ワカキコースケのブログ(仮)

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東宝の俳優 黒木順を知っていますか

2022-02-03 04:24:31 | 日記


ある仕事で一緒のRくん(20代)とは、仕事の終わりによく雑談をする。実質は、僕の面倒なうんちくに辛抱強く付き合ってもらっている。
先日も、出演者のスケジュール調整を相談する流れから、僕が学生時代に経験してきた映画エキストラの話になった。

『香港パラダイス』で警官隊のひとりになって、悪事を疑われた探偵役の小林薫を取り囲み、一本背負いで投げられた(画面の隅にチラッとだけ映る)こととか。黒澤明『夢』の、原子炉爆発で避難する人々のひとりだった(自分の姿は全く確認できない)こととか。

Rくんが「へえー、凄い」と感心したように聞いてくれるのでだんだん興に乗り、カッコの部分は飛ばして大げさに盛りながら話していたら、Rくんが、もっと凄いことを言った。

「僕の祖父、東宝の俳優だったんですよ。黒澤明やクレージー・キャッツの映画にも出ていたみたいです」

そういうことは先に言ってほしい。ついつい、あたかも自分が重要キャストだったかでもあるように話してしまった人間がギャフンとさせられた時の気持ちが、キミには分からないのか。

逆ギレはともかく、それはタイヘンな話である。
芸名を聞くと、黒木順。ウィキペディアにもざっとプロフィールが載っている。

現在のウィキペディアの記述は、以下の通り。
「東宝の専属俳優。
1960年代を中心に、ジャンルを問わず多くの作品に主に端役として出演していた。
1968年以降の出演作品が見当たらず、以後の消息は不明である」





さっそく黒木順の名前でネット画像検索をしたら、確かに、いろんな東宝映画の場面写真が出てくる。
旧作邦画、特に黒澤映画や怪獣映画は端役までチェックする熱心なファンが沢山いるから、黒木順を知っている人は意外なほど多くいた。

細面に尖った目。黒い髭。
こう見ると確かに、初めてお目にかかった気はしない。ウィキペディアに掲載されている出演作(おそらく劇中のクレジットに名前が出ている映画)のうち、数本は見ていた。意識しなくても名画座やテレビ、ビデオで、僕はすでに何度も黒木順を見ている。

「あれ、Rくんってさ、去年おじいさんが亡くなって地元に帰ったじゃん。それって」
「そうなんです。それが黒木順」

黒木順氏は昨年(2021年)3月に老衰のため逝去された。享年91歳。

「晩年になっても髭がトレードマークで、おしゃれだったんですよ。上下白いスーツを着て外出したら、その筋のえらい人みたいで」
「ははあ、さすが俳優さん」

さっそく、お父様(黒木順の息子さん)がまとめていたという、黒木順の登場する主な映画の場面抜粋ビデオを見せてもらい、さらにはRくんを通じて、お父様からもご存じのことを教えていただいた。

以下、情報を整理したものを、お父様の承諾のもとに紹介させていただく。ややこしくなるので、Rくんのお父様も、「息子さん」とさせてもらいます。

黒木順
1930年10月生まれ。三重県鳥羽市神島町出身。
1955年、東宝ニューフェイス(俳優養成所/研究所)研究⽣として東宝入社。

息子さんが本人から聞いていた話では、
「俳優を始めたというか、目指したのは、お金になると聞いたから。それまで、いろんな事業をして、どれも失敗したみたいだから。
そんな時に俳優養成所の募集があって、駄目もとで挑戦。面接では、はだか馬に乗れる、島育ちだから3人を背に乗せて泳げる、と身体能力の高さを主張して、狭き難関を突破。どれもハッタリだったようですが」

芸名の「黒木順」は、三島由紀夫が名付け親。三島の代表作であり、ベストセラーとなっていた『潮騒』の舞台が、出身地の神島だった縁から。
(三島は神島の自然と、住む人の人柄をとても気に入り、しばらく滞在もしている)
その後は、ほとんどがセリフのない役だったが、多くの東宝映画に出演。

息子さんがまとめていたリストを、注記とともにここに挙げておく。ウィキペディアに記載されているよりも多い。
ただ、いわゆる大部屋俳優として出演している映画を全て勘定に加えたら、もっともっと多いはずだ。また、違う芸名でクレジットされていることも何本かあったようだ。

『遙かなる男』(1957 谷口千吉/池部良)
※これが出演第一作。息子さんのお話によると、黒木が一番尊敬していた監督は、谷口千吉だったという。谷口は1954年に『潮騒』を映画化し、撮影も神島で行っている。その縁もあって目をかけてくれていたらしい。

「谷口千吉は、古い映画好きには有名な監督。助監督時代からの黒澤明の仲間でね、奥さんは八千草薫なの」
とRくんに説明すると、
「ああ、そういえば、祖父はちょくちょく八千草さんの名前を出していました」

『隠し砦の三悪人(1958 黒澤明/三船敏郎)
※映画の前半、合戦で秋月城を落とした山名家が、捕虜達に城の埋蔵金を掘り起こさせる。そこで苦役させられているひとり。
Rくんと一緒に息子さんの抜粋ビデオで見たが、『隠し砦の三悪人』の捕虜達が働かされているあたりは、クロサワ映画の数ある集団場面のなかでも特に分厚い迫力で名高い。ここにいるってことが凄い。

しかも後半では、主人公の秋月側に付くことに決めた山名家の侍大将・兵衛(藤田進)に槍で突かれ、馬からもんどり落ちる侍をまさに体当たりで演じている。
『隠し砦の三悪人』をヒントにした『スター・ウォーズ』で例えれば、1本のなかで反乱軍の兵士と銀河帝国軍のストームトルーパーに扮していたのと同じなわけで、これこそほんとの「孫に自慢できる」というやつだ。

当時の黒木は、周りから「シフネ」と呼ばれていたという。
シフネ=四船。三船敏郎の次のアクションスターになる、という意味だ。
そう黒木から聞かされていた息子さんは、半分は冗談だったでしょうと断っているが、ただの冗談で付けられるニックネームにしては、大それている。

戦後東宝きっての娯楽アクションの担い手・谷口千吉のもとでデビューし、戦後日本映画界のエース・黒澤明の大作に呼ばれる。三島由紀夫が芸名の名付け親という話題性もある。
背中に3人乗せて泳げたかはともかく、身体能力が実際に高いことは、『隠し砦の三悪人』のスタントで証明できている。
半分は冗談だったとしても、半分は本当に周りから将来を期待されていたか、少なくとも、ミフネの次は俺だ位の意気込みで行け、とハッパをかけられていたのは、事実だろう。

ところがこの後、不運が起きる。1959年公開・稲垣浩監督の『或る剣豪の生涯に出演中、ケガをしたのだ。
三船敏郎の剣豪と斬り合う浪人役のひとりだったが、稽古中、髙く組んだセットの上で後ずさりして落下、首と背中を強く打った。
その日はそのままタクシーに乗せられて帰宅したが、痛みがひかない。脊髄を傷めていることがわかって入院した。自力では立てないほどになり、約1年間、ベッドにうつぶせになっての長期入院になる。
その間、地方のロケ先で出会ったという女性が看病してくれたそうで、この女性がRくんのおばあちゃんにあたるひと、になる。

阪城物語』(1961 稲垣浩/三船敏郎)
※息子さんがまとめていたリストでは、『或る剣豪の生涯』撮影中のケガによる長期入院のあと、一番早い復帰作はこれ。身体を張った役を演じるのは、この後はもう難しかったそうだ。

『真紅の男』(1961 本多猪四郎/佐藤允) 皮ジャンパーの男
※初めてシナリオに役と名が載った映画だったが、興行は不発。黒木は、本作の製本された本作のシナリオをずっと保管していた。

『どぶろくの(1962 稲垣浩/三船敏郎)  監視人

『ニッポン無責任時代』(1962 古澤憲吾/植木等) バーの客
※谷啓と犬塚弘がバーにいると、陽気なピカレスク・平等(植木)が現れ、調子よく話を聞かされているうちにうまく勘定を持たされる場面で、犬塚の後ろの席にいる客。
抜粋ビデオをよく見ると、黒木順、あくまで背景に溶け込みながら、細かい芝居をしている。

・まず、犬塚の後ろで、ホステスと難しい顔で話し込んでいる。
・犬塚が植木になにかを問い、植木が答えるカットに切り替わる瞬間、内ポケットに手を入れる。
・しばらく植木や谷が話すカット。
・犬塚にカットが戻ると、背後の黒木、もう二、三口吸ったタバコをくわえている。

カメラの切り返しによる時間経過を計算に入れたうえで、小道具のタバコをうまく使っているのだ。これには感心した。
現場で撮影されたものが編集でどうなるか、カンどころをよくよく呑み込んでいなければこんなに見事につながる芝居はできないし、やらせてもらえない。観客は不自然なつながりには敏感になるものだからだ。
大部屋といえども、映画黄金期の専属俳優はこれだけ高度に映画作りを知悉した演技ができた。その実例のような場面だ。

実際は監督か助監督の指示通りだった……としても、評価は変わらないのである。
アクション俳優からの転向を余儀なくされても、髭面のままでいる。それでいて、いかにもバーの常連客として画面のなかに定着している。むしろその髭がおしゃれに見えて、広告代理店のグラフィックデザイナーなど当時最先端の職業人みたい。
その馴染みようこそが、訓練のたまもの。

これは、せっかくなので強調しておきたい。同じ端役でも、一般人のエキストラと訓練を受けた俳優とでは、画面上のおさまり具合はまるで違ってくるものなのだ。

『やま猫作戦』(1962 谷口千吉/佐藤充)
『忠 花の巻・雪の巻』(1963 稲垣浩/八代目松本幸四郎) 小堀源五郎

『天国と地獄』 (1963 黒澤明/三船敏郎) 刑事
※抜粋ビデオを見ると、捜査会議のなかに険しい顔をして加わっている。トレードマークの髭を剃って。しかも映画の中盤を盛り上げる、潜入捜査チームの一員。

潜入捜査に選ばれた刑事数人が、屋上で仲代達矢から指示を受ける場面では、さっきまで白面・白シャツでいた刑事が、顔を汚し汚れた服装になって並ぶ。クロサワ映画の飽きのこなさの秘密のひとつである、ダイナミックなコントラストを端的に示す、『天国と地獄』の好スパイスとなっている場面だ。
そこに黒木順もいる。東宝の現場での信頼度がうかがえる。

『日本一の色男』(1963 古沢憲吾/植木等) 銭湯の客
※植木が銭湯の湯につかりながら歌を歌う場面で、隣でその歌声を聞いているひとり。『天国と地獄』ではギラギラした感じの刑事役だったが、こちらは、いかにも町工場の勤めが終った帰りみたいな、おっとりした顔をしている。
オッとなるのは、植木の横で目立つ動きをしているところ。

・植木、歌いながら気持ち良くなり、湯のなかで立ち上がる。
・カメラも植木に寄りながらフォローするので、座って湯につかる黒木達の頭が切れ、植木の背景はタイル壁だけになる。
・そこへ、黒木が半立ちして湯船のヘリに腰掛けるので、上半身だけ、歌う植木の背景にひとりおさまる。

これはおそらく、監督の指示だろう。歌う植木のみをとらえる絵にしたかったのなら、黒木の動きはジャマ。よくある大部屋俳優の奮闘コメディのように、目立つな!と怒られているところだ。

歌う植木の背景がタイル壁だけになると、逆に銭湯らしくなくなり、かえって絵が決まらなくなる。誰かひとりは裸で後ろにいてほしいな。黒木ちゃん、頼むよ。そんな感じだったと思われる。

ここでも、黒木順の芝居は細やか。
風呂場で朗々と歌いだして誰からも怒られないどころか、みんな楽しそうに聞き惚れる ― これはミュージカルおよび歌謡映画の楽しい約束事だが、黒木はただ黙ってニコニコ聞いているわけではない。今日はなんだか、えらく明るい男が来ているなあ、という風情で、お湯をすくって肩や首筋をぬぐったりしている。
歌を楽しく聞くのが半分、今日の仕事が終って汗を流し、やれやれとくつろいだ気持ちでいるのが半分。
こういう、ちょっとした芝居のリアリティによって、歌謡シーンがあんまり絵空事になり過ぎないようにしている。

同時にこの映画は(僕は未見なのだが『日本映画作品大事典』によると)、要領のいいセールスマンが実は隠れた優しさを持つ男だった、という話なので、戦国時代の雑兵役や刑事役が似合う面構えの黒木が背後でくつろいだ風でいると、主人公が周囲の人を自然と笑顔にする魅力の持ち主である、という描写にうまく説得力を与えていることになる。
やはり、その映画のストーリーをよく理解したうえで、映画を膨らませる芝居をしているのだ。

さらに言うと、大ケガをした後だと知ったうえでこの場面を吟味すれば、黒木の裸がよく引き締まっている ―だから町工場勤めの帰りのようという連想も生まれた― に感嘆の念が湧く。
黒木順は、アクション場面ができなくなった後でも、締まった身体をキープしていた。常に被写体となる仕事であることを意識していた。
大体、たるんだ身体になっていたとしたら、どんなにやる気があろうと、歌う植木等の後ろには座らせてもらえないだろう。

『蟻地獄作戦』(1964 坪島孝/仲代達矢) 匪賊B
『がらくた』(1964 稲垣浩/市川染五郎) 竹三
『ホラ吹き太閤記』(1964 古澤憲吾/植木等) 今川方の忍者
『三大怪獣 地球最大の決戦』(1964 本多猪四郎/夏木陽介) 調査隊隊員5
『戦場にながれる歌』(1965 松山善三/児玉清) 所沢軍曹
『100発100中』(1965 福田純/宝田明) 国道の男
『奇巌城の冒険』(1966 谷口千吉/三船敏郎) 旅人(黒賊)
『狸の休日』(1966 山本嘉次郎/高島忠夫)
『クレージー大作戦』(1966 古澤憲吾/植木等) 手下C
『佐々木小次郎(1967 稲垣浩/尾上菊之助)
『ドリフターズですよ! 前進前進また前進』(1967 和田嘉訓/ザ・ドリフターズ)

これらの映画も、黒木順に注意しながら再見したり、初めて見たりするのが楽しみになってきた。

この間に、テレビの『ウルトラQ』がある。第5話「ペギラが来た!」(1966年1月30日放送)の南極基地越冬隊・鈴木副隊長役。
ウルトラシリーズは再放送の回数やソフトリリースの数が他とはケタ違いなので、これが現在、一番人に見られている黒木順の出演作と言い切っていいだろう。

僕も久々に見直してみたら、主人公・万城目淳(佐原健二)とやりとりする場面が多い。しかも、モンスター映画に欠かせない嫌われ役をバッチリ担っている。

モンスター映画の嫌われ役とは、次のような役回りの人物のことだ。

・忍び寄る異変を「科学的・論理的でない」と冷ややかに一蹴し、真相の発見を遅らせる
・危機に立ち向かおうとする主人公達の行動を、頑固に否定する
・いざ危機が起きる(モンスターが姿を現すなど)と、誰よりも怯え慌てて、作戦行動の足を引っ張る

黒木順、ペギラを前にしてこういう余計な真似を全部やっている。さっきまで偉そうだったのに、ペギラが近づくと急に背中を丸めて部屋の隅まで逃げる(敢然とペギラに向かってミサイル発射する万城目の後ろでそうすることによって、手前の万城目を引き立たせる)、セコさが実に伝わる、いい芝居をしている。

あいにく代表作にしきれなかったのは、声が内海賢二の吹き替えになっているから。
(ちなみに内海は当時、俳優・声優として新進の存在。同年放送開始された『魔法使いサリー』のサリーちゃんのパパ役が、最初のアタリ役となる)

「祖父は、話す時は少しボソボソした感じ、といえば感じでしたから。うまくいかなかったんですかねえ」
とRくん。
「うーん。でも、アフレコが普通だった当時はよくあるんだよ。同じ『ウルトラQ』でも、第1話の少年の声は、少年役でおなじみだった声優がアテたりしていた」

しかしこの謎は、息子さんからいただいた情報で氷解した。
アフレコ当日に体調を崩してしまい、それで急きょ、内海が代演することになったのだそうだ。
当時は『ウルトラQ』が不滅の古典として残るとは誰も思っていなかったろうから、しかたないとはいえ、残念な話ではある。

教えていただいた黒木順の作品歴は、以上。

「結婚後、外車を買って乗り回していた」時期もあったそうだから、やはり、ここに挙げた映画以外にもどんどん出演していたと思われる。
それでも俳優をやめることにしたのは、息子さんの推測の言葉をお借りすると、
「結婚する。子供もできる。でも、出番がない。脇役では手取りが少ない。そんな気持ちの中で、やめる決断をしたのではないか」
だった。

ここで少し黒木順から離れて、古谷敏『ウルトラマンになった男』(2009 小学館)の話を。
『ウルトラマン』のスーツアクターで、『ウルトラセブン』のアマギ隊員を演じた、この人を知らない特撮ファンなんてありえないぐらいにおなじみの古谷さんが、当時の撮影を活き活きと回顧した本だ。

僕はこの本が大好きで、こんなにバックステージもののドラマにピッタリの題材はない、と企画書とシノプシスを作って、知っている番組制作会社のプロデューサーに持ち込んだ。十年以上前のこと。
ウルトラシリーズを制作中の円谷プロを舞台にしたドラマはすでに幾つかあったが、どれも監督などスタッフがモデルであり、主人公だったので、演じた側からがあってもよいと思ったのだ。

正味なところは、最高にいいドラマだった『ウルトラマンをつくった男たち 星の林に月の舟』(1989)の自分版を作りたい、だった。
2人ほどのプロデューサーに見てもらい、「ドラマ制作部の同僚にも見せるよ」「会議に出してみるよ」と言ってもらった後は、それきりになった。まあ、しかたない。なにしろこの題材だから、同じ企画を出した業界の人間は、他にも何十人もいたでしょう。

で、この本の著者であり主人公の古谷敏も、黒木順と同じ東宝ニューフェイスの俳優だった。1960年に入社だから、黒木の5期後輩にあたる。
あだ名は「ホイホイ」。ジェリー・ルイスのように大股でホイホイ跳んで歩く感じを真似して、大部屋の同期には「ホイホイ」と呼んでもらうよう頼んだという。
撮影所の人達に存在を覚えてもらうためだ。

なんでもいいから特徴を出して、現場のスタッフや演技事務の人達に自分を印象付けなければ、いい役はまわってこない。
黒木順が髭面をトレードマークにしていたのも、そういうことではなかったか、と思われる。
端役、チョイ役でも大手の専属だから暮らせていけるが、それでは満足できない。もう少し、なんとかなってやろうと考え考えしての大股歩きに、髭。
そう考えると、鼻の奥がちょっとツンとなる。

古谷が長身を買われて、ウルトラマンの中に入ってくれないかと乞われ、悩む(当時はスーツアクターの概念は薄く、顔をマスクに隠した役が来るのは屈辱的ですらあった)あたりが、本の前半のクライマックスなのだが、その背景には、当時(1966~67年)、映画の斜陽化が始まり、専属俳優も仕事が少なくなっていた事情がある。

『ウルトラマン』の撮影の合間に、少しでも顔を出しての芝居がしたいと、古谷が東宝演技課の課長に頼んだら、「東宝も自社で撮る作品はどんどん減らし始めている。専属契約も徐々に解除しているんだよ」と、やんわり断られる場面もある。
映画ではなくテレビで、しかも子ども向け番組なんて……と最初は島流しにでもあったように不承不承だったウルトラマンの仕事が、運命の分かれ道だったのを、後で古谷も痛感することになる。

まさにこの時期が、黒木順が東宝を、俳優をやめた時期だ。
息子さんの情報によると、黒木に対して東宝は、事務職で残る選択肢は示してくれていた。
『或る剣豪の生涯』撮影中のケガはいわば労災にあたるので、その後アクションができず、できる役柄が限られてしまったことに対し、会社として責任は感じていたようだ。

それでもやめるのを選んだことについては、息子さんもハッキリ理由を聞いていないそうだ。
あくまで想像の範囲だがと断って、「俳優のプライドが、事務職という選択を許さなかったのではないか」という、父親を見てきての推測は教えてくださった。

この文は、仕事仲間のRくんのおじいさんが黒木順だったと知った以上は、ウィキペディアの項の続きを記しておきたい、と思ったのが主な動機で書いている。

「1968年以降の出演作品が見当たらず、以後の消息は不明である」

映画ファンの視点から見たらその通りだし、わざわざ縁もゆかりもないのにウィキに書き込んでくださる方の熱心さこそありがたいものの、どうしても、尾羽打ち枯らしたようなイメージが言外に残ってしまう。

俳優をやめた後、黒木順は、店を開いたりなどいろいろ精力的に活動していたという。試行錯誤もあり、「徹夜麻雀をしては家に帰らない」日々もあったりしたそうだが、育った息子さんは、ここでは伏せるが、Rくんに聞くととても立派な経歴だ。

Rくんに、子どもの頃おじいさんと一緒に撮った写真、つまり、黒木が孫を抱き寄せている写真も見せてもらった。
チェックのシャツの着こなしは、すぐにシロウトではない、と分かるほどおしゃれで、髭こそ真っ白になっていたが、映画や『ウルトラQ』の中と変わらずに精悍だった。

ともかく黒木順は、一社会人として、ひとりの男として精一杯、まっとうに生きた。
この事実は書いておきたい。いや、もともとこれを記しておくためだったのに長い文章になってしまった。

大体、孫のRくんの現場でのテキパキさと実直さ加減は、この仕事に関わる人全員が認めているところで、そういうところがまさに映画俳優の祖父譲りか、とナットクするのは大げさかもしれないが、全く無関係ではないと思っている。少なくとも、前述してきた、端役でも細かい工夫をしている黒木順の律義さは、Rくんのふだんの仕事ぶりとよくつながっている。そこは、ポカやうっかりをしょっちゅう助けてもらっている僕が今のところ、一番よく知っている。

「俳優の仕事をやめたのを祖父が後悔することもあったのか、僕にはなんとも言えませんけど……。ただ、俳優の仕事が好きで、ずっといい思い出にしていたんだろうなとは想像できるんです。同窓会なのか、東宝の俳優OBの集まりに出かけた後、その話を祖父が凄く嬉しそうに話すようすを、よく覚えているんですよね」(Rくん)

息子さんからは追伸で、もうひとつ、いい話を教えていただいた。
黒木が尊敬していた谷口千吉は、2007年に亡くなった。その晩年、黒木は谷口と東宝時代の仲間を神島に案内していたそうだ。
黒木にとっては里帰りであり、同時に、谷口先生におよそ半世紀ぶりに自作『潮騒』のロケ地を訪ねる旅行をプレゼントしたことになる。

東宝をやめて何十年経っても、黒木順は、撮影所で出会った人達とそんな温かい関係を続けていた。
これ以上の答えはないじゃありませんか。

思い出すのは数年前、ある芸能事務所を営んでいる年配の方と雑談する機会があったこと。
昔は大映の専属俳優で、やはり映画の斜陽化の後は映画界から離れて事業を起こしたプロフィールが、黒木と重なる方だった。
その方の場合は、事業を息子に任せるようになってから、スターに出世したかつての仲間が大ベテランになっても俳優・タレント活動を続けたいのを手伝うかたちで、マネージメントを引き受けたという。

「最初のガメラにも出たことあるよ」とおっしゃるので、「どんな役ですか」と聞いたら、
「北極の調査船の隊員」
「えッ、じゃあまさに『大怪獣ガメラ』の冒頭で謎の飛行物体に出くわす、ガメラを最初に目撃した人間じゃないですか!」
「ハハハ、そうなりますか」

その場は、CSの映画専門チャンネルのオフィスの一室。これを聞いた途端、なにしろ古い映画をよく知っている人ばかりだったので、パッと明るい雰囲気になった。
黒木順にも、そんなことがきっと何度もあっただろう。

映画の撮影所が〈夢の工場〉だった時代に、その世界の一員として青春を過ごした人の経験には、一瞬で周りの人をときめかせる魔力がある。それはもう、人生の宝物と呼んで差支えのないものだ。
もちろん、主演級の俳優になれたらそれに越したことはないが、宝物を持っているだけで素晴らしい。

そしてその、経験と言う名の宝物は、ただ運やタイミングでその場にいただけでは輝かないものだ。
なんとかスクリーンの隅に爪痕だけでも残してやろうとして、ひたむきに汗を流して、悔しい思い、歯がゆい思いも何度も味わっているうちに、やっと、初めて、キラキラ光ってくるものだ。

こういうことは、自分に言い聞かせるようにして書いている。
物書きとしてはずっと鳴かず飛ばず、もう少しどうにかならんかといつもジタバタしている。今年(2022年)に入ってもそう。
そんな時に黒木順の、画面の隅での細やかな芝居の工夫に触れた。
初心を忘れずこつこつやりなさい、と言ってもらっている気分でした。


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