憂太郎の教育Blog

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教師がいだく生活保護のイメージとは

2012-06-02 21:09:29 | フラグメンツ(学校の風景)
 河本準一の母親に端を発した、生活保護の受給問題がここのところ話題になっている。
 他の芸能人にも飛び火をして話題は広がる一方のようであり、国会議員の親族についての報道もはじまった。現在、受給者は210万人もいるのだから、その中には、芸能人や国会議員の親族もいるだろうし、それらは、様々なリークによってあぶり出されて、この先バッシングの対象になるのだろう。
 生活保護問題については、これまでも度々世間の話題になっているけれど、今回については、結果として不正受給ということにはならないようだ。また、バッシングを眺めてみても、要するに、カネもってんのに無職の母親を扶養しないのはけしからん、といった、どうにもシマらない理由でバッシングしているに過ぎないようだ。
 今後は、厚労省も動き出したので、扶養義務証明といった受給申請時の厳密化を各自治体に求めるということになるのだろう。けれど、そっちの論点よりも、今後はいかに210万人の受給者を減らしていくか、といった議論へと発展して欲しいと思う。
 すなわち、生活が苦しくて、わが国では最後のセーフティネットとなっている生活保護を受給しようにも、その申請が今よりも厳しく面倒になれば、年間3万人をこえる自殺者問題や犯罪の増加(刑務所が貧困者や障害者のセーフティネットとなっているという現実は、やはりおかしいだろう)は解消しようがないだろう。そうではなく、そうした生活保護を受給している貧困層をいかに減らしていくかということに対して議論がシフトするといいだろう。つまり、今、働きたくても働けない受給者をいかに働かせるかということについての議論である。普通一般には、雇用の創出ということだけど、ここが生活保護問題のいちばんの論点だと私は思う。ここまで、議論が進展すれば、バッシングからはじまった今回の問題も、実のあるものになると思う。

 ところで、教師にとって生活保護のイメージというのは、どういうものだろうか。私は、無力感とかそういうものではないかと思うのだが、どうであろう。

 生活保護世帯というのは、普通校の教師にとっては、ごくごく身近に存在している。担任をしていれば学級には、片親世帯が普通に存在して、その世帯のいくつかは要保護(生活保護)や準要保護(生活保護に準じる)になっていて、そのなかには、仕事をしていない保護者がいる、というのが、平均的なところではないだろうか。
 私が新卒で勤務した中学校は、高所得者層が住む地域と低所得者地域が混在する地方都市の大規模校だった。父親が医者や会社役員で母親が専業主婦という家庭もあれば、一方で、市営住宅(当時は、雇用促進住宅と言っていた)に住み給食費を滞納する家庭も多くあった。学力の格差も見事なもので、平均点をグラフに表すと、上位層と下位層に2極化していた。先輩教師から、これをフタコブラクダと言うということも教えてもらった。要保護や準要保護となっている低所得者層というのは、ごく一部をのぞいて生活環境はどうしようもなく荒廃していた。生徒はそうしたリスキーな環境なもとで生活していることがはっきりとわかった。だからといって、そうした生徒に何とかしてやりたいと思っても、担任教師ができることというのは限られていた。
 もちろん、扶養義務のある保護者がだらしがないから、そういう結果になっているわけで、教師のしったことではないと言ってしまえばそれまでだが、もし、そんなドライな感情を持った教師がいたら会ってみたいものである。どの教師も、せいぜい自分のできる限られた範囲で、そういうリスキーな環境におかれている生徒に対して、生活指導や学習指導をしているというのが現状だろう。
 
 だから、教師というのは、こうした生活保護受給問題については、それが不正であろうがなんだろうが、自分に苛まれる無力感から、基本的には寛容である、と私は思っている。