ここ東北の仙台では、昨日迄で28日間連続の雨天。
「ヤマセ」と呼ばれる自然現象によるもので、昔は稲作に大打撃を与え、凶作、飢饉、都市部では米価高騰による打ちこわし等の原因にもなったそうです。今年のヤマセで、東北地方の農作物が大きな被害を受けなければ良いのですが。。。
涼しい日々ではありますが、今月初旬、定年再雇用されていらっしゃる大先輩の社員と共に業務で福島県に行った際、往復の移動車中で色々な「奇妙な体験」の会話で盛り上がりました。
その大先輩の話によると、大先輩が幼少の頃は「狐の提灯行列」(地域によっては「狐の嫁入り」とも呼ぶのかな。)を良く目撃したそうです。完全に日が暮れた夜に、田んぼに囲まれた農道で、はっきりと、しかも親類だけでなく、友人家族も含めて大勢が、何度も見たそうです。今では夜でも街灯が灯り、自動車は通過し、狐の提灯行列を見られる地域はほとんど無いのではないか、との事でした。
僕らは建設会社の社員です。建設工事、開発行為は、人々にとって、より豊かで、より便利な生活の基盤作りに貢献するものと、今でも信じて業務に当たっております。しかし考え方を変えると、この様な大昔からの自然現象(?)も、もう見る事が出来なくなる程、私達、建設業関係者は自然を変えていってしまっているのかも知れません。
だからこそ、建設会社の社員として、自然を大事にし、自然と人々との調和を大事に考えたいと、改めて考えさせられる大先輩のお話でした。
僕は、このブログで会社の業務の話題を敢えて記載しない様にしておりますが、ちょっとだけ、この大先輩のお話しに引き続いて、「奇妙な体験」としての話題を記載してみたいと思います。実際には、次に記載する話題以外にも、「奇妙な体験」をしておりますが、今回はその内の幾つかをご紹介したいと思います。
【その1】「きっと気付いていないのでしょう」
これは業務とはちょっと違いますが、十数年前の、前回の仙台勤務時代の頃の事です。
当時会社の独身寮は仙台市の南西部にあり、寮の近くに「仙台○○字病院」が有りました。会社は完全週休二日制ではりましたが、或る土曜日の午後に現場で打ち合わせの予定が有り、午前中の病院の外来受診に背広姿で行った時の事です。
当時、受診科の外来は土曜日の午前中も、完全予約制(多分外部に公表していない形)で診療されていたと記憶しています。なので、1階外来は、他科の診療は無い為、待ち合いの時間を隣の空いているベンチで、寝ながら待つことにしたのです。
静かな空間で独りウトウトし始めた頃、僕の右耳の20~30cm後ろから、小声で「・・・ですか? ・・・。 ・・・ですか??」と二度、男性が声を掛けて来ました。『ああ、これは。』そうです、この世のものでは無い人物が語り掛けて来ているのが判った僕は、何だか何を言っているのか良く聞き取れないし、眠いのだから『無視。』と相手にしないでおりました。
その内、相手は、「なぁんだ、寝ているのか。寝ているのでは仕方無い。」と今度は、はっきりと呟いたので、ホッとひと安心。向こうに行ってくれると思ったその瞬間です。物質化していないにもかかわらず、相手の左腕が、すうっと背後から僕の左肩越しに伸びて来るのがはっきりと解り、半分眠っている僕の背広の右内ポケットに手を入れて、まさぐり始めたのです。
咄嗟に、「何をするんだ!」と本気で声に出してベンチから跳ね起きましたが、当然、近くには誰もおりません。
多分、元々、手癖の悪い人物がこの病院で亡くなり、その人物が自分の死に気付かず、未だに彷徨っているのだと思います。それにしても、周りに人が居ないとは言え、白昼堂々と、しかも人が寝ているのを確認した上でポケットを漁る。かなり素行の悪い「スリ」だった人物ですね。まぁ、僕の背広の右内ポケットには、財布はもとより何も入れていなかったのですが。(そう言う問題では無いですね。)
【その2】「古井戸の主」
これは今から二十年以上前、東京での現場勤務時代の頃の事です。
東京の或るマンション建設現場で、約定工期よりも早く竣工させた、未だ誰も入居していない新築の現場でした。入社数年目でひよっこだった元請の建設会社社員の僕は、工事費削減の一環で、完成引渡し迄の間、警備員代わりに泊まり込みで、専門業者に発注する竣工清掃の前の、事前清掃を独りで行っていたのです。(当然、残業代は認められず、宿直も認められていないので、完全なサービス残業。独りなので実働時間も深夜まで。元請とは言え、建設会社とは完全なブラッ、、いえ、何でも無いです。)
その現場は、マンション建設前、町工場で、周辺に比べてかなりの土地面積が有りました。施主(建設主。この時は土地所有者。)からは、敷地内に戦前からの井戸が有る事を指摘されており、その井戸はお浄めを施し、埋めていました(この井戸は新築建物の基礎の外。外構部分。)が、実は工場建屋の解体作業の際に、事前に話は無かった井戸が、もう一本出て来ました。こちらの井戸は認識が無かった為、正式なお浄めは実施していなかったと記憶しています。まぁ、新築建物の基礎の掘削により、その井戸は完全に壊れ、また、完全に埋戻しが行われ、お浄めの時期を逸してしまいました。
新築工事は順調に進捗し、建物は無事完成。引き渡し迄の間に、僕が独りで竣工清掃の事前清掃を進める、そんな或る日の深夜2時頃。2階以上は分譲、1階は施主の会社事務所が入居する事に成っており、その事務所の中で、ちょっと仮眠をとる事にしました。真新しいタイルカーペット敷きですので、カーペットを汚さない様に新聞紙を広げ、安全靴を枕、靴下を枕カバー代わりにして、消灯。実はその新聞紙を広げたちょうど真下が、そのお浄めを逸した井戸が有った所でした。まぁ、部屋の真ん中ですし、気付いたのですが、疲れていたし、そのまま寝る事にしたのでした。
すぐにウトウトし始めたのですが、誰もいない筈の部屋の玄関扉がスゥーッと開き、深夜とは言え、遠くに東京の環状4号線の車の行き交う騒音が直接聞こえ、その後静かに「トン」と閉まった音が聞こえました。その動作のゆっくりした感じと、部屋に入ってくる足音から、(実際には扉が開いた瞬間に)この世の者では無い事を(瞬時に)悟った為、『ご免なさい。お邪魔しております。僕は怪しい者ではありません。ですが今、僕は本当に疲れています。大変申し訳ないのですが、このまま仮眠を取らせて下さい。』と本当に申し訳ない旨を念じ、そのまま目を閉じておりました。
足音は玄関から静かに真っ直ぐ僕の所へ。一度、しばらく僕の顔を覗き込んでいる様子が、目を閉じていても判ります。実際には深夜で消灯後です。目を開いても、何も見えなかった事でしょう。その「この世の者でないもの」は、しばらく僕の顔を覗き込んだ後、ゆっくりと僕の周りを一周して、また玄関扉から静かに「トン」と出て行きました。気配からして、「怒り」の感情は受けませんでしたので、僕はそのまま、深い眠りに就きました。
これは、井戸に関係するものと思います。どんなに初期工程が急がれても、井戸のお浄めは、手を抜いてはいけないと思います。この場合、「お怒り」になってはいらっしゃらなかった様ですので、良かったのですが。
【その3】「山の守護神」
これはつい二年程前の事です。
仙台市に程近い山林地帯にて、弊社も土地所有者の一員として市街地再開発事業組合を結成し、新興工業団地を造りたいと計画しているかなり広大な土地が有ります。今現在は完全な山林ですので、何も手は加えられておりません。僕は、その土地の現状確認の為、先述の大先輩に道先案内に成って戴き、共に行った時の事です。
車での移動で山林を視察するので、弊社の単有地(所有者登記が弊社のみ)のすぐ近くの、或る近隣さんの土地に車を停めさせて戴き、作業服、安全靴、ヘルメットを装備の上で山林を歩きました。極一部しか見る時間が取れなかったのですが、弊社の単有地の孟宗竹の竹林から、ちょっとだけタケノコを採取し、車に戻りました。
車に戻って、改めて開発予定の山林を見渡すと、本当に美しい広大な山林です。とても静かで、新緑の季節と相まって自然の力強い息吹と、穏やかで爽快な風を全身で受けて、自然の素晴らしさを体感しておりました。今後、この山林を切り開き、山を削って谷を埋め、工業団地にするのが社の方針ですが、何だかとても勿体無い気がしておりました。それ程、素晴らしい光景でした。
車を停めた或る近隣さんの土地もかなり広く、そこは畑と完全に平地の遊休地。とても見通しが良い場所だったのですが、僕と大先輩の後方、かなり遠距離から、誰かに見られている気がします。しかも、かなりの「怒り」の気配を感じました。
その気配は、全速力で疾走して来るかの様に早く(いや、もっと早かった様な気がします。)、僕らの背後にやって来ましたが、当然、「この世の者ではない」気配です。また、本当に「怒り」の雰囲気が強い。僕は敢えて後方の、この気配に聞こえる様に(全く振り向く事はせず)、また、「怒り」の雰囲気を鎮める様に、「素晴らしい土地ですね。本当に美しくて、爽快です。」と大先輩に語り掛け、その気配に対して『今、我々は危害を加える意図が無い』旨、念じました。
すると、15m程右後ろのコンテナ(地主さんの物置小屋と思います。)の扉が、突然「バンッ!」と叩かれた(蹴られた?)音を出し、大先輩も「ん?」と振り向きましたが、当然、誰も居る訳では無いのです。
僕は、その「怒り」の雰囲気が、『お前ら、私の土地に、何しに来たか。勝手に入り込むな。』と主張している様に感じておりましたので、間違い無く、その地主さんのご先祖様か、更には、その先に広がる広大な山林の守護神と思います。しかも、かなり強い。守護神として、今現在、本当に力のある神です。
将来、弊社はこの土地を開発して行く事に成るでしょう。ですが、地域の住民の皆さんと共同して、自然破壊としての開発行為では無く、自然と共存出来る環境づくりに徹した開発行為でありたいと、心から思いました。
当然、この開発行為着工の際には、丁重に神事(安全祈願祭、起工式)を執り行う必要が有る事は、言うまでも有りません。
「夏」だと言うのに、涼しい毎日です。
本来なら、アッツい真夏の夜にでもふさわしい話だったかも知れませんが、この様な気候の後の残暑は、キツく感じる事に成るでしょう。ま、今回の記事は、その残暑厳しい折にでも、また読んでみて下さい。