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やっぱり「食」って大事だよね!

Over50、独身男の食卓に迫る。

マスコミ(共同通信社)が煽っているが。

2024年07月13日 | ニュース

海上自衛隊の護衛艦「すずつき」が、C国領海内を航行したとして、海上自衛隊を責める論調で煽っているのであるが。

この数日前に、
(1)ヘリコプター搭載護衛艦「いせ」
(2)護衛艦「すずつき」
(3)補給艦「はまな」
が、作戦行動で佐世保を高速航行で「急遽」出航している。
通常航行の自衛艦旗の艦尾掲揚では無く、マストへの自衛艦旗掲揚で、である。

なお、護衛艦「すずつき」はソマリア沖、アデン湾等に複数回派遣され、米海軍、海上保安庁との共同訓練にも参加する「精鋭」。
補給艦「はまな」も、各国との共同訓練や各種作戦行動の「旗艦」を務める「精鋭」。元々は海上自衛隊の直轄艦である。

表面上は、C国による実弾使用の訓練海域に於ける監視任務に際した護衛艦「すずつき」側の不手際、とされているが。
C国は、浙江省沖の実弾訓練として、対外的には注意を東シナ海に向けさせていたが、果たしてその時、C国は「同時展開作戦」を実施していなかったのであろうか。
C国の潜水艦行動はどうであったのか。(日本国沿岸、日本国領海内の潜水航行等。)

当然、C国の軍事機密「軍機」であり公開される事は無いが、海上自衛隊は(秘匿されてはいるが、「急遽出航」の状況から)「緊迫した状況」に対応したものであったのでは無いのだろうか。
今現在の日本国国民の平和的生活を混乱させない為の配慮として(高度な政治的判断として)、日本国政府は公表していない場合も考えられないか。
そしてちょうど今現在、海上自衛隊では、別件不祥事の大型処分が話題に成り、国民の注意はそちらに向けられている。
日本国政府及び防衛省は「マスコミと違って」、日本国国民に対して混乱させない様に本当に優しく(公表しない)配慮をしていると思うのは私だけであろうか。

情報と言うものは、発信者側の意図が「裏に隠れている」場合が往々にして存在するものである。
その表面上の情報(報道内容。報道「しない」事を含む。)により、「利益」を得るものは誰であるのか。その意図は、その本質は、何処に在るのか。

特に今回の共同通信社による海上自衛隊を責める論調に感じられる報道には、深い疑問と怪しい推測が私の脳裏に浮かんで来る。
共同通信社の論調とは逆に「C国に注意」と。

今回の件は、日本国政府とマスコミと、それぞれの相反するベクトルを同時に感じるのである。


福島第一原子力発電所に関して東京電力に、もの申す。

2011年03月12日 | ニュース

政府、経済産業省、原子力安全・保安委員会、東京電力は、それぞれ真実の公表を避けているのは明白です。2011年3月12日午後3時36分に、現地にて直下型地震が有った為に、建屋崩壊としていますが、気象庁発表の、その時刻の地震情報は果してどなのでしょう。

もし、その直下型地震が本当に有ったものなら何故、当該原子炉建屋だけが崩落するのか。地上映像で崩落の瞬間が放映されていますが、衝撃波による背景歪みが起きており、その後で建屋が崩壊していますので、衝撃波は建屋崩壊によるものではない事は明らかです。

この報告内容は、東京電力社員による事実の捏造であり、報告先の原子力安全保安委員会、政府、国民を裏切るものです。この報告をした東京電力の社員を即刻実名放映せよ。

東京電力。確かに国民の、拡大解釈では全人類の、文化・科学の発展、繁栄と豊かな暮らしを担っている重要な企業である事は認めます。それだけに、失敗や想定外など、パニックに陥らせる公表は極力したくないと言う、防御本能が働く事も有るでしょう。ましてや「柏崎の想定外」の件が有ってから未だ間もない事ですし。

しかし、だからこそ、事実を伝えない事は、それだけで大罪である事を糾弾したいと思います。


東北地方太平洋沖地震で被災された皆様に、心からお見舞い申し上げます。

2011年03月12日 | ニュース

発生時、僕は赤坂見附のオフィスに居ました。築浅大型のビルで、最新の免震ビルでしたが、とても大きな揺れで驚きました。初期微動の継続時間から、震源からのかなりの距離を感じましたが、その後に感じた本震の大きさに、自らの身の危険ではなく、「震源地域の揺れ」を想像し、恐怖を感じました。

都内は交通機関が完全に停止し、徒歩で約3時間を掛けて帰宅しました。帰途は、多くの人々で溢れる歩道、渋滞で鳴り響く車のクラクション。しかしパニックには至る気配は無く、誰もが「心の準備は出来ていた」様に落ち着いた行動をとっていた事には関心しました。

ですが、このまるで初詣の明治神宮の参道の様に、いつまでも、どこまでも続く人々の行列の中を歩きながら、僕の想いは東北の人々への心配でした。

今から3年半前まで、僕は仙台(一時、山形との二重生活期あり)に約7年間程勤務していたので、東北地方は僕の「第二の故郷」と思っております。

テレビのニュース映像を見ながら、涙があふれそうになりました。

被災された方々、心からお見舞い申し上げます。

お亡くなりになられた方々、心からご冥福をお祈り申し上げます。