ワカキコースケのブログ(仮)

読んでくださる方ありがとう

告知と、断章〈ゴジラと私〉

2014-05-11 03:14:57 | 日記



1ヶ月ぶりの更新だ。
ボブ・ディランの話以来か。あれからしばらく、おまつりが終わったあとの気の抜けた状態のような、ちょっとした〈ディラン・ロス〉があり。
その後は、金縛りのようにブログまで手が回らなかった。

まず、ざざっと告知をいたします。

(告知1)
北海道登別市の「ワカキ玩具店」店主が、古いおもちゃや骨董を集め展示した施設「古趣 北乃博物館」を4月下旬にオープン。http://www.hokkaido-np.co.jp/news/chiiki/534308.html

「ワカキ玩具店」店主とは誰かといえば、僕の父なのである。
収蔵品の正確な数は不明、時系列もあやふや、と勢い先行ではあり、その道のオーソリティな方々に対しては、非常にお恥ずかしいところがあるのだが……。
少し大きめの個人ギャラリーと捉えてもらえれば、なかなか楽しんで頂けるのでは、と思っております。

2階の、玩具展示のほうは、道内の好事家さんたちに少しずつ話題にしてもらえているようだ。

1階の骨董、古美術のほうでは、横山大観の掛け軸があったりして、先日帰省した僕もビックリした。その下に「真贋を問わずご覧ください」と父の筆で神妙に書いてあり、笑った。
ただ、愛蔵家から寄贈された小磯良平のデッサン画など、思いがけないものが確かにあることはあるのだ。砂澤ビッキの作品なんかは、僕も20年以上前に音威子府のアトリエまで父と同行しているので、れっきとしたものだと言える。
ビッキは、美術評論家の針生一郎が晩年に推した彫刻家。当時はそこに逆に警戒したというか、アイヌの芸術家に対する社会思想に則った肩入れ、〈好意のバイアス〉があったのでは、と疑うところもあったのだが。今はすなおに、ビッキの木の彫刻はおもしろいし、パワーがあると思う。

登別温泉にご旅行の方、お時間あればお立ち寄りください。

(告知2)
Eテレの長寿番組「課外授業 ようこそ先輩」。5月16日放送回の先輩は、デーモン閣下。もちろん、悪魔が先輩になるのは番組史上初! なんと、子どもたちに魔物になるレッスンを施します……。
http://www.nhk.or.jp/kagaijugyou/next.html

いちおう、ワタクシ、参加した番組のOAです。構成作家のクレジットは(なぜか)出さないことが原則とのことで、おそらく僕はノークレジットですが、ご興味ある方ご覧くださると、うれしいです。

(告知3)
編集メンバーとして参加しているneoneoのサイトで、「ワカキコースケのDIG!聴くメンタリー」というコラムの連載を始めました。http://webneo.org/archives/tag/dig

レコードがアナログだった時代に〈その他〉のジャンルとして存在していた、ドキュメンタリーものの音盤を毎回、取り上げていきます。
連載2回目は『東宝SF特撮映画予告篇集』。予告編の音声だけ並べてアンソロジーになっているところを面白がってみた。
これまた、ご興味ある方ご覧くだされば。


さて、今回の本題は(告知3)と関係がある。
本文中で「ここで〈ゴジラと私〉を語り出すと止まらなくなるので、それは端折る。」と書いてあるのだが、実は本当に止まらなくなって、3,000字ぐらい一気に書いてしまい、丸ごとカットしたのだ。
消してしまうのももったいないので、以下、ひとつの時代の証言として載せてみます。




『ゴジラ FINAL WARS』が公開されたのは、2004年の年末だった。
監督の北村龍平さんに対しては、今更特に何も不満は無い。全く異なる感性の人間が凄い馬力で作っているものを見物させてもらう、という意味で僕はそれなりに面白く見た。同時に、もうこんな風(怪獣のほうに二次元キャラへ近づくことを求めた、対戦型アーケード・ゲーム風)に作るより手が無くなったのならば、ゴジラは静かに引退したほうがいいんだ……と思った。

それから約10年して、今夏、ハリウッド版からまず復活。仕切り直しするには機は熟した、と言えるし、10~20代の層が一回りして、実際にゴジラの映画を見たことが無い、知らない人が増えたことを考えると、空白期間がこれ以上延びたらマズかった、とも凄く思う。

というのも、昭和ゴジラのシリーズが1975年にいったん終わり、1984年に復活作が作られるまでの約9年間は、モロ、僕の小・中学時代と重なっているのだ。
つまり、一番見たかった時に、身も心も投げ出す準備はフルに出来ていたのに、その間に限ってゴジラは僕の前に現れてくれなかった。

84年の『ゴジラ』公開時は高校1年生。時もうすでに遅く、中子真治の『SFX映画の世界 完全版』(講談社X文庫)を熟読する、すれっからしの耳学問小僧になっていた。日本の特撮はなかなかインダストリアル・ライト&マジックのようにはいかないものだ、と粗を探す目でしか見れない身体になっていた。イノセントなままゴジラに夢中になれるチャンスは、永遠に失われてしまっていたのだ。

ここから、ちょっと私小説風に遡る。

1975年3月。若木康輔(当時・6歳)は、映画館の前でがに股になって踏ん張り、しかし上半身はタコのように身をくねらせ、「見たい見たい見たい見たい見たい見たい見たい見たい見たい」と呪詛のように繰り返しながら、伯母の袖を握りしめていた。ゴジラとメカゴジラが描かれた看板の前で、一歩たりとも動けなくなっていた。
伯母は、眉間に皺を寄せて短気を露骨に出しながら、ンーッと唸った。
「ダメだあ、もう。これから、アンタの入学のお祝いを買うんでしょ」

おそらく、彼が(お話にならない!)という感情を他者に抱いたのは、この時が最初だ。必ずや母親が誂えるものとダブるに決まっている、そして北海道の子どもには入学式以外には全く無用である半ズボンをデパートで買うために、そんな無為のために、彼女は、甥っ子が心から欲しいものを奪おうとしている。
ふだんは聞き分けのいいこうすけが、これほどグズっているからには、何かのっぴきならないものがあるのかもしれない。そんな風に伯母の心が揺れてくれるのを、彼は狂気じみたタコ踊りを間断なく続けながら内心で期待していた。逆に伯母は、車輪が溝にハマったトランクの取っ手か何かのように、甥の手を強くアーケードの通りのほうへ引っこ抜いた。若木の血である。情愛はあるが、こまやかな慈悲が足りない。

それでも、紅潮した頬をゆがませた甥の態度は普通ではなかったので、やさしい口調でこう話しかけることも忘れなかった。
「なんも、ゴジラなんていつでもやってるんでしょ。またすぐ新しいのが来るから。これなんかダメだ、面白くないやつだ。次のゴジラはもっとスゴいんだよお。それが来たら、連れてきてやる」
若木康輔(当時・6歳)は、よくよくその言葉を吟味した。その上で、自分の納得できる精一杯の譲歩案を提示した。
「指切りげんまん」
「いい、もう、バスの時間ないんだから!」

もしも指切りをしたところで、その契約には意味が無かった。1954年の『ゴジラ』から始まったゴジラ映画の製作は、彼が看板を眺めるだけで入れなかったもの―第15作目にあたる『メカゴジラの逆襲』―でいったん終了したからだ。

こうして思い起こしても、あの日の曇天の寒々しさばかりが甦ってくる。“最後”に間に合わなかった痛みと共に、ゴジラはずっと手の届かない、雲の向こうの存在だった。
映画で見るゴジラはきっとこんなだ、とラブレターの代わりに〈活躍想像図〉を描き、進研ゼミ中学講座会員誌に投稿したら、載った。世に出た初めての、僕のイラスト。しかし、クラスの好きだった子に「見たよ。絵、うまいね」と言われて、説明不能の恥ずかしさに襲われ、放課後の廊下を走って逃げた。

千歳一隅のチャンスが来たのは、1983年。特集上映《復活フェスティバル ゴジラ1983》が開催された年。紹介する記事をSF専門誌「スターログ 日本語版」(ツルモトルーム)で見つけた。もう中学三年生だ。映画館に行くのに保護者はいらない。行くべ、一緒に行くべ! と教室で友だちを誘った。
僕のはしゃいだ姿が癇に障ったのだろう。あまり仲良くないクラスメートに「おまえ、なに幼稚にゴジラ、ゴジラってはしゃいでるのよ。受験のこと考えてるのか」と言われた。「幼稚」と言われて耳たぶが熱くなり、何も言い返せなくなった。それに、その時初めて、受験というのは、いろいろ考えなくてはいけないものだと知り、胃の底がズーンと沈むようになった。誰にも言わずお年玉を崩して、一人で見に行こうと決めた。

しかし。《復活フェスティバル ゴジラ1983》は、映画館がいちばん近い街・室蘭には来なかった。
日にちがどんどん近づいているはずなのに、なかなか地方紙の映画上映欄に載らない。ヤキモキしたすえに室蘭での上映を仕切る須貝興行に電話をした。「ウチではやらないんだわ」とあっさりした返事だった。

映画が見られない。
それが辛くて、嗚咽しながら涙に濡れた畳を殴り続けたなんて経験は、これが最後だ。もうあんな思いをするのは耐えられないから、どんな評判の映画を見逃そうと執着しない姿勢が身に付いてしまった。

あらかじめ失われた初恋の相手、片恋慕の苦しみを初めて教えてくれたのは、ゴジラ。
確かにこれはあんまり幼稚……に思われてきて、そのうち話題にもしなくなった。専門学校にいる間は、ゴダール、小津にヴェンダース、深作、相米などなどと語るのに夢中で、ゴジラのゴの字も口に出さなかった気がする。そうやって、少しずつ思いを断ち切った。

ところが20代半ばの時、ひょんなことから、地方イベントのアルバイトでアトラクション用ゴジラの着ぐるみに入ることになった。
会場前の売店にとつじょ現れて頑是なきキッズどもをキャーキャーと驚かせたり、ゲストの初代ゴジラ俳優・中島春雄氏に「もっと摺り足でッ」など、お客さんの前で演技指導を受けるコーナーがあったりで忙しかった。
アトラクション用着ぐるみは、軽くは出来ている。それでも、体じゅうに布団を巻き付けているようなものだから、20分以上入って動いていると、けっこう疲れる。かつてあれほど恋焦がれたゴジラの中に自分が入っている感慨を、味わうヒマが無かった。

でも、この時はじめて僕は、淡々とゴジラの中に入ることで、幼い頃から冷淡にされ続けてきた恨み、屈折を忘れられることが出来る、と気が付いたのだ。そうだ、リアルタイムで結ばれることはついに無かったけれど、名画座やレンタルビデオで、後追いして楽しめばいいじゃないか。ああ、もう過去は振り返らないよ。今度会えた時、きっと僕は満点の笑顔をキミに向けられる。そして、胸を張ってこう言おう ― 「改めまして。はじめまして、ゴジラ!」
少女漫画の最終話のモノローグか。

以上。読み返すと、コラムの主旨から脱線・暴走もいいとこである。カットして良かった。



ここからはオマケ。情報解禁された『GODZILLA』の公開を控えつつ、これから後追いする楽しみが待っている人の参考に、昭和のゴジラ、私選の5本を上げておきます。


《ワカキが現時点で選ぶ昭和ゴジラ5本》

5位『怪獣大戦争』 1965 本多猪四郎 シリーズ6作目

ゴジラが悪役から、地球怪獣の代表として宇宙怪獣のキングギドラを撃退するキャラクターに転向が決まった後の第1弾。有名なX星人が出てくるのはこれだ。子どもの頃、なんとかテレビで見ることができたうちの1本でもある。宇宙の表現が素晴らしい。特に前半は、『2001年宇宙の旅』によってダダーッと更新される前の、世界最高水準の特撮とSFストーリーがたのしめる。ただし、怪獣登場のシーンの多くは過去作の流用も残念ながら、ここから。

4位『怪獣総進撃』 1968 本多猪四郎 シリーズ9作目

ゴジラのライバルが現れては人気を呼ぶと、オールスター的にたくさん登場させざるを得なくなってくる。そこで発想を変え、近未来では怪獣たちはまとめて1ヶ所に隔離されていた、そんな設定にしたのがこれ。発想が『ジュラシック・パーク』に先駆けているところが面白い。怪獣映画というより、怪獣がたくさん出てくるSF冒険映画。

3位『ゴジラ・ミニラ・ガバラ オール怪獣大進撃』 1969 本多猪四郎 シリーズ10作目

(『怪獣総進撃』の設定を引き継いだ)怪獣島がこの世にはある。そこに一度は行ってみたいと願いながら、街で暮らす弱虫な男の子のおはなし。こっちは怪獣映画というより、怪獣が(空想の中で)たくさん出てくるボーイズライフ・ストーリー。平成シリーズまで通しても、ここまでゴジラ映画らしくないゴジラものは無い。もしも子どもの時に見ていたらアタマにきていただろうが、僕はいいオトナになってから初見で、ものすごくツボだった。

文明批判の隠喩として現れた破壊神ゴジラだが、鬱屈した少年はその力にまっすぐ感応して、イジワルな子も学校の宿題もうるさいママも、全てブッ壊してチャラにしてくれ! と夢を見る。ゴジラはだんだん子ども向けに堕した、のではなく、もともとスサノオノミコト的な少年性を持った邪鬼、気に入らないものは後先考えずに壊したくなる破壊衝動のかたまり。昔は、大人のほうがそこを忖度する努力を拒否したのだ。
その点、文明懐疑や都市膨張の精神不安と、子どもの空想の夢との間に乖離は無いと見抜いていた大島渚と創造社は、凄い。『オール怪獣大進撃』と同じ年に公開された『少年』の、あの男の子は、“怪獣と闘う無敵の宇宙人”がアンドロメダ星雲からやって来るのを待っていたのだった。

2位『ゴジラ』 1954 本多猪四郎 シリーズ1作目

ここまで読んでいただけると分かる通り、僕はこの1本目を(当然のようにいちばん何度も見ながら)そんなに特別視、神聖視していない。
1本目には核の恐怖という真摯なテーマがあったが、だんだん怪獣プロレスに成り下がり……こうした定説は、半分は正しいのかもしれないが、半分は映画史的センスに欠けたインテリの見当違いだ。だってさ、戦前の『ロスト・ワールド』も『キングコング』も、ヴェルヌの小説なんかにあやかって恐竜、怪獣、ワサワサ出てくるじゃん。オリジンからして、いきなりトーナメント形式なわけじゃん。
まあ、そこまで角が立つ言い方をしなくても。ゴジラはこの最初の『ゴジラ』だけが独立した“恐怖映画”で、後のはどれも“ゴジラがゲスト・スターとして出てくるSF/ファンタジー”と考えてみても、いいんでないでしょうかとは思っている。

それでも、水爆実験で全身ケロイドにただれた恐竜の末裔が、戦火から復興したばかりの東京を襲うドス黒い寓意は、やはり別格。

1位『キングコング対ゴジラ』 1962 本多猪四郎 シリーズ3作目

輸出目的で東宝が版権を高額で買ったキングコングを立てつつ、日米のトップモンスターが雌雄を決する怪獣ワールド・シリーズ。本作や『宇宙大戦争』『モスラ』で、怪獣映画を明るい王道エンタテインメントに変えた脚本家・関沢新一は、天才、相当なイノベイターだとつくづく思うのだが、どう天才なのかうまく説けない。そういえぱ昔から宿題感が残っていたのを、ここまで書いて思い出してしまった。
とにかく文句なしに好きな映画の1本で、楽しい、楽しい。ひところは、年に1度は見ていた。昭和時代のゴジラ映画ってどんな感じだろ、とのぞいてみたい方には、思い切りカラフルな明朗娯楽に針が振れた本作を、まずお勧めしたいかな。

 

 


最新の画像もっと見る

コメントを投稿