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とりあえず西洋絵画から始めて、現代日本作家まで

黒田 福美

2008-09-15 | Talent

 


黒田福美【talent】

 

 

黒田 福美(くろだ ふくみ、本名 同じ、1956年7月21日 - )は、日本の女優、翻訳家である。所属事務所は、オフィスクロダ[1]。2008年2月末まではアミューズに所属していた


人物[編集]

東京都立豊多摩高等学校、桐朋学園芸術短期大学演劇学科卒業。趣味は三味線、華道、茶道、朝鮮語など。

1977年にTBSのポーラテレビ小説『夫婦ようそろ』でデビュー。『タンポポ』、『毎日が夏休み』、『ガラスの華』などドラマや映画に出演した。リポーターやワイドショーのコメンテーターなどで幅広く活躍。TBS『日立 世界・ふしぎ発見!』の初代ミステリーハンターでもある。親韓派として知られる。

韓国との関わり[編集]

1980年代から親韓派・韓国通として活動し、独学で朝鮮語を学び、事務所の反対を押し切って韓国留学までした。もともとは1983年にバレーボール韓国代表の姜萬守(カン・マンス)の熱烈なファンになったことが[2][3]、朝鮮語を勉強するきっかけと語っている。

1988年のソウルオリンピック、2002 FIFAワールドカップなどでも活動を行い、1988年放送のフジテレビ『ニュースバスターズ』では韓国レポーターを務めた。

韓国の盧泰愚大統領が1990年に来日した時に開かれた、海部俊樹首相主催の晩餐会に招かれたこともある。韓国のテレビドラマや映画にも多く出演し、好意的に受け入れられている。韓国に関する本も多数出版している。

2008年5月10日、慶尚南道泗川市出身の卓庚鉉(タクキョンヒョン)神風特別攻撃隊隊員の慰霊碑建立を、泗川市当局との協力により主導。しかし、碑の除幕式直前から市当局が韓国国内の左右両派団体から抗議運動を受け、除幕式は中止となり、その後慰霊碑は撤去された。慰霊碑建立の経緯について黒田は、「朝鮮人特攻隊員の夢を見たことをきっかけで調べてみたところ、卓庚鉉隊員の存在を知った」と語っている[4]。

2011年5月に、韓国政府から「『韓国の正しい歴史や文化』の情報を日本人に教え伝え続けている」として、修交勲章興仁章(2等級)を授与された。

2013年4月15日、韓国・京畿道から同道の観光広報大使を委嘱された[5]。


発言[編集]
2002年に出演したテレビ朝日のトーク番組『徹子の部屋』で、韓国でレイプ未遂に遭った事を明かした。そのことについて、「その時、私思ったんですね。私達も慰安婦のおばあさんにこういうことをしてたんだなって…今回の事件で神様がそのことに気づかせてくれたのかも知れない」という感想を残した。
2004年に出演した情報番組『ザ!情報ツウ』で韓流ブームについて、「悪い表現かもしれませんけど、原爆みたいって感じですね。原爆ガーンって落ちて、今まで下地を作ってきたんですけど、一挙に開花したという感じで」と発言した。この発言の後、「原爆という言葉を使った不適切な表現がありました。訂正してお詫び申し上げます」とアナウンサーがお詫びの言葉を述べた[6]。
2005年に出演した情報番組『ワイド!スクランブル』で、「日本の運命はこの方(金正日朝鮮民主主義人民共和国国防委員会委員長)の決断にかかっている」と発言。また、竹島のことを、司会者の言い直しを無視し「独島」と言い続けた[7]
パチンコチェーンのオーナーの韓昌祐が代表を務める「韓哲文化財団」の助成金が授与されたことについて、「在日差別への憤りが行動の原点。(日本が)加害者の立場であることをきちんと受け止めたうえで友好の土台を築いていきたい」。助成金は「被差別日系研究所」を設立した辛淑玉と共に授与された[8]。2010年10月に受けた『朝鮮日報』のインタビューで、「今も一部の日本人は、間違った歴史認識を持っていて、とても申し訳なく思います。」と述べた[9]。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BB%92%E7%94%B0%E7%A6%8F%E7%BE%8E

 

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