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カトリーヌ・ドヌーヴ

2008-09-29 | Talent

 

 

 

カトリーヌ・ドヌーヴ Catherine Deneuve

19431022日- はフランス・パリ出身の女優

 

2000年のカンヌ映画祭にて
本名 カトリーヌ・ファビエンヌ・ドルレアック
Catherine Fabienne Dorleac
生年月日 1943年10月22日(68歳)
出生地 パリ
国籍 
職業 女優
配偶者 デビッド・ベイリー (1965-72)
主な作品
映画
『シェルブールの雨傘』(1963年)
『ロシュフォールの恋人たち』(1967年)
『昼顔』(1967年)
『哀しみのトリスターナ』(1970年)
『終電車』(1980年)
『ダンサー・イン・ザ・ダーク』(2000年)
『クリスマス・ストーリー』(2008年)

 

本名はカトリーヌ・ファビエンヌ・ドルレアック(Catherine Fabienne Dorleac)、「ドヌーヴ」は母の旧姓。

両親も俳優、姉は女優のフランソワーズ・ドルレアック。

子供のクリスチャン・ヴァディムとキアラ・マストロヤンニも俳優。

来歴 [編集]10代のころから映画に出始める。ミュージカル映画『シェルブールの雨傘』のヒットで世界的スターの座をつかむ。

1992年の『インドシナ』で米国アカデミー賞主演女優賞にノミネート。1998年の『ヴァンドーム広場』でヴェネツィア国際映画祭 女優賞を受賞。

プライベートでは1961年から交際を始めた映画監督のロジェ・ヴァディムとの間に息子クリスチャン・ヴァディム(1963年生まれ)を儲けたが、その後にヴァデムがジェーン・フォンダの元に走ったため、自暴自棄になり衝動的にイギリスの写真家デビッド・ベイリーと1965年に結婚したが、元々ベイリーに愛情を持っていなかったため、結婚生活を維持できなくなり1972年に離婚した。その後に俳優のマルチェロ・マストロヤンニとの間に、娘キアラ・マストロヤンニを儲けている。ヴァディム、マストロヤンニと正式な婚姻関係になることは諸事情の為いずれもかなわなかった。しかし、マストロヤンニとは晩年までキアラ共々交流があり、1996年のマストロヤンニの臨終の時にもキアラと共に立会った。

フランスの世界的ブランドであるイヴ・サン=ローラン(Yves Saint-Laurent)の顧客としても有名。

2007年2月25日(日本時間26日)、第79回米国アカデミー賞授賞式に出席し、日本の渡辺謙と2人で非英語圏俳優代表として舞台に立ち、賞が設定されて50周年を迎えた外国語映画賞の歴史を紹介した。そして、アカデミー賞から約2週間後の3月14日に、「フランス映画祭2007」の代表団長として10年ぶりに来日した。

2010年2月、3年ぶりに来日。同年10月にも第23回東京国際映画祭のため来日している。



「カトリーヌ・ドヌーヴ」という品種名の薔薇

 

悪徳の栄え (1963)

十八世紀フランスの作家マルキ・ド・サドの 『 ジュスティーヌまたは美徳の不幸 』 及び 『 ジュリエット物語または悪徳の栄え 』 の原作を、「 戦士の休息 」 のロジェ・ヴァディムとロジェ・ヴァイヤンが脚色し、ヴァディムが監督したもの。撮影は「危険な関係」のマルセル・グリニョン、音楽はミシェル・マーニュ。出演者は「フランス女性と恋愛」(離婚篇)のアニー・ジラルド、「 パリジェンヌ 」 第四話のカトリーヌ・ドヌーヴ、「 戦士の休息 」 のロベール・オッセン、O・E・ハッセ、フィリップ・ルメールなど。製作はアラン・ポワレ。黒白・ディアリスコープ。


あらすじ - 悪徳の栄え(1963)
第二次大戦中、ドイツ軍占領下のパリ。ここに正反対の性格を持つ二人の姉妹がいた。姉のジュリエット(アニー・ジラルド)は逞ましく現実的だった。彼女はドイツ占領軍司令官フォン・バンベルグ将軍の情婦だった。これに反し妹のジュスティーヌ(C・ドヌーヴ)は純情可憐な娘だった。フォン・バンベルグはナチの指導者の戦略を批判したので、ナチス親衛隊の将校シェーンドルフ(ロベール・オッセン)に毒殺された。ジュリエットはシェーンドルフの残忍な魅力の虜となってしまった。彼女とシェーンドルフの異常で激しい交情がはじまった。そして二人はドイツへ向った。彼らより一足先にジュスティーヌもドイツにいた。ある日ドイツ兵に捕えられ、この騎士館という建物へつれてこられたのだった。ここの女達は、この家の客、ナチス・ドイツのお歴々の慰み物になるのだった。だが、ジュスティーヌは幸いずっと難をのがれていた。シェーンドルフとジュリエットがベルリンに着いた頃は、ドイツももう最後の時が来ていた。彼らはベルリンを見捨て、まず騎士館へ、それからチロルの別荘にのがれようとしていた。館では奇怪な裁判が行われていた。ジュリエットは被告達の中にジュスティーヌの姿を見つけた。すきをみてジュリエットは一緒に逃げようと説いたが、ジュスティーヌはこれを頑としてはねつけ、嫌悪と憐みの眼で姉をみつめるばかりだった。シェーンドルフはソ連軍のベルリン占領と総統の自殺の電報を受け取った。とうとうアメリカ軍が突入してきた。こんな中でシェーンドルフはジュリエットに毒入りのシャンパンををのませた。アメリカ兵が侵入し逃げようとしたシェーンドルフは射殺された。ジュリエットは二階の欄干からこれをみていた。彼女の眼はぼうっとかすんできた。フォン・バンベルグの毒殺の時のことを思い出しながら、薬のきいてきた彼女は階下に崩れ落ち、最も愛し最も憎んでいた男シェーンドルフのそばにしかばねを横たえた。一方、ジュスティーヌは無事救出され、はれて自由の身となった。
http://movie.goo.ne.jp/movies/p13257/story.html

 

2012 03 29  悪徳は いつまでも 栄えない 【わが郷】

 

 

  

  

 

 

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