goo blog サービス終了のお知らせ 

ワカキコースケのブログ(仮)

読んでくださる方ありがとう

『ブルージャイアント』から日本のジャズに入ってみるの巻

2021-12-29 21:37:35 | 日記


ほら、よくいるでしょう、なんでも漫画から入る人って。『ブルージャイアント』を読んで、急に張り切ってジャズを語り出しちゃったりとかさあ……。たまらんものがあるよね、ああいう手合いは。

すみません。それは僕です。僕なんですわ。いっちょがみ、にわかのスキルに関しては、国体に出られるレベルの自信がある。

石塚真一『ブルージャイアント』の日本編にあたる、小学館ビッグコミックススペシャルの1巻から10巻(2013~17)までには、まあ、いいように引きずり回された。2021年の秋、人に薦められて、初めて一気読みしたのだ。

3人の画像のようです

主人公は、テナーサックスに夢中になる高校生の宮本大。大ちゃんはまっすぐないい奴だけど、女の子にとる行為がセクハラだと気付かない、昭和の男の子タイプなのがなーなどと注文つけながら当初はめくっていたのだが。
上京して、天才肌のピアニスト・雪祈と出会い、同郷の玉田が全くの初心者からドラムを叩き始め、トリオを結成するあたりからは、回を追うごとにターボがかかり、久々に漫画でコーフンした。

白眉は、大と玉田を理論と経験で引っ張ってきた雪祈が、実は誰よりも努力家で、それゆえにいつでもそつなく、巧く演奏できてしまうジレンマにぶつかるあたり。
思い切って殻を破り、自分をさらけ出すようなソロを弾けるまで苦しむ姿は、僕は僕なりに痛いほどわかるので(字を書くこと自体が怖くなった、悶々とした時期が一度はあるので)、号泣……とまではいかないけど、嗚咽しかけた。

そんな雪祈達と切磋琢磨する大は、当初は「ジャズは熱い!」とよく語るのだが、だんだん言わなくなる。「練習し続けられる才能」を武器に、その熱い音そのものになっていくからだ。
演奏から相手の感情がわかる。こういう感覚が身に付くようになると、面白くてたまんないだろうなー……と憧れた。

ジャズに関しては、僕は万年初級ファンのままだ。
手元にある、油井正一による手引書『ジャズ ベスト・レコード・コレクション』(1986 新潮文庫)で挙げられている597枚のうち、ここまで聴いたことのあるアルバムを勘定してみたら、57枚だった。ルイ・アームストロングやチャーリー・パーカーなどの、違う形で出ている同じ録音を足しても、せいぜい60枚ちょい。
1割とはお粗末だけど、楽理も何もわからないシロートがなんとなく楽しんでいるうちに1割もいってたのなら上出来なほうだとも言える。なんとも微妙。

そんな時、日本のジャズのLPがよく揃っている中古レコード屋を都内で見つけた。

日本のジャズこそ、憧れはあるが敷居が高く感じる最たるものだ。なにしろ、そんなにあちこちでレコードが手軽に見つけられるジャンルではないから。富樫雅彦や山下洋輔を試しに少し聴いて、あんまりよくわからなかった程度。
(八木正生や大野雄二の映画音楽に親しんできたのは、ここでは少し違う筋道の話になる)

ところがその店では、あまり値段は高くなくて。こちらは再発盤かどうかや、ジャケットのスレや汚れ、盤質がBなどはおよそ気にならないほうなので、割引セールの日に張り切って数枚まとめて買った。
『ブルージャイアント』は、ジャズがマイナーなジャンルである日本でどう道を切り拓くかを模索する物語でもある。宮本大や雪祈の先輩達の、実際の音を聴いてみたかった。

それでどうだったかを、3枚聴いたところで書いておきます。

まず聴いたのは、
『幻のモカンボ・セッション’54』
LP/1954録音-1974/ロックウェル ポリドール

帯を見ると、どうもかなり貴重な録音らしいし、ジャケットのデザインも決まっている。それだけで買った。守安祥太郎が誰かも知らない。
で、解説文も読まずに聴いてみた。前情報を入れず、耳だけを頼りに良し悪しを判断してみるトレーニングができるチャンスだと思って。

画像


柳宗悦の、岩波文庫にあるうちの一冊で読んだ話。柳は、門下生志望の人が訪ねてきたら、まず器をなんの説明も無しに見せて、良し悪しを聞いたという。その器が、天下の名品か、名もなき職人の作ったふだん使いの一品か、柳は何も教えない。好きか嫌いかさえ言わない。ただ、見せる。
見せられたほうは、いきなり自分の目を試されているので、たじろぐ。柳先生の前で間違えたくない。器を見ながら焦っていろいろ自分の中のモノサシで計り、なんとか答えを探す。

柳宗悦に言わせると、このテストで一番ダメなのが、すぐ答えられないことだそうだ。文献にあたるなどもってのほか。
器を愛するとは、美を愛することなのだから、器のなかにある動かない美を即座につかまえる直観を鍛えなければどうにもならない。むしろ、例えば「これはどうもいかんです。作り手のエゴによって土が濁ってますな」とスパッと答えてみせて、「アホ、これを焼いたんは織部が選んだ十作のひとりや」と叱られるぐらいのほうが、ずっと見込みがあるらしい。

世にもおそろしいテストだが、絶対にいいトレーニングなのはわかる。これを、未知のジャンルでなら僕も試せると思いついたのだ。

一聴、ふつうに面白い。お店でのセッションらしく、全体にこもったモサモサした録音だが、演奏を聴くのになんの支障もない。
演奏も、へえ、昭和29年にはビパップが日本でももう演奏されていたのか、と感心するものだった。特にピアノの速弾きは、パド・パウエルみたい。かなりアットホームな環境だったらしい客席のガヤガヤも一緒になって、最新音楽を演り、聴いているワクワクが伝わってくる。

なかなかいいもの買ったな、と嬉しくなってまた聴く。やはり楽しい。楽しいのだが……だんだん、ソワソワしてきた。
ちょっと待て、これ、昭和29年だよね、と考えると少し怖くなってくる。アメリカの最新音楽を吸収する喜びから、それを咀嚼して自分の音にしている、しようとしている高揚にもう移っている。ピアノの、パド・パウエルのような音は、バド・パウエルも大好きだがあくまで自分でいようと望み、未来に向かって噛みついている音だ。こいつ、なかなかだぞ。

柳宗悦式トレーニングの結論としては、きっといいレコードに違いないが、そのよさ・価値となるとさっぱり。

そう回答を出したところで、解説を読み、守安祥太郎の名でインターネット検索した。
……冷や汗が出ましたね。
守安祥太郎は、とんでもない人だった。

「日本のジャズの黎明期、その天才ぶりを開花させつつあった最中、突如自ら命を絶った悲劇のピアニスト」(油井正一・前掲書)
「(当時から)本物はいたのである。中心的な存在は『狂気の天才ピアニスト』と呼ばれ、それを全うするかのように鉄道自殺を遂げた守安祥太郎と、ガッツのかたまり秋吉敏子。それを取り巻く仲間(むしろ弟子といった方が良いかもしれないが)に宮沢昭、渡辺貞夫、八木正生、高柳昌行等がいたのである」(内田修 『ジャズの事典』(1983 冬樹社)収録の寄稿)
などなど。

ジャズに詳しい方なら噴飯ものの話を、ここまで僕は書いてきたのだった。

その夜のセッションのようすを知るのに、いい記事を見つけた。
アーバンというサイトで2019年にアップされた、ライター・二階堂尚が関係者に取材して丁寧にまとめた「1954年、あの夜の『モカンボ』の真実」
https://www.arban-mag.com/article/43732

めっちゃ勉強になった。世の中には、いい仕事をされている方がいるもんだなあ。興味のある方は、こちらをぜひお読みください。

なので、僕がこのアルバムについて、これ以上は書くことはない。
ただ、さきほど客席のワイワイした感じもいい、と書いたが、このセッションでは客席にいるのも自分の出番を待つミュージシャンばかりで、一種の内輪のパーティーだったことは知ってナルホドとなった。

ビバップを指向する若いミュージシャンばかりが集まっての、客がいなくなった深夜から朝まで、いわゆるアフターアワーズのセッションだった。
なかには秋吉敏子のカルテットもいて、そちらの録音も、完全版として3枚組CDが後に出ている。こうしたセッションは東京でも横浜でもあちこちで行われていたが、この日は、みんなに愛されていたドラマー・清水潤の復帰祝いを兼ねてだったので、せっかくなら録音もしておこうよ、となったそうだ。
音頭取りのひとりはハナ肇で、「酒を飲まないから参加料の計算を間違えないだろう」とハナに会計係をやらされたのが植木等。

伝説と、実際に録音が残されていた、では決定的な違いがある。大当たりどころではないアルバムを聴けた。

もう一枚も、歴史の証言となるもの。

『シャープス・アンド・フラッツ・リサイタル』
LP/1958録音-1977/キング

さすがに僕とて、原信夫とシャープス・アンド・フラッツの存在は知っていた。ただし、もっぱら歌謡曲の方面からのアングルで。美空ひばりが「恋人よ我に帰れ」などのジャズを吹き込んだ時の、ぴしりと仕立てられたバックもシャープス・アンド・フラッツだったと知り、いずれはちゃんと聴いておきたいと思いつつ、そのままにしていた。

1958年の初めてのリサイタルの実況録音で、これがグループ名義のファースト・アルバムだそうだ。
こちらは、エリントンやベイシーを取り上げる、ビックバンド・ジャズの楽しさを味わえる。

日本のジャズは何も戦後に初めて育ったわけではなく、戦前から国内でも多くのジャズマンがいて、かなりサマになった演奏をしていたことは、ぐらもくらぶの復刻CDに何枚か触れて認識はできていた。

しかし、この頃になるともうすっかり借り物ではない。出す音に、国産のスポーツカーのような、外車とはまた違う引き締まったカッコ良さがある。
解説文によると原信夫は早くから、進駐軍にもらった楽譜のみに頼らず、守安祥太郎がビバップの演奏用に書いたアレンジを取り入れていたそうだ。スイングジャズとビバップの人脈が、お互いにそっぽを向きあっていたわけではないのだ。(ここでも守安の名が出てきて唸ってしまった)

ただ、何か、硬い。全体にグイノリとはいかず、行儀のいい感じがある。客席の拍手も熱心なものだが、クラシックのレコードでもあまり聞いたことがないほど生真面目。かえって緊張してしまうほど、張りつめている。

この硬さは、ジャズのバンド初のリサイタルだったことを考えると一気に、マイナス点ではなく感動的なポイントになる。

ワンマンライブが当たり前になって、独奏会という意味のリサイタルはすっかり死語になった。
しかし当時はジャズが、ダンスの伴奏ではなく、じっくり聴く音楽になる過渡期だ。
ビリー・エクスタインが、チャーリー・パーカーが覚醒した時の驚きを「踊らせない演奏を始めやがったもんだから、フロアの客はもちろん、楽団の俺達もポカーンさ」といった言葉で表現していたのを読んで、ああ、ピバップとは何か最高にわかりやすい話だな! と膝を叩いたことがある。

つまり、フロアのない日比谷公会堂で、ジャズバンドが初めて開くワンマンの演奏会は、ジャズが日本でも実用品から観賞芸術に発展できるかどうか、の勝負だったのだ。
これはシャープス・アンド・フラッツにとっても、愛好家の観客にとっても、それこそ〈絶対に負けられない戦いがそこにある〉状態だったはずで、硬くなって当たり前なのである。
そこまで思えば、ここでのシャープス・アンド・フラッツの生真面目な演奏と、張りつめた拍手は、まさに歴史的な音の記録として素晴らしい。

ただ、当日は収録曲以外にもけっこう演ったらしくて、歌のゲストを迎えるコーナーでは旗照夫、笈田敏夫、ペギー葉山、江利チエミが出たという記録がある。そういう時は雰囲気もずいぶん違ったでしょう。

ちなみに本盤はシャープス・アンド・フラッツの第二期メンバーの演奏が聴けるもので、第一期にはジミー竹内(僕は以前この人の60年代のドラム演奏をソノシートで聴き、とても楽しかった)や、谷啓が在籍していた。
ここでも名前が出てくる、クレージーキャッツ。

貴重な録音を続けて聴いて、こんなにタイミングのいいことはなかなかない。
ただ、3枚目はグッと時代がくだる。

1人の画像のようです


『ブリンク』佐藤允彦トリオ
LP/1983/コンチネンタル テイチク

佐藤允彦は、最近『大歌謡祭 話の特集一〇〇号記念大博覧会記念ステージより』(1974 日本コロムビア)を入手し、中山千夏との演奏を聴いて惚れ惚れしたばかりだった。
〈中年御三家〉野坂昭如・小沢昭一・永六輔の歌とおしゃべりを楽しむのが主眼のレコードなのに、佐藤のピアノと中山千夏の歌が始まると、たちどころに全員が食われてしまう。それが痛快であり、切れ味が良すぎてゾッとするほどなのだ。
歌っているのは1973年の『ふたりのひとりごと まさか夫妻作品集』収録曲で、これまた、佐藤による当時のソフトロックのアレンジが細やかで美しいので、spotifyでよく聴いた。(いわゆる和モノとして人気盤なので、現物はとてもとても)

それで、佐藤允彦の本業? ジャズの演奏も一度聴いてみたかった。それ位の事前情報がないと、1983年にこのノンビリノしたジャケット写真のレコードは……食指が湧かない。

モカンボ・セッションや、シャープスの初のリサイタルからこのアルバムまでの間に、日本のジャズにはどんな歴史があったのか。
それはもうちょい、これから勉強しておきたい。今後の話だ。

とにかく、1983年にはここまできたのか、と感嘆するよりないアルバムだ。何度聴いても飽きないどころか、そのたび違うものに聴こえてくるので、日本のジャズLPを他に何枚か買ったのにここで止まっている。
このアルバムのように1枚、これだ、こういうのが日本のジャズなら僕も日本のジャズは好き!と言えるのに当たれば、もう、そんなに焦る必要はない。

聴きやすいな、楽しいね、という気持ちと、かなり高度な構成の楽曲をやっているのではないか、と感じる気持ちが同時に起きてくる。
佐藤允彦のピアノに注意すれば、ベースとドラムを自信満々に引っ張っているように聴こえる。
井野信義のベースに注意すれば、凄いスピードと覇気で、ピアノとドラムのおしりを叩いて走らせているように聴こえる。
日野元彦のドラムスも同様。細かいブラシやシンバルで、ピアノとベースが喧嘩にならないよう調整しているとも、二人の仲を裂こうとしているとも聴こえる。

この、トリオ演奏の対等感。
力が均等に引っ張り合って、綺麗な正三角形を見ているようなのだ。

音像自体は、高校時代に初めて買ったジャズのCD、映画『ラウンド・ミッドナイト』(1986)のサウンドトラックの感触に近い。デジタル録音の、楽器と楽器の分離の良さが、ここでは精密なものを堪能させる良さになっている。

ジャズはわからない、わからない、と書いてはきたが、これは多分に、うるさ型の先輩方にあれこれ言われたくないからあらかじめ予防線を張っておきたい意味合いが強い。
本当にわからないなら、わざわざ電車に乗ってレコードを探しに行かない。僕も、確実に面白さには触れている。しかし、あいにくそれを言葉にする引き出しがないだけだ。

ただ、自分の本業である構成作家の仕事とジャズの演奏は似ているのかもしれない、とは少し思っている。
ジャズの楽譜が、テーマは音符がちゃんと書き込まれて、ソロは各自勝手に、となっているかどうかまでは不案内なのだが、テーマとアドリブの関係が構成台本に似ているだけのは確かな気がするのだ。

トーク番組などの場合、構成作家がやる仕事は、もしも収録本番で話が弾まず、ホストとゲストの間にスイングが生まれなくても、最低限この通りに進めてくれたら成立できる進行台本を作ることだ。

出演者同士の呼吸が合い、横道にそれる話が面白かったりしてくれたら、こちらもそのほうが嬉しい。そこは映画・ドラマのシナリオと構成台本の違い。
そのうえで、どうしてもこの質問はしてほしい、この話題は外さないでほしい、という個所はちゃんと書き込んでおく。

脱線しやすいようにし、してもらっても迷わずすぐに戻れるのを計算した構成台本をこさえることには、僕もそれなりのプライドがある。
「台本なし」があたかもカッコイイこと、という認識を多くの人が、専門家さえ持っているが、「線路がなければ脱線もできない」のだ。

ただ、映画のシナリオとは違うと書いたが、例外もある。
下働きの頃、東宝の『社長』シリーズの脚本は、あえて細かく書き込まれなかった。森繁久彌や三木のり平のアドリブに任せて、その場面がどんなギャグで終わっても次の場面と辻褄が合うように組んでいたと聞いて、そんな離れ業みたいな芸当、自分には到底できない……と目の前が暗くなった。
しかし、よく考えればそれは、構成台本の考え方と近いのだった。

ジャズもひょっとしたら、そういうことではないか? と思っている。

 


最新の画像もっと見る

コメントを投稿