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2020年に聴く『わたしを断罪せよ』

2020-02-28 05:57:26 | 日記


年初に「2020年のブログは〈文章量より更新頻度〉が目標〉と書いた。そしたら、またそれっきりになってしまった。

ざざっと、昨年の秋に初めて聴いた古いレコードの感想文を。

『わたしを断罪せよ』岡林信康
LP/1969/URC

聴けばタイヘンなことになるのが分かっている。もう、あんまり、ひとが作ったものにいちいち影響されたくない。そんな理由でずっと避けてきたアルバムのひとつ。
シングル「それで自由になったのかい/手紙」だけでもう充分に、殴られるような思いは味わってきたのだ。

あまりに〈時代を画した名盤〉過ぎて、ずっと気後れしていた。当時の左翼学生の思想・心情にそうとう仮託していなければ理解できないイメージが強かった。

どっこいしょ……と宿題を片付ける気持ちで聴いてみたら、そんなことはないのだった。

 

よく知られるように、このファーストアルバムが出た時期の岡林信康は、戦争忌避の思いや労働者の辛さをヴィヴィッドに歌う新たな社会派フォーク・シンガーの旗手としての周囲や観客の期待が重荷になり、数ヶ月にわたって蒸発する〈事件〉を起こしている。

こういう話は大体、後に伝わるほど、書き手はミュージシャン側の言い分にまわるようになる。

急速にできあがったカリスマ・イメージとのギャップに苦しんだ。そんな当時の岡林の気持ちをまるで当時からよく理解できていたらしい、感受性豊かで柔軟な言葉ばかりがいつのまにか残って、岡林にステージで「友よ」を歌うことを必ず求め、討論会に参加しないことをなじった人達は存在もしていなかったように沈黙している。

でもこのアルバムを今、虚心で聴くと。〈フォークの神様〉扱いした当時のひとを、僕は責められない。当然だとすら思う。それだけ「友よ」「山谷ブルース」「戦争の親玉」の、ひとつのゴロッとした音楽としてのカタマリの存在感は凄い。それに「手紙」。

もしも当時、僕が高校生だったら、真面目に世の中の矛盾や暗部を考えるための導きの杖として、このアルバムを支えにしていただろう。本人が「いや、ほんとはロックをやりたいし、美空ひばりも好きなんやで」と言うのを聞いたら、バカにされたような、裏切られたような気持になっただろう。待望のセカンドアルバムを手に入れて、はっぴいえんどとかいうよく分からないロックバンドをバックにした調子のいい、ストレートなプロテストソングが見当たらないものだった時には、深く傷ついただろう。URCの事務所に抗議の手紙を書いて送ったかもしれない。

それはもう、しかたないことだと思うのだ。
なにを、誰を聴くかが生き方と直結する時代があった。今は古い、固い考え方だけど、美しい。その美しい期待でミュージシャンを苦しめてしまった過去を、なかったことにするほうが美しくない。


しかし、そんなひとも、今改めて聴けば、このファースト・アルバムの時点で岡林がとても広い音楽性と人間としての幅を提示していることに気付くはずだ。

まず、A面・B面を通して歌われているのは、世の中が、このままならイヤだな、もう少しよいものであってほしいな、と願う素朴な思いだ。そこにブロテスト・ソングも加わっている、という順番。

1曲ごとに岡林自身が解説の短文を添えているところが律儀で、「戦争の親玉」で書いている権力への怒りは当時のまっすぐな真情だろう。でも、それだけにとどまらない。常に怒りの歌だけが自分の中にあるのではないのですよ、と実はかなり正直に書いている。もしも時代の要求に応えて怒りの歌だけを並べたら、それはむしろ自分にとって嘘になってしまう。そういう切実さがある。

その典型が「カム・トゥ・マイ・ベッド・サイド」のような、甘くて美しいラブソング。セクトに寄らないプロテストは何か、恋愛ではないか、と自問自答のもとに歌っている。
(原曲はエリック・アンダーソンなんだ。ギターの繊細な響き。サイドギターは五つの赤い風船の中川イサト)

それに、日本にもこんなにいい歌があります、とサトウハチロー作詞の「モズは枯木で」を素直に勧めている。このあたりの感覚は、ウッドストック・ジェネレーションの渦に距離を置いて〈古謡のロック化〉をシコシコ試していたボブ・ディラン&ザ・バンドと通じるのかな。


このアルバムで岡林が腐心しているのは、個として歌うことなのだ。
一流大学の神学部に通った牧師の息子が、いかに当時の左翼学生の抱えるエリート意識から離れるかは1曲1曲をこさえる前後の、常に続くテーマでもあっただろう。(だから、労務者の経験をしたことが岡林にとって重要なよすがになっている)

愛を知れば、いつかは自分も親になる、と分かる。その時に、今のようにのびのびと、旧世代を弾劾できるか? 責められる側に自分だって、いつでもなってしまうんだ、と想像できるようになる。
こんなにどの曲も、今歌い、収録することがどれだけのっぴきならないことかと、空気を震わせているレコードは、そうそう無い。

誰より僕自身が、岡林信康を音楽的に捉えていなかった。色眼鏡をかけていた。1曲ごとに編成も調子も変えている、このカラフルな多彩さを知ろうとしていなかった。

そのうえで、びっくりするほど聴くメンタリーだった。なんと、ライナーノートの代わりに自分の思いまで吹き込み、今の「自分のうめき」を率直に出したかったとポツポツ語っている。
どういう人間がどういうつもりでこうしてファースト・アルバムを世に出すのか。自分の手札は全て明かすと決めている点では、天然のコンセプト・アルバムでもある。
音楽のレコードは音楽として聴く、が固まる前の、レコードとジャーナリズムが近かった時代の記録でもある。


以上のことを踏まえて、わたしを断罪せよ、なのだ。

石は投げたい。強い立場にいるずるいやつ、卑怯なやつに思い切り投げつけてやりたい。
だけど、投げたらスッキリする、そんな自分もイヤだ。
その分、投げられたい。
もしも自分が誰かに石をぶつけられたら、その時に初めて自分も、石を投げたい相手がいると言っていいと認めてもらえる気がする。
そういうことではないか。


だから……なんだかんだ言っても、自分が自分以上の存在、ヒーローになってしまったことが岡林にとって強烈に辛かったのはよく分かる気がする。
岡林、俺達の代わりに俺達の気持ちを代弁する歌をもっと作り、もっと歌え、と望む声がどれだけキュウクツだったろうかは察せられるし、俺も歌うから君達も歌ってくれ、という実はこのアルバムの中の一番能動的なメッセージがなぜ届かないのか。なぜ君達は聴衆、リスナーのままでとどまろうとするのか、という絶望もあっただろう。


しかし、岡林の歌声(歌手としての才能)は、俺も歌うから君達も歌ってくれ、と呼びかけるにはあまりに滑らかで、魅力的過ぎた。
各地の労働歌が、特に声が綺麗な者に代表して任せ、聞き惚れるのを楽しむようになった途端に「民謡」になってしまった近代の道筋に近い。

 


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