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思いつくままに

ゆく河の流れの淀みに浮かぶ「うたかた」としての生命体、
その1つに映り込んだ世界の断片を思いつくままに書きたい。

シリアでの虐殺

2012-07-20 22:50:30 | 随想
 少し前の話になるが、国際ジャーナリスト田中宇氏が「シリア虐殺の嘘」として、「虐殺の犯人は政府軍でなく反政府勢力」だということを述べている。5月25日、シリア中部の町ホムスの近郊にあるホウラ地区で起きた虐殺を例に、その根拠をつぎのように示している。 ・虐殺で殺された村人の多くは、アサド政権と同じアラウィ派イスラム教徒だった。 ・シリア軍の幹部の多くはアラウィ派であり、政府傘下の民兵組織のシャ . . . 本文を読む

原子力災害時の対応能力の習熟

2012-07-11 17:32:36 | 随想
 独立行政法人・原子力安全基盤機構が福島の事故の前に作成した『防災用事故のシナリオ理解のための教材(BWRマークⅠ型)』というものがあって、「原子炉圧力容器に繋がる大きな配管が破損し、大量の放射性物質が放出される事故」を想定し、炉心溶融の過程を映像化している。Youtubeで下記のURLを入力すれば見られる。 http://www.youtube.com/watch?v=wwYk62WpV_ . . . 本文を読む

やっぱり天下っていた。

2012-06-24 00:08:54 | 随想
 前回のブログで、責任を取って退いたかに見える官吏が、実際には、別の形で既存の仕組みの中で甘い汁を吸い続けるのがこの世界だという意味のことを述べたが、6月21日付けの朝日新聞に、引責辞任したはずの東京電力の元役員たち(会長、社長、副社長、常務、取締役、監査役)が、ちゃっかりと別の会社の社長や社外取締役、監査役などに天下って収入を得ていることが暴露されていた。東京電力の役員は官吏ではないが、完全 . . . 本文を読む

国の責任を問うということ

2012-06-18 23:18:25 | 随想
 「国に責任がある」「国は責任をとれ」などとよく言われる。東京電力福島第1原子力発電所の事故についても、国の責任が問われている。しかし、国が責任を取るということをもう少し具体的に考えてみると、どういうことになるのだろう。  国がしたこと、あるいはすべきことをしなかったことによってある事態が生じ、国民に損害を与えたと言うとき、実際にその事態を引き起こす行為をした、あるいはすべきことをしなかった . . . 本文を読む

「想定外」と法的責任

2012-06-17 23:17:19 | 随想
 東京電力福島第1原子力発電所の事故に対して責任があった人たちは口を揃えて「想定外」と言う。だったらどうしたというのだろう?「だから責任はない」と言いたいらしい。想定外だったらどうして責任がなくなるのだろう?だいたい事故というのはほとんど想定外ではないのか?自動車運転だって、多くの人は自分が事故を起こすことなど想定外として運転しているのではないか。しかし、実際には事故を起こし、人を傷つけたり、 . . . 本文を読む

性善説と性悪説

2012-06-07 16:03:15 | 随想
 人の本性を話題にするとき、よく出てくるのが性善説と性悪説というものだ。これについてはつぎのように考えている。人は進化的産物であり、その進化の過程の各環境において、生存にとって必要であった性質をDNAの中に積み重ねて残し、持っているはずだ。その性質は、あらゆる意味での環境の中で、必要に応じて発現する。(身体の構造に関わり、身体の構造の変化によって発現不能なものも多いとは思うが)いわゆる「善」と . . . 本文を読む

タイムマシン

2012-05-24 23:49:20 | 随想
 こんなことを考えるのも頭の体操になりそう。  「もし昔に戻れたら」とは人がよく思うことだ。タイムマシンのお話もこの願望から生まれたのではないか。SF小説などを読んでいると、科学が進歩すればそんなことも実現するかもしれないと思ったりもする。でも、本当に実現可能なのだろうか。  結論から言うと、不可能だと思う。この宇宙のすべての物質は一定の方向に向かって変化を続けている。エントロピー(乱雑さ) . . . 本文を読む

哲学について考えたこと

2012-05-14 22:41:40 | 随想
 前にも述べたと思うが、科学は、この世界がどうなっているのかその仕組を解明することを目的としている。これに対して、哲学は、世界に意味を付与し、価値付けを行なうことをその主要な目的の一つにしていると思う。本質的に、この世界は、それ自身があらかじめ意味や価値を持っているわけではない。意味や価値は、人の意図や目的があって初めて生まれる。人はどの時代に生まれるか、どの国に生まれるか、どういう両親のもとに . . . 本文を読む

憲法改正について

2012-05-04 11:56:23 | 随想
 きょうは憲法記念日、憲法改正について少し考えてみたい。と、書き始めたが、あれこれ考えているうちに4日になってしまった。したがって、きのうは憲法記念日ということになる。  憲法改正の理由としてよく言われるのが、いまの憲法は敗戦直後にアメリカによって作られたものであり、日本国民が自主的に作ったものではない、だからだめだというものである。また、日本国憲法はその制定以来一度も改正されていない、それは世 . . . 本文を読む

原子力発電のコスト

2012-04-28 11:56:45 | 随想
 朝日新聞4月27日朝刊の論壇時評に、小熊英二さんが大変重要な指摘をしていた。「原発の再稼働の是非が議論されている。そこで欠けがちなのは、原発のコストは社会のリスク感によって変化するという視点である」というものだ。「原子力発電のコストは、実は大部分が安全コストである」から、「人々が安全やリスクに敏感になり、人権意識が浸透すれば高くなる」とのこと。外国に頼っているウラニューム鉱石の採掘や精製について . . . 本文を読む

「東電の責任」の補足

2012-04-14 11:53:42 | 随想
 2月23日のブログで東電の責任について書いたが、そのとき、「僕のお父さんは東電の社員です」という本について、書評だけを見て批判めいたことを書いた。書評だけを見てという点で、後ろめたい気持ちがずっと残っていたので、最近、その本を全部読んでみた。  「僕のお父さんは東電の社員です」という小学生(ゆうだい君という仮名で扱われている)の手紙は、毎日小学生新聞への投書であり、それは、同じく毎日小学生新聞 . . . 本文を読む

前回のブログの補足(「教育の奇跡」について)

2012-04-12 09:29:41 | 随想
 「教卓のこちら側」と「あちら側」の間には乗り越えがたい知的位階差があるという信憑が成立する限り、そこでは教育が機能する。これが内田樹さんのブログでの主張だったと思う。「先生はえらいのだ」ということが社会的に合意されていれば、教壇の上に誰が立とうが教育は成り立つということだ。  でも内田さんは言う。「私たちは大学に進学した後に「教師はただ教卓の向こう側にいるだけで、すこしも人間的に卓越している . . . 本文を読む

わけのわからないことを言う人たち

2012-03-26 00:55:15 | 随想
 内田樹さんの教育論はおもしろい。最近のブログで、連続して教育のお話をしている。でも、ときどき同意できないこともある。たとえば、3月15日にエントリーされた『教育の奇跡』というブログで、ジャック・ラカンの言葉を引用している部分である。 「人間は知っている者の立場に立たされている間はつねに十分に知っているのです。誰かが教える者としての立場に立つ限り、その人が役に立たないということは決してありません . . . 本文を読む

教育について考える

2012-03-23 22:58:55 | 随想
 人は生まれながらにして、生きるために必要ないろいろな能力を持っている。その中に、学習する能力がある。原始的な生物になるほど、生きるために必要な能力を、生まれながらにして身に付けている度合いが高くなる。したがって、原始的な生物になるほど学習能力の度合いは低くなる。つまり、より行動がパターン的、固定的なものになり、環境の変化に対応する能力が低くなる。クマムシのように、活動ができない環境になると、一 . . . 本文を読む

予測できない世界

2012-03-13 00:36:59 | 随想
 前回と同じようなテーマになってしまったけれど、少し違う側面から経済システムを考えてみたい。  今年の5月21日、東京でも金環食を見ることができる。欠け始めが午前6時19分2秒、金環食が始まるのが7時31分59秒、最大の食になるのが7時34分30秒、金環食が終わるのが7時37分0秒、日食そのものが終了するのが9時2分37秒だとのこと。もう何年も前からこれはわかっており、ほぼ確実にこの通りになる。 . . . 本文を読む