二本足の學者を目指して

賢を見ては齊しからん事を思ふ

【別物ですが】

2022-09-19 18:41:15 | この世を概觀する
【別物ですが】

まづ前提として、ドラマはドラマですし、映畫は映畫ですし、それは小説にも漫畫にも云へる事です。たゞ、私としては、國家權力だの政治家だの、さう云ふ存在や人物が、我國に於て、絶大な力を有してゐると云ふ話(作品)には飽きてゐます。それは現實の日本國に於て、國家や政治家が餘りにも非力である爲、フィクションに於て、それらが巨惡だと云はれても、全く説得力を伴はない爲です。政治家が權力を有してゐれば、既に憲法は改正されてゐるでせうし、さうであれば、日本國も眞面な國家として存在してゐるでせう。眞面な國家とは如何なる存在かと云へば、國防と經濟とで獨立したうへで、價値觀が近い國々と大人の關係を構築してゐる事(同盟關係)を指します。敗戰後から今日にかけて、日本國に於ける權力とは、マスコミであり、輿論を作る事で、マスコミは、日本國を紛ひの國家の儘にとゞめてゐます。現實社會で、マスコミは權力を揮ひ乍らも、一方、フィクションでは政治家や國家を惡者として描いて、大衆を洗腦してゐます。そのマスコミが、最近、敵視してゐるのはSNSのやうです。NHKや民放各社が云ふには、何か大災害が起つた際には、大衆はSNSで情報を擴散しては行けないさうです。間違ひのもとだから、と。こゝには、自分達は間違はない、と云ふマスコミにたづさはる者達の傲慢さが看取出來ます。もう、政府にせよ、企業にせよ、マスコミは通さず、みづからの情報は、みづからのサイトやSNSで公表すればいゝのに、と私は思ひます。と云ひますか、多くの人達が、さう思つてゐるでせう。長らく第一の權力の坐にくらゐして來たマスコミですが、そろ/\凋落してもいゝのでは。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 【「ちむどんどん」の今後】 | トップ | 【歌子が歌ふ「濱千鳥」と云... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。