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キャプテンハーロックとりんたろう

2021-12-29 01:31:23 | 日記


何の気なく『宇宙海賊キャプテンハーロック アルカディア号の謎』(1978 テレビ朝日=東映動画)を配信で覗いてみたら、いろんなところとつながる面白さがあったので、ここにメモしておく。

前回、内田吐夢版『大菩薩峠』三部作を書いてつくづく思ったが、SNSでは感想が長くなり、もどかしくなってしまうようなら、ブログに書いたほうがノビノビできるのだった。あんまり更新していないために、そんな、簡単な使い分けすらわからなくなっていた。

まず、一番の発見はこれが、りんたろうの劇場作品デビュー作だったことだ。
りんがチーフディレクターをつとめていたテレビシリーズ『宇宙海賊キャプテンハーロック』の1エピソードに新場面を加え、30分強の中編にして、〈東映まんがまつり〉の一編として公開されたのが『アルカディア号の謎』。


東映まんがまつり 長靴をはいた猫ポスター


りんたろうといえば、劇場版長編の『銀河鉄道999』(1979)を引っ提げて、華々しく僕ら世代の胸に名前を刻み込んだ人だから、これが映画第1作とすっかり思い込んでいた。たぶんこれまでの人生でいちばんページをめくっている本、『日本映画・テレビ監督全集』(キネマ旬報社 1988)に記載のフィルモグラフィも、『999』が最初の映画となっているし。

まるで、りんたろうの演出のようなロマンチックなレイアウトと間、スケールの大きな透過光……と感心していたら、最後のクレジットにその名が出て、すっかり嬉しくなったのだ。
テレビシリーズはリアルタイムであんまり熱心に見ていなかったのだが(当時から、松本零士ファンの間でも評価は割れていたと思う)、劇場版999で見せたケレン味は、十分にテレビ版ハーロックで培っていたわけで、おみそれした。

『アルカディア号の謎』は、宇宙戦艦アルカディア号が時々、とつぜん乗組員のコントロール不能の状態になって勝手に動き出すのは、実はハーロックの旧友である大山トチローの魂が船の心臓部に宿っているからだ……という裏設定を、そっと明かすことが主眼になっている。

未来メカやロボットと人間の魂がつながることになぜか独特の説得力がある(現代では希薄になった霊魂信仰が、未来SFという舞台を借りるとフシギと蘇らせやすくなる)、日本のアニメの特色のひとつの典型だ。
『新造人間キャシャーン』の、母の全人格が移植された白鳥ロボット・スワニーや、『伝説巨神イデオン』の、乗り込む子どもたちが怯えるのに反応して未知の力を出す第六文明人のロボット型巨大遺跡(イデオン)とともに、セカンドインパクト後の世界で使徒を迎える汎用人型決戦兵器の参照元となっているのはまず間違いないが……それはまた別の話。

ともかく、『アルカディア号の謎』はこのエピソードによって、ちゃんと劇場版999とつながっていた。
劇場版999では、トチローが肉体の死を迎えることによって、ハーロックとの約束通り自分が作ったアルカディア号に記憶・意識のみが戻り、船の心臓として生きていくことが中盤のクライマックスとして描かれる。
つまり劇場版999では、鉄郎とメーテルの物語の横筋として、テレビシリーズ『宇宙海賊キャプテンハーロック』の前史まで盛り込む、よくばりでゼイタクな構成がなされていたわけだ。

それに、もともとりんたろうは、テレビアニメの先駆『鉄腕アトム』で演出デビューした本名の林重行時代から、アトムの物語の底流にある、ロボットと人間の関係の緊張を描いてきた。
全エピソードを見ているわけではないから断言はできないけど、少なくとも、アトムと同等の力を持ったロボットが良心回路を外されたために次々と災厄を起こす―みんなのアトムもまた、何かの機会で人類の脅威になってしまう可能性はあるのだと間接的に提示する―「アトラスの巻」(1963)は、林重行の演出回である。

そして、劇場版999は、(壊れない限り)永遠の命を手に入れた機械化人と、生身の人間とに階層が分かれた未来格差社会での闘争の物語だった。
つまり、りんたろうは、手塚治虫から授かったテーマを、手塚を読んで漫画家を志した松本零士の世界でさらに発展させた、ということになる。

その上で、メイン演出として手掛けたハーロックの、エピソード0とも言える話を劇場デビュー作で盛りこんだ。
劇場版999は、りんたろうのデビュー作であると同時に、それまでのアニメーターのキャリアの集大成とも言えるものだったのだ。
道理で……とナットクさせるだけの厚みが、劇場版999にはある。

同時に、リアルタイムの記憶をよく思い起こしてみれば、999の星野鉄郎とメーテル、キャプテンハーロックと大山トチロー、それにクイーン・エメラルダスが一堂に会する大イベントが、とてもスムーズというか、違和感のない当然のこととして受け止められていたのにも気づく。

そう、当時から、松本零士の漫画とアニメに親しむ者は、小学生であっても、それが一つのユニバースを形成することに馴染んでいた。
ここで、20世紀の世界大戦を舞台にした『戦場まんがシリーズ』の頃からつながるハーロックとトチローの縁や、『男おいどん』の大山昇太はトチローの遥かなるご先祖ではないか……などを整理したくて数十年振りにムズムズしてしまうが、僕の手には負えない。専門家の方に一度たっぷり教えていただきたいと思う。

と、中編劇場用アニメ『宇宙海賊キャプテンハーロック アルカディア号の謎』を見て面白かったという話を書いてきたが、まだある。

地球に降下したアルカディア号は、「海の墓場」の伝説で知られる北大西洋のサルガッソ海で、全盛期のサビだらけの無人軍艦に襲われる。海底にはテレビシリーズの悪役(宇宙からの侵略者)のアジトがあり、サルガッソで過去に沈んだ古い軍艦を操っていたのだった。そこにはヨーロッパ大航海時代の帆船もあれば、旧帝国海軍のイ号潜水艦もある。

海底アジトを撃退した後、ハーロックは、やはりテレビシリーズのみのキャククターである少女、まゆと会う。まゆは天涯孤独の身だが、実はトチローの娘。ハーロックが、あしながおじさんのような立場で見守っている。

そのまゆが、学校で教わった浦島太郎の話を無邪気にハーロックに語って聞かせるのだ。1日いれば地上の1年分の時間が過ぎるというサルガッソ海海底の敵のアジトで戦ってきたばかりのハーロックは、偶然の符合に驚きながらも、まゆにその話はしない。ただ、宇宙の侵略者が、古くから海の底にまでアジトを築いていたことに、改めて、戦いの困難を噛みしめる。

この、とつぜん昔話が出てきて、現在とを結ぶセンス・オブ・ワンダーな余韻。
こういうのはかつてよく見ている、身体に馴染んでいると思ったら、脚本のクレジットは上原正三なのだった。

上原正三といえば……と言い出すと、それこそ、専門家に教えていただきたい別の話になる。
上原がウルトラシリーズだけでなく、東映のテレビ作品もどしどし書いていることに、僕は今までほとんど意識的ではなかった。
こうして、セブンや新マンでちょくちょくと出していた味を松本ワールドのなかにも放り込んでいたとは、と妙味を知ってしまうと、すっかり卒業したつもりでいたジャンルへの回路のほうも刺激されてしまう。

たまらなく面白いけど、大変だ。



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