うざね博士のブログ

緑の仕事を営むかたわら、赤裸々、かつ言いたい放題のうざね博士の日記。ユニークなH・Pも開設。

民主党の代表選挙のこと、小沢一郎さんのこと

2010年09月04日 07時01分38秒 | わたしの日常です。

 8/28のブログにつづき、また、今度の民主党の代表選挙について触れる。一般的には、小沢一郎さんの金のことが演説や記者会見、新聞の論調で、首相候補として人格的に不適切だと争点になっているようだ。

 ところで、ほかの職業の世界であっても邪魔にならない究極の適性はなにかといったら、公然とでもひそかにでもいいのだが、それは自分の非を認めることである。しかし、政治家にとってはそんなことは百万遍繰り返そうが認めてはならない、それよりも事実かどうかは二の次にして、出来れば間髪をいれず相手の虚を突くことが正しいらしい。責任の所在を曖昧にする、他人のせいにする。言葉と行動の真剣な戦い。これが政治にたづさわる者の適性だ。

 わたし個人は、この間のイメージ先行のマスコミに盲従する世間の事大主義的な風潮が嘆かわしい。報道の無署名や後追い記事の不掲載、思い上がった世論誘導の見込み記事、センチメンタルなプロパガンダ記事。
 誰がマスコミは偉くて、清く正しいと決めたのか。
 過去、日本にとって、大東亜戦争の戦争協力と終戦時の論調変換は最大の汚点である。
 実態は単にインテリが高飛車な姿勢を押し隠して商売しているのみで、実は購読部数や広告量、儲けた損したの商売をしているだけではないか。しかも、野党の役割を担うなどと言っている。経営環境もそうだが、既に、今の時代はその記者クラブ制など優先的な既得の権利や、官僚の宣伝の役割りを捨ててほしいものだ。

 わたしは、日本の熱し易く冷めやすい世間にも嫌気がさす。また、他人の顔を見て真似ているくせに自分の考えであると、何気なく言う意見に飽きている。自分の生活や日常感覚をもとに、自分の頭で考えず、大勢に従うのも癪だ。要は自立した生き方をしてないのだろう。
 菅さんはどうも人望がなさそう、お調子者のようだ。日本の政治家の経歴としては期待させる市民運動出身ということで、ひそかにわたしは瞠目していたが、ディベートやアジテーターで政治はおこなわれる、とでも思っているようだ。必要なのは、経歴上に負け戦で身に着いた権力欲と闘争心のみ。あるいは人気商売だ、と。政治家の資質と修練の必要性には気づきもしないようだ。

 たいがいのことはどういう世界でも、人間性で最終的にその人の価値が決められる。殊に政治の世界は、文字通り、あの人のためなら命を賭けてまでという賛同者が多い方が勝つ。
 ところで、小沢さんは弁護士志望の大学院生から、二世としていきなり自民党の国会議員になった。それは職業選択の時機と理由に有無もないことだった。実社会を知らず政治家という職業に専心してきたことが、持って生まれた性向に合わせて謙虚と傲慢に見える二面の難解な性格をつくることになったのだろう。
 因みに、小沢さんから離れていった政治家は、すべて議長や大臣のポストなどの役からはずされたせいである。黄門さまなどとテレビで愛嬌をふりまく、某前副議長などはそのいい例だ。それが発展したのが、今までの新党をこわしたり作ったりの経過であり、これは政治の立党“理念”が空回りしているせいである。そして、政治家個人のねたみとそねみがこの職業の属性である。結果的に、善し悪しでなく、小沢さんはそういう相手の心情に鈍感なところがある。

 小沢さんに政治家として必要なのは、時機と相手を見た日常的な言語による過剰なまでの説明能力と、人間への理解と同情心である。小沢さんは、調査分析・判断と構想力や行動力などのほかの能力は、日本人離れしているほどに、政治家としてみんな持っているのだ。

 参考本:「虚像の囚われた政治家 小沢一郎の真実」平野貞夫著 講談社+α文庫

 小沢一郎さんについては、以前このブログで触れていたので、下記のサイトをご覧願う。
小沢さんのこと
小沢さんのこと Part2

    

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