わたしの里 美術館

とりあえず西洋絵画から始めて、現代日本作家まで

ビニール本

2011-06-17 | 雑誌など

Search of the magazine

 

ビニール本【雑誌など】 ビニール本 Search of the magazine

 

 

 

 

知人の古本屋が言っていた。

 一番売れて儲かるのは、なんといってもエロ本なんですよ。

 

 

四十代なかばで会社を経営するようになって、社長の孤独を強く感じるようになっていた。そんなとき気分転換に馴染みの古本屋にゆく。そうすると何時も主人がぼやくのが、近くに開店した今風の古書店のこと。そもそもが別の用途で借りたはずなのに、いつのまにか古本屋になっていた。まるで、その家作が彼のモノのように言う。もちろん彼はその新規開店した古書ショップの大家とは血のつながりも、ナンにもない。彼はこの町で生まれて、この町で育った。それでこのあたり一帯は、自分の縄張りだとでも思っているのだろうか。

彼の店でエロ本を買ったことはない。なので、彼の店のその手の本が、ビニールをかけてあったのかどうかの、記憶はない。

ただこの稿を書こうと思ったきっかけは、やっぱり営業のこと。この手の話題を長々と書けば、新たなお客、つまり新規の閲覧者がゲットできるのではないか。つまり、邪な考えから、是を書いている。

そもそもビニール本と云うのが流行ったのは、1980年代のこと神田の古本屋街のある通りあたりで、けっこう過激なビニール本が売っていた。ナント、女性の性器が丸見え。襞ひだだとか、陰毛の一本いっぽんまでもが、ごく鮮明に写っている。ただし、彼女らモデルさんは、薄い紗のヴェールを、申し訳程度に纏っていた。その限りなく透明な、きれをとおして、若い衆らがみたいものがばっちり。そしてそれが、透明なビニールにくるんで、店中に並んでいた。つまり、この時は、日本でも、ついに猥褻の図画販売は、すべて解禁かとも思われた。それが中曽根康弘政権の時に、無粋なお達しが出て、モデルさんの秘部を隠す布きれは、かぎりなく普通の布に近くなって、透明度はかぎりなく無くなってしまった。

別にビニ本のコレクターではないので、いつから何時までが、限りなく透明な時期だったのかは、つまびらかではない。

 

薬師丸ひろ子にそっくりな、この娘の本は何処にでもあった。

いまでもネットを渉猟すれば、ゴロゴロとヒットする。

 

 

 

 

 

Nylon Nylon

さて猥雑なお話の続きは、
上のご婦人の画像をクリックするか、
Nylon の文字部分をクリックして下さい。

 

 

わたしの里 美術館 蛙の庵
美術館の索引  わが郷 HOME 

 

 

 

 

 

 

 


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。