでも司法権力の乱用を許してはいけないのだ。

◆小沢一郎は名誉毀損で告訴しないのか
「小沢氏に対する日本国内の強力かつ長期的な“人物破壊″キャンペーンは、世界的に類を見ない」――。オランダ人ジャーナリストのカレル・ヴァン・ウォルフレン氏の言葉である。控訴により、指定弁護士は再び小沢を「人物破壊」の荒波に放り出したのだ。

不当な暗黒裁判を通じて、小沢は引き続き狂ったような人格攻撃・人権侵害の憂き目に遭うのである。もし、並の政治家だったら、とっくにノイローゼになっていただろう。「惜しかったから上級審の判断を仰ごうかな」なんて軽いノリで控訴されては、たまらない。小沢一郎は、指定弁護士を相手取り、名誉毀損や賠償訴訟を提訴してもいいくらいだ。
「検察審の判断に基づいた1審は『職務』という言い逃れも通用しましたが、控訴したのは、あくまで指定弁護士たちの個人の『意思』です。仮に高裁で無罪となれば、小沢氏だって黙っていないでしょう。その時、指定弁護士は自らの“罪″を償えるのか」(司法ジャーナリスト)
指定弁護士たちは、無謀な判断を下したリスクを承知すべきだ。

◆国政がまた混乱する愚行

指定弁護士が控訴したために、また政治が混乱するのは確実だ。
東京地裁が小沢一郎に「無罪判決」を下したことで、やっと日本の政治が「正常化」すると期待されたのにどうしようもない。
北大教授の山口二郎氏(政治学)が、「裁判が党内部に無用な対立を招いている状況も考えれば、厄介な影響を引きずることで政治の混迷が一層増してしまう」とコメントしていたが、その通りだ。
東北の被災者も「小沢さんが政治の舞台に返り咲くのは難しくなるのではないか。政治の混乱が起こらなければいいが」と困惑していた。
「民主党政権が何も決められず、政局が混迷している大きな理由は、党内が『親小沢vs.反小沢』に二分され、最大の実力者である小沢一郎を排除してきたからです。やはり経験不足で未熟な議員ばかりの民主党は、百戦錬磨の小沢の力を借りるしかない。

1審判決が無罪となったことで、ようやく小沢が復権し、オールキャストで課題に取り組めるはずでした。党員資格停止という処分も解除された矢先だった。なのに、指定弁護士が控訴したために、元の木阿弥。せっかく日本の政治を正常な姿に戻すチャンスがやってきたのに、指定弁護士のせいで日本の政治はメチャクチャですよ」(政治評論家・山口朝雄氏)

山口二郎氏(前出)は、「(小沢一郎が)本来の政治活動とはいえない問題で労力を使うデメリットは大きく、日本政治にとっての不幸」とも語っている。1審無罪だった小沢一郎を控訴した動機は、売名なのか、私憤私恨なのか、間違った正義感なのか知らないが、指定弁護士3人は、日本の政治を混乱させる責任をどう取るつもりなのか。

◆大マスコミはまた検察情報をタレ流す

指定弁護士の控訴決定を受けて、案の定、大マスコミは大ハシャギだ。さっそく「陸山会事件、再び法廷へ」「復権戦略へ足かせ」と書き立て、指定弁護士が無罪判決直後に言った「地裁判決、ほぼ有罪」というセリフを大きく見出しにとっていた。
小沢が再び被告人となったことが、うれしくて仕方がない様子だ。

何しろこの3年余り、検察のリーク情報をタレ流し、「小沢=悪」のイメージを国民に植え付けてきた張本人が大マスコミである。シロウトの検察審査会を“洗脳”し、まんまと強制起訴させた。その結果が「無罪」では、赤っ恥だから、今回の控訴に大喜びしているのだ。
「大マスコミは『裁判で白黒つけろ』と“市民感覚”をけしかけ、強制起訴させておきながら、いざ1審で無罪になると判決を尊重せず、『小沢は無罪でも説明責任を果たせ』と難クセをつけてきた。控訴になると、また『裁判でハッキリさせろ』と言う。ムチャクチャです。この調子では、今後も“裏金4億円”など検察のオドロオドロしいストーリーをタレ流すのは目に見えていますよ」(司法ジャーナリスト)

検察も組織防衛のため「小沢有罪」を勝ち取りたい。またぞろ大マスコミを利用しようとするだろう。今までとナーンにも変わらないのである。ジャーナリストの魚住昭氏はこう言った。
「検察が違法不当な証拠によって検察審査会の強制起訴を誘導したのは明らかです。少しでも証拠に違法性があれば、その人は無罪であるべきだし、私は控訴しても無罪の結論は変わらないと思っています。

今は、虚偽の捜査報告書が誰の指示で、どのように作られたのか、その真相を報道するのがメディアの役割ではないでしょうか」
大マスコミはいい加減、頭を冷やすべきだ。

◆指定弁護士側と小沢弁護団のどちらに正義があるか
「がっかりしている」――。小沢弁護団の弘中惇一郎弁護士は、控訴決定について会見でこう感想を漏らした。
「弁護士の感覚からすると、1審であれだけ審理して無罪になった人を、さらに被告として控訴して裁判を続けることには大変な違和感がある。被告の人権からしてもそうだ。指定弁護士だから、弁護士の感覚はあるかと期待していたが、ややがっかりしている」

これが、弁護士として当たり前の考え方だ。でも、指定弁護士3人には期待するだけムダだった。弘中弁護士は、指定弁護士の「(控訴について)政治的な影響は全く考えなかった」という発言にも苦言を呈した。
「被告人の立場や政治的影響をまったく無視したのであれば、それは問題ではないか。当然、生きた社会の中の事件だから、置かれている立場とか社会的影響は十分考慮して控訴するかどうか決めるのが当たり前だ。単純に判決に納得できないからというのなら、いかがかなと思う」
本当だ。今回の控訴が政治にどれだけの影響を与えるか、素人にだって分かる。正義は小沢弁護団の方にある。

◆有罪の判決が出るまで裁判は終わらない

正義もなく、勝ち目もない。それでも指定弁護士は控訴した。その意味するところは、小沢が有罪になるまで徹底的に争うということだ。ここまで騒ぎを大きくしてしまった以上、無罪では引き下がれない。場合によっては、最高裁も視野に入れているはずだ。メンツや意地の問題だけではない。政治評論家の本澤二郎氏がこう言うのだ。
「指定弁護士の控訴決定には、小沢氏が目障りで仕方ない党内の反対勢力やオール霞が関、大マスコミがもろ手を挙げて歓迎しています。さらに、小沢氏が言う“対米自立”を苦々しく思っているアメリカもいる。彼ら旧勢力の目的は、小沢氏を政治的に完全抹殺することです。そのため、控訴審で無罪になったとしても、指定弁護士はすぐに上告するでしょう。それで有罪にできなくてもいい。なぜなら、その間、小沢氏をずっと座敷牢に閉じ込めておくことができるからです。控訴を決めた指定弁護士3人に何があったのか、それは歴史の証明を待つしかありません」
(その2へつづく)