憂太郎の教育Blog

教育に関する出来事を綴っています

部活動という名の教育活動

2013-02-02 17:08:29 | 生徒指導論
・無料奉仕が生き甲斐となる

 部活動というのは、言うまでもなく放課後に生徒があくまでも自主的に行う活動である。教育行政上もこれといった規定はなく、教師にとっても特に服務上の決まり事は何にもない。実は、部活動というのは教師の職務ではないのである。だから、学校長が教師に部活動の顧問を職務として命令することはできない。では、どうするかというと、学校内に部活動委員会という組織を立ち上げ(これはPTAで組織する。PTAだから保護者と教師の組織ということである)、委員会より、該当教師に部活動の顧問をお願いするという形式をとるのである。ただ、実際には教師が仕事として部活動の顧問を担当するというのが実情であろう。
 中学校の現場では、部活動が教師の仕事として大きなウエートを占めるケースが多い。仕事といっても、部活動の指導が教員の給料に含まれるかどうかは微妙である。そもそも、教員には残業手当はない。けれども、一応、部活動手当というものはある。北海道では私が新卒の時は750円だった。17年前のことである。これを人に話すと、口を揃えて「時給ですか」と言われたものだが、日給である。現在は2400円にまでベースアップした。しかし、この手当は、土日の勤務外に部活動の指導で学校に出かけた時に支払われるのであって、平日どんなに遅くまで指導をしても、それは全くの無償奉仕ということになる。
 けれど、この無償奉仕は、中学校教員にとっては、かけがえのない生き甲斐となったりするのである。

・正月以外は休みがない

 率直にいって、中学校には部活動が好きな教師は多い。自分が学生の頃、燃えていたバスケットでも野球でもサッカーでもいいのだけれど、教師になってまた子どもたちと一緒にできるというのは、喜びであるようだ。おそらく、中学校あるいは高等学校教師になりたいなあと考える教師志望者は、部活動を教える楽しみというのも教師を志望する理由のなかにあると思う。実際、部活動で息抜きをし、ストレスを発散するということだってあるだろう。であるなら、無償奉仕でもいいか、という気持ちになるかもしれない。
 私の場合は、学生の頃より吹奏楽をやっていて、初任校では幸運にも吹奏楽部を担当することができたが、そうでない教師も多い。私が勤務していた中学校のサッカー部顧問は、新卒で赴任した中学校にサッカー部はなかった。次の転勤も小規模校だったためサッカー部がなかった。3校目の転勤で我が校にやってきて、念願のサッカー部顧問になれるかと思ったら、そこにはすでにサッカーの指導者がいて、あえなく陸上部を1年間持って、やっとサッカー部の顧問になれたのであった。サッカー顧問になるまでに、十余年の月日が流れたのであった。このようなケースはわりとある。
 また、新人教師は、基本的に指導者がつかない部活を持たされるというケースも多い。いくら自分が学生の頃、エースで4番だったとしても、卓球部を持つということはあり、その部活が弱小ならまだお守り役としていいかもしれないが、強かったりすると大変で、指導できないのに持たされて悲惨な目にあうという場合も多い。特に、新卒者は部活動でうまくストレスを発散できればいいが、部活動で心が折れてしまうという場合もあるのである。
 さて、その部活動は、学校の規模によっても異なるであろうが、普通の中学校の場合、土日も平気で指導する。これは、やはり生徒がヤル気になるからである。普段の授業では静かな生徒が、部活動になると生き生きするということはよくあることで、教師は教師で、生徒が生き生きするのは嬉しいから、夜も遅くまで指導をし、休日も学校に来て指導をする。こういうところに、教師の生態があらわれている。
 私の知っているなかで、バドミントンで全国大会に出場させた経験を持つ教師がいたが、このバドミントン顧問は、正月以外は休みなく練習があったというのが半ば伝説のようになっている。
 身近なところでは、私のいた中学校のテニス部顧問は、毎日7時から朝練習をやっていた。もちろん、放課後も毎日練習するからなんとも健康的な教師である。冬になると、北海道はテニスコートが雪で埋まるので、体育館で練習する。体育館で朝練をやって、放課後は廊下。休みの日は、朝6時から朝練をやっていた(8時になると、バスケット部やバレー部が体育館を使用する)。あるいは、夜に練習する場合もあった。
 ちなみに、私の吹奏楽は、体育館を争奪することがないので、それこそ生徒は弁当持ってきて1日練習であった。運動部は1日やったら疲れるが、吹奏楽はそうでもないので、夏休みや休日は9時に始まり5時までやっていた。
 熱心な教師の部活動伝説はいくらでもあって、サッカー部のある先生は、夕方7時になってもういい加減ボールが見えなくなったら、自分の車のヘッドライトつけて8時までやっていたとか、いろいろある。
 こうして部活動に心血を注ぐのは、やはりそれだけ子どもが頑張るからということだ。子どもは、大げさに言えば部活に命を懸けているのである。ちょっとくらい熱出したって、部活は休まない。よく、「熱血教師」なんていう呼ばれ方をするが、教師が「熱血」になるのは、生徒が燃えているからである。教師がやる気を出せば、生徒がそれに応えてくれる。これこそが、教育の醍醐味と思ってしまうのであり、普段の授業はいかに生徒にやる気を起させるかが重要なのだけど、部活動ではやる気になっているのが相手だから、教師も喜んでやってしまう、という図式である。
 このように、部活動は生徒も教師も頑張るのであるが、あんまり頑張っていると、教師の本分は何なのかと陰でいわれたりするので、あんまりやりすぎるのもよくないので要はバランスである。
 しかし、大会前になると教師にとっては授業や学級どころではなくなる。もちろん、生徒も授業なんて上の空になる。本当に教師の職分というのはなんなのかと思うのだが、スポーツにしろ吹奏楽にしろ、大会というのは競争である。優劣がはっきりするものであり、学校内には自由と平等の欺瞞が蔓延しているなかで、唯一部活動だけが健全な競争を認めているのであって、そんな健全さにも私は大いに惹かれている。

・熱心にやれば注意され、適当にやっても注意され

 そんな部活動であるが、子どもが命をかけると当然親も熱心になる場合が多い。これがうまくいくと、非常に部活動はスムーズにできるのであるが、そうならないケースもある。
 あんまり遅くまでやっていると学校に保護者から電話がかかってくる。そうかといって、緩くやっていると、それはそれでクレームがつく。塾に通っている生徒に、まさか塾は休めなんて言うのは言えるわけが無く、そんな部員を抱えているとなかなか部活は強くならないわけで、そうなるとこの顧問ではだめだなんていうクレームがついたりする。
 特に、強い部活は顧問のプレッシャーは計り知れない。中学校の教師は当然ながら転勤があるから、もし新しい学校で強い部活を受け持ったりすると、担任業務以上に大変なのである。結果をださなければダメ教師の烙印を押されるということにもなる。
 団体競技の場合は、レギュラーを決めるときにもめることがある。レギュラーを決定するときの基準は大きく分けて2つある。一つは能力重視。1年生でも強い生徒はレギュラーにする。という考え方。これは、一番納得できるやりかたである。ただし、そのレギュラーになるのが、素行が悪かったり、練習サボったりする場合があって、それでも試合に出すかどうかが教師の悩みどころになると思う。また、そういう生徒の生徒指導をやるのも部活の顧問の役目となる。
 もう一つは、真面目に練習する生徒を中心にだすという考え。この場合は、かなりのポリシーを持ってやっていかないと、生徒からも父母からも、文句がくる場合がある。そのように考えると、やはり能力重視でやっていって、ただし練習をサボるのはいかんとう折衷案になると思うが、生徒と顧問が部活動に対して同じ考えを持っていないと、うまくいかないことになる。

・部活で人事がおこなわれる

 私の地区では、一つの学校で6年過ぎると異動の対象になった。この異動、当然ながら様々な駆け引きが巡り巡って行われるということになるが、部活の指導者という要素も重要になる。
 弱小な部活なら、それほど問題ではない。適当な教師にお守りをさせよということになる。部員はかわいそうであるが、人事には影響は与えない。問題は、強い部活の顧問が異動する時である。この時は、周到な根回しが必要になる。その教師が抜けた穴を代わりの教師に埋めてもらわないといけないわけで、そういう教師を引っ張ってくることができるかどうかが、校長の力量ということになる。
 強い部活動の顧問が異動になるときに、しっかりした後任の顧問が学校に残っていればいいが、そういうことはあまりなく、新たに教師を引っ張ってくる必要があるのである。これが校長の力量である。
 すぐに後任がやって来そうもなければ、いまいる教師の異動をもう1年延ばしたりする。であるから、教師によっては、部活動の関係で10年以上同じ学校にいる場合がある。一番いいのは、後任と1年くらい一緒に指導して異動する場合。これだと、強い顧問が異動しても、次の年はそのまま地区大会優勝なんてことができる。
 それは無理でも、ちょうど入れ替わりで顧問が替わる場合。この場合は、変わった年は無理でも、次の年あたり力をつける場合がある。もちろん、教師に力があれば、異動してすぐ優勝なんてこともあるが、それは本当に難しいことで、中学校の部活動はやっぱり3年計画と決め込んで、今の1年生が3年生になった頃には、俺のやり方も浸透するだろうと腹を括って指導するのが一般的であろう。
 最も悪いパターンが、後任を引っ張ることができなかった場合。これは、教師も生徒も不幸に陥れることになる。私の前任校の男子バスケット部がまさにこのパターンであった。この年の男子バスケット部はなかなか強く、中体連では地区大会優勝のレベルであった。この時の顧問は新卒3年目の教師で、私のいた地域は、新卒は3年で異動するという決まりがあったので、この顧問は4月に異動するのは明らかだった。3年生引退後、1、2年生の新たな体制で部活が始まり、普通だったらもう異動することがわかっているから、バスケの指導は副顧問の教師に譲るものなのであるが、前任校は人材不足で、その教師が異動する3月まで指導していた。で、新人戦では県大会に出場するなど、1、2年生も強かった。
 そうして、このような輝かしい成績ながら、この教師の異動先は、バスケット部のない郡部の学校であった。さて、問題はこの教師の抜けた後である。校長は、後任探しをしなかったのである。そうなると、新しく来た教師から、バスケットのできそうな若い教師を男子バスケットにはめるということになった。私も、その年に異動したので、詳しくはわからないが、新人戦で県大会まで進んだ選手が、次の年の中体連では、何と地区1回戦負けという結果に終わった。
 絵に描いたような人事ミスである。おそらく、男子バスケ部員のことを思うとかわいそうでならないが、異動してバスケを持たされた教師も気の毒である。心労察するに余りある。おそらく、キツかったと思う。
 親ももしかしたら、校長あたりに部活のことで話をしているかも知れない。と、いろんな想像をしてしまう。校長の力量のなさは、様々な人間を不幸にするのである。
 もっというと、部活動がしっかり指導できない学校は荒れるということは多い。実際、無策の人事で荒れたと言われる学校は数校ある。
郷土に錦を飾るなんていう言葉があるが、部活動はまさに学校の誉れである。高校野球なんかは、甲子園に出場すると学校や地域をあげて応援するが、あの感覚と同じで、自分の学校の部活動が勝ち進むというのは、教師にとっては単純に嬉しい。全国大会に出場したりすると、「祝 全国大会出場」といったような一文字を学校の屋上から垂らしたりする。
 卒業式の学校長の祝辞では、部活動が何らかの成績を残せたら、やはり誇らしげに言うだろう。部活動は、学校の教育活動では、はみだした存在にもかかわらず、学校の誉れという名誉ある位置についているといえよう。