その後の彼は、皮肉にも切望したヒョードルと
対峙できる最大のチャンスであった
『2004 GP』での開幕戦でランデルマンに
”1RKO”という壮絶な完敗を喫してしまう。
コレもまた、ドラマである。”成就困難極める”を
身をもって彼は痛感したのだろう。
それでも彼は歩みを止めることなく”野武士”の如く
DSEサイドからの何時如何様なオファーであっても
断るどころか、自ら志願して戦い続けている。
力量 . . . 本文を読む
当初、欠場理由を”背中の古傷”としていたが
実際は、ミルコは以前から(今も)対戦を
要求している最大のライバル、PRIDE現王者
ヒョードルと同じ代理人になってしまうのは、
自分にとって不利益を齎すと判断したのと、
ミヤトビッチの一連の”非紳士的な行動”を
嫌ったからと言われている。DSEに
ミルコは『自分が大切にしているモノを彼
(ミヤトビッチ)は理解していない。だから、
契約を破棄した。周囲が . . . 本文を読む
試合では、寝ている相手を手招きしてまで
立たせて、自分の土俵(スタンド)でしか
戦わない。総合のリングで飽くまでも
”K-1スタイル”の試合をして”最強”を
語る、そんなミルコが大嫌いだった…。
まだ、記憶に新しい昨年末の民放三社による
『格闘技イベント戦争』
ミルコは、どの大会にも出場しなかった。
他の選手より高額なオファーがあった
にも関わらず、受けなかった。
それどころか各局が競合した結果 . . . 本文を読む