ワカキコースケのブログ(仮)

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黙ってギターを買ってみたの巻

2022-01-16 23:41:00 | 日記


年末に、生まれて初めてギターを買った。
理由はいろいろあるようで、大したことではない。

・音楽を聴くだけでなく、何か演奏できるようになればいいな、とずっと思っていたんだけど、そのきっかけがなかった。
・友達や先輩の部屋にあるギターを持たせてもらったことは何度もあるけど、大きいし、弦は固いし……で、自分には無理だとあきらめていた。

・しかし近くの山野楽器で、ミニクラシックギターという存在があると知った。
・ふつうのギターより小さくて、弦はナイロン。急に敷居が低くなった。
という順番。

マイギターを生まれて初めて持ってみて、数時間後がこの動画です。まず、日本でいちばんの、ダメな演奏動画でしょう。

https://youtu.be/vCr_7eyMoEw




現在、さっそく挫折しかけている。
年末年始にたっぷり練習しよう、と張り切っていたら、年末になってから仕事のほうでいろいろ重なってしまい、以来、ほとんど触れていない。

ここまでの収穫は、楽器を演奏できる人は凄いな! とつくづく思えたことだ。演奏でメシを食えてる人なんて、僕にはほとんど魔術師。
数時間だけでは、TAB譜ですらうまく頭に入らないし、指もまるで追いつかないのが実感としてよく分かってみると、みなさんどれだけ凄まじい練習量を経てきているのか、と気が遠くなる。おかげで少しだけ、謙虚になりました。

とにかく教則本に従うまま、2弦を1フラットで押さえて(1フラットの2弦を押さえて、と書く方が正しいのかもしれない。それすらわからない)、次に同じ2弦のまま3フラット、次は解放弦、フラットを左手の指で押さえないまま1弦を……とやっていると、なんとか、頼りないが、メロディらしきものが立ち上がる。
これはなかなか、カンゲキする。
そして、弦とフラットを1つでも間違えると、たちどころにおかしな音になる。

音楽はこうして、ひとつひとつの音の積み重ねによって作られていくのだ、という基本中の基本のルールを、ほぼ初めてちゃんと認識できるようになった。

そうなると、少し、自信を持っていいんだな、と思えたこともある。

一応、僕が人さまよりできるほうなのは、文章を書くことだ。

去年、見た映画やお芝居、読んだ本などはつとめてSNSに感想をあげていた。トレーニングのつもりだったのだが、だんだん、逆効果なのがわかってきた。
ツイッターで手短に済ませると、かえって頭の中で吟味する時間がおろそかになってしまうのだ。
ツイッターで手短に、に慣れていくと人間マズいぞ、と思うことは他にもあり、それで、しばらくほったらかしにしていたブログを再開することにした。

再開してからは、内容の感想はほとんどいただかない代わり、質問はちょくちょくされる。
「何か下書きがあってから、ブログにあげているんでしょう?」
と、確認してくる質問だ。

別の機会に書いておいたメモを転載している場合は文中でそう断っているけど、基本的には一筆書きですよ、とは言わず、ええ、まあ、そうですね、と答えるようにしている。
数千字程度のブログなら休憩なしで一気に書ける、なんてのは、いかに鳴かず飛ばず、身すぎ世すぎで生きてきたかとイコールに近いので、あんまり自慢にはならない。かえってみっともないと思う気持ちがある。

ただ、ギターの弦を指で弾いて音を出してみるのを、まるっきり一から始めて、苦労してみて。

散文ならば、ギターとはケタ違いに、サクサク書ける(もちろん、お題のある仕事の台本などはそれなりに時間がかかるが)。これが、改めて客観的にわかった。
つまりは自分も、そうなれるようになるまでに、それなりの練習・稽古はしてきた。そこは、少しは誉めてやってもいいんだな、とは思えてきたのだ。

日本語の文章は、五十音のかなと、常用漢字(現在は2136字らしい)で出来ている。

つまり僕は、それに多くの人は、2180字強に数字やアルファベットを足したぐらいでしかない材料を恣意的に1字ずつ組み合わせることで、文章を作る技術をすでに持っている。ふだんは意識すらせずに。
しかも、そこに創意を重ねて、自分だけの考えや感じ方 ― 個性をさえ表現できる。
これはなかなか、いや、かなり大したもんじゃないか。文章を書ける人はみんな、プロじゃなくても、プロでも僕のように売れなくても、アマチュアであっても、もっと自分に自信を持っていいんだよ。

だからますます、(西洋的には)突き詰めればドレミファソラシドだけのなかからいろんなメロディを作れてしまう、音楽をやっている人は凄い! という尊敬になる。

 


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