思いつくままに

ゆく河の流れの淀みに浮かぶ「うたかた」としての生命体、
その1つに映り込んだ世界の断片を思いつくままに書きたい。

人類はシアノバクテリアと同じ運命をたどるのでしょうか

2024-02-14 23:10:06 | 随想

 いまこのようにある生物界はどのようにつくられてきたのでしょうか?

 その説明の一つとして進化論があります。環境が過去に生きていた生物を淘汰(不用・不適のものを排除すること)し、いま生きている生物が残ったという自然淘汰説です。このように言うと、環境は能動的であり、生物は受動的であるように聞こえます。しかし、たとえば、ビーバーがダムを造ってその生存に適した環境を得ているように、生物は環境を変えます。特に人間はその時々に応じて大きく環境を変えてきました。つまり、生物と環境は相互に作用しながらいまを作ってきたということです。

 環境を「生物の生存に影響を与えるもの」だと定義すれば、ある生物にとって他の生物も環境です。たとえば、ほぼすべての動物は植物が光合成によって作り出す酸素がなければ生きていられません。また、草食系動物は植物が地中から吸い上げて固定した栄養素をもらって生きています。一方、植物は子孫を残すため、動物に受粉という作業を担ってもらったり、種を運んでもらったりしています。動物の死骸も植物の栄養となります。つまり生物どうしが互いに他者の環境となりその影響を受けているわけです。同じ種であっても他者は環境です。人間の場合も同じです。他者はときに恐ろしい環境となります。他者を自分の利益のためにはじゃまなものとして大量虐殺をする輩もいます。過去の話ではなく、まさにいま、それがパレスチナで行なわれています。パレスチナの人たちにとって、イスラエルとそれを擁護するアメリカやイギリスは最悪の環境としてあるのです。

 さて、生物はその環境と相互作用をしながら生きてきたし、いまも生きています。ここで考えたい問題は、生物がその環境を変えた結果、生物自身にどんな影響を与えるのかということです。たとえば、太古の地球に酸素はほとんどありませんでした。その環境の中でシアノバクテリアという生物が地球規模で繁殖しました。シアノバクテリアは、光合成によって酸素を作り出します。現在、地球上のほとんどの生物はその酸素を利用して生きています。しかし、シアノバクテリア自身にとって酸素は廃棄物であって、不用、有害なものであり、地球規模で自らの環境を汚染してしまったことになります。その結果、シアノバクテリアはほぼ絶滅の状態にあります。オーストラリアのハメリンプールなど、地球の片隅でひっそりと生きてはいます。

 いま、人間も地球規模で環境を変化させています。たとえば経済活動での二酸化炭素の大量排出です。二酸化炭素は温室効果を持ち、地球を温暖化させ、その結果、氷河や永久凍土を溶かし、海水面の上昇を招き、人の生存環境を壊しつつあります。また、永久凍土や海底に閉じ込められていたメタンガス(温室効果ガスとしてのメタンガスは二酸化炭素の約30倍といわれています)も大気中に大量に放出され始めています。温暖化による海水温の上昇は、海水の酸性度を上げ、海洋生物を大量に死滅させる方向に向かっています。前回のブログでも述べたように、6,600万年前起きた絶滅では海水のpH(水素イオン濃度)が0.25低下し、海洋生物の70%が絶滅したとのことです。このまま二酸化炭素の排出が続けば、今世紀末にpHは0.4低下すると言われています。異常気象についての専門家は海水温の上昇が危機的状態にあることを指摘しています。エルニーニョ現象はペルー沖の海水温が平年よりも高くなる現象ですが、従来はその分、他の海域の温度が下がるので地球全体としてバランスはとれていました。しかし、近年では、そのバランスがくずれ、地球全体で海水温が上昇しており、その状態を指して、国連は「地球が沸騰している」と表現しています。海洋の植物プランクトンは光合成によって二酸化炭素を酸素に戻してくれる存在です。最近の研究では森林が供給する酸素はそれ自体が吐き出す二酸化炭素と相殺され、あまり役立っていないとも言われています。海洋の植物プランクトンこそ、地球の酸素の供給源となっているとのことです。

 また、海水温の上昇は異常気象を引き起こし、豪雨や台風の規模が大きくなり、洪水が頻発し、一方、熱波も増え、雨が降らず、砂漠化する地域も増えてきています。豪雪も海水温の上昇で水蒸気が大量に発生し、それが寒気に触れることによって起きるのだそうです。このような異常気象によって食糧生産が危うくなってきています。このままでは、食料を巡って戦争が起き、個人間でも醜い奪い合いが起きるでしょう。弱肉強食の時代の到来です。しかし、そこで強者が残るのかと言えばそうではありません。地球環境そのものが、人類が生存できない状態になってくるからです。

 このように見てくると、人間の生存環境を守ることは喫緊の課題だということが言えます。現在の経済システムは、ひたすら個人への富の集中を目的としており、熾烈な競争を伴う活動として機能しています。その目的のために各地の資源を食い尽くし、廃棄物をまき散らし、環境を汚染してきましたが、その結果として人類にどんな影響をもたらすのかは眼中にありませんでした。その活動規模が地球の大きさに比べて十分小さいときはまだよかったのかもしれません。しかし、いまは地球規模でその環境を変化させるほど大きくなってしまっています。私的富の異常な集中が進んでいることだけを見ても、この経済システムがいかに個人的なものか、人間社会全体のことなど眼中にないか、そして、先のことなど考えていないか、「いまだけ、カネだけ、自分だけ」であり、地球環境など知ったことではないというシステムであるのかが十分にわかります。この経済システムには人を幸福にする仕組みはありません。それは目的ではないからです。言ってみれば、人の幸福になりたいという気持ちを利用して個人に富を集中させるシステムです。

 このままでは、人類はシアノバクテリアのような存在になってしまいます。シアノバクテリアはひたすら酸素という有害な廃棄物を作り出し、自らの生存環境を壊滅させてしまいました。人間について言えば、この地球を私的な所有物として扱い、それを個人の富の蓄積のために無制限に利用している人たち、「いまだけ、カネだけ、自分だけ」という人たちが、この地球を生物が生きてゆけないものに変えているのです。全人類の墓穴を掘っているのです。彼らにそのつもりはないかもしれませんが、「全人類」には彼ら自身も含まれています。シアノバクテリアと異なり、人類には脳があり、経験を蓄積し、間違いを認め、それを繰り返さないようにするという能力があります。ホモ(人)・サピエンス(賢い)であるならば、「賢い」はずです。

 しかし、このような危機が迫っており、それに立ち向かう政治の力が必要な状況の中で人間は何をしているのでしょう。この日本での政治の腐敗状態を見ていると、自民党に自浄能力がないのではなく、腐りきった政党に政治を続けさせている国民を含めて「国」としての自浄能力がなくなっているように思われます。世界に目を向けても、ロシアによるウクライナ攻撃、イスラエルによるガザのパレスチナ人殲滅、アメリカでは、国会議事堂襲撃を扇動したとして追及されていても、「アメリカ・ファースト」を唱えるトランプ元大統領が次期大統領選挙で共和党の最有力候補となっていること、世界各国で極右の政治勢力が台頭してきていること、これらは、より強化された新自由主義、自分さえよければいいという利己主義が蔓延してきていることを表しています。これは、いまの経済システムが行き詰ってきて、他者を思いやる余裕がなくなってきたことの表れです。そして、それを許している人類そのものに自浄能力がないことを示しているようにも思われるのです。

 昨年は猛暑が続く長い夏でした。さて、今年はどんな夏になるのでしょう。



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