こんばんは。
きょうも引き続き『広島平和記念資料館』について書いてみたいと思います。
以下『資料館』と略させて頂きます。まずこの広島とはどのような街だったのか、
どのようにして誕生したか、その歴史にも少し触れまたどのように被爆都市とな
り、復興はどのように、おこなわれて現在に至ったのか、
少しずつではありますが、進めて行きたいと思います。
クリックしてください、最初の画像は被爆まえの『広島県産業奨励館』現在の『原爆ドーム』です、
少々画像がよくないのですが、 とても立派な建物であった
ことが分ります。そして次の画像は昭和に入って新築された『広島市役所』です。
画像の下には広島が市となって市域の移り変わりが記されています。
1941年12月太洋戦争の引き金ともなった、ハワイ真珠湾への奇襲攻撃で黒煙
をあげて燃えるアメリカの戦艦です、そのときに沈んだ戦艦【アリゾナ】はその上に造られた
【アリゾナ記念館】として、残され今もなお真珠湾の下に沈んでいます。
広島への原爆投下の目標となった、T字型の橋『相生橋』です、実際の
爆心地は少しずれましたが、目標として分りやすかったのでしょうか。
1945年3月からは、都市そのものを焼き払う、無差別爆撃が始まり、そして1945年
午前8時15分運命の時を刻んできた時計はもう動くことはなかったのです、そして『被爆地広島』の悲しみと苦悩のときがまっていました。
きょうも引き続き『広島平和記念資料館』について書いてみたいと思います。
以下『資料館』と略させて頂きます。まずこの広島とはどのような街だったのか、
どのようにして誕生したか、その歴史にも少し触れまたどのように被爆都市とな
り、復興はどのように、おこなわれて現在に至ったのか、
少しずつではありますが、進めて行きたいと思います。
クリックしてください、最初の画像は被爆まえの『広島県産業奨励館』現在の『原爆ドーム』です、
少々画像がよくないのですが、 とても立派な建物であった
ことが分ります。そして次の画像は昭和に入って新築された『広島市役所』です。
画像の下には広島が市となって市域の移り変わりが記されています。
1941年12月太洋戦争の引き金ともなった、ハワイ真珠湾への奇襲攻撃で黒煙
をあげて燃えるアメリカの戦艦です、そのときに沈んだ戦艦【アリゾナ】はその上に造られた
【アリゾナ記念館】として、残され今もなお真珠湾の下に沈んでいます。
広島への原爆投下の目標となった、T字型の橋『相生橋』です、実際の
爆心地は少しずれましたが、目標として分りやすかったのでしょうか。
1945年3月からは、都市そのものを焼き払う、無差別爆撃が始まり、そして1945年
午前8時15分運命の時を刻んできた時計はもう動くことはなかったのです、そして『被爆地広島』の悲しみと苦悩のときがまっていました。
しかし、一瞬で廃墟と化してしまうとは(T_T)
相生橋が投下目標にっていたとは知りませんでした。実際には産業奨励館の近くの病院に落ちたと聞いています。
真珠湾攻撃はアメリカの思う壺になってしまっていたんですね(T_T)
そこでアメリカ政府はアメリカ人に反日感情を持たせるために「リーメンバーパールハーバー!」というスローガンをかかげたみたいです。
8時15分で止まった時計は心が痛みます(T_T)
すべてが止まってしまった瞬間ですね。
原爆資料館でも撮影って可能でしたか?(^-^;)
撮影禁止って書かれていることが多いですよね(T_T)
ハムちゃんいつもありがとう!
そう、とてもきれいな街だったんですね、
それが、ほんとに一瞬のうちに、あまりに
無惨です、長崎も同じですよね、『ピカ・ドン』ですよ、
爆心地は『相生橋』から東南に300にあった、『島外科』と言う病院です、ハムちゃん
よく知ってるねぇ、嬉しいですよ!
資料館の中はフラッシュを使っての撮影が
禁止です、わたしカメラを高ISO値の物に買い換えましたので、バッチリです、また追々UP
していきますね!