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トム・クルーズ

2008-07-10 | Talent

 

 

トム・クルーズ

(英: Tom Cruise, 本名: トーマス・クルーズ・メイポーザー4世(Thomas Cruise Mapother IV)、196273日 - )
アメリカ合衆国ニューヨーク州シラキュース出身の俳優・映画プロデューサー。左利き。身長168cm

 

 

生い立ち

曾祖父のトーマス・クルーズ・メイポーザーはウェールズからの移民である[1][2][3]。その他アイルランド・イングランド・ドイツなどの血を引く両親の間に、ニューヨーク州シラキュース市で生まれた。[4]。12歳のときに両親が離婚したため、経済的に苦しい生活を送った。学生時代はスポーツ(主にレスリング)に熱中するが挫折し、その後演劇に関心を持つようになった。

 

青春映画の端役を演じた後、『卒業白書』 の瑞々しい演技で注目され、1986年 『トップガン』 の世界的大ヒットでトップスターの仲間入りを果たした。以降、次々ヒット作に出演し、アクション大作からヒューマンドラマ、社会派作品から作家性の強いアート系作品と、出演作は幅広い。

 

『7月4日に生まれて』(1989年)と、『ザ・エージェント』(1996年)でアカデミー賞主演男優賞に、『マグノリア』 (1999) では助演男優賞にノミネートされ、名実ともに一流俳優として、不動の地位を手に入れた。1992年、長年のビジネスパートナー、ポーラ・ワグナーとともにパラマウント映画内に「クルーズ/ワグナー・プロダクションズ」を設立し、1996年の映画『ミッション:インポッシブル』で初めて映画プロデューサー業にも進出。

2004年に映画のプロモーションのため来日し、西武ドームで行われた日本シリーズ・西武ライオンズ対中日ドラゴンズ戦の始球式を務めた。またアテネオリンピックの聖火ランナーを務めた。

2006年8月、婚約者をめぐる様々なメディアの報道に対して、パラマウント映画は一方的に14年間に及ぶ契約を打ち切る発表をした[5]。同月トム・クルーズの持つ映画製作会社「クルーズ・ワグナー・プロダクションズ」(『ミッション:インポッシブル』シリーズ』の権利を持っている)に、NFLのワシントン・レッドスキンズのオーナーであるダニエル・スナイダーら投資グループが資金を拠出することになった。同年11月、ユナイテッド・アーティスツを再興する形でトム・クルーズとポーラ・ワグナーが映画制作を行う事をメトロ・ゴールドウィン・メイヤーが発表した[6]。またこれは、トム・クルーズのように、漠然と出演費が増え続ける俳優に対するハリウッドの転換期とも言われている。

その後、パラマウント映画を傘下にもつバイアコムの会長サムナー・レッドストーンは雑誌『ピープル』誌を通し「彼は素晴らしい友人だった。また友人に戻れることを望んでいる」と語った。また「私は彼を解雇になどしていない。メディアが大げさに書きたてたんだ」などと『ウォール・ストリート・ジャーナル』誌に語ったが、トム・クルーズ本人は、その後も沈黙を貫き通していた。

 

私生活

メリッサ・ギルバート、レベッカ・デモーネイなどとの交際を経て1987年にミミ・ロジャースと結婚するが、1990年に離婚。同年12月に ニコール・キッドマン と再婚。キッドマンとは、おしどり夫婦として有名だったが、2001年に離婚。離婚成立前からペネロペ・クルスとの恋愛が公になり、結婚目前と言われたが2004年に破局している。

   ニコール・メアリー・キッドマン

 

2006年11月25日、『バットマン ビギンズ』などに出演した女優ケイティ・ホームズとイタリアで挙式。2006年4月18日、婚約者ホームズがロサンゼルスで女児(スリ・クルーズ)を出産[8]。前妻キッドマンとの間には養子が2人(イザベラ、コナー)存在するが、実子を持つのは初めてである。

幼い頃から学習障害(LD、具体的には、失読症(Dyslexia:ディスレクシア)つまり書かれた文字を読む上での障害)を持ち、自身、障害者にかかわる映画(『レインマン』)や、この障害の理解を推奨するための映画(『デイズ・オブ・サンダー』)も製作主演している。また、新興宗教であるサイエントロジーの活動(勉強の技術の実践)によりこの学習障害を克服したと語っている。この経験から学習障害児への支援活動にも取り組んでいる。2003年8月には、『ラストサムライ』の宣伝のために来日した際、首相官邸の小泉純一郎首相を表敬訪問、日本の若者たちにと『学び方がわかる本』(ニュー・エラ・パブリケーションズ・ジャパン(株)発行、ISBN 4931223222)を首相に手渡した。2009年1月トムは、スペインの雑誌『XLセマナル』の中で、「誰も解決策をくれなかったけれど、大人になって、サイエントロジーの教育本を読んだことで完ぺきに読解ができるようになった」と語った。

また、トムは注意欠陥・多動性障害(ADHD)の治療薬のリタリンの使用に米国社会が依存していることを厳しく非難している。トム自身も1970年に投薬治療を勧められたが、母親がこれを断った。トムはこれを飲んでいたら今の自分はないだろうと語っている(1970年当時はまだ正式にADHDという概念はなかった)。

ニューヨーク・ヤンキースファンである。ちなみにトムが父親役を演じた『宇宙戦争』では、親はヤンキースのファン、息子はライバルチームのボストン・レッドソックスのファンという設定だった。

2012年6月、ケイティ・ホームズとの離婚申請を発表、7月に和解に達し、正式にケイティ・ホームズと離婚した


金銭[編集]

2007年5月、トム・クルーズとケイティ・ホームズ夫妻が、ビバリーヒルズにあるデビット・ベッカム夫妻の豪邸の近くに約43億円の家を購入した。購入した邸宅は7部屋の寝室と9つのバスルーム、プールとテニス・コートがついている[9]。

2009年10月、BANG Media Internationalによると、愛娘スーリちゃんの洋服代としてすでに200万ポンド(日本円で約2億8,600万円)を使ったという。トムとケイティの2人はスーリちゃんが常に最高にかわいく見えるようにしたいと思っており、これまでにジョルジオ・アルマーニ、ドナテラ・ベルサーチ、ロベルト・キャバリ、バーバリーなどの洋服を着ているところを目撃されている。関係者は「ケイティとトムはスーリちゃんのためにお金を派手に使っている。二人とも超有名だからトップファッション・デザイナーたちがスーリちゃんのためだけに服を作ったりするんだ」と語っている[10]。

2011年8月、米経済誌『フォーブス』が2010年の5月から2011年5月1日までに「最も稼いだ俳優」のランキングを発表し、2200万ドルを稼いで9位にランクインし[11]、2012年7月には2011年5月から2012年5月までの同ランキングで7500万ドルを記録し、圧倒的数値で1位に立った[12]。

エピソード[編集]

親日家としても知られており他の俳優に比べても、特に来日回数が多いため、日本では10月6日が「トムの日」と制定されている[13]。

自動車・バイク好き[編集]

派手なアクションのある映画でも原則としてスタントマンを使わず、自らスタントを行うことにこだわりを持っている。そのため車やバイクの運転技術はセミプロ級の腕前に達している。

2010年にBBCの自動車番組『トップ・ギア』にゲスト出演し、有名人が車の運転でタイムを競う人気企画「Star in a Reasonably Priced Car(有名人レース)」で番組通算のトップタイム、1分44秒2(第15シーズン終了時点)を記録した[14]。このチャレンジの最中、路肩を可能な限りショートカットしようとした結果、計らずも片輪走行をすることになった。

2011年8月15日にはレッドブル・レーシングの招きに応じ、カリフォルニア州のウィロースプリングス・レースウェイにおいて本物のF1マシンをドライブした。デビッド・クルサードのコーチ付きとはいえ、素人ならただドライブするだけでも困難なF1マシンに乗り、最終的には最高速でクルサードの4マイル落ちとなる181mph(約290km/h)を記録した[15]。

『オプラ・ウィンフリー・ショー』事件[編集]

トム・クルーズはケイティ・ホームズに対する感情をメディアを通じて何回か表現してきたが、もっとも顕著なのは人気のある『オプラ・ウィンフリー・ショー』で2005年5月23日に起こった「ソファー事件」である。彼はテレビのセットを飛び回り、ソファーに飛び乗り、ひざまづいては新しい恋人に愛の告白をした[16]。"jumping the shark"というイディオムを捩った"jumping the couch"(ソファーをジャンプする)というフレーズは「誰かが公の場で自分の名声を傷つけるのに十分に極端な形で見境を失う」という意味で使用された。これは短い間人気を博し、『アメリカ・スラング歴史辞典』に2005年のスラング・オブ・ザ・イヤーに選ばれたほか[17]、非営利団体のグローバル・ランゲージ・モニターにトップ・フレーズのひとつに選ばれた[18]。

「ソファー事件」は2005年のE!(アメリカ合衆国のエンターテイメント専門のテレビ局)において、最も驚かされる場面のナンバー1に選ばれ[19]、『最終絶叫計画4』のエピローグを含む無数のパロディの対象となった。

 

 

サイエントロジー

トム・クルーズはサイエントロジー教会の熱心な支持者である。 1番目の妻、ミミ・ロジャースを通じて1990年にサイエントロジーに関わるようになった。トム・クルーズは公に、サイエントロジー、特にL・ロン・ハバードの勉強の技術が彼がディスレクシアを克服する手助けとなったと発言してきた。人々をサイエントロジーへ導くさまざまなプログラムを支援することに加え、サイエントロジーが完全に宗教として認知されるための活動をしてきた。サイエントロジーはフランスではカルトと、ドイツではビジネスとして認識されているのだが、トム・クルーズは各国の政治家たちに対してロビー活動を行った。2005年にパリ市議会はトム・クルーズがニコラ・サルコジとジャン=クロード・ゴーダンら当局者に働きかけたことを明らかにし、彼をサイエントロジーのスポークスマンであり闘士だと描写し、トムと関わることを禁止した。トム・クルーズはL・ロン・ハバードの著作に基づくデトックスセラピーをアメリカ同時多発テロの救助隊に提供するため、「ダウンタウン・メディカル」という名の施設に出資し、寄付金を募った。このことは医療の専門家のみならず消防士たちからも非難を受けた。このような活動やその他の運動を称えて、2004年の暮れ、デイヴィッド・ミスキャヴィッジはサイエントロジーの勇敢の自由勲章を与えた。

 

ラスト サムライ 2003ラスト サムライ

トム・クルーズが、女優のブルック・シールズが抗うつ薬のパキシルを、2003年初めての娘を生んだ後の産後うつから立ち直るために服用したことを、公に批判したときに論争が沸き起こった。トム・クルーズは「脳内化学物質の不均衡などは存在しない」と主張し、「精神医学は似非科学の一種だ」と断言した。このことにより『トゥデイ』の2005年6月24日放送分でマット・ラウアと激しい議論をすることとなった[26]。医学の専門家たちは「トム・クルーズのコメントは精神障害患者に汚名を着せている」と発言し[27][28]、ブルック・シールズは「トム・クルーズのコメントの数々は母親たちにとって大変な迷惑である」と述べた[29]。しかし、メディアに追求されたアメリカ精神医学会のスティーブン・シャーフスタイン会長が、2005年7月11日の『People』誌で、「脳内化学物質の不均衡」の証明について、「明確な検査法は存在しません(We do not have a clean-cut lab test.)」と認める事態になった[30]。2006年8月末にトム・クルーズは自らブルック・シールズに謝罪し、彼女もこれを受け入れた[31]。トム・クルーズのスポークスマンは彼と彼女は関係を修復したものの、トム・クルーズの抗うつ薬に対する立場は変わっていないことを確かにした[31]。ブルック・シールズはトム・クルーズとケイティ・ホームズの結婚式のゲストとなった。

トム・クルーズは『エンターテインメント・ウィークリー』誌上でインタビューを受け、精神医学を「ナチズムの科学だ」と発言し、「メタドンの本来の名前はアドルフ・ヒトラーにちなんでアドルフィンと呼ばれていた」という有名な都市伝説を引用した[32]。『デア・シュピーゲル』誌上で彼は「サイエントロジーにはナルコノンと言う唯一成功している薬物リハビリプログラムがあり、それは世界中で統計学上ただ一つ成功しているものだ」と発言した。ナルコノンは、その成功率は70パーセントを超えると主張しているが[33][34]、その数字の正確性は広く議論されている[35]。

サイエントロジーは主流の精神医学に反対していることでよく知られている

2008年1月に『デイリー・メール』はアンドリュー・モートンによる伝記『トム・クルーズ: 非公式伝記』が発行されることを明らかにして、その本によるとトム・クルーズは名義上、教会の2番目の指揮官に就いたという。この本は元教会のスタッフメンバーのマーク・ヘッドリィーとともに書かれてきたものである[36]。 トム・クルーズの弁護士バート・フィールズは「その本は嘘まみれだ」と発言した[37]。

トム・クルーズはパリの名誉市民の候補にあがったことがあったが、サイエントロジーを悪質なカルトと見ているフランスの事情もあり、結局はパリの市議会は彼をサイエントロジー信者であるという理由で名誉市民にしなかった。 また。米国のアニメ『サウス・パーク』で、サイエントロジー信者としての自身がパロディにされてしまった事に激怒し、再放送、他国での放送をやめるように執拗に制作会社に働きかけたことが知られている。アニメの制作会社の親会社が『ミッション:インポッシブル』シリーズの制作会社であった為に、「もしも再放送したら、『M:I:III』のプロモーション活動には一切協力しない」と言った事が有名。

また、『ワルキューレ』製作の際、ドイツでは反ナチ運動の英雄として称えら敬虔なカトリック信者として知られているクラウス・フォン・シュタウフェンベルクを、サイエントロジーの信者であり広告塔と見られているトム・クルーズが演じることに対する強い反発が起こり(ドイツでもサイエントロジーは悪質なカルトと見なされている)、シュタウフェンベルクの息子ベルトルトも「クルーズ氏が演じると聞いた時には宣伝のための冗談と思っていた。彼が演じたら台無しになる。父とは関わらないでほしい。」と批判した[38]。 一時は、ドイツ国防省が事件の舞台であるシュタウフェンベルク街等の国防軍関連施設での撮影を許可しなかった[39](2ヶ月後、『制作者側が「ナチス(Nazi)支配から解放され、完全なる民主主義国家となった統一ドイツの姿」を作品内に盛り込むことに同意した』として、撮影を許可している)[40]。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%A0%E3%83%BB%E3%82%AF%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%82%BA

 

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