おかげさんで

おかげさんで、
五体満足に生まれ、
住むところも
働くところもあって、
ご飯も毎日食べられます。
ありがとう。

義母、逝く

2016-08-17 22:35:00 | 特別なこと
ちょうど一年前、息子が産まれて間もない頃、義母に癌が見つかった。
病状はかなり進んでいるようだった。

夫は、故郷の島根を離れて、埼玉で暮らすことを選択した時点で、親の死に目に会えないことは覚悟しなければならなかっただろう。

しかし今回、危篤と聞いて4日目に実家に到着してからさらに3日、1週間頑張ってくれたので看取ることができた。
1週間というのは絶妙で、これ以上長引けば1度埼玉に戻らねばならなかったので、本当に奇跡的と言えるだろう。

私は死に目に会うことも大事だが、元気な時に会って会話をすることの方が大事と考える。
自分が死ぬ時は意識がなくなったら周りのことなんかどーでもいい。
その時は生き残る者たちが納得して受け入れる時間だと思うし、
元気な時にたくさん思い出を作って持って逝きたいと思うからだ。

だからやはり孫である息子の顔を見せられなかったし、娘も2回しか会わせられなかったことは悔やまれる。

ただ、息子である夫は、元気な時と闘病中に2回会っている。
家を建て替える時に犬を預けるところがなかったから、夫が実家に預けに行って、迎えに行っている。
滞在時間は短いので大した会話もしてないだろうけど、なかなか帰省しようとしない夫のことだ、
もし犬がいなかったら会えていたのかな?と考えるとお犬様様だって思うのだ。

何と言っても母親は息子がかわいいものだからね。
だからこんなにタイミングが良いのも、母の最後の愛情じゃぁないかな。

たまたま車検のときだったので、仮車検証の期限が切れちゃうので初七日は出ずに埼玉に帰ってきたんだけど、
これも、早う帰れということだったのかなと思う。
チビが2人も居候してたんじゃ義妹も休まらんだろうし。
チビたちは破壊しかしないので、物が手の届くところに置いてある家は常に見張っていなきゃいけないということで、
非常に疲れるので私も限界だったわけなんだけれども。

チビたちも慣れない場所で、重い空気の中とても頑張ってそして長時間ドライブも頑張った。
帰ってきたら私含めうんこ祭りだった(爆)
自宅ではなかなか寝ないなど、良くも悪くも我が家だなと思ったw

まぁそんなチビたちのおかげで、ろくに葬儀も出られず線香も焼香も1回ずつしかあげられなくて、せめてもう2年元気でいてくれたらな、と思ったけど、
オイラのあの世に持っていく思い出がまたひとつできたかな。

追記

2016-03-12 23:20:00 | 特別なこと
昨日の続き。

実の母がうちを出ていった時、私は中1だった。

母が夜逃げする前までは何度か会った。
その時に産まれたばかりの種違いの弟を連れてきたこともあった。
実のところ私は中3まで母親離れ出来ていなかった。

しかし、母が滞らせたローンの支払いの催促の電話を受けたことがキッカケで、
もう連絡をとるのをやめようと思った。
うちを出ていった人の借金の尻拭いはしたくなかったからだ。
私のために買ったミシンとエレクトーンのローンの支払いは、いねちゃんがしてくれた。

それから大人に近づくにつれ、母の私に対する愛情に疑問を抱くようになり、
父親が再婚することになって、私の家族はここの人たちだと思うようになった。

ここ3、4年、生活保護を受けるようになったらしく、うちに扶養義務がなんたらの手紙が届くようになっていたが、
そもそも私を頼る気があれば直接来るだろうと思い、扶養や援助は拒否した。

この時はもうきっと彼女は夫と息子とひっそりと生きていく覚悟ができていたのだろう。
病気のことは実の妹にも知らせていなかったのだから、最期もひっそりと死ぬことを選んだのだ。

私も別に死に目に会えなくてもいいやと思っていたけど、心のどこかで最期は会えるのではないかと思っていた。

なので葬儀も行なわれず、墓もあるのか分からないとなると、いささか寂しいような気もする。
線香の1本もあげることができないのかと思うとね。
だが本人がそれを選んだのだから本人はきっとそれでいいんだよね。

先に述べた、母の私に対する愛情への疑問、
最後に会いたいと言ってくれていれば
まだ救いようがあったのに。

母、逝く

2016-03-11 23:34:00 | 特別なこと
今日夕方突然産みの親が危篤だと聞き、夜にはもう帰らぬ人となりました。

末期がんで自宅療養していたそうで、昨日容態が悪くなり、入院したのだそうです。

たしか69歳。
5月で70歳だったよな。

実の妹にも話していなかったみたいで、病院に行った時にはもう意識がなかったらしい。

約1年前に母の母、つまりおばあちゃんが亡くなった時に会ったのが元気な姿を見た最後みたい。
母の再婚相手がどうも気に入らず、疎遠になってたようで。

それもそのはず、その男、スナックを経営していたのだが借金でつぶれ、
夜逃げし、住むところも誰にも教えず、ひっそりと暮らしていたようなので。
ここ数年は生活保護を受給していた。

ま、うちのおとんと離婚していなくても借金まみれだっただろうけどね(^^;
うちのおとんとは何となく結婚してしまったみたいなんで、
自分が本当に好きになった人と、その間に産まれた息子と(再婚相手の連れ子と)の暮らしは、貧しくても幸せだったのかな?

しかし今となっては聞くことができなくなってしまった。

さようなら。
いつか、あの世で会えたら、色々聞いてやる。
でもおいらはあと50年は逝かない予定だけどなw

毛が抜け始まった

2015-09-08 11:08:00 | 特別なこと
普通、産後すぐ抜けるんだけど、私の場合何故か3ヶ月くらいから髪の毛が抜ける。
どちらにしろホルモンバランスの乱れが原因。

さて、9月5日にオトンの古希の祝いをやりました。
姪っ子2人は来るたんびに人見知りするから面白い。
まぁ寝起きっつーのもあるんだけど、目が覚めて慣れるまでがけっこう長い。
慣れてからはうちのと3人で部屋の中グルグル走り回り。
それの何が楽しいのか謎w
会場に着いても座敷をグルグル走ってたな。

いねちゃんの所に寄ったんだけど、痩せたけど顔色は良く、ボケてもいなかった。
息子も無事いねちゃんに会うことができた。
自分もあんな感じに生きるのだとしたら、余生は絵を描いて過ごそう…
理想は90過ぎてもドラマーだけどね。

さてさて、オトンは70でそこそこ元気である。
そして子供たちがはしゃいでいる。
とても平和である。

私が子供の頃は、しょっちゅう一族旅行に行ってた気がする。
思えば、オトンたちがイネさん明さんへ親孝行だったんだな。
ので、親が元気なうちに旅行に連れて行きたいなと思う。
そうそう何回も行かれないと思うけど。

そうそう、姪っ子Yちゃんはオトンと誕生日が近いので一緒に祝ってもらってラッキーだな。
4歳ということで、リカちゃん人形あげてみた。
妹Hちゃんにうんちくんのシールをあげたら3人とも食いついたw
子供ってなんでうんち好きなんだろw

娘はたいこ絵本を、息子は足に付けるラトルをいただきました。

娘ははしゃぎ過ぎで、夜泣きしとりました。
うなされてうわ言でアンパンマンとか色々言うてたw
お茶もゴクゴク飲んだらしい。

オトンは次の日プレゼントに貰ったゴルフグッズを身につけて張り切ってゴルフに行きました。

ちなみにお祝い会場は大宮第3公園近くの新道山家にしました。
リーズナブルなコースもあり、ケーキ持ち込みも無料で、お料理も美味しいのでオススメです。

結婚パーティーin池袋

2012-12-02 15:52:00 | 特別なこと
YEMON仲間で非常口メンバーである、あい~んの結婚パーティーに行って来ました。
サンシャインシティの上のレストランだったので、
YEMON仲間と1Fのタリーズで合流。
メッセージカードを書き書き、ゾロゾロと受付。


あい~んらしいウェルカムボード。

入場、ケーキ入刀、ブーケ取りゲーム?のあと、食事をとって、余興の歌をを聴いて、
写真を撮りにいこうとしたらゲームが始まって、
ゲームが終わったらトイレ行って、ケーキ食べようと思ったら
もう新郎新婦のシメの挨拶始まってたという、
あっという間の1時間半でした。


ケーキはこちら。フルーツのところをごそっと食べた~い。

ブーケは全員で紙飛行機を飛ばして、ブーケに刺さった人がもらうというものでしたが、
刺さるわけがなく、司会者が一番近いところのやつを拾って刺してましたw

余興は申し分なしです、バンドマンのお友達ですから。

ゲームは、チームに分かれて、制限時間内にみんなでまわして
ミッキーマウスを描いて、うまいチームが勝ちってやつでした。

結果、1位とりました。
最初にべに~が目と鼻と口を描いて、途中で男の人が耳で失敗wしたので
最後にギャグでふきだしに『ボクミッキー』と書きましたww
一応考えて顔の中心が似てれば後は何とかなるという作戦で、
べに~が最初に描いたわけなんだけれども、最初の一筆は緊張して手が震えたw
うちのチームが一番みんなで描いた感が出てた気がするね。
中には一人で描いたんじゃないかというのもあったな~。
写メがないのが残念~

そして賞品が12しかないのに、べに~とみんぞ~としいたけ、
親族3人もらっていくというwww

最後にサプライズで旦那様から奥様に手紙を読んだんだけど、
シンプルだけど気持ちのこもったいい手紙でした。
籍を入れて1年以上経つけれど、まだまだ初々しい二人でした。

お見送りのときもお箸にプチくじが付いてたんだけど、それも当たったよ。
小さな俵に入った10穀米でした。
はずれの人はふりかけ。


満面の笑みでござる。末永くお幸せに~~

そして立食だったので休憩もかねてイタリアンに寄り、
YEMONチームとだべり、
その後駅で別れて一蘭でラーメン食べて帰りました。
ちなみに夜食はみんぞ~んちのべにはるか(さつまいも)でした。