(あらかじめ―今回は、ある程度ガンダムのことを知っておいてもらっている前提の文章になります)
去年(2021年)に出た『機動戦士ガンダム』の関係書籍から、2冊を年末におもしろく読んだ。
ムック本の『証言「機動戦士ガンダム」 文藝春秋が見た宇宙世紀100年』(文藝春秋)と、岡嶋裕史の単行本『ジオン軍の遺産 機動戦士ガンダム ジオン軍事技術の系譜』(KADOKAWA)。
どちらも、切り口がユニーク。
『証言』は、もしも宇宙世紀に文藝春秋があったら……という設定で、戦争や紛争、事件を文春本誌や週刊文春の記事のフォーマットに落とし込んで紹介していくつくり。
例えば、「ガルマ・ザビの戦死の影に疑惑あり」と、ファーストを見た人なら誰でもシャアのたくらみによるものだと知っている話を、あえて、外部のマスコミが取材する視界と理解の制限のもとに、なりきって書いている。
制限されたアングルをもとに見ていくと、第1話のスペースコロニー・サイド7での戦闘が、当時は地球視点ではどれだけローカルなニュースだったか、一年戦争におけるホワイトベース部隊の活躍がリアルタイムではいかに謎めいていたかなどが逆に活き活きとあぶりだされてくる。
うまいもんだとつくづく感心した。文藝春秋には、こういう遊び心の伝統があるのかもしれない。スポーツ専門誌のNumberでも初期の頃に確か、星飛雄馬と花形満を1968年のセリーグを沸かせた大型新人選手として、大真面目に成績とともに紹介する企画記事があった。
『ジオン軍の遺産』はやはり大真面目に、モビルスーツの進化を技術産業史の専門書の体で詳述した本。
一年戦争がジオン公国軍の敗北・瓦解で終わったことにより、公国軍に卸していたメーカーの技術や人材は、連邦側の大企業アナハイム・エレクトロニクスに吸収された。それによって、連邦とジオンのハイブリッド化が起きて……という流れを掴める。
僕は小学5年生の時に『機動戦士ガンダム』(79~80)の本放送を見て、悪役ロボットのザクが量産兵器として毎回出てくる、そのかつて前例のないミリタリー的リアリティに総毛だった、もろにファースト世代だ。
ただ、当時どれだけ夢中になったかは端折る。
それより問題は、続編の『機動戦士Zガンダム』(85~86)になった途端、むずかしさ(絵柄や主題歌の変化への好みも含むが)に付いて行けなくて、途中で視聴リタイアしたことだ。僕はガンダムで落ちこぼれている。
ファーストは、地球連邦とジオン公国の戦争と図式が割とハッキリしていた。ところがZでは、地球連邦のなかで勢力が分かれ、内戦が起きている。しかも、ハイザックという明らかに外見がザクの発展型であるモビルスーツが、ジムに変わる連邦軍の主力量産モビルスーツとして登場する。
さっぱり、何がなんだか分からない。さらに続く『機動戦士ガンダムZZ』(86~87)も同様だった。
いろいろあったすえに結局はシャアがネオ・ジオンを立ち上げ、地球に宣戦布告する(図式がシンプルに戻る)映画『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』(88)は、この時点での決着篇として、まあ、なんとか付いていけた。
どうもこの、途中の理解を投げ出した挫折感は、ずっと頭の片隅に残っていた。
これだけガンダムシリーズが大きく発展して続いているのに、自分が知っているのは一年戦争ばかり。年下のガンダムファンとたまに話すことがあっても、僕のほうがまるで詳しくない。
そんな時に、ガンプラを紹介する番組仕事の話があり、初めてお台場にあるガンダムベース東京に行ったりして、これを機会に勉強し直したくなっていたのだった。
(仕事自体は対象がガンプラからミニ四駆に変わり、それはそれでアニメ版の『爆走兄弟 レッツ&ゴー!!』(96)に初めて触れたり、新橋のタミヤプラモデルファクトリーで買ったマシンを作らせ、走らせたりして忙しかった)
なので、Zでリアルタイムの僕をくじけさせた、どうして連邦軍の標準モビルスーツ・ハイザックがザクそっくりなの?というややこしさが、前述の通り、ジオン公国軍に卸していたメーカーの技術や人材が連邦側のアナハイム・エレクトロニクスに吸収されたからだ、という説明によってキレイに氷解した時は、かなり嬉しかった。
ガンダムはそういう設定を、背景までおそろしく作り込むことで架空の歴史を成立させているから、わからないままならずっとわからないままだし、一から順に知ってさえいけば、ある程度までは確実に見渡せるようになる。
歴史の勉強とやることは同じだな、と気づいてからは、2冊を続けて読むのは楽しかった。
ざっくりとだが、2冊をもとに自分なりに把握した宇宙世紀の流れを整理してみる。
○まず、スペースコロニーが初めて建造され、人が移住するようになった21世紀半ばから、歴号が西暦から宇宙世紀に変わる。
○それから半世紀経ち、コロニー生まれ、コロニー育ちのスペースノイド(宇宙移民)が増えると、スペースノイドのなかで自分達がアースノイド(地球定住者)より下に見られることへの不満が大きくなり、地球から独立する機運が生まれる。
○そこで登場した指導者が、ジオン・ズム・ダイクン。スペースノイドによる国家建設をめざし、将来的には地球という天体を環境破壊から守るため、人類はみな宇宙に移住すべきだという理想をうたう。その思想はジオニズムと呼ばれる。
○ダイクンがサイド3で作ったのが、ジオン共和国。(ジオン軍もこの時に生まれる) 地上の世界各国と宇宙の各コロニーによって構成される地球連邦とジオンのあいだに緊張が生まれる。
○ダイクンの死後、側近だったデギン・ソド・ザビが二代目ジオン共和国の首相に。デギンは国を公王制に変えて、ジオンを公国にする。ジオンがザビ家のものになってからは、ジオニズムは変質し、スペースノイドのほうがアースノイドよりも優れた新人類なのだと説く優性思想、選民主義に傾斜していく。
○地球連邦との一年戦争に負けて、ジオン公国は瓦解。共和国としては残るが、ザビ家は解体する。残党がのちに、ザビ家の血統を唯一受け継ぐミネバ・ラオ・ザビを擁してネオ・ジオンを興すことに。
○しかし地球連邦も大きな寄合所帯の機構。ジオン公国との戦争では結束したが、一枚岩ではない。地球定住者と宇宙での暮らしが長い者の間では意識に違いがあり、対立がある。
○ジオン残党の掃討を目的とした部隊ティターンズが、連邦内で正規軍以上に存在を大きくし、軍閥として実権を握るようになる。
○ティターンズは地球至上主義。スペースノイドへの差別意識を強める。それに反抗し、対抗するために連邦内で生まれた私兵、志願兵の組織がエゥーゴ。この、ティターンズとエゥーゴの戦いがZの舞台背景となる。
○そして、一年戦争で生き残ったシャアはエゥーゴに名を伏せて参加し、やがてダイクンの息子であることを明かして、ジオニズム再興を掲げる。そして、ミルバを擁したネオ・ジオンとは別のネオ・ジオンを創立して……ここで『シャアの逆襲』につながる。
ここまでを、80年代のうちに知っておきたかったなあ。
急に宇宙世紀の勉強をしたくなったのには、これをテコにすると、世界情勢が少しでも理解しやすくなるのではないか、という期待もあった。
僕は今、『ニューズ・オプエド』というネット配信の番組にスタッフとして定期的に入っているのだが、中東などの複雑な情勢になると、なかなか頭に入らなくて毎度困っている。
特に苦労したので、苦労したことだけをよく覚えているのがリビアの情勢だ。以下は、丸2年前、2020年のアタマに、なんとかまとめたメモ。
○2011年 「アラブの春」にともなう内戦で、カダフィの独裁政権が倒れる
○2012年 イスラム勢力が中心の「国民議会」が誕生
○2014年 世俗派が中心の「代表議会」が生まれ、国内が二つの政府に分かれる
「代表議会」を、「国民議会」が動員した民兵組織が攻撃
○2015年 国連や欧米、周辺諸国主導で統一政府樹立をめざした和平案。「リビア政治合意」
○2016年 西部の首都トリポリを拠点に「国民合意政府」が発足。国際的に承認される
しかし「代表議会」は東部のトブルクに拠点を置き、軍総司令官であるハリーファ・ハフタルの「リビア国民軍」が、東部を実効支配して「国民合意政府」に対抗
○2019年4月 「リビア国民軍」が首都トリポリに進軍、激しい戦闘
○2019年年末 国連がトリポリ周辺での戦闘による避難者は14万人以上と発表
○2020年1月 ドイツ・ベルリンでリビアの和平に関する国際会議
その後は、外務省のサイトに掲載されているデータによると、「国民合意政府」と「リビア国民軍」は停戦合意に署名し、2021年3月に「暫定国民統一政府」を成立させている。
中東では、アラビアのロレンスが引っかき回した後で当てがわれた政党・議会によるヨーロッパ式の政治の進め方よりも、部族や宗派の違いのほうが強い。
なのでリビアの内戦の基本は、イスラム主義と世俗主義(特定の宗教に政治的権力を与えず、世俗に任せる考えかた。政教分離主義とも)の対立にあった。
そこまではなんとなくはわかるのだが、やはり、すぐには呑み込めなかった。
民兵組織が大きな存在感だったり、軍の司令官が自分の軍を創設したりが、日本ではまったく実感しにくい。
しかも「国民合意政府」のある西部ではジハード主義組織が拠点を置くようになり、それに唯一軍事的に対抗できるのが東部でハフタルが創った「リビア国民軍」だから、原油生産の安定を求める周辺のエジプトやUAE、サウジアラビアなどは「リビア国民軍」を支援した……となると、もう、国家と国家の話ではなくなる。
日本エネルギー経済研究所・中東研究センター研究員の小林周は、同センターのレポートで、リビア内戦の複雑さは、「東西対立」よりも「断片化」と称するほうが適切だと書いていた。
ところがその複雑さが、地球連邦内で軍閥(ティターンズ)が台頭し、民兵組織(エゥーゴ)が対抗する図式と引き比べてみると、なんとかお互いが掴みやすくなる。
ひとつの軍=ひとつの国のもの、という固定観念さえ外してしまえばいいのだ。
兵士と武器があり、指導者がいて、資本を支援する存在があれば、国に拠らない軍はできてしまうし、その力が大きければ、小さな共和国よりもよほど大きな存在となる。
そうなると、中世のヨーロッパや日本の戦国時代のことも、今までより理解しやすい。
図式としては、宇宙世紀のほうが現実の国際紛争よりはシンプルだ。モビルスーツの開発は、アナハイム・エレクトロニクスが一手に担っているから。アナハイムがどの勢力を支援するか、そのさじ加減で情勢が変わるという不確定要素を持っているが、少なくとも、この国はロシアが武器を輸出していて、こちらの国や地域はアメリカや欧米諸国が……という背後を読まなくて済む。
ただ、新作映画『機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ』(21)まで続く宇宙世紀の政情不安は、『証言』にしても、『ジオン軍の遺産』にしても、原因は大体が「地球連邦の上層部の腐敗」で説明がついている。
そこは少し、便利に扱われているところがあると思う。
地球連邦に圧倒的なカリスマ指導者がいたら、それはある程度まとまるだろうとして、それが果たしてよいことなのか?という疑問が生まれるからだ。
(僕は大体、政治家に強いリーダーシップを求める、という感覚が昔からあまりよく分からない)
そこで一番の背景として、スペースノイドとアースノイドのそれぞれの意識や主張の相容れなさがあり、どちらも「正しい」限り、平和は訪れないとするリアリティを持ち込んでいるのは、とても腑に落ちる。
西暦から宇宙世紀になったということは、それまでのキリスト教文化(および対立する宗教文化)から離れた、ということだ。
かつてのヨーロッパの王族は教会の、日本の戦国大名は天皇の、威信と承認を求めた。
だが、それまでの宗教という軸がない宇宙世紀で、スペースノイドとアースノイドの互いへの憎しみばかりが剥き出しになった時、求められるのは、新しい価値観の軸の誕生、神に代わる者の存在による束ねとなる。
ここまで書いてようやく、『機動戦士ガンダム』のシリーズが、第二次世界大戦から戦後の中東戦争など様々な戦争の対立構造をおびただしく参照しながら、世界の争いの原因の大部分を占める宗教・神については周到に避けてきた深慮について思い至る。
そうか、だから用意されている概念が、ニュータイプなのだ。
宇宙で人が暮らすのが当たり前になった時代に生まれた、更新された人類。
ニュータイプが、かつてのジオン共和国のジオニズムが唱えたように、宇宙生まれの宇宙育ちからしか生まれえない人達なのか、そうでないのかが、確かにずっとシリーズのベースにある対立構造として描かれてきた。
ニュータイプの定義のはっきりしなさ(試行錯誤されている設定と、完成されたアニメ版での「ニュータイプ=超能力者のことだな」と直截的に認識しやすい表現とのズレも含めて)をめぐっては、諸説あるだろう。
しかし、総監督の富野由悠季に、現実の世界の歴史で、宗教・神が多くの争いの原因になってきたのだとしたら、神のいない宇宙ではどうなるかを描きたいという大きなロマンが、当初からあったことは確かだろうと思われる。
神なしでも、あるいは神がいないからこそ、真の平和が実現するチャンスがある。そのためには、人間も中身から更新されていく必要があるのではないか。
(同時に、スケールが大きくて素晴らしいようで、そのテーゼは実は古いのではないか。マルクス主義的唯物史観に戻っていないか、という批判もとてもよくわかる)
数年前、富野があるインタビュー記事で、「ガンダムを見たなかから政治家や外交官を志す人が生まれてくれるのが理想的だった」主旨の話をしているのを読んで驚いたことがある。しかし現実にはアニメの世界に耽溺・充足する人ばかり増やしてしまった、と厳しく自己採点する内容だった。
その時は意外な印象ばかり受けていたのだが、これだけの世界観・設定をこさえるには、確かに、現実の世界の歴史や国際情勢を全て内包してやろう、というケタ外れの意欲が必要だろう。
富野さんは凄い。人間が真の平和を実現できるようになれる未来を、火の鳥やモノリスに頼らず、自分達だけで何とかしようとする大河ストーリーを作り続けてきた。その一点では手塚治虫やスタンリー・キューブリックの視野を超えているのだ、と改めて思った。
『証言』の制作・執筆チームが、富野さんの思いをちゃんと汲み取った本にしてくれていたおかげだ。
一年戦争以降のモビルスーツの変遷を追う『ジオン軍の遺産』も(Z以降はまともに見ていない身だと読み通すのに苦労はしたが)、ジオンと連邦の蓄積が混ざって次世代機が生まれていく産業史のなかから、インダストリアルを通して世界を知るヒントをもらえた気がする。
なにしろ、巨大な企業複合体アナハイムが、戦争のたびに肥えて地球連邦やジオン残党よりも大きくなっているという指摘も、現実の僕らの社会で、GAFAMが国家よりも大きな、今までの世界の市場ルールが通用しない存在になってきているのを考えれば、まるで突飛な設定ではない。
それによく読むと、僕がファースト以降のガンダムから落ちこぼれた理由のひとつ、絵柄やメカのなじめなさにちゃんと回答がある。
発想が戦車・重機の延長線にあり、しかも鎧武者のイメージがベースにあった大河原邦男のメカニックデザインから、そうした前世紀までのイメージを全てはぎとった、シャープな出渕裕のメカニックデザインへの変化。それは、
ビームなどの武器の発達で重装甲があまり意味をなさなくなった。→それよりも軽量で、ビームをすぐ避けられる機体のニーズのほうが増えた。→だから、次世代のモビルスーツは(子どもがすぐにマネして描けないような)複雑なフォルムの機体に変わっていった。
と、とても納得がいくように書いている。
先日、山下ふ頭の〈ガンダムファクトリーヨコハマ〉に、“動くガンダム”を見に行った。
入場特典のガンプラをもらえて嬉しかったし、ショップに出ていた横浜名物・尾島商店とのコラボハンバーガーは美味しかったし……と楽しかったけど、僕はあまりいいお客ではなかった。
ここまで書いたように、僕はどちらかというと、ガンダム自体より、そもそものアニメ作品より、その背景にある設定思想のほうが面白いようなので。
実物大のガンダムが動くところを見ながら、思い浮かんだ言葉は「お前はただの重機に過ぎない」だった。
でも、そここそ大事かという気もする。ガンダムが強い、ガンダムがかっこいい、と思ってもらうのをめざして富野さんはこのシリーズに半生をかけてきたわけではないから。
大仏像のように大きくそびえ立ち、手足の関節を大きく曲げる(かなり制作者にとっては大変だったと思われる)動きを見せながらも、横浜の“動くガンダム”は、人型機動兵器の単なる原寸大の複製だった。自らが偶像視されることをちゃんと拒否していた。
そこは、なかなか立派なものだったと思う。
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