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v6くるくる日記

「幸せな社会のための技術を語りたい?」日記

日経デジタルコアでの「竹中懇談会勉強会」に参加して

2006-06-22 00:17:51 | IT社会論とでもいうべきもの

今日は日経デジタルコアの勉強会で、竹中懇談会がとりあげられた。パネラーとして、懇談会の委員であった、慶応大学の菅谷先生、野村総研の村上理事長らが並び、検討経緯も含め、解説や質疑応答が行われた。参加者は100人ぐらいだったであろうか。

昨日のブログ記事で私は、この答申がNTT・NHK問題、いわゆるNN問題に偏っているのではないかという疑問を呈したが、少し読み方が浅かったようだ。確かに通り一遍読むと、具体性のある提言がNN問題を扱っているものが多いが、実際の議論はかなり広く深いものであったとのことである。また、NN問題以外の部分のそれぞれの短い記述にも、各委員のさまざま思いが埋め込まれていることもよくわかった。まあ「行間を読め」ということか。

村上氏によれば、今回の懇談会のゴールは構造改革と価値創造の2つであるという。まさにその通りである。最終文面ではこの後者の価値創造の部分のトーンが弱いように感じたわけだが、「融合サービス」という一言の裏に、自己放送規律に従う事業者がIPというインフラの上でさまざまな自由なサービスを提供する、という強烈な狙いが隠れている。

「融合サービス」について、村上氏は報告書には乗らない私見として、むしろsharp head(long tailの反対側)に図抜けたコンテンツ・コンテンツサービスを作るのが日本の通信・放送融合産業として、google対抗策のひとつのあり方ではないかと述べた。へぇ、なるほどね。私は単純にはやはりロングテールのところにインターネットの強みがあると見ていた。例えば、富山のローカルな放送を東京在住の富山県人がみるとか、幼稚園の運動会放送を田舎の祖父母が見るとか、やはりニッチや超ニッチのニーズを満たすものとしてである。村上氏の発言を聞いて、もしかしたら確かに逆の考え方もあるのかもしれないな、と思った。sharp headでの抜群のコンテンツは、ネットという国を超越したメディアにのることにより、その価値を単純人口比でも数十倍にすることもできるのだろうから(注:これは単なる私の類推。他のもっと面白い狙いがあるかもしれない)。

まあ、デジタルコアはいろいろ勉強したり、考えさせられたりするいい機会である。来週は、私が主査を務めることになった「ネット社会アーキテクチャ研究会」の第一回が開かれる。第1回は「ネットワークの中立性とコスト負担」がテーマである。以下、NGNやインターネットのそれぞれの可能性、インフラのコストシェアモデルのあり方、IPv4アドレス枯渇とIPv6対応、などのテーマを準備中である。参加は無料だが、基本的にはデジタルコアメンバ限定。が、たぶん私に言ってもらえれば、私から日経さんに頼むことも可能かも。

 


竹中懇談会について

2006-06-21 00:03:45 | IT社会論とでもいうべきもの

先日、竹中懇談会の最終答申がでた。私の視点は、イノベーションを誘発するICTインフラ/環境というところにあり、この観点からは少々物足りなかった。

竹中懇談会とはあえて説明する必要もないだろう。最新答申のサマリはさまざまなところで解説してある。また、日経デジタルコアをはじめとして、賛否両論でているらしい。私的な会合という位置づけ、秋に予定されている新組閣などの要因から、どこまでこの結論が反映されるかどうかは怪しいところだが、NTTとNHKのあり方に対して、両論ある中で一定の結論を纏め上げたことにはそれなりの評価ができよう。とはいえ、もともと通信と放送の融合という文脈で始められたこの議論が、結局はNTTとNHKのあり方に終始してしまったのが残念だ。

NTTに関しては、NTTを再編し、より強力な通信インフラをつくり、日本の国力を強化しようというNTT擁護派と、公正競争のためには強大なNTTは分割すべしというNTT分割論派、この対立構造が、この懇談会だけでなく、さまざまなところで論点となる。そのどちらの論の裏にも、自社利益の確保のために、政治家、学者を巻き込んでの利益誘導合戦に見えて仕方がない。

この利益誘導合戦、当然どちらの言い分にも理がある。どちらが正しいというよりは、見ているスタンスが違う。だとすれば、どちらがいい、悪いの議論だけをしてても仕方がないのではないか。さらに言えば、政治力を駆使して得た結論にどのくらいの妥当性があるのか? それがいけないとすると、どうすればよいか。何をしないといけないか。

私見では、もう少しマクロな視点が必要になると思う。これからの通信業界には「ANY産業との融合」というひとつの大きなゴールがある。そのためには技術的イノベーションおよび、ビジネスモデル的イノベーションをいかに起こさせていくかという観点が必須となる。それらを誘発するような政策・制度の仕組み、文化の醸成など、多くの課題がある。竹中懇談会もNTT分割論議論も、今後の通信・ITプラットフォームとはいかにあるべきか、そういうビッグピクチャーの議論が絶対的に不足している。

最近、某所で次世代IT環境の研究会に何度か参加し、私なりの仮説を発表した。ゴールをイノベーションを起こすということに置いて、ネットワークトランスポートレイヤ、ネットワークサービスレイヤ、情報処理レイヤ、コンテンツレイヤの4レイヤで考え、それぞれのレイヤのあるべき要件をあげてみた。
・情報処理レイヤはgoogleに代表されるように、おそらくこれからのイノベーションの中心となるレイヤである。ここでなるべく自由な競争をさせる必要がある。
・ネットワークサービスレイヤは情報処理レイヤが要求する応用に対し、リソース(帯域、アドレスなど)を制限なく、適正な価格で提供する役割を負う。すなわち情報処理サービスの新サービス可能性や新ビジネスモデル可能性に対し、最大限のバラエティをもってサービス提供することが重要な要件となる。
・一方、ネットワークトランスポートレイヤは安価で安定したトランスポートを提供することが要件であり、また*ユニバーサリティというキーワードも別の意味で必要となろう。

NTTはネットワークサービスとネットワークトランスポートを受け持つ会社であるが、特に今後起こるべきイノベーションに対する、ネットワークサービスの柔軟性について疑問がある。例えば、NTT東日本と西日本の2種類のフレッツサービスを使い分けないといけないことにより、ある種の全国規模のアプリケーションサービスのイノベーションは阻害されている。一方、NTTの計画するNGNは、NTTが提供するネットワークサービスが想定するイノベーションしか起こりえないという意味で、やはりイノベーションストッパーとなる可能性も高い。これらはNTTを分割するかどうかという単純な話ではない。

仮説自体が未熟なのと、上記では定義も含め、全く説明しきれてないのとで、わかりにくいと思うので、いずれブログ上できちんと説明するつもりである。

 


googleの実力を測る実験

2006-05-23 03:46:41 | IT社会論とでもいうべきもの

先日、遅ればせながら梅田望夫さんの「ウェブ進化論」を読んだ。梅田さんは実は大学院時代のM研究室の一年先輩(のはず)である。本の奥付をみて、はじめてそれに気がついた。かなり私も間抜けだ

この本では、「あちら側」を起点とする大変革の本質をわかりやすく解説してあり、まさに目からうろこであった。もやもやしていたものが一気に頭のなかで整理できた気がする。

IPv6とかユビキタスを追求している私としては、googleの後追いをするのではなく、むしろgoogleの先回りをするようなことを考えていきたいと思った。googleは、virtualなコストゼロの世界で他人の力も借りて劇的な変化を起こし、ある経済圏を作っていきつつある。IPv6/ユビキタスはすべてのものをネットにつなげ、一旦つないだ後はコスト0でリアルタイムにリアル世界からの情報を取り込み、リアルタイムにリアル世界をコントロールできる(可能性がある)。まだまだ考えてない状態だが、少しアイデアがひねり出せれば、そのうちに梅田さんのところでも相談に行こうと思う。

さて、表題の「googleの実力を測る」である。梅田さんによると、ウェブ空間上の情報の玉石混交問題は「検索エンジン×自動秩序形成機能」により解決されるつつあるという。googleはテクノロジー企業としての優位性があるということだ。なるほど、確かにそうかもしれない。

で、ごく簡単な実験をしてみた。自分の名前"荒野高志"をgoogleでひいてみて、上位20項目ぐらいがどのくらい「自分」を表しているのか、ということを自分で評価する、それだけである。

結果。まず、自分で驚いたのはヒット数。とりあえずパラパラと数ページ分みたところではヘンなものはなく、全部私のことらしい。ちなみに、インターネット界の偉い先生方のgoogleヒット数と比べれば遥か及ばないが、それでも私なんぞでも10年も業界にいればこれだけ積みあがるのだなとしばし感慨にふける。

検索結果のトップに出てきたのは5年ぐらい前に取材を受けた「インターネットてらこや」とかいう読売新聞の企画で、動画で子供たちに対して次世代ネットの夢を語るという、非常に気はずかしいもの。それがトップなのはyomiuri.co.jpというサイトの力だろうか。以下、アットマークIT、今の会社=ネットコア、日経ネット、インプレス、日経デジタルコア、というように続く。この「v6くるくる日記」は18位にようやく登場、10年以上前にやっていたソフトウェア工学関連(電子情報通信学会)の情報よりも下位である。

まあ、私が自分で一番自分らしいサイトだと思うのがやはり自分のブログだと思うわけだが、googleがその技術で外から見た私を捉えたものがこの順序なのだ。確かに「IPv6で世界に貢献する」という人物像(虚像かもしれないけど?!)は客観的に見てわかりやすいのかもしれない。

実は面白かったのが、イメージ検索。ちょっと笑えると思うので、お暇な方は「荒野高志」でイメージ検索してくださいな。ひとつだけ私ではなく、ある超有名人の顔が荒野高志として出てくる。どうしてそうなったかというのは、そのリンク先のウェブページを見ればわかるわけだが、こういうところは現在のgoogleテクノロジーの限界なのね、と思った。

 


メディア論とポスト資本主義

2006-03-15 03:11:55 | IT社会論とでもいうべきもの

先日ラスベガスからの帰りの飛行機の中で、「Good Night, and Good Luck」という映画を見た。アカデミー賞にもノミネートされていたから、結構話題作だったのかもしれない。とにかく硬派で地味、しかし非常に力強い映画である。

1950年代、米国の赤狩り旋風の時代、TVというメディアの創世記の時代、マッカーシー上院議員とCBSのプロデューサー、エド・マローとの戦いを描いたものである。メディアと権力との戦いとか言論の自由とかの問題だけでなく、メディア企業の経営の問題、大衆の求めるコンテンツという問題、この難問を進めていくプロデューサーの迷いや悩み、なども見事に描いている。敢えて白黒の画面で構成されているところが、本質だけをより強く訴える。

最後にこのプロデューサーが演説する際の言葉が印象的だったので、全く正確さには欠けると思うが思い出せる限り、引用してみる。

「エドサリバンショーを4週に1回休んで、アメリカの社会問題を扱ったとしても、スポンサーや株主が文句を言うだろうか? 数千万人を啓蒙することができれば、長い目でみて、社会全体がレベルアップすることにより、はるかに大きな宣伝効果を生むのではないか。」
「楽しいだけのテレビはタダの光を発する箱である。そうではなくて、テレビは教師になりうる。ただし、よい教師になるためにはテレビという媒体をツールとして使いこなさないといけない。」

御意。

最近の国会周辺の問題にしても、何にしても、これからの国民全体の知的・精神的レベルアップが不可欠だと、常日頃から考えている私にとっては、かなりしっくりきた。そういえば先日も毎日新聞の座談会に参加し、メディア論をとりあげたが、それよりはずっと示唆にあふれていたように思う。

これらの考え方は、メディア論とか、メディア企業の経営だけにはとどまらない。ピーター・ドラッカーの予想によれば、2020年には数百年に一度の変革期も一段落し、ポスト資本主義とでも言うべき、全く新しい世界がはじまるという。企業のあり方も大きく変わるはずだ。

資本主義においては、労働の対価として賃金が定義され、お金というものを基本的尺度に株式市場などの仕組みが作られてきた。ところが、ホリエモン事件が起こるまでもなく、多くの人がすでに気づいているように「何かどこかおかしい」のである。単にCSRとか企業の社会的責任論を言いたいわけではない。CSRも、儲けるためにしておいたほうがいいこととか義務行為、というレベルで捉えられているうちは、どうもやはりどこか違う気がする。

では、来るべき新しい時代でどういう価値観とか、基本的尺度が必要となるのだろうか? これについて現時点で明確に答えられたら、おそらく歴史上の人物になるうるだろう(笑)。ただ、「どこかおかしい」と考える理由として、金銭的分配が、価値の創造、あるいは社会全体最適化への寄与度に無関係に行われるような仕組みや考え方に、資本主義(の一部の仕掛け)が陥っているところにあるように思う。私は社会論は全くの専門外だが、それでも経営者のひとりとしてこの問いは考えていくべき大事なものと思っている。

ところで、今日、ネットコアの株主総会と取締役会があり、代表取締役社長というお役をいただいた。企業なんだからきちんと儲けていくのは当たり前として、社会に対してネットコアなりの+αの何ができるのかについて、代表権をもつ責任ある立場としてさらに考えていきたい。


宮古島での教育サミット

2006-03-08 02:10:12 | IT社会論とでもいうべきもの

富山でのIPv6サミットの翌日は、沖縄の宮古島で「次世代の学力サミット2006」と題された会議にご招待された。私がコーディネータをつとめている総務省IPv6移行実証実験での自然再生実験のチームの企画であるが、v6実験の成果お披露目会を兼ねて、教育がテーマのこのイベントが開かれたのだ。

写真のように少々サミットというのは規模も小さく、手作りイベントという感じだが、そこで4時間にわたり議論された内容はグローコムの中島洋先生の秀逸な仕切りのもと、実は富山のIPv6サミットにも勝るとも劣らない充実ぶりであったと思う。翌朝の朝刊で地方紙2誌取り扱われた他、宮古テレビで全編収録され、DVDに焼かれて宮古市の中高等学校などに配布される予定だという。

私の提言は近日中に会社ビズロクのページに資料を載せておく予定だが、かいつまんで言うと、P.ドラッカーの言う変革の時代という時代背景を前提とした教育戦略と実践が必要というもの。ゆとりだとか、詰め込みだとかそういう些細な議論はやめて、価値創造ができる人材を育てるために、まず価値観の共有と価値創造/フィードバックの経験を積むことが重要と考えた。これだけではわかりにくいと思うので、後日きちんと書いておきたい。(そのためにも「IT社会論」と題したカテゴリーを作った。。。)

この他、首都圏コンピュータ技術者協同組合最高顧問の横尾氏は21世紀になって経験が役に立たない時代の教育のあり方を、NTTComの中井氏は理論だけなく感性を育てる教育、オンリーワンというだけではなくワンネス(一体感)をめざす教育の必要性を訴え、私は個人的にはいたく共感した。この他、東京農大の中西先生の「科学」の教え方など、感心するものばかりであった。

なかでも一番感動したのが、地元の下地中学校校長の川上先生の発表である。先生は校長になられて以来、「たまうつ先生」という企画を考案され、実施されているという。「たまうつ」とは方言で「ッズゥダマウツ」が語源で、もともと漁でとった魚などの富をを公平に山分けするという意味の言葉。そこから、地域のお爺やお婆を一日「たまうつ先生」として招聘し、長年培った経験や知恵を子供たちに分け与えるという企画を実施している。すでに300人以上のたまうつ先生が、追い込み漁のやり方、バナナの植樹と栽培、サトウキビから黒糖を作る方法、スノコの作成、地元の民謡、などを子供たちに伝えた。失われつつある文化の伝承ということもさることながら、今後ますます国際化していく世の中、子供たちが自分の地域に対し誇りをもち、自分のアイデンティティを確立していくことができる、という教育は、今後の日本を作っていくうえで一つの重要な考え方であろう。(翌日にたまたま川上先生の出版された本を発見し、思わず買ってしまった)

議論ではITをツールとしてどう活用するかというような話題をとりあげた。横尾氏がe-learningの有用性を訴えたのに対し、私は富山のインターネット市民塾を紹介した。市民塾では生徒と先生の垣根をとりはらい、誰でも自分の得意な分野に関して簡単に教材を作り公開することができるような仕掛けが用意されている。人は教えることにより学ぶのだ。この仕組みを使い、子供たちが自分の得意な分野で人に「教える」ことにより学び、さらに教材の学習者からのフィードバックがかかることによりさらに学ぶような取り組みを私は提案してみた。すると、川上先生、この「ジュニアたまうつ先生」で富山に負けないような成果を出したいときた。これをさらにうけ、確か中島先生だったか、そういう知識の集積が宮古にできれば、それが観光に、特に教育的な修学旅行にもつながるというようなコメントも飛び出してきた。

このような議論のあとでは、もともとのIPv6実験の「自然再生」と、サミットのテーマの「教育」とどういう関係にあるの?なんて、くだらない疑問を当初抱いていた自分が少々情けなくもなった(笑)。

イベントを企画、準備し、裏で全部お膳立てをしてくれた、エコガイド教育コンソーシアムの猪澤さんに感謝したい。願わくば議論だけでなく、こういうアイデアは是非実現させてみたいものである。ビジネスになる・ならないを通り越して、こういう取り組みに対しても私(の会社)は貢献していきたいものだと思った。