過去4回に亘る東北大学病院への入院に関しては、それぞれ僕のこのブログに写真入りで記事を掲載しておりました。
①東北大学病院に入院しておりました。(「自己免疫性膵炎」って何だ?)
(2017年6月11日記事https://blog.goo.ne.jp/wasabidaikon/e/0420e13b6c944d4a6c8159cddd5dc0adご参照。)
②退院しました。(ステロイド使用開始は先送り=今回の入院期間は大幅短縮)
(2018年3月4日記事https://blog.goo.ne.jp/wasabidaikon/e/6f7e282edb7b43cc870b8a9ec30d3031ご参照。)
③退院して社会復帰しておりますよ。(2018年 東北大学病院 消化器内科 自己免疫性膵炎)
(2018年8月29日記事https://blog.goo.ne.jp/wasabidaikon/e/2962065ddf51b6549cf7461da1a791d9ご参照。)
④夏休みの入院生活。
(2019年8月30日記事https://blog.goo.ne.jp/wasabidaikon/e/7386b643d599d78fd60c0ee12b3eede4ご参照。)
それぞれの記事は、僕自身が入室した病床病棟を中心に、患者や来院者の多くが目にする施設状況を写真入りで掲載した訳ですが、今回、写真入りでご紹介致しますのは、院内の少々古い施設の「極々、ほんの一部」ですが、ご紹介です。(僕自身が建設会社に勤務しているので、「建物」に多少興味が有る為でもありますが。)
なお、敷地南側の正面入口西側に有る旧正門の門柱は、完全なモニュメント、記念碑で、良く目にする部分でもありますので、今回のご紹介からは割愛致します。
下の写真は、或る土曜日の北側通用口です。正面玄関は南側ですので、完全な裏側です。平日のみ通行可能で、土曜日を含めて休日は閉鎖されていますので、閉鎖時の状況です。
先ずは外観。
閉鎖されているので、敷地をぐる~っと廻って、南側正面玄関から入って、内部に移動しましょう。
下の写真のこの先が、先程の北側通用口です。
下の写真は、もう少し出入口方向(北側)に向かって進んだ所です。アーチ型のデザインが、年代を感じさせますね。昭和20年代後半から30年代前半でしょうか。なお、インターネットで検索すると見る事が出来ますが、戦前戦中から戦後間も無くの頃の「東北帝國大學醫學部附属醫院中央廊下」の画像(特に注目したいのは、絵葉書に成っている戦前の「独逸語表記」入り画像ですね。まさに戰前の写真ですが、とても良い写真です。素晴らしいですよ。建物の造りがとても丁寧で、かなり建設費も掛った事でしょう。特に寄木細工の床と腰壁は注目すべき点だと思います。)から比較しますと、梁の位置形状、床、腰壁等の違いから、このアーチ部分も、流石に戦前建物では無い様です。
では、アーチを潜ってもう少し進み、出入口にて方向転換。出入口を背に、院内に向かって戻ってみましょう。
下の写真では判り辛いのですが少々勾配の強いスロープに成っています。写真の方向、院内に向かっては下り勾配ですが、逆に院内から外部に向かう場合、車椅子の患者さんにとっては少々面倒な角度かな、と思います。(因みに、ガラスには背後の出入り口からの光が差し込んで反射しておりますが、下の写真は方向転換後、院内に向かっての写真です。)
経年劣化は当然ですが、それにしても、そもそもの全体の下地、左官仕上げが。ね。戦前建物の素晴らしさから見ると、戦後それ程経過していない時期の建物は、特に当時の国立施設ですので、雇用創出、景気回復の意味も有った事でしょうし、長い経験を積んだ本職の「職人」の「兵役(戦死された方々も、復員帰還前の方々もいらっしゃった事でしょう。)」による人材不足により、本当の「職人」の手による建設では無かった事が推測出来ますので、建物としてはこんなものなのでしょうね。
しかしそれこそ、建設当時の「時代背景」に思いを馳せる事が出来る、良い「歴史的保存」なのである、と思います。
では、出入口を背に、もう少し院内に戻ってみましょう。先程のアーチ部ですね。
更に院内に向かって進んでみました。下の写真の「面会時間の表示」の雰囲気から、あぁ、「病院だな」と言うイメージがしますね。表示されている病院名も、旧名称のままです。
そして院内敷地の別建物。これは昭和30年代後半から40年代前半の建物でしょう。現在は一般の出入りは禁止された施設です。
以前、入院した際の或る看護師さんからの話しでは、一般病棟の大部屋が6人制であった頃(とは言え、僕が約20年前、東京のお茶の水に有る或る大学病院に「二郎(当然当て字。同音意義。)」で入院した際は、普通に6人部屋でした。)の旧入院病棟群の内の一棟だそうです。下の写真は、敷地東側の救急車専用入口付近からの撮影で、奥に見える建物がその古い施設です。
そして下の写真は、当該建物を敷地北側道路から。この記事の最初の写真、北側通用口外観の少し東側に成ります。
さて最後に、下の写真は2018年6月の入院時、夏至の翌日(2018年の夏至当日の朝は雲が多く、撮影不適でしたので、夏至翌日です。)に撮影した、当時の西病棟8階北側廊下西端部から西方向の風景です。
この写真は、日の出に伴う、陽光に映える風景を撮影したつもりでしたが、あまりにもアングルがつまらなかった為、当時のブログ記事に掲載しなかった写真です。ですが、この朝陽に照らされた写真右側の東北大学医学部施設建物の外壁に、スポットライトが当たっている様で、今回記事に掲載です。
朝の「オレンジ色の陽光」に照らされているので、それ程には感じられないかも知れませんが、鉄製部分(正面に見える壁面開口部の「ガラリ」と、屋上目隠し壁の「支柱」等)の錆が、物凄く目立ちます。(昼間の写真は撮影しませんでしたが、昼間の方が、錆が目立って感じました。)こうなると、錆落としの研磨、防錆下地塗装(赤塗装でご想像が付きますでしょうか)、化粧上塗り塗装の他、鉄製部分と建物コンクリートとの境界部のシーリングの劣化も対応の必要性が有ります。当然、錆が垂れた外壁の再塗装も。いや、或いは鉄製部分の耐久性そのものが失われ、鉄製部分の総交換も有り得ますね。建物外部に足場を下から組み上げての作業、揚重作業も有りますから、修繕費は、かなりの額に上るものと予想されます。
今回、写真掲載の東北大学医学部の古い施設は、本当に極々一部です。その他にも多くの古い施設が存在します。要するに、一般人が利用し、目にする「病院」は(北側通用口を「歴史的建物」として敢えて保存した以外には)とても明るく整備されておりますが、医学部の施設には、建物の修繕、改修、メンテナンスが行き届いていない建物が、かなり多く残されているという事です。
建物の維持管理には費用が掛かります。しかし、その費用を惜しんでは、後々、更に多くの、それこそ本当に高額な修繕費を掛けなくてはならない状態に移行してしまうのです。
このブログ記事をご覧に成られていらっしゃる皆様は、戸建住宅にお住まいでしょうか。それとも集合住宅でしょうか。いづれにせよ、賃貸では無くご所有されていらっしゃる場合(賃貸でも管理会社への報告等)、お住まいの修繕は、早め早めの意識をお持ちに成りご対応されます事を、強くお奨めさせて戴きたいと存じます。