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ワカキコースケのブログ(仮)

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ドキュメンタリー映画『風の波紋』に戦慄しましたの巻

2016-04-22 04:41:28 | 日記


時間があるうちに、早めにブログ更新。

ドキュメンタリー映画に関わる知人友人の間で、ちょっとこれはケタが違う、という評判の映画を今日、東京公開最終日の前日に、やっとこさっとこ見た。
ツイッターに綴ると短い感想でも連投、連投になりそうなので、ここにワッと一息に書いておく。つうか、ブログって基本、覚書の場に使ってゼンゼンかまわないんだけどね。考えのまとまったものを数時間かけて5,000字以上書かないとサボッている気がしてしまう自体、どうかしてる。


『風の波紋』

2015-2016公開 製作:カサマフィルム
監督:小林茂

↓東京での公開は終わりますが、新潟、愛知、大阪などでの公開情報は公式サイトをごらんください。
http://kazenohamon.com/

まず、謝ります。見る時間はこれまでに無理くり作れたのだが、食わず嫌いが勝っていた。もう、ロハスな生活礼賛ムービーはおなかいっぱい……と思っていました。

たまにあるでしょう。「ここには本当の人の暮らしがある」とか「人と自然とのゆたかな共生」とか。そういう薄っぺらい、百均ショップで売ってるようなフレーズを使って誉めたほうが合格点をもらえるなんて、なんか意味が矛盾していないか。よかれと思って作っているのは分かるけどさ……という映画が。

スタッフの顔触れからして、そんな程度で満足する代物ではないだろう、と分かってはいた。
重い腰を上げて見に行ったら、それどころか。1回見ただけでは、掴み切れないものがたくさんある映画だった。後期の小川紳介の映画のように。
公式プログラムを買って、喫茶店に入ってすぐ読んだら、ああ、あそこはそんな必然があったのか。えッ、あの場面にはそういう意味が……と気付く点が、ボロボロと。
特に、かわいいヤギがどっかに連れていかれた。その後、みんなで肉鍋をつついている。この一連はかなりのキモなのに、なんとなく流して見てしまっていたのが分かった。生きるとは何か、と提示するところほどさりげなく、ついでのように見せるという、実にオソルベキ判断の演出をしている映画なのだ。

「すっごい良かった、と思うんだけど、具体的に何が良いんだか1回見ただけだと僕、よく分かんなかった……」としか言えない。
見終った後に思ったことをメモしながら、まさぐってみたい。なので映画評にはいたらぬ、脳内素材あつめの行程を文にしたものと思ってください。

こういう映画を見ておたつく理由のひとつに、僕自身がけっこうな田舎の出身なのがある。
すぐ近くに漁港、少し登れば酪農地帯で、山の奥には温泉街、という町だった。高校生の時、いちばん金のいいバイトは、養豚場の清掃作業(つまりブタくんたちの糞さらい)だった。祖父が山持ちだったので、母方の親戚の多くは、山の中でチップ(マスの一種)の養殖、シイタケの栽培などをしていた。

うちのマミーなんか、完全に“リアル山んば”だからね。春になるとものすごく張り切る。毎朝、店(玩具店)を開ける前に軽トラに乗って山に入り、鎌で笹を刈り、ツツジを植え、沢でワサビなどを育てるのを何よりも楽しみにしている。「網を高くしたのに、夜中にまた芽を食べられたんだわ!」とプリプリ怒って、野生の鹿とマジで張り合う日々なんだから、こんな贅沢な園芸愛好家もいない。

そんな町を、(ここはオレの居場所じゃない)と思って出てきた分、自然のそばで暮らす人達に対して、引け目に近い感情がいつもある。映画や本やレコードに詳しいだけが取り得だなんて、田植えを始めるタイミングを体で覚えていたり、茅葺き屋根の修繕方法を知っていたりする人の前では、どうにも恥ずかしい。

だから僕は、都会人の作り手が田舎や集落の暮らしを追う映画の少なからずが苦手だ。
ドキュメンタリーやってる都会人は基本みんな賢いから、実感としてよく分からない農家の古老などは、とりあえず讃える方向で撮る。で、みなさん実際に内実があるから、とりあえずの視線で追おうと、その農作業に、表情に、イヤでもこちらを問う凄みが滲み出る。
それは、見ていていちいちマジメに受け止めたら、本当にしんどくなってしまう位のものだ。

なのに作り手に、「都会人が忘れかけた何かが、彼等にはあります。それを見る人にぜひ感じてほしい」と嬉しそうに劇場舞台あいさつをされると、悪いけど、腹が立つのだ。
客に見せる前に、アンタがまず都会人として彼等に怯んで、しんどい思いしてくれよ、そうでないと新聞の長めの囲み記事と一緒だよ、と。……ええと、つまり、新聞記者出身のひとが監督したドキュメンタリー映画で、僕はよく引っかかります。

いい例も言っておこう。去年(2015年)公開されたドキュメンタリー映画のなかで、街の人間である自分が集落を撮る意味に自覚的で、ちゃんと畏れの姿勢があったのは、水本博之の『繩文号とパクール号の航海』と、我妻和樹の『波伝谷に生きる人びと』


『風の波紋』はどうかというと、さらに凄い。軸になっているのは、途中から集落に移住してきた人達だ。
映画が始まってしばらくの間、木暮さんって妙に垢抜けたところがあるな、いっぺん都会生活は経験しているんだろうな、と思いながら見ていて、いや違う、移住者なのだと気付き、驚いた。
前述したように、生れも育ちも同じ村という古老を撮る作品はよくある。また、移住してきたばかりの若者を追う展開の作品も。しかしこういう、見た目はすっかり村のオヤジだが、長い尺度で考えれば新参者の部類に入る、そういう立場の人達を軸にしている映画は、珍しいのではないか。

最初はおそらく、それこそ「ここに本当の人の暮らしがある」ロマンでやって来て、土いじりの基本の基本から始めて、何度となく打ちのめされて。気が付けば今はすっかり集落の一部になっている存在。

1980年代のテレビ番組の、ひとつのパターンを思い出す。
過疎化が進む農村に取材した番組の場合、大体、後半には、都会からやってきた若者(ヒョロッとして長髪で、ジーパンに白いアディダスのスニーカー)が試行錯誤で定住を始める姿を紹介して、そこに希望を持たせて終わるのだった。あくまで番組の締めくくりの駒なので、その後、彼等がホントに定住を続けたのかどうかは、さして問題にならなかった。

『風の波紋』の主人公達はその、記号的だった存在、〈田舎暮らしをあえて選んだ若者〉の約30年後なのだ。

1987年の春。日本映画学校1年の農村実習で、猪苗代に行った。
都会のヤワな若者に数日間、福島で農家の下働きをさせるイマヘイ学校伝説の名物実習―と自他ともに誇っている感じは、当時から気にくわなかった。さっきも書いたが、こっちは田舎から抜け出してきたばかりだ、一日じゅう草むしりやらされたからと言ってカルチャーショックなんか受けるかって気持。まあ、それはいいとして。

僕が振り分けられた農家には、東京から長女の婿に来て間もない、どうもあまり役に立っていなさそうな30代半ばの人がいた。本棚には吉本隆明、本多勝一、オーウェルの『動物農場』があった。草野心平の詩集もあったかな。
数日目にこの婿さんと二人で家から離れた畑まで軽トラで行き、トマト栽培用のビニールハウスを作ることになった。
ところが婿さん、着いてからグズグズしている。ハウスの組み立て方が分からないという。

「あのう、どうするんですか」
「うん。……こ、これから君も一緒に考えよう」
一緒に。それは「連帯」の意味が違う!(ダメだこの人……)とガッカリした。
すぐに戻ればいいのだが、婿さんはトラックを出さない。きっとお義父さんや嫁さんに「できる」って言っちゃったのだろう。
実にこう、所在ないという感じで、草むらに座って磐梯山を眺めながら、二人で煙草を吸った。フシギなもので、農村実習を思い出す時、今でもいちばんに浮かぶのはあの青空の下の、磐梯山の風景だ。

あの婿さんも、今では農業歴約30年。大ベテランだろう。
そんなことを『風の波紋』を見ながら、木暮さんや松本さんを見ながら、しみじみ考えた。

しかし、考えると同時に、けっこうな戦慄に襲われた。
日本の村落共同体は、実質すでに崩壊している。それを、こんなにもハッキリと示している映画を、僕は初めて見たかもしれない。しかも、前向的な意味でだ。
いや、もうちょい言葉が必要だな。それがテーマの映画なら、たくさんある。むしろ、戦後の日本映画の歴史は、青森のリンゴ園の少女が東京で恋と生きがいを見つける『そよかぜ』(45)からすでに、村落共同体の崩壊を描いてきた歴史と言ってもいいほどだ。

『風の波紋』は、移住者もすっかり土地に溶け込み、自分達に合った暮らし方を工夫し、身に付けている姿を描くことで、もはや感傷的な挽歌をうたい、受け継がれてきた伝統が途絶えるのを惜しむ時期さえとうに過ぎた、と告げている映画だ。昔ながらのままの村落共同体ならば、もう幻想の世界にしかないし、それでよいのだと。

もし今後、限界集落や過疎地の里山暮らしを描くドキュメンタリー映画の新作を見た場合、

・ノスタルジーや哀惜の視点があるなら、それはどこまで必要なものか
・作り手が「昔からこの村で大切にされているものだから」という受動的な認識で、大切なものとして描かれるものは、本当に残さなければいけないものか。伝統という言葉の持つムードの牽引にどこまで自覚的か

この2点、少なくとも僕は見る目が厳しくなるだろう。そこはもう、『風の波紋』を見る前に戻れない。それが、なかなかの戦慄なのだ。


柳田国男の『日本の祭』(56-74改版・角川文庫)を、3年越しで読んでいる。まだ半分しか読めていないのに、“私の人生の30冊”にランキング入りがもう内定している位、勉強になりまくりの本だ。4、5ページ読んだらしばらく離れて反芻が必要なものだから、いつまでも読み終わらない。
1941年、昭和16年に柳田が大学生を集めて行った連続講義がベースになっている。おはなしの内容は古来からの神祭の研究なのだが、柳田の学生への要求は、震えるほど苛烈だ。

明治以降の職業選択の自由によって、すでに土地の伝統は切れている。帝都の中心で官吏、学夫となることが約束され、出身地に戻ることのない君達こそが、神祭を通して今までは研究外にあった日本の地方性について学びたまえ、と迫っている。立身出世とはすなわち、故郷を冷淡に捨てること。その自覚の有無を警告している。

『日本の祭』で柳田が説いている基本認識は、伝統は随時更新されてきたものだという考えだ。祭礼にまつわる約束ごとは古来からいろいろと生まれ、煩雑なものは嫌われて無くなるか簡略化され、記憶を共有しやすいものが戒めとして残ってきた、と人情に照らして推測している。
そして、その上で、時代の変遷に耐える「千年以来を一貫した何者か」があるのだと。

古代の〈これからは、やまと人は定住と米づくりを好む農耕民族ってことでヨロシク〉というインフラの変化のほうが、近年の〈かわりゆく農村〉よりも遥かにメチャクチャなイノベーションだったはずで。
そう考えたら、木暮さんたちが、昔からの知恵のいいところだけを貰って、自分なりの集落を作るのは全く構わないし、それこそが伝統のあるべき姿だと言える。


『風の波紋』には、移住者の木暮さん達とは別に、倉重さん夫婦のように屋号を持つ地の人達も登場する(といっても、倉重さんの祖先が集落に移住したのは300年前だそうだ。古代から考えたら、たかだか300年前だ)。
奥さんが、東京で働き、やりたいことがあったが「ハハキトク」の電報に騙され、農家の嫁になった話。
これなんか、本来的にはタイヘンな話だ。林典子の写真で広く知られることになった、キルギスの誘拐結婚と同じ価値観が日本にもあったし、まだ残っているってことだから。
「でも、老夫婦は今は幸せそうだから……」なんて、「ほっこり」気分で見ているワケにはいかないんですよ、本来ならば。
映画がこのエピソードを入れている点に、怖いような見識を感じる。「今は幸せそうだからいいようなものの」な夫婦の、「いいようなもの」にした辛抱と知恵を、どうしても考えざるを得ない。

監督・小林茂の前作、ケニアのストリート・チルドレンに取材した『チョコラ!』(08)は、施設に入った浮浪児達の多くが、食事と屋根にありつけ、職員になついても、また自然と脱走してしまうところが凄く面白かった。
職員はなぜだろう、と悩み、ひょっとして原因は、あの子達の遊牧民族のDNAなのではないか……と考え、そう捉えるとずいぶん腑に落ちてしまうことにまた悩むのだった。(後半は僕が記憶で盛っているかもしれない。森東の喜劇で寺尾聡がやっていたマジメな民生委員とゴッチャになっている)

『風の波紋』は、同じように〈人なり〉にじっくり撮り、紡ぎながら、ベクトルは逆。いったん伝統の切れたところに移住してきた人達が、無理のない形で、定住・共同のかたちを作ろうとしている。日本人の心根が求めるのは、そこなのか。
ただ、冬は豪雪の地だ。映画の中に出てくるのは善き人ばかりだが、互助精神を持った善き人でなければ(もしくは、ならなければ)暮らせない、あらかじめ排除されるしかない厳しさが前提であると、映画はうっすらとだが、確かに伝えている。


公式プログラムを読んで、飛躍的に挿入されるイメージ演出には、小林監督の少年時代の原風景が大きく関係しているらしいと知り、楽しい気持ちになった。『チョコラ!』で繰り返された、美しい裸身の少年が川辺で水浴びする姿と、それはつながっているのだろう。雪かきのシャリシャリとも、ズシャッ、ズシャッとも聴こえる音や川のせせらぎなど、水の音がとても気持良いことも。

実はほぼ唯一、ピンとこないのはタイトル。実際に吹いている風のことではなくて……という理屈は、理屈では分かるのだが、僕の細胞は、風よりもより、雪、水、ヤギの肉を煮る湯―水のほうが映画のエッセンスだったと感じる。


それに、木暮さんや松本さんは、小林監督と年が近いだろうことを考えると、実はけっこう自身の心境が描き込まれた映画だ、と想像する。
集落で暮らす同世代は、新潟の村を出て映画(しかも共同体的なドキュメンタリーづくり)の道に入った監督の、間接的な投影ではないか、ということだ。

小林茂といえば佐藤真。これがクリティックの際の基本文脈だと思うが、あいにく、佐藤真について語れることが僕はほぼ何もない。
せっかくなので目新しいだろうアングルを言っておくと、僕は黒木和雄の映画の作り方に似てるんじゃないかなあ、と思った。
題材を常に人の原作に求めながら、現場で生まれるものに、初めて自分の想念を見出し託そうとする、いわゆる作家主義の批評眼だけではかえって掴みづらくなる作り方。

初めて見た小林茂監督作品は、障がい児施設を撮った『わたしの季節』(04)だった。その後が『チョコラ!』で、『風の波紋』でしょう。
どれも題材は違うけれど、〈オレが求め、理想とする人とのつながりとはどんな形をしているのだろう〉と、写す人達と、スタッフの座組みを通して、探し続けてきたフィルモグラフィだと捉えると、僕はしっくり来る。
それに、プログラムのプロダクション・ノートで編集兼アソシエイト・プロデューサーの秦岳志が書いている一文、「今回の作品ほど、コバさん色の強い作品は無いのではないかと思える」が、より理解できるような気もする。


それにつけても、秦岳志。けだし切れ者である(しかもいい人)と、よく聞かされる。
2013年の山形国際ドキュメンタリー映画祭で一度ごあいさつしただけ。あの場面からよくあの場面にいけるもんだなあ、という飛躍にどんな内的必然、ロジックがあるのか、知りたい編集マンだ。あいにく、プロダクション・ノートはバランスよくプロデューサー寄りで書かれており、編集マンとしてのブラックボックス(OK抜きの基準は何か、など)は伏せられていて残念。なのに、うねりのあるメイキング・ストーリーとして面白い。

いい人&切れ者って、澄ましてツンツンしてる&切れ者の、何倍もおっかないからね!
僕が書籍編集者ならば、秦さんに本を一冊書いてもらう企画を出すところだけどなあ、と夢想する。映画編集とは何か―浦岡敬一の技法(94・平凡社)の、現代ドキュメンタリー版。なんといっても第一に、僕が読んで勉強させてもらいたい。


うーむ、とりとめないまま6,000字以上も書いてしまった。
後、ひとつだけ言うと、「あとは野となれ山となれ」って言葉が、こんなにラジカルに響いたのも初めてな映画だった。今までは、単に自暴自棄、投げやりの表現だと思っていた。もっと大きな、歴史の地層に沿った言葉であると映画は解釈し、そうつなげている。
いずれ再見する機会が、楽しみです。


今回のブログは、殿下のアルバム『ゴールド・エクスペリエンス』(95)をリピートしながら書いた。たまたま、そういう気分だった。
アップしようとしたところで、ネットのニュースを知った。……いや、よそう。とりとめのない文章の続きが長くなるばかりだ。ひとことだけ。特に高校の頃、お世話になりました。



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