新型コロナウイルスの感染者拡大が、ここ宮城県、仙台市で歯止が掛からない状況に成っている。宮城県独自の緊急事態宣言も5月5日まで延長される事と成った。変異種も確認され、既に変異種による感染拡大が発生している事は、疑いの余地も無いであろう。
ただ、これらの報道に対する仙台市民の反応が気に成る。仙台市長を擁護し、宮城県知事に対する責任追及を迫る反応が多過ぎると思うのだ。
実際私は、仙台市長より宮城県知事の方が、仕事をしてると思うがな。検査数だけでも、人口に対する実施率を調べて見ろ、と言いたい。仙台市内の実施率より、仙台市を除く宮城県の方が、検査実施率は高いのだ。
対応が後手に廻っていると批判する気持ちは解るが、ワクチンに於いても変異株に対応する新開発は、変異株が発見されてからまた更に時間が掛かる。変異株を予想してワクチンを開発する事は、まず、不可能なのだから。インフルエンザと違って、人類はまだまだ新型コロナウイルスと言うものを知らないのだ。経験が無いのだ。今現在のワクチンであっても、副作用がかなり発生している事も明らかに成っている。
宮城県知事も対応にミスが有った事は確かであるとは思う。外国渡航客の対応、Go Toキャンペーンの対応も緩過ぎた感が有るのは否めない。
しかし、経済を回さねば、その方面に携わる人々には死活問題であり、生活保護を、助成金を、等と言っても、その対応費用は莫大であり、国や政府、県や市の地方自治体であっても財源に限りが有るのである。新たにその財源をどの様に確保するのか。それを何とかしろ、と行政に押し付けるだけで、何の解決に成るのか。その為にも、今回自粛を呼び掛けなければ成らない業種の関連業種(観光、飲食はもとより、そこで消費される商品製品の製造、物流運送、金融、設備メンテナンス等)全てが壊滅的に減少する事を食い止める方策も、一方では必要なのであると、気付かないのか。
「関連」の意味で例えば、物流運送が減れば、製油、燃料供給、電力、鉄道、またそれに関わる物流運送も減る。本当に測り知れない程の大きなマイナス影響が発生するのだ。それらに携わる人々に対して経済的死に追い遣る事を「是」とするのが「仙台市民」の望みなのか。
それらを見殺しにしてでも経済をストップさせる事が、本当の意味での「市民」の為に成るものなのかどうなのか疑問に思わない、自分の目先しか見られない短絡的判断をする「仙台市民」の何と多い事よ。行政も悩んでいるのである。経済的死者の発生を最小限に抑える為に。
マスメディアを含めて問いたいが、今、必要なのは政治的批判、政治的対立なのか。違うだろう。「With コロナ」ではないのか。如何にコロナと共存して行くか、であろう。我々は新型コロナウイルスと共に生活して行かねばならないこの世界の変容を、受け入れなければ成らないのだ。変化変容を受容すべきだ。「単なる批判」では無く、前向きな意見を出すべきだろう。
そもそも人間は、変化変容に大きな不安や恐れの念を抱いてしまう性質を持っているとは思う。それには精神的、物質的、金銭的等色々な意味で新たに多大なエネルギーを消費しなければ成らないからである。よってその不安や恐れから「批判」したく成る気持ちは、解らない訳では無い。だが先ずは、現状を受け入れる必要があろう。現状を受け入れてからで無いと、前向きな意見は出て来ないものだ。
仙台市は歴史的に革新派の街である。幕末の薩長に対する根深い対抗心がその根底に有るのであろう事はお察しするが、「仙台市民」の多くに感じられるこの状況を「野党仙台市長」と「与党宮城県知事」と言う、或る意味で偏った見方に持ち込んで、一方的に批判し、自らの短絡的思考を省みない「わがまま」な「独り善がり」を他人に対して同調を求める様は、本当に嘆かわしく、救い様が無い気がして成らない。
「与党の指示にはもう従えません。」と明言する「仙台市民」よ、指示を無視して勝手に動けば良い。カオスな世界で、或る意味、楽しかろう。それが「仙台市民」の望みなのであれば。
私は、あまりこのブログでは政治的発言、また私の仕事業務に関する発言は、敢えてしない様にしているが、今日は書かせてもらった。この記事に対する反論が山の様にコメントされるであろう事は想像に難くない。だが、この記事に関して、また、今後の私が記載する記事に関して、今回のこの記事を発端とした私を批判するコメントに関しては、無反応とするつもりである旨、事前に記させて戴きたい。