ちょうど一年前、息子が産まれて間もない頃、義母に癌が見つかった。
病状はかなり進んでいるようだった。
夫は、故郷の島根を離れて、埼玉で暮らすことを選択した時点で、親の死に目に会えないことは覚悟しなければならなかっただろう。
しかし今回、危篤と聞いて4日目に実家に到着してからさらに3日、1週間頑張ってくれたので看取ることができた。
1週間というのは絶妙で、これ以上長引けば1度埼玉に戻らねばならなかったので、本当に奇跡的と言えるだろう。
私は死に目に会うことも大事だが、元気な時に会って会話をすることの方が大事と考える。
自分が死ぬ時は意識がなくなったら周りのことなんかどーでもいい。
その時は生き残る者たちが納得して受け入れる時間だと思うし、
元気な時にたくさん思い出を作って持って逝きたいと思うからだ。
だからやはり孫である息子の顔を見せられなかったし、娘も2回しか会わせられなかったことは悔やまれる。
ただ、息子である夫は、元気な時と闘病中に2回会っている。
家を建て替える時に犬を預けるところがなかったから、夫が実家に預けに行って、迎えに行っている。
滞在時間は短いので大した会話もしてないだろうけど、なかなか帰省しようとしない夫のことだ、
もし犬がいなかったら会えていたのかな?と考えるとお犬様様だって思うのだ。
何と言っても母親は息子がかわいいものだからね。
だからこんなにタイミングが良いのも、母の最後の愛情じゃぁないかな。
たまたま車検のときだったので、仮車検証の期限が切れちゃうので初七日は出ずに埼玉に帰ってきたんだけど、
これも、早う帰れということだったのかなと思う。
チビが2人も居候してたんじゃ義妹も休まらんだろうし。
チビたちは破壊しかしないので、物が手の届くところに置いてある家は常に見張っていなきゃいけないということで、
非常に疲れるので私も限界だったわけなんだけれども。
チビたちも慣れない場所で、重い空気の中とても頑張ってそして長時間ドライブも頑張った。
帰ってきたら私含めうんこ祭りだった(爆)
自宅ではなかなか寝ないなど、良くも悪くも我が家だなと思ったw
まぁそんなチビたちのおかげで、ろくに葬儀も出られず線香も焼香も1回ずつしかあげられなくて、せめてもう2年元気でいてくれたらな、と思ったけど、
オイラのあの世に持っていく思い出がまたひとつできたかな。
病状はかなり進んでいるようだった。
夫は、故郷の島根を離れて、埼玉で暮らすことを選択した時点で、親の死に目に会えないことは覚悟しなければならなかっただろう。
しかし今回、危篤と聞いて4日目に実家に到着してからさらに3日、1週間頑張ってくれたので看取ることができた。
1週間というのは絶妙で、これ以上長引けば1度埼玉に戻らねばならなかったので、本当に奇跡的と言えるだろう。
私は死に目に会うことも大事だが、元気な時に会って会話をすることの方が大事と考える。
自分が死ぬ時は意識がなくなったら周りのことなんかどーでもいい。
その時は生き残る者たちが納得して受け入れる時間だと思うし、
元気な時にたくさん思い出を作って持って逝きたいと思うからだ。
だからやはり孫である息子の顔を見せられなかったし、娘も2回しか会わせられなかったことは悔やまれる。
ただ、息子である夫は、元気な時と闘病中に2回会っている。
家を建て替える時に犬を預けるところがなかったから、夫が実家に預けに行って、迎えに行っている。
滞在時間は短いので大した会話もしてないだろうけど、なかなか帰省しようとしない夫のことだ、
もし犬がいなかったら会えていたのかな?と考えるとお犬様様だって思うのだ。
何と言っても母親は息子がかわいいものだからね。
だからこんなにタイミングが良いのも、母の最後の愛情じゃぁないかな。
たまたま車検のときだったので、仮車検証の期限が切れちゃうので初七日は出ずに埼玉に帰ってきたんだけど、
これも、早う帰れということだったのかなと思う。
チビが2人も居候してたんじゃ義妹も休まらんだろうし。
チビたちは破壊しかしないので、物が手の届くところに置いてある家は常に見張っていなきゃいけないということで、
非常に疲れるので私も限界だったわけなんだけれども。
チビたちも慣れない場所で、重い空気の中とても頑張ってそして長時間ドライブも頑張った。
帰ってきたら私含めうんこ祭りだった(爆)
自宅ではなかなか寝ないなど、良くも悪くも我が家だなと思ったw
まぁそんなチビたちのおかげで、ろくに葬儀も出られず線香も焼香も1回ずつしかあげられなくて、せめてもう2年元気でいてくれたらな、と思ったけど、
オイラのあの世に持っていく思い出がまたひとつできたかな。