
ウォーターフロントの高層ビル群(スカイツリーから)
堀川恵子の『暁の宇品』――陸軍船舶司令官たちのヒロシマ――という本を読んだ。よくぞこれだけのことが書ける資料を探し集め、読み込んだものだと感心させられる。この本は「船舶の神」と言われた田尻昌次(しょうじ)と佐伯文郎(ぶんろう)のお話である。共に、船舶輸送司令官(陸軍中将)を務めた人だが知る人は少ないと思う。この本を読む限り共に大変頭のいい人であり、実務家であり、かつ人格者であり、尊敬できる人だ。しかし、軍人であり、上からの命令には逆らうことができず、無謀な戦争を遂行するために全力を尽くすことになる。なお、田尻昌次は戦争遂行にあたって現状の船舶不足が致命的であることを認識しており、その対策として各部門でやるべきことを具申したために、それが職分をわきまえていないとして、日米開戦前にその任を解かれている。結果として戦犯になるのを免れているのだが。佐伯文郎は戦犯として裁かれている。刑は禁固24年から26年、実際には9年で仮釈放になっている。
この本には「そうだったのか!」という、あまり知られていなと思われることがいろいろと書かれていて、その点が面白かった。
「人類初の原子爆弾はなぜ “ヒロシマ” に投下されなくてはならなかったか」という疑問から始まる。アメリカの投下先決定のための目標検討委員会では、当初は広島を含む17都市が選定され、続いて4都市(京都、広島、横浜、小倉)に絞られ、その後、京都、広島の2都市となって、最後に広島が残った。ここで意外だったのは、最後の二択が京都と広島であり、そこまで京都が残っていたということである。その理由は、京都は広島と同様「隣接する丘陵が爆風の収束効果を生じさせて被害を増幅させることができる」(目標検討委員会会議委要約)ためだったと考えられる。最終的には、占領後の国民感情を考えて京都は外されたようである。
軍事でキルレシオ(Kill Ratio)という概念がある。できるだけ安い費用で多くの人を殺すという意味があり、東京大空襲やベトナム戦争で、その考え方のもとに、ロバード・マクナマラの指揮で爆撃が遂行された。東京大空襲では、日本の家屋は燃えやすい木でできているので、できるだけ多くの家を焼けば安く殺せるとして、家屋が密集している下町に集中的に焼夷弾を大量投下し、十万人以上を殺している。原子爆弾を投下するときも、できるだけ大きな人的被害が出る場所を選んだわけだ。当時、アメリカにとって脅威となりつつあったソビエトに対するアピールもあったと考えられる。
広島に決定した理由は「重要な軍隊の乗船基地がある」(目標検討委員会会議委要約)とのことだが、乗船基地は広島市街の南端にあって海に面した宇品という地区である。しかし、原子爆弾が落とされた場所はそこから北に4㎞以上離れた市の中心地である。「宇品地区の建物は屋根が飛んだり、ガラスが割れたりしているが、さほどの被害は見当たらなかった」とのことである。したがって、佐伯文郎は宇品近郊の船舶指令部の全部隊をただちに広島市内に投入し、被災者救助や道路の確保、輸送の復旧などにあたることができた。つまり、原爆の投下位置は人的被害ができるだけ大きくなる場所だったということだ。戦争というものは本当に非人道的なものである。
ところで、宇品にある乗船基地は陸軍に属していたという点もあまり知られていないのではないか。海軍の軍港は宇品から南に約15㎞離れた呉にあった。日本が大陸や東南アジアに侵攻するには、軍需物資や兵隊を大量に輸送しなければならず、常識的には、先進諸外国と同様に、船を持っている海軍が輸送を担当するのではないかと思うのだが、日本では違ったようだ。輸送を担当するのは陸軍であった。(兵士は陸軍兵士、物資も主に陸軍のための輜重だからということ)陸軍は船を持っていないので輸送船は民間から徴用し、改装したりして用意したそうである。輸送要員も船員を中心とした民間人であり、軍人ではなかった。沖合に停泊した本船から上陸地点まで移動する船(上陸用舟艇)も陸軍が研究、開発、製造をしている。なお、民間から徴用すると、その分、民間の貨物の輸送が滞り、艦船、武器、その他の軍需物資の生産にも支障が出てくることになるが、そうするしかなかったようである。このことも敗戦の大きな要因だったと考えられる。
船による物資と人の輸送は、日本のように海に囲まれた国にとって、戦時には特に重要なはずだ。それにもかかわらず、輸送船には敵からの攻撃に対する防御手段もなく、丸腰で輸送していたとのことだ。だから、海軍が輸送船団を護衛する必要があったのだが、海軍はそれにも消極的だったようだ。このあたりの理由は、はっきりとは書かれていないけれど、薩摩の海軍、長州の陸軍という明治以来の藩閥が関係しているようである。
敵国としては、日本のような島国を相手とするとき、輸送船を襲って沈めることは相手の攻撃能力を奪う最良の手段なので、当然そのようにする。そうして沈められた船は数知れず、昭和19年11月(戦争開始から3年目)までに1,600隻(600万総トン)の船舶を失った。日本が大正8年以降に建造してきた船舶すべてに相当するそうだ。これらの船の1隻に1,000人を超える人たちが乗っている場合も多く、船と共にその命も失われたのである。このように、アメリカは徹底的な兵糧攻めをした。輸送ができなかったことで、武器弾薬はおろか、食料の供給もできなかったため、戦闘もできず、多数の餓死者が出ている。ガダルカナル島では兵士の7割近く、ニューギニアでは9割が餓死したと言われている。この戦争では兵士の大多数が戦闘ではなく、餓えによって亡くなったことは広く知られている。
この船舶による輸送にあたっていた船員たちは軍人ではなかったことは前に述べたとおりだが、彼らは軍属と呼ばれていた。軍属とは、武官や兵(徴兵/志願)以外で、軍の職務に就く人たちのことである。そして、その軍属が差別的扱いを受けていたというのだ。「軍人、軍馬、軍犬、ハト、軍属」という言い方があり、軍属はハト以下だと言われていたそうである。その「ハト以下の船員」が命がけで軍需物資を運び、軍人に届けていたにもかかわらずだ。ガダルカナルでは、正月祝いとして、乾パン2枚と金平糖1粒が兵隊にのみ配給されたけれど、船員には配給されなかったそうだ。その乾パンと金平糖は、もちろん船員が命がけで届けたものである。乾パンと金平糖だけでなく、船員が届けたその他の食料も船員が食べることはできず、水だけでしのいだとも書かれている。こういうことを聞くと、人間不信に陥ってしまいそうだ。子供の時、よく聞いたり、映画で見たりした上官、古参兵による新兵へのすさまじい暴力的いじめも思い出す。こういう差別、いじめはいまでもずっと続いているのだが、いったい人間という動物のどこから生まれてくるのだろう。その性質は進化論的に見たときに何らかの利点があるのだろうか。そういうことを憎み、自らはけっしてしないという人も大勢いるのだが。
そのほかにもいろいろと知らないことが書かれているのだが、○レ(マルレ)と呼ばれる特攻艇の話が出てくる。これはベニヤ板で作られた小型のボートで、250㎏の爆弾をかかえて敵艦に体当たりするというものでである。「航空(神風特攻隊)だけには任せておけない、船舶もやろうじゃないか」と時の宇品の船舶司令官(鈴木宗作)の発案で作られた。○レで出撃した2,288人のうち1,636人が戦死したそうだ。海軍が作った「震洋」も同様のものである。人間魚雷「回天」、爆弾とロケットエンジンを組み合わせた「桜花」など、この頃、特攻用の兵器がつぎつぎと作られ、多くの若者を死なせた。それぞれが家族を持ち、人間関係を持ち、さまざまな生き方をしていた人間を、このように操縦をする道具として使い捨てにするという神経はいったいどのように作られるのだろう。○レの特攻要員は、船舶特別幹部候補生隊(特幹隊)と呼ばれる15歳から19歳の少年たちであった。特幹隊は採用後ただちに一等兵になり、半年後に上等兵、一年後に兵長、一年半後には下士官(伍長、軍曹)にまでなるという信じられないような早さで昇進すると喧伝され、それを餌にして、地方(東北、北陸、北海道が多かった)から「下士官」に憧れる多くの少年たちを集めた。彼らは自分が特攻要員になるなど、夢にも思っていなかったようだ。
そもそも、アメリカと戦って勝てるわけがないと、まともな軍人は考えていた。単にそう思っていたということではなく、きちんとシミュレーションを行なっての結論である。まだ戦争の初期段階だと考えられるミッドウェー海戦(真珠湾攻撃から半年後)で、日本は投入した空母4隻、艦載機290機のすべてを失った。陸軍部隊は上陸すらできなかった。その後のガダルカナル島での戦いでも優秀な船はすべて失った。それにもかかわらず、第7章の表題に示されている「ナントカナル」の戦争計画によって、狂った指導者は強引に戦争を続け、最終的に日本人が300万人、中国や東南アジアの人たちが2,000万人、その命が奪われたわけだ。
いったい、何千万という人間が殺されることになるこのような事態は、何を原因として、どのように起きるのだろう。戦争とはそういうものだと言ってしまうだけでは、これからも同じことが起きるだろう。これは単なる喧嘩ではない。国という大きな単位で、その国民を動員して殺し合いをさせるためには、それを強制する物理的な力だけでなく、相当の範囲の国民が、その戦いが自分たちの利益になるのだと納得できる物語が必要である。また、その戦争を遂行するものたち自身を突き動かす動機も必要である。それは何かという問題になる。その話になるとまた長くなるので少しだけ述べておくと、この経済システム(富の生産とその分配のシステム)がその中心にあることは確かだと思う。この経済システムでは、そこに参加しているものは個人対個人、企業対企業、国対国で互いに闘わなくてはならない。そして勝者のみが豊か(物質的に)になれるのだ。勝つためには邪魔者は排除しなければならない。人間は、このシステムにとっては道具なのだ。実は勝者でさえも。そこに問題があると言える。
パソナの竹中平蔵は「首にできない社員など雇えない」と言っている。この経済システムを効率よく運用するためには、人間は道具であり、必要がなくなれば廃棄できることが望ましいと言っていることになる。そうでなければ、この経済システムを効率よく動かし、活性化させることはできないということである。竹中平蔵は正直なので本音をそのまま言う。そして「必要な時に使い、不要になれば辞めさせることができる社員=派遣社員」をこのシステムに送り出す人材派遣会社(パソナ)の役員として大儲けをしている。ちなみに、この1年でパソナの売り上げは1,000%増加したそうである。
首にされ、再就職ができず路頭に迷う人を救うということは、このシステムの中では大きな負担になる。そこで高市早苗次期総理候補も言う。「さもしい顔して貰える物は貰おうとか、弱者のフリして得しよう、そんな国民ばかりじゃ日本国は滅びてしまいます。人様に迷惑かけない、自立の心を持つ社会へ、もう一度、みなさんと力を合わせて、日本を奴らから取り戻しましょう」。ここで言う「奴ら」とは収入がなくなり、生きるために生活保護を受給している人たちのことを言っているのだ。そうでなければ誰のことを言っているのだろう。彼女から見ると、生きることを支えるに足るだけの収入がなくなってしまった人の増加は、この日本が「人様に迷惑をかける『奴ら』」に支配されているように見えるらしい。だから「奴ら」から取り戻さなければならないと言うのだ。これが次期総理候補なのだ。安倍元総理は、彼女を最も自分の信条に近いということで応援しているとのこと。つまり、道半ばにして辞めてしまったが、安倍元総理も同じ考えであったということだ。だから彼女に自分の意思を継いでほしいと願っているようだ。人間は使い捨てにできなければならない、捨てられた人間は自助努力で生きろ、できなければ死ねというわけである。先の戦争では天皇陛下のために死ね、いまは日本経済が元気になるためには、役に立たない人間は死ねということになる。
これを書いた後、Democracy Now!というサイトで、「ベトナム戦争の総指揮者ロバート・マクナマラ」という動画を見た。その中でHoward Zinn という歴史家がつぎのようなことを言っていた。
「政府機構に入れば、帝国の歯車になるのです。言葉を奪われ、個人は消滅する。苦悩を感じ、心を引き裂かれても発言はできません。政府に入って内側から変革しようと若い人は考えるかもしれないが、それは違う。世界を変えるのは国防省の中の人間ではなく外にいる人々です。国防総省に抗議する人々、街頭で行動する人々です」
田尻昌次や佐伯文郎がどれほど優秀な人であっても、中将であっても、やはり軍隊の中の人であった。軍隊の中には、この戦争は必敗であることが事前にはっきりとわかっていた人たちもいたし、実際にアメリカに行って、その国力を目の当たりにし、肌で感じた人たちもいた。でも軍隊の中の人間、軍人として戦争を遂行するしかなかったということである。そんな日本を変えたのはアメリカの軍事力という「外」からの力だった。だからと言って、アメリカに感謝する気持ちなどはないが。
話が飛躍するかもしれないけれど、自民党もその中で総裁をいくら変えても何も変わらないだろう。そして自民党政権が続けば、安部政治が継続され、この国はますます壊されてゆくことだろう。安部路線に反することになる「原発反対」を表明していた河野次期総理候補も、記者会見で改めて考えと問われると「所管外です」を繰り返し、そのまま逃げるように退場してしまう。総裁選で安倍元首相に敵対しては勝てないと思ってるからだろう。
「中」から変わることを期待しても無駄である。この日本を救うため、今度の衆院選では、「外」からの力、「国民の力」、「一票の力」が試されるときだと思う。
ちょうど自民党の総裁選前なので、彼の人となりを知るために、河野候補が第2次安部内閣で外務大臣に就任した時の記者会見での記者とのやり取りを紹介しておく。(NHK政治マガジンより)
「日ロ関係について伺います」
この質問が出たとたん、河野大臣の様子が変わった。記者が質問している最中、河野大臣は、左手で眼鏡をあげて、用意されていた水を飲み、耳の後ろをかいて、スーツのほこりを払っていた。私の主観だが、河野大臣は、あまり答えたくない質問の時には何かしらの動きをする。やはり北方領土交渉に関する質問には答えるつもりはないのだろうなと思っていると、こう答えた。
「次の質問どうぞ」
このとき大臣は、一瞬、口元に笑みを浮かべたように見えた。そして、別の記者が「今の質問に関連して伺います」と質問。河野大臣の回答は
「次の質問どうぞ」
先ほどと同じ対応だ。さらに、次の記者も同じく日ロ交渉について質問。しかし、またも質問した記者の方から顔を背けて
「次の質問どうぞ」
私が会見場の空気が変わったと思ったのは、次の質問からだった。
「大臣、なんで『次の質問どうぞ』と言うんですか?」
日ロ関係に関する質問ではなく、河野大臣の態度に対する質問だ。これには、さすがに何か答えるだろうと思っていたが…。
「次の質問どうぞ」
会見は終盤にさしかかり、司会の外務省職員が「残り1問」と告げると、最後にさらに別の記者が質問した。「先ほど来、ロシア関係の質問に『次の質問、どうぞ』と回答をしているが、公の場の質問に対して、そういう答弁をするのは適切ではないのではないか」追及する記者に、河野大臣はようやく答えた。
「交渉に向けての環境をしっかり整えたいというふうに思っております」
そして大臣は会見場をあとにした。
この人は、ツイッターでいろいろな発言をしている。そのフォロワー数は200万人を超えている。ネット社会について疎い自民党のお偉方は、自分にはできないので、それをもって彼には発信力があると評価しているようだ。しかし、彼は自分を批判するような相手のアカウントはすべてブロックしている。ブロックというのは、相手の声に耳をふさぐだけでなく、相手にも声が届かないようにする手段であり、コミュニケーションを遮断することである。それは彼と彼に批判的な人との間の個人的な問題に見えるが、重要なのは、200万人以上と言われる彼のツイートをフォローする人が、彼の発言に対する批判的意見、つまり、フォロワーに気付きを与えてくれる意見を目にすることができないということである。見えるのは彼の主張と、それに同調する人の意見だけなのだ。彼は単なる個人ではない。国民の声を聴き、国民に説明する義務がある政府の要人である。フォロワー数が多いのはそのためでもある。それにもかかわらず、自分に対して批判的な人とのコミュニケーションを遮断するのだ。そのことを正当化する彼の言い分を聞いていると、どうも自分対して批判的なことを言うことは「無礼だ」と思っているようだ。無礼なことを言う人間は無視してもかまわないと思っているわけである。自分をきちんと叱ってくれる人などいない環境で育ってきたのかもしれない。いろいろな考え方を持っている人々で構成される社会において、政治を行なう人間がそんなことであってよいわけがない。
トランプ前大統領のブロック発動について、アメリカの連邦巡回控訴裁判所は、2019年の7月に「言論の自由を保障する合衆国憲法に違反する」との違憲判決を出している。
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